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第三章~ウロフカーニャ~

ガドネア歴   年   月   日   氏名: 


 砂漠に倒れていた私は、あの人に助けられた。

 どうして砂漠に倒れていたのか、解らない。そしてどうして右半身が言うことを聞かないのかも解らない。そしてどうして、頭にこんな大きな怪我を負ったのか、……少しは思い出せる。けど、何かしら大事な使命があって、ここまで来た、という事ぐらいしか思い出せない。

 記憶が、曖昧だ。

 動かない右手の代わりに、左手でこの手記を書いている。文字の練習だ。

 頭を大怪我した人は、字が書けなくなったり、言葉が話せなくなったりと、いろんな症状があることを私は知っていた。かつては私も医者志望だったから、そういった知識は無駄に多い。

 だけど、自分自身がこんな状態に陥って、その知識は全く役に立たないことが、心を乱す。

 私の使命は、何だったのだろう。

 会いたいな、皆に、親友に。


第三章~ウロフカーニャ~


 アーサーとマリアを乗せたキャラバンは、一路砂漠と草原の間にある街道を西に向けてひた走る。

 次の町は、ノリヴァフスク。

 相変わらず天井が無く、直射日光をずっと浴び続ける無蓋貨車だ。南部ではもう冬だというのに、この地は真夏日が続き、この日も容赦なく太陽が照りつけている。

「アーサー、大丈夫?」

「……戦闘は無理だ」

 アーサーは、素直に答える。

 彼が体調を崩したのは、昼食後だ。それまでも予兆のようなものはあったのだが、昼の一番暑い時間帯を迎えて、一気に来たという様子である。

「次の休憩地点で、屋根のある馬車へ乗せて貰えるようにしよう」

「……すまない」

「ま、ここはしょうがないだろう。ノリヴァフスクに到着したら、冒険者協会の方にも掛け合っておく。明日が無理なら、今日までの報酬を受け取れるようにもしておこう」

「何から何まで、ありがとう」

 アーサーの代わりに、マリアが答えた。

 マリアは翼を広げ、馬車の隅に寝転がるアーサーの日よけを続ける。じりじりと翼が日光で灼かれるが、マリアにとってはこれが今までの日常であり、これぐらいは平気である。

「私の未来のダンナ様は、つくづく暑さに弱いわよね……」

「……言うな」

 そしてパタパタと翼を動かし、少しでもアーサーが涼しくなるよう風を送る。休憩地点までは、間もなくだった。


 夕刻。

 ノリヴァフスクに到着したマリア達は、一度冒険者協会を訪ねる。マリアはその足で宿を決め、すぐに戻ってきた。先にアーサーを休ませることを優先させ、二人はすぐに移動した。

 宿は冒険者協会のすぐ近く。歩いて数分という距離だった。そこまでなら、という感じでアーサーは自力で歩き、後はベッドに突っ伏した。着ていた鎧などはマリアが引っぺがし、部屋の隅に置く。やっぱり男の人は重いな、と思いながら、アーサーの着替えを手伝った。

 アーサーが落ち着いて眠りだしたため、マリアは冒険者協会をもう一度訪ねた。

「落ち着きましたか?」

「はい。水も沢山飲ましたし、後は眠って回復を待つところです」

 それを聞いて安心した、と受付は話すが、明日の便に乗って護衛任務が遂行できるかが、協会としては一番の問題だ。

「ただ、明日の護衛は無理かも知れません」

「やはりそうですよね」

 受付はしばらく考えた後、護衛任務はこの町までという扱いとし、僅かながらの報酬を出すことにした。また、しばらく滞在して療養することを提案した。ただ、バジリスクなどの危険性が高い魔獣や魔物を、この二人が倒してきていることから、こちらも別に報償が支払われることとなった。

「少しでも療養の足しにしてください」

 渡された額は、下手に護衛任務をするよりも多い金額である。それだけ、砂漠の特定魔物にかけられている額が大きいのだ。

「アーサーさんが回復することを心よりお祈りいたします。……他に何か手伝えることはありませんか?」

「そうですね……」

 マリアは、龍族に関わる何か変わったことがなかったかを訪ねてみた。

「……強いて言えば、行き倒れになっていた人を、アルツェフスキー家の方が助けて介抱している、というぐらいですね」

「アルツェフスキー家?」

「ええ、この地に住まう龍族の方々です。大剣の剣技を伝えている道場でもありますね」

 ふむ、とマリアは頷く。

 行き倒れになっていた人、というのは気になった。それでいつ頃からと聞いてみたら四週間程前の話である。時期的に、ミリアがアクエイスに不時着した時期と一致する。その人がもしかしたら、ミリアの探し人ではないかとマリアはそう考える。

 アルツェフスキーの若旦那が救出した、という事だそうだが、特に秘匿扱いにしている様子もないし、助け出された人が龍族の女性であれば、他の冒険者協会にも話が伝わっているはずだった。

「その人は龍族? それとも人間?」

「少なくとも人の姿をしていた、という事は当事者の皆さんから聞いています。ただ、町近くの砂漠の中だったこと、全身傷だらけだったこと、頭部にひどい怪我を負っていたことから、救命を最優先として、その人をアルツェフスキー家に運び込みました。医師の治療の甲斐もあって一命は取り留めています。今はアルツェフスキー家にて療養生活を送っているとのことです」

 可能性が高い、とマリアは考える。

「その人の名前は解りますか?」

 受付は首を振り、解らないと答えた。

 アルツェフスキー家も秘匿しているわけでも無さそうだが、名前などその人の情報はほとんど出てこないという。理由を尋ねても、解らない、と首を振るだけだった。


 それ以上の情報はなかったため、宿へと引き返した。

 協会を後にしたときは、もう真っ暗だった。急ぎマリアは宿の部屋へと戻り、アーサーの様子を覗き見る。

 穏やかな呼吸で、ぐっすり眠っていた。

 マリアは、荷物の中から角笛を取り出し、魔力を注ぎ込む。笛と呼ばれながらも、実際に口で息を吹き込むものではなく、こうして魔力を注ぎ込んで使用するものだ。

 いつもならすぐに返答が返ってくるはずなのだが、この日に限ってなかなか返答が来ないな、とマリアは首を捻る。一分ほど呼びかけてみたが、結局ミリアからの返答は無かった。

