↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第4部:後日譚&一生分の契約書編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/100

第8話 契約書の余白に残すもの

 公正契約大神殿の書庫は、平和になったぶんだけ静かだった。

 昔なら、ここには緊急案件の足音が飛び込んできた。いまは乾いた紙と封蝋の匂いだけ。棚の奥で、羽根ペンが1本、ひそやかに眠っている。


 私は梯子をきしませ、目当ての区画を探した。手袋が滑り、インク壺を倒しかけて息をのむ。

「……すみません。書庫で汚すところでした」

「汚したら、その事故も条文化ですね」

 背後の声は冗談なのに真顔で怖い。監査会補佐官、ティオ。噂どおりの人だ。笑うタイミングだけが、いつも数秒遅れる。


「基準契約の老後類型を作れと言われまして……でも、老後のことなんて、まだ……」

「まだだから、いま書くんです。未来は待ってくれません」

 もっともらしいのに、脅しみたいだ。


 背表紙が1本だけ、妙に白い。題箋に小さく2人の名が並んでいた。

『リディア&セルジュ 老後契約』

 噂で聞く、あの夫婦。聖女と、公正契約官。世界を直したと言われる2人の、いちばん私的な契約書。つまり、最期にいちばん効く契約。


「……これ、完成品なんですか」

 恐る恐る抜き取る。重い。なのに、妙に軽い。封蝋が指先で温い。脈を打つみたいに。


 開いた瞬間、ページの半分が余白で埋まっていた。条文はある。刻印もある。けれど、空欄が多い。読むほどに、未来が怖くなる。


 私は思わず指で数え始めた。

「第1条から第12条までで……空欄、23……」

「数えなくていい」

 ティオの声が低く落ちた。手が止まる。


「……空白が、いちばん怖いです」

 口に出した瞬間、自分でも幼いと思った。けれど、怖いものは怖い。白い紙は、何でも起こせる。何でも失える。


「欠落ではありません」

 ティオは契約書を覗き込み、余白の端を指先でなぞった。そこには、薄い罫線が引かれている。埋めろと迫るためじゃない。ここまでなら書ける、と肩を叩くみたいな線だ。

「この契約は、最初から更新前提で作られました。2人が年を取るほど、増えるのは条文じゃない。余白です」

「増えるんですか。余白が」

「ええ」


 私は眉をひそめる。

「でも。余白って、何を書けばいいんです」

「書けない日のために、残すんです」

 ティオはさらりと言った。

「怖い未来のためじゃない。戻るための欄です」


「戻る……?」

「喧嘩した日。病気の日。言葉が出ない日。そういう日に、契約書は完成品である必要がない。完成品だと思った瞬間、書けない自分を責める。責めると、逃げる」

 ティオは淡々としているのに、やけに現実的だった。

「怖いなら、空けておけ。空欄は、逃げ道です。願いの置き場でもある」


 私は喉を鳴らした。

「基準契約って、固定の正解じゃないんですね」

「基準は、型です。人が生きる限り、型は更新されます」

 ティオはページの最下段を指した。


 そこだけインクの色が新しい。たった1行。

『以下、余白』

「……これ、最近書き足されたんですか」

「数日前に、更新届が来ました」

「当事者から……?」

「当事者から」

 ティオは少しだけ、口元をゆるめた。

「だから安心してください。怖い未来だけが来るわけではない」


 私はページの間に挟まれた小さな紙片に気づいた。極細の字で走り書きされている。

『来年の春は、庭の椅子を2つに増やす。片方が寝落ちしても、起こさない。』

 条文ではない。約束でもない。ただの未来のメモだ。でも、これがあるだけで胸が温かくなる。


「こんなの、基準に載せていいんですか」

「載せません」

「じゃあ、なんでここに」

「この契約の余白は、誰かに見せるためじゃない。2人が戻るためです」

 ティオは言い切った。

「それでも、基準として保管される。矛盾してますね」

「矛盾が、人間です」


 私は笑っていいのか分からず、咳払いでごまかした。書庫の空気が少し柔らかくなる。


「……私、老後契約の類型を作るの、向いてないかもしれません」

「向いてます」

「どこが」

「怖がれるところが」

 ティオはきっぱり言った。

「怖くない人は、余白を潰します。潰したら、戻れない」


 私は契約書を閉じ、封蝋の感触をもう1度確かめた。温い。遠い誰かの生活の温度が、そのまま残っている気がした。


◇


 その契約書には、もう1枚だけ別の紙が綴じられていた。薄い青い紙。見慣れない封印。女神の紋章だ。

 ティオが頷く。

「読む許可は出ています。最後に、必ず読めと」


 私は封を切り、紙面を広げた。文字は、少しだけ癖がある。丁寧語なのに、時々砕ける。噂どおりの女神の筆跡だった。


『女神日記 最終頁


 私は今日も、世界契約ログを眺めています。ピーク時の3分の1。ブラック案件速報は週に数件。平和って、数字で見るとやたら現実的ですね。

 あの2人の老後契約は、何度も更新されました。条文が増えた日も、増えなかった日もあります。

 契約書の余白は、怖い未来ではありません。まだ願っていい未来のための場所です。

 私はそろそろ少し引きますが、余白は引きません。世界契約ノートの余白も、老後契約書の余白も、これからも誰かが残し、誰かが埋める。

 ――あとは、あなた方の番。』


 読み終えた瞬間、書庫の静けさが少し違って聞こえた。無音じゃない。次の人の足音を待つ静けさだ。


「……女神様、退くんですね」

「退く権利も、条文化しましたから」

 ティオが肩をすくめた。

「守られる神というのも、案外めんどうですよ」


「じゃあ、この余白は……」

「あなたが作る類型にも、残してください」

 ティオは私の手元の白紙を見た。

「埋めるためではなく、残す。怖い未来のためじゃない。願っていい未来のために」


 私は羽根ペンを取り、紙の端に小さく罫線を引いた。埋めない線。戻るための線。

 そして、最初の1条だけを書き写した。たぶん、ここが核になる。


第1条 当事者双方は、互いを『守るべき業務資源』ではなく、『共に生きるひとりの人間』として遇することを、人生の最期まで努める。

以下、余白


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

「契約」という堅い言葉で、恋と生活と世界の温度を描けるのか――その実験に、最後まで付き合ってくれた読者さんのおかげで、リディアとセルジュは「以下、余白」を未来に残せました。


完結まで辿り着けたのは、読んでくれる人がいる、という事実がずっと支えだったからです。ページを開いてくれた時間、スクロールしてくれた指先、その全部がこの物語のインクになりました。


もし1つでも刺さる台詞や、守りたくなる瞬間があったら、作品ページのブックマーク(お気に入り登録)でそっと背中を押していただけると嬉しいです。ブクマは「また読み返したい」と思った時のしおりにもなるので、気軽に置いていってください。

さらに、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価を入れてもらえると、次の更新や次回作の燃料になります。

感想も大歓迎です。あなたなら契約書の余白に、どんな1行を足しますか。好きだったシーンだけでも、ツッコミでも、短くて大丈夫なので、ぜひ教えてください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。