表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第4部:後日譚&一生分の契約書編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/100

第7話 最後の指輪と、一生分の条文

 工房の扉を押すと、小さな鈴が鳴った。

 金属を焼く匂いと、研磨粉の白い香りが混ざって、胸の奥が変に落ち着く。ここは指輪を作る場所なのに、なぜだか公正契約大神殿の書庫よりも、静かで正直な空気がする。


「予約名、セルジュ・アルドランです」

 隣のセルジュが、さらりと言う。さらり、のはずだった。


「第3区画、午後1番、内側刻印あり、素材は同一規格、仕上げは明日受領――」

「……お客様、役所の方ですか?」


 職人さんが真顔になった。セルジュは一拍置いてから咳払いをする。


「失礼。習慣です」

「あなたの習慣、たまに人の心臓に悪いです」


 私がぼそっと言うと、セルジュが視線だけで「反省しています」と伝えてくる。反省している顔は、だいたい私のことをじっと見ている顔と同じなので、ずるい。


 職人さんは奥の棚を指差した。


「履歴を、お見せします。……こちらの工房、昔の控えも保管してましてね」

「履歴」


 その言葉が、指輪より先に私の指を締めつけた。

 私はもう、指輪に縛られない。そう決めた。神前で外して、祭壇に置いて、祝福の鎖ごと切り替えた。

 なのに――「最後の指輪」なんて言われると、体が先に構える。


 職人さんが小さな鍵で引き出しを開けた。薄い紙束と、何枚かのデザイン図が並べられる。

 最初に見えたのは、王太子との形式だけの婚約指輪。真円で、端正で、飾りが少ない。あの人らしい「体裁」だけの形。

 次に置かれたのは、夫婦契約指輪の図。外側は同じくらい控えめなのに、内側に刻印枠がある。そこに、短い条文が入るように設計されている。


 同じ金属。同じ光。

 なのに、紙の上ですら別物だった。


「同じ素材でも、刻む言葉で、別物になります」


 職人さんが何気なく言う。その何気なさが、胸に深く刺さる。

 私は息を吸って、吐いた。紙を見て喉が詰まったのは、過去が痛いからじゃない。過去が、もう私を支配できないと確かめたからだ。


「……最後って、言葉、強いですね」

「強いから、選びます」


 セルジュが、私より先に答えた。選ぶ。そうだ。選べるなら、縛りじゃない。


「最後の指輪は、老後契約に添える印です。形式ではなく、運用のために」

「運用……」

「日々、更新するために」


 私たちの間で、最近よく出る単語だ。余白。更新。運用。

 世界契約を改めたあとでも、夫婦の暮らしは、紙の上で少しずつ整っていった。整うたびに、怖さが小さくなる。小さくなった怖さの分だけ、願いが顔を出す。


 職人さんが、刻印用の蝋を机に置いた。

 細いヘラで、試し書きができるらしい。


「刻む言葉、決めておきますか。明日仕上げますが、今夜迷ったら変更もできます」

「迷う夜、まで用意されてるんですね」

「長くやってると、夫婦の顔つきで分かります」


 私は思わず笑ってしまった。セルジュは笑わないけれど、私の肩に触れる指が少しだけ柔らかい。


「私の希望は、これです」


 私は蝋の上に、言葉を書こうとして止まった。長い。入りきらない。

 頭の中では、はっきりしているのに、文字にすると重たい。


「最期まで、笑って文句が言えること」

「それを、そのまま刻むのは――」

「入りません」


 職人さんが即答した。現実が強い。


 セルジュが、真剣に考え込む。その横顔は、条文を作るときと同じだ。彼の溺愛は、たぶんこういう形で出る。抱きしめるより先に、抜け道と安全網を作る。


「私の希望は」

「分かってます。最期まで、あなたの味方でいること、でしょう」

「……はい」


 私が言ってしまって、セルジュが一瞬だけまばたきを止めた。照れた、というより、受領した顔。

 私は続けた。


「でも、義務だと息が詰まるんです。私たち」

「……同意します」