 マリアは首を捻り、何かあったのかな、と考える。ミリア本人はともかく、ファーネルの実力はそれなりに知っているため、万が一という事はないと信じている。

 時間はまだ少し早いが、眠ってしまったかな、とそう考え、マリアは呼びかけを断念した。

 そしてマリアはアーサーの寝顔をのぞき込む。

 整った表情はほんの少しだけ苦悶のそれが見て取れる。自分の好きな人の表情は、どれをとっても素敵に見えてしまう。吸い込まれるように頬に顔を近づけ、軽く触れるだけのキスをする。

 直後周りを見渡し、誰も見ていなかったかな、と慌てる。そもそも二人きりの部屋なので誰かが見ているわけはない。

「でもアーサーってホントどうしてこんなにカッコいいんだろ……ああ、素敵だなぁ」

 いや、マリアの心の中には妹がいた。

「気がついたらお姉ちゃんの方が好きになってるぐらいだし」

「う……」

「私も負けない。私もアーサーのこと大好きなんだからね」

 そして心の中で起こる姉妹喧嘩、というよりはじゃれ合いだ。しかしそれもすぐに終わり、ふたりの心はじっくりとアーサーの顔を伺う。

 そして心の中だけで、妹が姉に語る。お姉ちゃんも、同じ人を好きになって嬉しい、と。


 翌日。

「……だるい」

「わかった」

 朝一番アーサーに様子を聞いたマリアだが、アーサーの答えは大体予想通りだった。

 角笛に魔力を注ぎ込み、ミリアからの反応を待つ。今朝はすぐに反応があった。

『ミリアです』

「マリアだよ。……昨夜はすぐに寝ちゃったのかな? 連絡が取りたかったんだけど」

『い、えっと、そうです』

 歯切れの悪い返答だったが、それには構わずマリアが状況を説明した。

「アーサーがやっぱり熱中症になってね。今日はこの町……ノリヴァフスクで休養を取る予定にしたの」


◇


「ね、ちゅう、しよ」

 ミリアは聞こえた言葉を、ファーネルを見ながら反芻する。すると、ファーネルはとてもいい笑顔で拳を握った。

 因みに、二人が立つのは操車場。いつもの馬車に乗り込むため、こうして順番を待っている最中である。そんな中、唐突にそんなことを言えば、周りからは白い目で見られる。主にファーネルが。

 成人しても幼い少女のように見える龍族や人龍族はもう見慣れた存在ではあるが、それでもぱっと見一三~四歳の娘にそんなことを言われる男は羨ま……いや、けしからん奴と見られるのである。

『うん、そう。……あとちょっと気になる話も聞いてね』

 ミリアのちょっとしたボケはマリアには伝わっておらず、彼女は状況の説明を始めた。

 まず、ミリアがアクエイスで保護された頃あいに、この町で行き倒れの人が保護されたこと、全身傷だらけで、頭部に大きな傷を負っていたということ。詳しい話はまだ聞けていないためその人の性別は不明、名前も不明だが、アーサーの療養がてら一日だけこの町の調査をする、とマリアが話したのだ。

「なるほど、解りました。私たちは何もなければ予定通りにデニアスを目指します。明日は距離が離れるので、会話できるかは難しいかも知れませんね。ちょっと待っててください」

 ミリアは、ファーネルにアーサーのことを伝える。

「分かった」

「……マリアさん、ファーネルにはその事を伝えておきました。あと申し訳ありません。もうすぐ馬車の出発時刻になりますので、念話はここまでにさせていただきますね」

 マリアからの返答を受けてから、ミリアは角笛に向けての魔力を停止した。

「……良かったのか?」

「はい。ウーニャのことはもちろん心配ですが、保護されている可能性が高いとなれば、まずはあのバカの所在をはっきりさせておく方を優先します。彼女に会いに行くのは、事を終わらせてからでも大丈夫ですから」

 ドライだな、とファーネルは考えてしまうが、ミリアのどこか安堵したような表情を見つけ、彼も小さく息を吐く。まだ可能性の域を出ていないが、しかしウロフカーニャが生存している可能性、保護されている可能性が高いことが分かったのは、やはり心が軽くなったのであろう。

 ファーネルは、この話題はこれ以上しないことにして、話題を変える。

「…つくづく不思議だ。大分距離が離れているのに念話が成り立つというのがな」

「そうですね」

 理屈については、以前もミリアから聞いている。彼女と角は霊的に繋がっており、これを媒介とすることで角笛の所持者との長距離念話を可能とするのである。今現在はマリアが使用しているためこれでも短い距離らしいが、契約者本人とであれば、もっと遠い距離、それこそガドネア大陸の東西それぞれの端からでも念話が可能になるとのことだった。

 ふたりは到着した馬車に乗り込み、いつもの席に座る。席に座れば、一応周りからの視線はなくなる。声は筒抜けなのは致し方ないが。

「ね、ちゅー、しよ?」

 ミリアは、ファーネルに顔を寄せ、囁く。今のは『熱中症』をわざと言い間違えたわけではない。何処か悪戯っぽく微笑むミリアは、おそらく冗談でそんなことをのたまっているのだろう。

 いつもより、少しだけ明るくなった表情だった。ウロフカーニャの安否が不明だったことは、それだけ重荷になっていたのだろう。

「ホントお前は……」

 廊下向こう側の席の人は、窓の外を見ている。他の客からの視線も今はない。ファーネルはぐいっとミリアを引き寄せ、その唇を奪う。ほんの一瞬触れるだけのキスだ。すぐにミリアの身体を剥がすと、彼女はビックリしたような顔をして固まっていた。

「……うわー、うわーっ?!」

 そして途端に、耳まで真っ赤にさせ、頬を両手で挟み小声で慌てふためく。本当にしてくれるとは思っていなかったため、不意打ちとなったこれはさすがに恥ずかしくなったようである。ファーネルは腕を頭の後ろで組み、座席に深くもたれる。ミリアも動きを止め、うつむき加減でちら、ちらっとファーネルの顔をのぞき見しては、顔を真っ赤にさせていた。

 ミリアは考える。こういった冗談はタイミングを計ろう、と。


 ファーネル達が西へと進む一方、アーサーは一日だけの休息日だ。午前中アーサーは大分だるそうにしていたが、午後の一番暑い時刻を過ぎれば、急速に調子を取り戻しつつあった。

