第十八話 異界の扉には近付けないようです……
「まるで、見えない壁にでもぶつかったかのように見えました……」
「だ、だよね……。わ、わたしは……入れちゃった……」
「私やエル、神父様も、ちゃんと部屋に入れているし……一体どうして?」
エリーゼさんのそんな呟きをきっかけに、同じく呆然と今の状況を眺めていた他の面々からも口々にそう声が上がり出す。
曰く、俺は何か見えない壁のようなものに阻まれ、部屋への進入が果たせなかったのだとか……。
「ご主人、平気? 頭、痛くない?」
「あ、ああ、大丈夫。それより……シロ、お前の目には今の光景、どう映った?」
「みんなが言ってるのと同じ。まるで、あそこに透明な壁があるみたいだった」
「そ、そうか……」
どうやら、シロの目にすら俺が謎の壁に阻まれたように見えていたらしい。魔獣にもよく分からないときたか……。
「ラウス様、このような事例は今までにあったのでしょうか? 異世界人はこの部屋に近付けない……みたいな」
「いえ、少なくとも記録にはございませんでしたな。イレギュラーなことが起こりすぎている……どういうことなのだ」
「使用が久しぶりすぎて、異界の扉に何かしらのエラーが生じてしまっているのでしょうか……。クロウ様の出現地点が変化してしまったのと同じで……」
「分からない。……しかし、困りましたな。これでは、クロウ殿を元の世界へ送って差し上げることができない」
そんなラウスさんの言葉に、この場にいる俺を含めた全員から動揺の声が上がる。
帰ることができない……か。この場合、俺ありきの状態で次の異世界人招集が行えるのか……それ次第で事の重大さが変わってくるな。
「こ、困りましたね……」
「も、もしかしたら、さっきのは偶々かもしれないわ。クロウ、悪いんだけどもう一度前に進んでみてもらえる?」
「あ、はい」
そう考えていると、エリーゼさんからそんな要求が飛んできた。特に断る理由もないので、俺は再度部屋の中への進入を試みた。
「っ……やはり、ダメみたいですね」
「な、なんで……どうして……!?」
「エリーゼ嬢、落ち着いてください。クロウ殿、一度私の手をお取りいただけますかな? 私がこちらへ引っ張れば、何とかなるやもしれません」
「わ、分かりました」
言われ、俺はラウスさんの手を掴んだ。それを確認すると、ラウスさんは徐ろに自身の腕を引き、俺を無理矢理部屋の中へ引っ張り込んできた。
「そ、そんな……」
「むっ、手が……離れてしまいましたな」
「こ、これでもダメなの……」
しかし、結果は予想通り……俺が室内へ進入を果たすことは叶わなかった。どんな手段を用いても、俺がこの部屋に足を踏み入れることはできないらしい。
そのことに、この場の全員が歯噛みするのが分かった。……何だか、俺のために申し訳ないな。
「申し訳ございません、クロウ様……。貴方様を元の世界へお送りすることは現状できないようです……」
やがて、肩を落としたクリスティアさんがぽつりと俺にそう事実を伝えてきた。その鎮痛そうな面持ちに、余計俺の中の罪悪感が刺激されてしまう。彼女は何も悪くないのにな……と。
「いえ、お顔を上げてください、クリスティアさん。それよりも、一つ気になることがあるのですが……この場合、自分がこの世界にとどまったまま、次なる救世主を招集することは可能なのでしょうか?」
とりあえず、クリスティアさんには顔を上げてもらい、俺は先ほどから気になっていたことについて聞いてみることに。
だが、俺がその問いを口にした瞬間、ラウスさんとクリスティアさんが同時に俺から目を逸らしてしまった。こ、これは……まさか……。
「残念ながら……異世界人がこの世界に存在できるのは一人と決まっているんです」
……まいったな。俺がこの世界に存在している以上、彼らは新たな救世主候補を呼び寄せることができないわけだ。
救世主を求めたはずなのに、俺が役に立たないばかりに何の成果も得られず、むしろ悪影響すら及ぼしてしまっている……控えめに言って邪魔者以外の何者でもないだろう、流石に。
このままでは、いずれこの世界は……。そうなってしまう前に、何かしらの手段を練らないといけないよな。
というか……待てよ? 存在があるから次の招集ができない……ということはだ、どんな方法であれ俺の存在が消えれば良いのではなかろうか。
「それじゃあ、自分が消えれば……」