 セルジュは頷いて、蝋の上の言葉を指先でなぞるふりをした。触れていないのに、触れられたみたいに心臓が跳ねる。


「願いで、いきましょう」

「願い?」

「願いなら、守れます。義務より、強く」


 その言い方が、ずるい。私は笑って誤魔化しながら、ちゃんと口に出した。


「最期まで、笑って文句を言う。――それが私の願いです」

「許可ではなく――当然です」


 セルジュの声が、少しだけ低くなる。

 私は視線を落として、短くする。軽くするんじゃない。逃げない形にする。


「短い言葉は、軽くなるのでは」

「短いから、逃げません」

「短いから、守れます」


 私たちは何度も書いては消し、書いては消した。条文口調の案が山ほど出て、職人さんに「それ、指輪には入りません」と切り捨てられるたびに、二人で同じタイミングで笑った。

 最後に残ったのは、ほんのひと息で言える言葉だった。私の願いと、セルジュの宣言が、ちゃんと同じ方向を向く形。


 職人さんがそれを受け取って、うなずく。


「明日、刻みます。……いい言葉ですね」

「いい、というより、私たちの呼吸です」

「呼吸」

「これなら、息ができます」


 工房を出る頃には、指の重さが消えていた。代わりに、胸の奥に小さな熱が残っている。冷たい金属じゃない。あたたかい言葉の予感。


 夜。

 自宅の机に、老後契約の束が広げられた。セルジュが整えた条文列は、驚くほどシンプルだ。細かい言い回しより、運用の導線が優先されている。


「読み上げます」

「はい、裁判長」

「私は裁判長ではありません」

「今日だけです。気分です」


 セルジュは負けない顔で、淡々と朗読を始めた。


「第1条。当事者は、互いの生活の安全を最優先とする」

「異議なし」

「第2条。当事者は、体調不良時に休息を取る義務を負う」

「強制休暇、ありがたいです」

「第3条。当事者は、必要に応じて第三者の助言を受ける」

「神殿医も含みますか」

「含みます」

「第4条――」


 条文は続く。笑って、突っ込んで、少しだけ真面目になって、また笑う。

 最後の方に、私は手を止めた。


「……空欄、多いですね」

「多いほうがいい。私たちは、まだ書き足せる」

「未完成ですか?」

「未完成にしてあります」


 セルジュが、はっきり言った。逃げじゃない、と。


「空欄は、逃げじゃない。……未来の席」

「席は、あなたの分も確保します」

「私だけじゃなくて、あなたの分もです」


 私が言うと、セルジュの口角がほんの少し上がった。


「じゃあ――更新前提、ですね」

「ええ。更新します。あなたが笑って文句を言える限り」


 その言葉が、昼間の蝋の上の文字と重なって、胸が熱くなる。

 紙は冷たいはずなのに、今夜はあたたかい。


 書類を閉じて、提出用の封筒へ入れる。

 私は反射で封をしようとして、手が最短距離を描いた。公文書の速度だ。


「待ってください」

「え?」

「今日は夫婦の速度で」


 セルジュが、私の手首をそっと止めた。触れ方が優しいのに、逃げ場がない。心臓のほうが先に観念する。


「……夫婦の速度って、どれくらいですか」

「あなたが、息ができる速度です」

「ずるい」


 私は封蝋をゆっくり温めた。セルジュも隣で、同じ速度で待っている。

 封が閉じる。終わりじゃない。提出だ。次の更新のための保管。


 セルジュがぽつりと言う。


「明日、書庫へ預けます。――未来の誰かが、読む」

「……私たちの余白も?」

「ええ。余白ごと」


 私たちは、まだ書き足せる。

 その確信だけが、指輪より確かに、私の指をあたためていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。指輪に刻めなかった「願い」は、次話で余白に置かれます。リディアとセルジュの一生分の更新、最後まで見届けてもらえたら嬉しいです。続きが気になったら、ブックマーク&広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