「……ああ、ありがとう。大分身体も楽になった。明日は無理しなければ移動できそう」

「それを聞いて安心かな」

 マリアもほっとしたという表情で、アーサーの顔をのぞき込む。眼前に迫るマリアの顔から少し引きつつ、アーサーはマリアから聞いた情報を整理し始めた。思考力もほぼ平常通りであることを確認し、マリアと話をすることにした。

 マリアもアーサーの考えを察し、その隣に座った。二人分の体重を支えるベッドマットのバネが、きしむ音が響いた。

「まず情報を整理しよう。ミリアを発見したぐらいの時期に、この町にも漂流者、といって良いのかな、そんな人が救助された。かなりの大怪我を負っていて、アルツェフスキー家に救助され、今に至ると」

「うん。最初聞いたのは昨日。護衛のキャンセル補報告がてらのとき。今日も立ち寄ったのだけど、まあ一日で新しい情報があるわけでもないし。……そこで、アーサーも元気ならそのアルツェフスキー家を訪ねてみようかな、と思ってね」

 アーサーは思考を巡らせる。どのみち本人に会って確かめる必要はあるなと。

「じゃ、善は急げだな」

 アーサーはベッドから立ち上がる。部屋の隅に片付けられている装備品を見て、町の中なら不要か、と考える。その時にはマリアも準備は整い、隣に立っていた。

「うん」

 そして二人、一路アルツェフスキー家を目指すのだった。


 ノリヴァフスクの町は決して広い町ではないが、それなりに活気がある。

 ここから北へと街道が延びており、北部街道に位置するドランディーの町に繋がる、南北連絡街道の始発にもなっている。故に宿も多いし、砂漠越えに必要となる物資を売る店も多い。威勢良く、呼び込みの声が上がっていた。

 旅の日程としては、ミリアとファーネルの二人はそのドランディーの町を出発したはずである。連絡が昨日中に付いていれば、こちらに向かってきたであろうか。そんなことを考える。連絡が付いたのは今朝で、二人ともすでに西への馬車へ搭乗する直前だったらしい。しかしこちらには向かわず、引き続きデヴィル・ドラゴンの所在を調べる方を優先したそうだ。

 アルツェフスキー家の場所は、宿場通りを離れた南西側に位置する。丁度冒険者協会を通るので、一度立ち寄り、アーサーは馬車護衛依頼の失敗を改めて報告した。本来失敗の場合は違約金などを支払わなくてはならないのだが、二人でバジリスクなどの強敵を倒していることなどを鑑みて、護衛の依頼はこの町までのスポット参加の扱いへと変更されたためペナルティーはなし、討伐報酬まで出ていたことを聞かされた。

 昨日のマリアにもその話はされていたのだが、マリアはアーサーのことが気がかりで話半分にしか聞いていなかったらしい。そうした事情もあって、アーサーはマリアの頭を撫で、心配かけたな、と話す。

 受付は目の前でいちゃつくな、と咳払いをして。

「明日はどうしますか? 明日の便への護衛にスポット参加もできますが」

「そうだな……」

 アーサーはしばし考え、首を振る。

「やめておこう。また調子を崩してもしょうがないからな。大事を取って一般客として乗ろうかと」

「解りました」


 冒険者協会を離れ、二人はいよいよアルツェフスキー家を目指して歩く。冒険者協会からは歩いて数分。アーサーの足取りも大分軽くなっており、普段通りの歩く速度まで回復を遂げていた。

「大分元気になったね?」

「ああ。……ありがとな」

「どういたしまして」

 アーサーのお礼に、マリアははにかんで答えた。

「私は、アーサーの役に立てたことが嬉しいかな。勿論健康でいてくれるのが一番だけど、昨日みたいに調子が悪いときは、遠慮しないで頼ってね」

 屈託のない、彼女のその言葉にアーサーは頬をかく。マリアのそんな言葉に、アーサーは完全に照れてしまうのだった。


 アルツェフスキー家の門戸は広く開け放たれていた。午後の昼下がり、これから剣技を学ぶ子供達や、今日の修行を終えた生徒達が入れ替わるようにその門をくぐり抜けていくところだった。二人に気付き、彼らは元気よく挨拶をしてすれ違い、追い抜いていく。

「そういえば、マリアん所も道場だったよな。そういった繋がりでこことの交流はあったりするのか?」

 マリアは諸手を挙げる。

「全くないかな。名前を知っているぐらい」

 門を潜った先、ちょっと広い場所で二人は立ち止まる。

「母屋で良いのかな?」

「……多分な?」

 行き先が解らないからだ。どこへ向かおうか悩んでいると、建物の脇から出てきた若者がふたりを見つけ、近寄ってきた。

 銀髪を切りそろえ、鮮やかな青色の目をした男性だった。どこか線が細く、この大剣を扱う道場にはいささか不釣り合いな印象があった。

「こんにちは、当道場へようこそ。短期講座をうける、というわけではなさそうですね。ぱっと見ふたりはかなりの猛者だと感じられます。どの様なご用件でしょうか?」

 温和な表情は崩してはいないが、話の途中からあからさまに警戒心を強めていた。

「俺はスナー流皆伝、アーサー・スナーだ」

「私はファルアスタシア流極意、マリア・ファルアスタシア」

 彼は息をのみつつ、ふたりに答えた。

「アルツェフスキー家、アレクサンドル・アルツェフスキーです。……おふたりは、この道場にどの様なご用件でしょうか?」

 アレクサンドルと名乗った彼の警戒心は、二人の名を聞いてより高まっていた。わざわざ流派と、その階級的な呼び名を告げたからだ。特にマリアの、極意という言葉には驚きの表情を見せていた。

「私が話すね」

 マリアは、アーサーの袖を軽く引き、彼の前に出る。

「ああ、任せた」

「うん。……実はね、冒険者協会でちらっと話を聞いたのだけど、こちらに旅行者? 行き倒れ? そんな人を保護したって話を聞いてね。もしかしたら私の仲間の友人じゃないかなって思って。それを確認しに来たの」

 小柄な女性からの質問、という体ならある程度警戒心も下がるだろうというのが、マリアの考えだ。先に極意に達していることを告げているが、やはり見た目で油断したか、アレクサンドルの警戒心は幾分和らいだ。

「……ええ、確かに保護しています」

「良かったら、会えるかな?」

「……それは」

 アレクサンドルは、困ったという表情となった。アーサーとマリアが道場破りではない事は理解したが、しかし他人に会わせられない理由が他にある。これはアーサーとマリアが問題というわけではない。その本人に、問題を抱えているのだ。