思い立ったが吉日……というように、衝動に任せてそう発言しようと口を開く俺。
「何馬鹿なこと言っているのよっ!!」
「そんな悲しいこと、言わないでください!!」
「というか、考えが極端だよ!?」
エリーゼさん、ラフィリアさん、フィアーナさんの三人に一斉に怒られてしまった。シロも、無言で俺の背中をポカポカ叩いてきていた。痛くはないが、彼女の気持ちは十分に伝わってくる。
……変に焦って、要らぬ提案をしようとしてしまっていたようだ。彼女たちのおかげで少し冷静になれた。
「こちらの勝手でお呼び立てしてしまったわけですからね、そのうえで命まで奪うなんてことできません」
「こうなってしまった以上は仕方ありません。我々にはクロウ殿を支援する義務があります」
ラウスさんとクリスティアさんからも、俺のしようとした提案はやんわり受け流されてしまう。
それどころか、今後の俺の生活に対する支援まで申し出てくれていた。……本当、この世界は良い人ばかりのようだ。
ただ、守られるばかりというのもこちらとしては落ち着かない。子孫繁栄には力添えできないかもしれないが、何か他の手段で人口の崩壊を防ぐ手伝いができれば良いのだが……。
「そ、それはありがたいのですが……、流石に支援を受けるばかりというわけには……。何か、自分にもできることがあれば……」
そう思い、彼らに申し出てみる。……しかし、俺が言葉を言い切るよりも先に、突如この場に一つの電子音が鳴り響いた。
それは、俺にとっては聞き慣れた、しかしながらこの場においては少々似つかわしくないような……そんな音だ。
「な、何なの!?」
「き、聞き慣れない音……ですね」
不意に鳴り始めたその音に、皆一様に困惑顔を浮かべていた。まぁ、そりゃそうだよな……ラフィリアさんも言っているが、やっぱり聞き慣れないと焦るよな、この音は。
「でも……あれ? なんかクロウくんの方から聞こえてこない?」
そんな電子音だが、今し方フィアーナさんが口にした通り、出所はどうやら俺のようだった。それも、ズボンのポケットの中……。
……そう、音の発生源は俺のスマホである。今まですっかり忘れてしまっていたが、そういえば俺……持っていたんだよな。
というか、異世界だというのに、普通に使えるのも不思議だ……。なんて、いろいろと謎は残るが、とりあえずはこの着信にさっさと応じてしまおう。
というわけで、俺は特に相手の名前を確認することもなく、慣れた捜査でスマホ画面上の通話ボタンを指で弾いた。そんな俺の姿を、他の面々は呆然と眺めていた……。
「はい、もしもし……」
「あっ、良かった。繋がりました。もしもし、渡会玖朗さん」
スマホを耳元に寄せ、通話相手にそう一言声をかけたのだが、返ってきたのはそんな聞き覚えのない女性の声だった。
けれども、相手は俺の名前を知っているようだ……。あれ……? これってもしや……俺が相手のこと忘れているだけか?
そ、それはまずい……。失礼にも程がある。と、とにかく、何とかして思い出さないと……。
あっ、そ、そういえば……通話相手の番号とか確認せずに電話に出てしまったんだった。画面を見れば、もしかしたら相手の情報とか分かるかも。……電話帳に登録している相手でないと意味のない確認だがな。
「……は?」
そう思い、念のため自身のスマホの画面を覗いてみる。……しかし、そこに表示されていた名前を目にした瞬間、俺の口からそんな気の抜けた困惑の声が漏れてしまう。
いや……でも、仕方ないだろう……これは。
「か、神……って、どういうこと?」
俺のスマホの画面に表示されていた通話相手の名前……それは"神"であった。何度見返しても、表示が変わることはない……。
俺、こんな痛々しい名前で誰かの番号を電話帳に登録したことなんてないのだが……。確かに、一時期義家族には"様付けくらいしろよ、ゴミが……"みたいなことは言われていたけど、ここまで行き過ぎた呼称をしたことは一度たりともない。
なら、どうしてこんな怪しい名前が俺のスマホに……まさか、本物の神様だとでも? いやいや、そんなまさか……なぁ。
「はい、神ですよ。突然のご連絡、ごめんなさいね」
突如浮かんだ馬鹿馬鹿しい憶測に首を振る俺。そんな俺の耳に、スマホの奥から"神"とかいう通話相手から迷いの一切ない肯定の言葉が飛んできた。
