第101話 静けさの続き
本編・番外編にお付き合いいただき、ありがとうございます。
ここから、第二部です。
完結のあと、季節がいくつか巡ったころ。
まずは、静かな辺境から。
朝の光が、書類の端を白く縁取っていた。
私は羽根ペンを置き、窓の外を見る。国境の森が、ゆっくりと息をしている。雪はもう、遠い。
辺境伯領の朝は、いつも同じ速さで来る。誰も急がない。急がなくても、回る。
机の上には、名前の出ない仕事が積まれている。関所の通行記録の照合。塩の在庫と、次の四半期の配分。神殿への割り当ての下書き。どれも、私がやったと誰も知らない。
窓の下で、下働きの少年が薪を運んでいる。厨房のほうから朝の匂いが流れてくる。焼いたパンと、煮た豆と、薄い塩の匂い。
辺境の朝は、質素だ。けれど、足りている。
足りている、という感覚を、私はここへ来て初めて知った気がする。王都では、あれほど多くのものに囲まれて、いつも、何かが足りなかった。
それでいい。
報われるために整えているのではない、と私はもう自分に言い聞かせなくなっていた。言い聞かせる必要がないほど、それは私の一部になっている。
扉が軽く叩かれた。
「レティシア様。商会長がお見えです」
「通してください」
ガルド・レイヴンが入ってくる。大柄な体を少し丸めるようにして、彼はいつも扉をくぐる。
「北方港の話です」
「順調、と聞いていますが」
「順調すぎる、と言うべきでしょうな」
彼は帳簿を机に置いた。数字が、静かに右上へ伸びている。
北方海洋国家との旧交易路。かつて王都の中央集権政策で弱められ、凍結扱いだった条項を、私たちは合法の範囲で再稼働させた。物流を、王都経由の一本から二本にした。
保険のつもりだった。
それが今、辺境の血流の、半分を担うまでになっている。
「良いことでは」
「良いことです。ただ」
ガルドは、太い指で数字の伸びをなぞった。
「良すぎるものは、目を引きます。特に――失いたくないものを持っている者の、目を」
私は、数字を見た。
王都の目、と彼は言わなかった。言わなくても、分かった。
辺境が「自立できる」と証明したこと。それ自体が、誰かにとっては揺らぎに見える。
私はそれを一度、身をもって知っている。
誰かにとっての「安定」が、別の誰かにとっては「邪魔」になる。
その理不尽を、私は一度味わっている。
だから、ガルドの言葉がただの心配性には聞こえなかった。
「……ありがとう。頭に入れておきます」
ガルドが出ていくと、部屋はまた静かになった。
私は帳簿をもう一度開いた。右上へ伸びていく数字を、指先でそっとなぞる。
良すぎる数字。
ガルドの残していった言葉が、静かな部屋に小さな棘のように引っかかっていた。
森が揺れている。光が、柔らかい。
ここには、私を急かすものが何もない。
まだ、何も。
静かな再開です。
派手なことは、まだ起きません。
けれど、良すぎる数字には、いつも誰かの目がついてくる。