 こつん、という音が聞こえた。その音に一番最初に気付いたのは、アレクサンドルだった。彼は後ろを振り返り、その姿を確認すると慌てて、新たに登場した人物の前まで走っていった。

 彼女は、頭に包帯を巻いていた。どこか不思議そうな表情をして、アーサー達をじっと見ていた。

 髪は黒髪で、肩甲骨辺りまでのセミロング、というところだろう。少しくせ毛があるのか、所々が跳ねている。その目は栗色で、瞳孔は縦に鋭く細長い。それを見ただけで、彼女が龍族だということが解る。

 アレクサンドルは、小声でしきりに彼女に話しているが、その人はじっとアーサー達から視線を外さなかった。

 二言三言会話を交わすと、アレクサンドルは彼女の手を取り、ふたりのもとへと案内することにしたようだ。

 彼女が歩くと、こつん、という固い音が響いた。先ほどの固い音は、彼女が持つ松葉杖のものだった。

 二人がアーサー達の前まで歩み出て、彼女は軽く頭を下げた。

「うおふ、かー、あ、です」

 彼女は、舌足らずで、若干くぐもった声で、何かを語った。それが彼女の名であることはすぐに気がつき、そして同時に悟った。頭部の大怪我が原因で、うまく話せないのではないかと。

 だから名前すら正確に伝えることができず、またこんな状態の女性を表には出せないという気配りも相まって、周りには公表できないということだったのかもしれない。

 ただ、マリアは行方不明になっている女性の名を、ミリアから聞いていた。彼女の話したイントネーションと照らし合わせ、この名で間違いがないかと確かめる。

「……ウロフカーニャ・アントノーヴナ、……カル=アストローヴァさんで、間違いない?」

 マリアは真剣な表情で、そう尋ねる。すると、彼女は一瞬瞠目し、すぐに頷いた。アレクサンドルもまた、驚きの表情を見せていた。

「……わたいのこと、知ってるあなたたちは、どこの、だえ、でうか?」

「私はマリア・ファルアスタシア。こっちはアーサー・スナー。で、あなたのことを知ったのは、ミリア・サンディーに聞いたから」

 ウロフカーニャは、目を見開いて驚いていた。

「…みいあ? ……ミーシャでうか?? ミーシャは、たう、たふ、…たす、かった、のですか?」

 何度か言葉をつまらせるが、彼女の言いたいことは理解した。だから、マリアは力強く頷く。

「ええ、ミリアは皆で助けた。とても元気よ」

「……良かったぁ、ミーシャぁ……あうぅ」

 そして、ボロボロと涙をこぼし始めた。松葉杖を放さなければ涙も拭えない。そんな彼女を、アレクサンドルは優しく抱きしめた。

「色々ありそうだね。……母屋のリビングに移動しようか。案内するよ」

 アレクサンドルは、アーサー達に済まなそうな表情で振り返り、ウロフカーニャの歩く速度に合わせ、二人を案内した。


 アルツェフスキー家、リビング。

 涙ぐむウロフカーニャに、部屋に戻るかとアレクサンドルは尋ねたが、そのままふたりと話をしたいとその場に残ることとなり、こうして四人が対面する形でテーブルを囲んでいた。

 道場の若い子がお茶を四人の前に差し出し、退室してから話を切り出した。

 マリアはゆっくりとした口調で、ウロフカーニャを訪ねたいきさつを話すことにした。

「ミリアは、アクエイスの町で私たちが保護したの。怪我が治ってから、あなたを探そうってことになって。今はここよりずっと北の街道にいるの」

「そ、っか。……よかった」

 先ほどのように、彼女はボロボロとは泣かなかったが、それでも一安心、という表情をしていた。

 ウロフカーニャは、自分に何があったのかをゆっくり話し出した。

 最初は記憶が曖昧で、どうして自分がこんな大怪我をしているのか、そしてどうしてこんな異国の地にいるのかが解らなかったと話す。しかしミリアの名を聞いて、その理由を一気に思いだし、感情が追いつけなかったのだ。

 今でも細かい部分は不鮮明ながらも、思い出せた範囲で彼女は語る。

 ウロフカーニャの飛行能力は、この地に飛来した、あのドラゴンと比べると遙かに高い機動性と速度を有していた。ミリアが撃墜されたときの逡巡で距離を一度は離されたが、彼女は猛追し激戦となった。相手にも相当な深手を負わすことはできたが、しかし彼女もまた致命的な一撃を受け、大地へと墜落していったという。

「……龍化を解かなければ、こんな風には……」

 マリアが沈痛な表情でウロフカーニャを見て呟くが、彼女は首を振る。

 彼女は、もとより部分龍化で空を飛んでいたそうだ。部分龍化では人の姿にそのまま角と翼、尻尾を付け足したような姿を取る。角だけは小さく、髪に隠れて見えないが。その姿でも筋力も桁違いに高まっており、総合戦闘力はかなり上がる。下手に龍形態になるよりも小回りが利くため、カル=アストロフの一族は、戦闘時はその姿を取ることがほとんどだと話す。だが、今回はそれが仇となったようだ。

「相手には、大きなダメージを入れうことはできまひたけど、私も、返り討ちに遭っちゃいました」

 ゆっくり話せば、イントネーションと、特定の言葉でうまくいかない部分はあるが、先ほどと比べればずいぶん聞きやすかった。

 ウロフカーニャの話は続く。返り討ちに遭った後、意識が朦朧とする中砂漠に墜落した。頭部の大怪我は、落下時のものなのか、相手に直接入れられたものなのかは、解らないという。

