人魚④
願いの為に自分の限界を超える事は、人間以外にも出来る。
だから、それは起こりえる事だったのに。フリューは考えもしなかった。
どさり、と重たいものが置かれる音がした。翔も佳子も無表情にそれらをみつめ、それらも特に反応を見せなかった。一人は案山子のように立っていて、もう一人は荷物のように倒れ込んでいた。
さっきまであんなにも溢れていた優しい雰囲気を吹き飛ばし、時間が止まったようなその空間で、ただフリューだけが慄いた。
「リュミエール!」
倒れている女の人にフリューは駆け寄った。彼女は応えるように、力なくフリューの名をよんだ。その顔は色白だったのが血の気が引いて、真っ青になっている。ただ、やつれていても、その美しさと真珠の輝きは保たれていた。
身を簡素な服で包み、両足は血の滲んだ包帯でぐるぐる巻きになっていた。朱い髪からふわり、と海の香りがする。
「ねがいはかなえた。やくそくだ。もらっていくぞ」
言うのが早いか、大きなフードの外套を着た案山子はリュミエールと呼ばれた女性の、長い髪を掴んだ。そしてその束にナイフを引いた。
リュミエールの髪が短くなって頬に落ちる。そしてまた、どさり、と音がした。
「何してるんですか!」
「やめなさい」
止めたのは佳子だ。
「アレはそういう物だから、逆らっちゃ駄目」
「そうよ、フリュー。私は大丈夫だから」
「なんで…何が起こってるんですか…?私にも分かるように教えて下さい!」
リュミエールは笑った。笑ってフリューの言う事を無視した。ただ、会えて良かった、とそれだけ口にした。
「衰弱しきってる。相当無茶したんだね」
「なぁ、俺帰っていい?」
翔は興味なさ気に呟いた。もう何かをする気は完全になくなった。それを、非道だと攻めてはいけない。何故なら翔にはしてやれる事は何もない。彼に出来るのは破壊と殺戮だけだから。
「そうだね!ちょうどいいから翔の家に行こう!」
「あ?待て、何でそうなる!」
佳子は案山子に向かって、良いよね?と聞いた。案山子は頷く。佳子は案山子と握手をして皆の元に戻った。予め決められたような動作。そして。
瞬きすると翔の家だった。
「うわ。マジかよ最悪!とりあえず靴脱げ、靴!」
翔はフリューの靴を掴みながら言った。佳子は既に脱いで玄関に置きに行こうとしている。
「凄い。渡す物が大きいとこんな事もできるのですね…。私は場所を教えてもらうので精一杯だったのに」
「渡せる物は人それぞれだからね。んー、誰かに迷惑はかけないだろうと思って公園にしたのにまさか治療が必要になるとは思わなかったよ。ルゥの家に色々置いておいてよかった。フリュー、手伝ってくれる?」
佳子の柔らかい声にもフリューは狼狽えたままだ。でも、身体は素直に佳子の指示にしたがう。床の上に座り、リュミエールの頭を枕に乗せた。
佳子はゆっくりと、焦れったく思える速度で丁寧にリュミエールの包帯を取っていく。縦に大きな傷の走った足が出てきて、フリューは息をのむ。
「凄い旧時代的な方法で陸に上がったんだね。アレに頼まなかったの?」
「私が、彼の者に渡せるのは恥ずかしながら鱗と髪だけでした。それだけではフリューまでの道案内が限界でしたわ」
水を用意し、薬を飲ませ、傷だらけの足を拭いて、そこに軟膏を塗り込んでいく。痛みが楽になってきたのか、リュミエールはハッキリとした口調で答えた。
「アレは…何なんですか?」
「アレはね『願いを叶える虹の袂』って言って、対価を払えばどんな願いも叶えてくれる、という『現象』」
人間に説明するなら『神様』よ、で済むんだけどね、と佳子は笑った。
「アレは『現象』だから条件が揃えばどこにでも現れて、願いを叶えていくの。下手に話しかけると『願い』を言われたと勘違いして付き纏われるよ。そして対価を払わされる。だから私の力を対価に、ここに飛ばして貰ったの。ついでに距離を取るために」
とりあえず1週間は壁を直したりは出来なさそう、と佳子は冗談ぽく笑った。言いながらずっと動きまわっている。
「うーん、やっぱり尾ビレは元に戻すのは難しそうだなぁ」
「この傷はなんなんですか?」
「ずっと前の、人魚が自力で人に化ける方法の1つでね。一番辛い方法」
「下半身引き裂いて二本の足に見せかけたんだろ」
翔は笑いながら言った。なるほど人魚は馬鹿な種族だ、と。
フリューもリュミエールも何も言わない。馬鹿だと言われても仕方ない。絶対的捕食者にふらりと会いに行くのも、止めるために無茶苦茶な方法を取るのも、まさに馬鹿のする事だ。
「私は…もう28です。十分に生きました。だから残りはフリューの為に使うのです」
「まだまだじゃない。ちゃんと35まで生きて大往生でしょ?」
「もう孫も見ましたから」
人魚の肉を食べた人間は軽く300年は生きると言うのに、人魚自身は短命だ。不老不死の者達から見れば、吹けば消えるロウソクの様に短い。しかし、佳子は大往生という言葉を使った。一つ一つの命を尊重しているからだ。
「リュミエール…何故こんな事をしたんですか?私だって十分生きました。もう、放っておいて良かったんです」
「出来ません!貴女は我が国の宝なのです。どうか、居なくならないで下さい」
「そーゆーのは俺の家以外でやってくれよ。ホント人魚は場所を考えねぇな」




