天使②
ふぅー、と薄く、長く、息を吐く。
勘違いしてはいけない。彼等も強く我慢強いだけで、痛みを感じている。
リュミエールとフリューはしっかりと自分の役割を果たすために準備をしていた。佳子の覚悟が決まるのを待っている。
「…じゃあ、お願いします」
翔はそっと彫刻刀を持ち、力を入れた。
「んっ!」
佳子の声に反応してしまう。翔は、力加減を間違えてしまった。
抜く力が足りていない。
「っあああ!」
翔の皮膚が焼けていく。骨に刺さった彫刻刀は僅かに浮いたがまだ刺さったままだった。
佳子の、仙女の血が、吹き出す。
「ルゥ!」
「動いては駄目です!佳子様!」
「ケ、イ」
「丸薬を!後は自分で抜く!ルゥの治療をしないと!」
「おち、お、落ち着いてください!」
「翔さん、このタオルを」
パニックに陥った部屋に優雅に舞い降りる、虹。7色はそれぞれ主張せず、白い光と共に、現れた人物を包み込む。
不思議と眩しいとは感じ無い。
両掌を僅かに外に向けて、背筋はピンと伸ばした男が空中に立っている。
中性的な顔立ち、長い輝く金髪、晴れ渡る空色の瞳。今は金髪を緩く縛り片側に垂らしていた。
着ているのは、リクルートスーツ。
「佳子様に何してんだ。このクソ蝙蝠」
「うるせぇ。クソ鳩」
翔はじゅうじゅうと煙をあげる両腕を押さえて言った。
力を全て回復力に回していて、動くことすら出来ない。床に這いつくばって、現れた男に悪態をつく。
「佳子様。今治療いたします。お待ちください」
「ケイに触るんじゃねぇよ!」
「まずは立ち上がってから言ったらどうだ?頬ずりするなんて、よっぽど好きなんだな。床が」
「うるせぇ…。マジで殺すぞ」
「ソルエラ。やめて」
「はい。佳子様」
佳子が肩を押さえながら苦しそうに言うと、すぐにソルエラは佳子に近寄った。
吹き出て床に広がる血を拭き取っていたフリューが、慌てて退く。
ソルエラが触れた途端に、彫刻刀は跡形もなく霧散する。傷口から僅かに灰色の煙があがったのを翔は見た。
すでに、佳子を苦しめていたものは血痕のみをのこして消え去った。
佳子の全身の力が抜けていく。支えるのはソルエラだ。
「ケイに何をした」
低い、地響きの様な声がした。一国の女王であるリュミエールですら身震いを抑えられなかった。
「佳子様はお疲れのようだ。ゆっくりお休みして頂かなくては」
もう、佳子は目を開けていない。規則正しく息をして寝ている様にみえる。しかし、いつもは太陽が大好きと言いたげな健康的な肌は、血が足りないのか蒼白だった。
「ケイを離せ」
フン、とソルエラは鼻を鳴らして、佳子を横抱きにした。国宝でも扱う様に丁寧に。そこに重さなどないかのような動作だった。
その足下には黒い霧が漂っている。
「離せと…言っているだろうが!」
霧が鞭の様になり鋭くソルエラを襲う。が、ソルエラの身体にぶつかると勢いを弾かれふわりと漂った。まるで本物の霧の様に。
「たかだか佳子様の気の迷いで生かされている分際で、粋がるな。くたばりぞこないが!」
今まで薄い微笑を崩さなかったソルエラが、初めて表情を変えた。同時に、隠されていた翼をその背から出す。大きく広げられた純白の翼。その姿は正しく天使だ。
フリューとリュミエールには何も感じなかったのに、翔だけが吹き飛んだ。
「ぐっ…がぁ」
「まだ佳子様の加護があるな。…仕方ない。弱い者いじめも嫌だし今日は帰る事にするよ」
「佳子様は…」
「人魚か…。なに、安全な場所で休んで頂くだけですよ。邪悪なる存在がいては本来の御力が出せず、回復が遅いのです」
「でも!二人は離れちゃダメなのです!」
「何故?」
「なぜって…」
「ああ、なるほど」
ソルエラはリュミエールに近付いた。意味が無いと分かっていながらリュミエールは後ずさった。
構わずにソルエラはリュミエールの尾を触る。
一瞬光がリュミエールの下半身を包んで、元通りになった。
真ん中から引き裂いて二つに別れていた尾は繋がって一つに。所々生えかけだった鱗は美しく輝いて。穴が空きボロボロだったヒレは大きく透明な生き生きとした姿にへと。
まるで時間を巻き戻したかのようだった。
「…え」
「これが本来の佳子様の御力です。感謝して海へとお帰りなさい」
リュミエールも驚愕で言葉が出ない。何を言えば良いのかもわからなかった。美しい後姿を見送る事しか出来ない。
暫く、翔の呻き声だけが部屋に響いた。