 そしてマリアたちが、ミリアと出会ってからの行動を詳しく話す。今は二手に分かれているが、デニアス王都で落ち合ってそれぞれ集めた情報を交換する予定だと伝えた。

「……ミーシャ……、みいあには、王都に行けば、会えまふか?」

「ええ、会えるわ」

 マリアは力強く頷く。その返事に、ウロフカーニャは考え込んでしまった。

 アーサーは御茶を飲み、小さく嘆息する。

「……ここから連絡は無理かな?」

「あ、そうね」

 マリアは懐から、ミリアの角笛を取り出した。

「……角、……みいあの角笛?」

「うん。あなたを発見したことを伝えておこうかな、と」

 マリアがそう説明すると、ウロフカーニャはそれを感慨深げに見ていた。

「みいあ、角笛渡せる人、見つけたん、ですね」

 そしてじっとマリアを見つめる。どこかその視線が強い。

「あー、私じゃなくてね。本当は別の人と角笛の儀式をして、連絡用にと私に託されてるの」

 そう話すと、ウロフカーニャは複雑な表情となる。

 マリアはそのまま角に魔力を込めて呼びかけてみた。しばらくそのまま魔力を維持してみるが、向こうからの反応は全くなかった。眠っているか、距離が離れすぎているか。

「距離が離れてるからかな。向こうもずっと移動してるから、もう届かないのかなぁ」

 マリアは残念そうな表情となった。契約した本人であればもっと遠くでも可能らしいが、マリアは契約者ではない。

「ごめんね、連絡取れそうにない」

 ただ、とマリアは言葉を続ける。

「デニアス王都の冒険者協会なら確実に会えるから、そこで伝えることはできると思うわよ」

「うん、わかり、ました」

 ウロフカーニャは、隣のアレクサンドルを見上げる。

「……いい?」

「そうだね。ただ、君を一人にはできないな。僕も付き合おう」

 目だけで会話してるよ、とマリアはめざとく気付く。そしてどんな会話をしたのかも、何となく想像できた。マリアも負けじと、とアーサーを見上げる。

「明日は七時半出発だったか? 俺らのチケットはまだだったな。なら今日のうちに四人分買っておくとしよう」

「さすがアーサー」

「ま、マリアが言いたいことはすぐ解る」

 そう言いながら、アーサーはマリアの頭を撫でた。

「こらっ、子供扱いするなって」

 言いつつもマリアは照れ笑いするだけだった。その光景に、ウロフカーニャも負けじとアレクサンドルにずいっと頭を突き出す。相変わらずマリアはめざとく気付くが、ここは敢えて何も語らなかった。

「……アレクサンドルさん、道場の方は良いのかい?」

 ウロフカーニャの頭を撫でながら、彼は返答する。

「うん、僕は剣技の方はからっきし駄目で。あんな大きな剣を振り回すなんてできないんですよ、龍族のくせにね」

 と、どこか諦めの表情で笑った。そんな笑顔に、マリアもアーサーも何も答えられなかった。

「さーひゃは、いひゃをめだしているんだよね」

「そうなんだ?」

 相づちを打つマリアは、アーサーを見る。今の解った? とその目が訴えていた。分からず頷いたんかいと心の中でツッコミを入れるのを忘れない。

「ええ、彼女の言うとおり、医者を目指しています。ただ、学園に行くにしても、魔法医になるか、普通の医者を目指すか、色々考えて結論が出ていないんだ」

 ウロフカーニャとの時間は、この男性が一番長い。なら彼女の言葉もそれなりに理解できているのだろうと二人は感じた。そしてさりげなく、彼女の分かりづらかった発言をフォローする形で返答したのも流石とも。

「ああ、そうですね。僕のことはサーシャとでも呼んでください。ドゥルガー帝国風の愛称です。ウーニャ、…ああ、ウロフカーニャ、でしたね、彼女のことはウーニャって愛称で呼んでいます」

 二人の愛称は、それとなく理解できるものだった。

 アレクサンドルの帝国式愛称は、古くからサーシャである。後半の『さ』に愛称の言葉を付けた形だ。それに倣って、ウロフカーニャは、カーシャが一般的だが、本人がなるべく発言しやすいよう、ウロフカーニャの愛称は最初の『う』から、ウーニャとしたそうだ。ミリアも昔からそう呼んでいたと話しているが、これは偶然の一致だろう。

 その辺りの気配りに、アーサーとマリアは、二人の間柄を何となく感じるものがあった。これに関しては、今のところ心の中に留めておくことにして。

「ああ、じゃサーシャにウーニャ。旅の間はよろしく頼む」

 アーサーが、右手を差し出し。

「うん、お願いするよ」

「お願い、します」

 二人順番に、握手した。

「じゃあ、私が三人とも守らなくちゃね」

 マリアはそう笑い、俺も守られる側かよ、とアーサーが苦笑するのだった。


 アーサー達が辞した後、アレクサンドルはウロフカーニャの包帯を取り替える。傷口はもうほとんど塞がっており、もう包帯の必要性はなさそうだった。

「よし、今日で包帯は終わりだよ」

「うん、あいあと」

「どういたしまして」

 アレクサンドルはウロフカーニャに微笑んだ。

「やっと君の本名が解ったよ」

「……ごめん、ね? まだうまく話せなくて。字も汚くて」

 アレクサンドルは微笑み、彼女の頭にもう一度手を伸ばす。片方の角は怪我の時に、皮下組織ごと折れ飛んでしまったため、もう二度と再生しないが、もう片方の角は健在だ。そちらの角に軽く触れながら。

「大丈夫だよ。きっと良くなる」

 彼女本人は、あのときはもう助からないとさえ思っていた。だが、アレクサンドルの魔法と介抱のおかげで、彼女は一命を取り留め、順調に回復している。言葉遣いも、手足の不自由さも、そのうち治る、治してみせると彼は考えていた。

「うん。…その、サー、シャ? くすぐったいよ? 私の、角、ほしい、の?」

「おっと、ごめん」

 あわててアレクサンドルは手を離す。

 角を相手に渡すという行為が、特別な意味を持っているということは、先ほどの訪問者との会話で知った。アレクサンドルの家系も龍族だが、角を折って相手に渡すという風習は、このガドネアに住まう彼らにはないのだ。おそらくは長い長い間に廃れてしまったものなのかも知れなかった。

「……あげても、いいよ?」

「それは……」

 彼女の秘めたる想いが、伝わってきた。

 一度は死を覚悟し、それを救った相手が年齢の近しい異性なら、想いを寄せてしまうのは王道だ。その王道通り、救われたと認識してからはずっと彼のことを想っていた。とはいえ。

