第100話 閑話 理由を聞かない男
辺境伯アレクシス・ヴァルドの視点による閑話です。
時間は、レティシアがこの領へ来た、あの日のこと。
彼の側から見た、同じ景色を。
書状が届いたのは、雪解けの少し前だった。
王都から、令嬢を一人引き取れと。罪状つきで。悪役令嬢、婚約破棄、寄付金の横領疑い――紙の上には、人を潰すのに十分な言葉が並んでいた。
俺は、その紙を一度だけ読み、机に伏せた。
補佐官が、控えめに尋ねた。
「いかがなさいますか。断る理由なら、いくらでも作れますが」
「断る理由か」
俺は窓の外を見た。国境の森は、まだ眠っている。
断る理由なら、確かにある。辺境は王都の流刑地ではない。厄介事を押し付けられる謂れもない。罪状つきの令嬢など、領の評判を下げるだけだ。
理由は、いくらでもある。
だが。
理由が多いというのは、たいてい、本当の理由が一つもないということだ。
俺はそれを、知っている。
かつて俺自身が、理由を並べ立てられて切り捨てられかけた側だったから。能力がない。出自が悪い。前例がない。辺境を任せるには若すぎる。――並べられた理由は、どれも正しかった。正しい理由は、人を殺すのに都合がいい。誰も責任を負わずに済むから。
あのとき、俺を辺境へ送った先代は、理由を聞かなかった。
お前がここにいる。それだけだ、と言った。
その一言で、俺はここまで来た。
だから。
補佐官に、俺は短く答えた。
「引き取る」
「……よろしいので」
「ああ」
理由は、聞かない。
それが、俺がこの領で受け継いだ、唯一の作法だった。
*
街道で馬車を止めたとき、中から出てきた令嬢は、噂とは似ても似つかなかった。
いや――噂など、最初から見ていない。俺が見たのは、ただの、寒さに耐えている一人の人間だった。
背筋は、不自然なほど伸びていた。完璧な礼。崩れない姿勢。それは気高さではなく、長く張り詰めた人間の、強張りだと分かった。緩め方を忘れた者の立ち方だ。
俺は、挨拶を遮った。挨拶などより、先に聞くべきことがある。
「寒くないか」
令嬢は、虚を突かれた顔をした。寒いかと聞かれることに、慣れていないのだ。それで、だいたい分かった。この娘は、長いあいだ、自分の状態を誰にも聞かれてこなかった。
彼女は、俺に尋ねた。
私のこと、何もお聞きにならないのですか、と。
王都で何があったのか。どういう理由で追い出されたのか。
俺は、首を振った。
「必要ない」
言ってから、彼女の目の奥で、何かが小さく音を立てたのが分かった。
安心とは違う。理解でも、同情でもない。ただ、判断されないという事実。――かつての俺が、先代に救われたのと、同じ場所だ。
俺は、外套を彼女の肩に掛けた。
それ以上は、何も言わなかった。言葉は上手くない。だが、温度は嘘をつかない。
*
あれから、季節が何度も巡った。
彼女は、役割を求められない場所で、誰にも気づかれないまま、物事を少しずつ整えていった。名前の出ない仕事を、当たり前のように。報われると思っていないやり方で。
俺は、それを評価しなかった。評価とは、役に立つかどうかで人を測ることだ。彼女が一番、それで傷ついてきた。
だから、ただ、いさせた。
居心地が悪いか、と一度だけ聞いたことがある。彼女は、悪くない、と答えた。
半分しか言っていないのは、分かっていた。
だが、急かさない。理由を聞かないのと同じだ。残りの半分は、彼女が自分の足で、自分の速さで、辿り着けばいい。
俺にできるのは、その場所を、用意し続けることだけだ。
国がどう転ぼうと。王都で何が決まろうと。
彼女が、ここがいいと思う限り――ここは、彼女の場所だ。
それを、いつか本人に言う日が来るのかどうかは、まだ分からない。
ただ、雪解けの森を見るたびに、俺は思う。
理由を聞かなくて、よかった、と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
受け入れた側にも、受け入れる理由があったのでした。
本編・番外編ともに、ここまでお付き合いくださったことに、心から感謝を。
――この国の行く末には、まだ語られていないことが、いくつも残っています。
そのときは、また。