俺が耳からスマホを放してしまっていたために、現在の通話がスピーカーモードに切り替わってしまい、そんな相手からの返答は周囲で成り行きを呆然と見守っていた他の面々にまで聞こえてしまっていた。
「ええっ!? その小さい板、喋れるの!?」
「しかも今、その板……神って言わなかった?」
周囲から、口々にそう声が上がる。携帯電話の存在なんかも知らなさそうだったもんな……そりゃ、そういう驚き方にもなるか。そのうえ、そんな摩訶不思議な物体から突然神と名乗る相手の声が聞こえてくれば尚のこと……な。
しかし、彼女たちの動揺に応えてあげられるだけの余裕は今の俺には残念ながらない。俺だって、スマホの奥の相手の存在には困惑してしまっているのだ。
「じ、冗談……ですよね? か、神だなんて……ま、まさかそんな……」
スピーカーモードをオフにするのも忘れ、俺は言葉を詰まらせながらそんな言葉を帰していた。混乱が強すぎて、頭の中の整理が追い付かない。
「まぁ、そういう反応にもなりますよね。……それなら、こうするのが手っ取り早いでしょうか」
混乱する俺の様子にスマホの奥で苦笑をこぼした自称神は、それから小さな声でそう呟いた。
その直後のことだった。それまでは相手の名前と幾つかの操作ボタンしか映されていなかったスマホの画面が、突如とある映像を表示し始めた。
「玖朗さん、見えていますでしょうか?」
その映像には、一人の女性の姿が映し出されていた。純白の衣を纏った彼女は、白一色の空間からこちらへ手を振ってきていた。……しかも、その行動と聞こえてくる声はしっかりとリンクしている。
なるほど、カメラモードに切り替えたのか。けど……、これがどういう証明になるのだろうか。確かに、一見神々しく感じなくもないが……それはきっと、彼女の纏う美しさが俺にそう感じさせているだけだろう。
もしかしたら、"女神のように美しい"と普段からもてはやされているどこかの誰かが、俺に悪戯電話をしてその美貌を自慢したかっただけなのでは……という意味不明な考えが脳裏を過ってしまう。
ただ……少なくとも、こんな映像を見せられたところで、通話相手が本物の神だとは到底信じられないのは確かだ。
「あの……見えてはいるのですが、これで貴女が神様であるという証明になるのですか?」
「ええ、なりますよ。では玖朗さん、その端末の画面を周りの人たちに見せてあげてください」
「は、はあ……分かりました」
よくは分からなかったが、とりあえず彼女の言う通り、俺は手にしていたスマホの画面を周囲で様子を伺っていた他の面々へと見せてみることにした。
しかし……俺の疑念とは裏腹に、画面を見た他の人たちは皆一様に血相を変えてしまった。……いやまぁ、シロは俺同様ぽかんとしていたが。
「こ、このお姿は……ま、まさしく女神ラティス様……!?」
「教会前広場の銅像そのままだわ……こ、これがラティス様……」
「でも、銅像よりずっと綺麗……」
「なんと神々しい……おお、ラティス様」
「ご尊顔を拝見できたこと、誠に後衛にございます」
突如、エリーゼさんたち三人がその場でスマホの画面に向かって手を合わせ始めてしまった。まるで、画面の中の彼女を拝むように……。
ハウゼン親子に至っては、その場で這い蹲ってしまっていた。この反応……まさか本当に? 本当に彼女は神様だとでもいうのか……?
「貴方方の信仰心、確かに届いていますわ。でも、そんなに畏まらないでください」
突如彼女を崇拝し始めた俺とシロ以外の五人に、にこりと微笑みを浮かべながらそう言葉を帰す自称神。
……いや、これはもう……自称ではないのだろう。こんな光景を見せられてしまっては、彼女を本物の神様だと認める他ない。
「……とまぁ、これで信じていただけましたでしょうか?」
「え、ええ……一応は。その……疑ってしまい申し訳ございませんでした」
「いえ、貴方のいた国では神の存在はあまり浸透していなかったようですし、無理もありませんよ。ですので、そうお気になさらないでください」
気にするなと俺に微笑みかけてきた彼女は、そこで一度言葉を区切り、すっと居住まいを正すと、改めてカメラ越しに俺へと向き直った。
「そんなことより……改めて自己紹介を。私は、この世界……並びに玖朗さんの世界を統括する女神、ラティスです。以後、お見知りおきを」
そうして、彼女……神はそう名乗りを上げるのだった。