「でも、まぁだ、予約。私が一六になってかあだね。その時結婚してあげうから、その時にあげるね」

 屈託なく、鈴が鳴るような綺麗な声で、彼女はそう告げる。

「え……?」

 彼女の正直な思いを真正面からぶつけられ、彼は驚きの声を上げるのだった。


 翌朝。

 少し余裕を見て七時集合。馬車は後ろの方で四人固まって座席を取ることができた。途中乗車だから席はバラバラになることは想定していたが、幸運が重なったようだった。

 車庫から出てきた馬車は次々と整列していき、ずらりと並ぶ。順番に客が乗り込んでいき、四人も自分らの馬車が来たところで馬車へと向かって歩き始めた。

 四人の座席は後ろ、三列目と四列目の二人掛けの座席となる。座席自体は簡単に後ろ向きにすることができる。背もたれを持ち上げるように軽く引っ張ると、がたんっと、そのまま前へと動かせる。こうやって四人が対面して座れるようにできるのだ。

 アーサーは長い旅の間、家族や他の冒険者がこうして座席の向きを変えてるところを何度も見てきている。なのでその方法も前から知っていた。

「なるほど、これはよくできてるね」

 マリアは、二日連続で快活な妹性格だ。これは昨夜のうちに相談していたことである。

 なるべく相手に混乱を生じさせないようにと、サーシャたち二人の前では、最初に出会った『妹』で対応することにしたのだ。これはアーサーも了承済である。二人をミリア達に引き合わせ、その後別々の道をたどることになれば、それでもいいだろう。その後も友人として関係が続くのであれば、その時は正直に話そうと、マリアとアーサーは約束していた。

 なお、しばらくは妹の方がアーサーと一緒にいる時間が長くなってしまうのだ。話はそれで決着はついたが、その寂しさを紛らわせろと、姉の方は夜、アーサーを独占する宣言をしたとか。

 記憶は共有しているのだが、やはり記憶だけではなく直にふれあいたいというのが二人の本音である。なるべく穏便にね、というアーサーの苦笑には結局逆らえず、お互いがある程度我慢することで落ち着いた。なんだかんだ言って、マリアの二つの性格は、とてもなかよしなのだ。


 馬車は一路西、カンターリエンキェを目指す。

「か、かんたーりぃ、かんたーりえんき、かんたーりぅえんきー」

「……カンターリエンキェ、な?」

「……むぅ、なんでアーサーはそうすらすら言えるのかなぁ」

 ガドネアの町でも呼びにくいランク上位に位置するこの町は、砂漠のほとりの町。東から来た一行にとっては、この町でようやく砂漠が終わるという地点でもある。砂漠の過酷さに負けたアーサーはようやく、という表情でいるが、砂漠生まれのマリアやアレクサンドルは、少しの寂しさを感じているようである。

「サーシャは、砂漠から出たことはあうの?」

「いえ、一度も。ほとんどあの町で過ごしていましたから」

 生まれも育ちもノリヴァフスクの彼は、町から出たことが無かったそうだ。

 アレクサンドルは、龍族でありながら筋力も体力も乏しかった。そのため実家の道場では落ちこぼれ以下の実力でしかなかった。子供の頃は大分荒んでいたが、あるきっかけを境に、彼は医師を目指すことに決めたのである。その話をなかなか打ち明けられなかったが、今回アーサー達の旅に同行することを決めた際、思い切って両親に話をした。すると、両親からは、自分の道を見つけたのであればそれに邁進するが良い、宣言したとおり医者になれたら自慢させろ、と快く送り出してくれたのだ。

 サーシャは、昨晩あったことも含め、皆に話す。

「デニアスの王様とは従兄弟なので、両親がどう言ってくるのかちょっと怖かったところもあるんですけどね」

 さらりと、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「……え?」

 三人一同、一斉に疑問符を投げかけた。アーサーは冷静だが、女子ふたりは思いっきり驚いている様子だった。

「……え、知りませんでしたか? 町では皆知っていることなので、……いえ、説明不足でしたね」

「し、しああいお?」

 ずいっとウロフカーニャもアレクサンドルに身を乗り出す。身体の不自由さは何処行った、という勢いで。

「まあまあ、順を追って話すから」

 やや焦り気味の彼は、いきさつを話し始めた。

 彼の父には、妹がいる。彼からすれば叔母に当たる人物だ。名を、アナスタシアという。

 元々アルツェフスキー家は武闘派の家系でもあり、デニアス王家の者が剣技を磨くため、王子が道場へ修行に来たり、あるいは城へ招集されて剣技を教えるなど、そうした交流は昔から続いていた。祖父の代でも、現在の国王が王子だった頃、この道場で剣技を磨いていた時代がある。この時に王子とアナスタシアが出会い、恋をし、そして一年ほどのお付き合いを経てから結婚し、二人の間には王子も生まれた。それが、彼の従兄弟である。

 嫁いですぐに子供が生まれた王家とは違い、両親はなかなか子供ができなかった。そのため従兄弟とはいえ、王子の方が五つも年齢が上だ。その王子も先日結婚したばかりであり、もう少ししたら良いニュースが聞かれるかも知れなかった。

「なるほど」

 アーサーは頷き、女子ふたりも落ち着く。

「それなら先に言っておかなくてはならないんだが、……俺の連れ合い、ミリアと一緒に達をしている男なんだが」

 アーサーはふたりを手招きして呼び寄せ、耳打ちする。

「ユニスの王子様なんだな、これが」

 その事実に、ふたりはさすがに驚きという顔だった。

「えっと、みいあは、その事、知ってう?」

「ああ、知っている」

「あの二人も良い雰囲気だから、じきに引っ付いちゃったりして、ね」

 余計なことを付け足すマリアだった。

 不意に、アーサーは真面目な表情となる。

「サーシャなら知っていると思うが、スナー家とファルアスタシア家は、魔族に対抗するために生まれたような剣技だ」

「ええ、知っています。ですが相手は魔族と契約した、ドラゴンでしたね。ドラゴンを相手にするのであれば、かのユニス王国、王族の剣技が一番有効だとも」

 さすがによく知っている、とアーサーは頷く。

「ユニス流。俺たち三つの剣技は互いを高め合えるよう、三すくみの関係性にもなっている」

 アレクサンドルは頷いた。その御三家がそろっているのであれば、完璧じゃないかと。

「ただね、アーサーはちょっと本調子じゃないの。昨日まで熱中症で倒れていたからね。…うん? 熱中症? ……ね、ちゅー、しよ?」

「いらんことに気付くな」

 ぺしっとマリアにツッコミを入れたアーサーは、そこなんだよな、と呟く。

「馬車の護衛をやめて客として乗り込んでいるのが、そういった理由もあってね。まだうまく身体を振り回せない」

「そうなると、この中で戦えるのが、私一人なんだよね」

 と、マリアは苦笑いをした。

 この時、マリアは既に知っていた。状況はもっとまずい方向に転ぶことを。


◇


「くそっ! 数が多すぎる!!」

 ファーネルは魔獣を斬り捨てながら、既に次の魔獣を睨む。ミリアも、この時はもうブレスを新魔法などと誤魔化すこともできないでいた。

 矢継ぎ早に襲いかかる魔獣に、大勢の冒険者が苦戦している。既にキャラバン全体がその群れに取り囲まれ、状況はかなりまずい。

 ミリアのブレスが迸り、その魔獣の蔦や胴体を瞬時に灼き、胴体からあふれ出す体液をも一瞬のうちに蒸発させる。

 相手は、古くからこの地に生息している、植物型のものだ。一見して食虫植物の姿をしているが、その大きさは人の丈を優に超える二フォーセルほどだ。腹部が巨大な坩堝となっており、そこに捕らえた生物を放り込み、溶かして自らの栄養とする。もっぱら人間を好んで捕食することから、マンイーターと名付けられている、非常にやっかいな相手だ。

 坩堝の中は強力な酸液で満たされており、剣などで切り裂いてしまうとその酸液が飛び散ってしまうのだ。場合によっては、斬った人間がまともに浴びてしまうことになる。浴びることなく躱せたとしても、体液を被った武具は、一撃で台無しになってしまうのだ。

 ファーネルの武器も、既に使い物にならない。しかし彼は魔道士といわれても遜色がないほどに、魔法での戦闘にも長けている。

 前方で酸液を全身で浴びてしまい、ひどい有様だった冒険者は、ミリアの精霊によって酸を洗い流した後、ファーネルの魔法で一気に治療を施した。二人の阿吽の呼吸の元、次々とマンイーターを倒し、斃れた冒険者達を救う。おかげで死者は出てはいないが、しかし二人への負担はかなりのものとなっていた。

 近接では、この相手はどうしようもない。代わりに魔道士が攻撃を入れるも、森への延焼を避けるため、弱点となる炎系の魔法もあまり使えないのだ。

 ここは、カレイア村を過ぎてすぐ近く。デニアスの国境を越え、ようやく砂漠から抜けて森にさしかかり、一息つける地点だ。そうした油断もあったのだろう。気がついたときには、もう囲まれていた。索敵能力に優れたミリアだが、この時不運にもうたた寝していたのだ。さらに不運は重なり、取り囲むマンイーターの数も異常に多いのだ。

 また一人、冒険者が倒れた。ミリアがレーザー・ブレスでマンイーター数体をまとめて焼き払い、その人の元へと駆けつける。そして精霊を呼び寄せ、水の魔法で全身にかかった酸を洗い流し、治療魔法を使用する。ファーネルほどの治療効果は無いが、それでも放置するよりははるかに良い。

「ファーネル、森を焼き払っても良いですか!?」

 ミリアも、ほとんど余裕はなかった。

「この周辺だけにしてくれな!」

 ファーネルもそれに気がついている。多くの冒険者が戦闘不能となっている中、それでもマンイーターは次々と押し寄せてくるのだ。森を焼き払う勢いでないと、こちらが全滅する、そんな状況である。仕方ない、と割り切って、ミリアに許可を出した。

 ミリアは、周囲に精霊を放ち、マンイーターを牽制する。その中で自らの真上に光り輝くわだかまりを打ち放った。それはすぐにミリアへと落下し包み込む。そして、その固まりにひびが入り、砕けると同時に一条の光が迸った。光はそのままマンイーターを数体貫き、その熱で蒸発させた。

 ミリアの姿は、変貌していた。背中に翼、そして尻尾。龍族の三つの姿の一つ、部分龍化の姿だ。この姿になれば、人間の筋力換算なら十倍を超える腕力をたたき出し、そして魔力との親和性もかなり上がる。意識のある冒険者達はどよめくが、構ってはいられない。変化直後の一階だけ、余剰放出された魔力を再吸収してレーザー・ブレスへと変換、溜めの時間なしで放てるなど、利点が多い。

「避けてくださいね!?」

 ミリアは周りに聞こえるように宣言し、解りやすい動作を付けてから渾身のレーザー・ブレスを解き放った。

 地面を抉り、マンイータ十数体を巻き込み、そして爆発を起こす。爆発は衝撃波をうみ、周辺のマンイーターをも吹き飛ばした。

 ミリアは、その間にも索敵を繰り返し、次のマンイーターの固まりに顔を向け、魔力を練り込む。そして眼前で完成した魔力のうねりを解放し、前方へとレーザー・ブレスとして解き放った。


 森が、焼け焦げていた。その森に、雨が降っていた。

 冒険者の多くは、戦いの疲れのためほとんど身動きが取れず、雨に打たれるままうずくまっていた。それはファーネルも、そしてミリアもだ。

 逆に、早々に酸を浴びて退場していた冒険者達のほうが、ファーネルの治療の甲斐があって動けているという状況でもある。

「もう、一歩も動きたくありませんね」

「だな。……それにしても、ひどい格好だな」

 二人は、背中合わせで地面に身体を投げていた。

 なるべくマンイーターの酸を浴びないようには動いてた二人だが、しかし完全には防ぎきれていなかったようである。ファーネルの剣は既に折れてしまい、鎧にもあちこち穴が空いていた。ミリアも旅の出発時に購入した旅装束も、細かい穴だらけとなっていた。そして地べたに脚を投げ出して座っているので、全身泥だらけだ。

「お互い様、ですね」

 そして、二人とも笑い出した。ひとしきり笑った後、ミリアはファーネルに体重をさらにかける。

「ご褒美を所望します」

「ま、俺にできることなら」

「ファーネルにしかできないことですよ」

 と、意味深に微笑んで。

「魔力が尽きて、翼も尻尾も仕舞えませんので、今晩はこのままの姿で愛してください」

 結局はストレートに話す。

「……お前という奴は」

 呆れるファーネルだが、それでこそミリアだ、という妙な納得感もあった。

 立ち上がれるぐらいには回復したファーネルは、ミリアの手を引きながらよろよろと立ち上がる。

「……さて、馬車に戻るか?」

「そうです、ね」

 火災鎮火のために、精霊が降らせた雨もようやく上がる。一度は土で泥だらけになってしまったが、今はそれも洗い流されてずぶ濡れという状態である。それは周りの冒険者も同じだった。

「……こんなときに、あれに出会ったら最悪ですね」

「言うな」

 言ったら本当に出てくるぞ、というジンクスは御免被りたいファーネルだった。


 彼らを乗せたキャラバンは、定刻よりも大分遅れてデニアスの王都に到着した。

「真っ暗だね」

「ま、仕方ないだろう。……今晩の宿を確保したいんだが」

 ファーネルは、ミリアに支えられてようやく立っている、という状況である。ミリアは龍族としての怪力があるためそれは問題ないが、ファーネルの魔力枯渇は、割と深刻のようだった。この分では、一晩眠るぐらいで回復できるか解らない、というところである。

 さすがに首都ともなれば宿屋は多い。慌てることなく、二人は宿を確保することができた。

「よいしょ。……ファーネル、本当に大丈夫ですか?」

「ああ。……いや、正直かなりだるい」

 ミリアも今回の戦いで、かなり疲れていることを自覚している。未だ魔力の回復もままならず、翼と尻尾もそのままだ。夕食を食べに行きたくても、既にその気力はなかった。

 ファーネルをベッドに座らせてから、ミリアもその隣に身体をぶん投げた。

 ずしんっとベッドが揺れてきしみ、ファーネルと目を合わす。

「ごめんねファーネル、この格好で一度シてみたかったのですけど、今日はさすがに無理です」

 何を、とは聞かない。理由も敢えて聞かず、ただ頷く。

「……いけず」

「どうしたいんだ、お前は?」

「理由ぐらい聞いてくれても良かったのに」

「疲れてるからだろ?」

 ファーネルの言葉は尤もである。疲れているから、今晩はなしだと言うことだ。だがミリアが聞いてほしかったのは、どうしてこの格好で、である。だからファーネルは、わざと話題に触れなかったのだ。

「……いけずです」

「いけずだからな」

 言いながら、ファーネルもベッドに身体を横たえた。すると、すぐにミリアがその腕に絡まってきた。

「今日のところは、チューも遠慮しておきます」

 行動とは裏腹の言葉だった。

「龍族は、この格好で激しい戦闘を行った後は、どうしても高揚感が抜けないことがあります。生存本能が刺激されるためでしょうか。それでその、……パートナーを激しく求めてしまう、面倒な部分もあります」

 その言葉に、ファーネルは妙な焦りを感じた。

「今の私は油そのものです。火がついちゃったら、一気に燃え上がってしまいます。限界を超えてファーネルを襲いかねません」

 ミリアの呼吸が、少し荒くなる。

「なので、何か、落ち着けるようにして頂ければ、と。気分が落ち着けば、疲労の方が勝って眠ってしまうと思いますので」

 ミリアといると、龍族に関して色々新発見があるな、と僅かに苦笑する。

 それぐらいなら、とファーネルはミリアの頭に手を伸ばした。

「……ん」

 気持ちよさそうに目を細め、ミリアは微笑む。すぐに荒い呼吸も落ち着き、身体の力も抜けていくようだった。絡めていた腕も、もはや力を失っている。

 気がつけば、ミリアは目を閉じていた。そして、規則正しい寝息を漏らし始める。

 あっという間に寝入ってしまったことにやや拍子抜けのファーネルだが、ここでふと気付く。衣服など汚れたままだし身体だって拭いていない。近くに銭湯もあるのだから身体を洗いたかった、等。

 ただ、ミリアの安らかな寝顔に、どうでも良くなり、目を閉じるのだった。


「……ファーネル、起きてください。ね、起きて?」

 ミリアはファーネルの身体を揺さぶり、起こす。目を開けたファーネルは、状況が飲み込めなくても周りを警戒しながら身体を起こす。

「何かあったか?」

 声を潜めているが、強めの口調だ。襲撃でもあったのかという勢いのファーネルに、ミリアは首を振る。

「マリアさんから連絡があって。起こされたからファーネルも道連れ」

 なかなかヒドいことを言っているが、今は逆に起こしてくれたことに感謝でもある。

「向こうからはなんて?」

「アーサーさんも元気になって、出発したそう。今日はかんたーりえん? かんたりぃっ……んーっ!」

 突然唸って黙り込み、そして涙目となったミリアに、ファーネルはさすがに声をかける。

「どうした?」

「…かみまひた」

「……ああそう」

 あの町の呼びにくさは随一だ。予想通りで、お約束な展開に、ファーネルは溜息を吐く。

「カンターリエンキェに到着して、今晩はそこで宿泊すると、そういうことか?」

 ミリアは口元を手で覆いながら、涙目で頷いた。翼も尻尾も忙しなく動いていることから、結構痛がっている様子だ。

「ちょっと待ってろ」

 その痛がり様にさすがに心配となり、ファーネルは魔力の回復がどれぐらい進んでいるのかを確認しつつ、魔力を練る。

「ヒーリング」

 そして呪文も無しに、回復魔法をミリアにかけた。すーっと痛みが引いていく感覚に、ミリアはただ嘆息する。ややあってから、ミリアはファーネルを見上げて。

「本当に、ファーネルは回復魔法が上手ですね」

「まあ、王族だからな」

「……関連性が解りません」

「ま、後で説明しよう。向こうは何て?」

「いえ、それだけでしたよ? アーサーさんは回復した、今日はカ、についたと、それだけです」

「カ……て。一文字に省略したか」

「勿論。誰ですか? あんな呼びにくい町の名前にしたのは」

「昔デニアスに貴族制があった時代にまで遡るのだけど、カンター、リエル、キーエンという三人の貴族がいてね。その三人が砂漠を干拓するための拠点としてあの町を作ったそうだ。それで三人の名前を取ってカンターリエンキェとなったそうだ」

「……そのまんまですね」

 そう言って、ミリアは微笑んだ。

 ぽてっと、ミリアはベッドに再び沈む。

「……結局、ウーニャも、あのバカも見つけることはできませんでした。明日はお二人と合流できるはずですので、その時に情報を交換しましょう」

「……だな」

 ファーネルも身体を横たえると、先ほどのようにミリアが身を寄せてきた。ぴったりとくっつき、ちょんっとファーネルの首筋に口づけする。

「今日はここまでにさせてください。続きは、また、あしたに……」

 言いながら、ミリアは目を閉じていく。それにつられ、ファーネルもあくびをして、目を瞑った。


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