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リーンドラゴン外伝・マリア・ファルアスタシア編2  作者: NotPriest008
第二章~ファーネルとミリア~
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第二章~ファーネルとミリア~

ガドネア歴 九七五年 四月一六日   ミリア・サンディー


 バース王国を出立した私たちは、一路北を目指します。最初の宿泊地はカンターレル。ガトネア大陸北部にある大きな半島の東側根元に位置します。元々は北部大陸にある王国からの侵攻に備えて発展した軍港の町です。まあぶっちゃけデリシアのことな訳ですが。連中の思い通りにはならずガドネアへの侵攻は計画半ばで頓挫した結果、バースの水軍は縮小して貿易港としての意味合いが強くなりました。北の島国との貿易、デリシアとの貿易などで栄えている、そんな町です。

 また、主にガドネアで信仰されている十二神信仰の大聖堂もあるそうですが、今回はおそらく、立ち寄ることはないでしょう。ファーネルもそれほど熱心に信仰してはいないそうですし。


 一応、旅の目的を復唱します。

 私の兄だった宿敵を倒す。最終的な宿願はこれですが、私の、私たちの代では終わらない可能性が信頼できる占い、いえ、未来視にて見えています。ですが、せめて糸口ぐらいはこの手で見つけたい。私はそう考えながら、ファーネルと共に旅を続けます。


第二章~ファーネルとミリア~


 キャラバンは一路北へ向け、爆走する。

 バースからカンターレルへの道のりは、かなり遠い。現在の馬車の速度は、人間が全速力で走るよりも速いぐらいだ。その動力源となる馬はユニス原産の強力な馬であり、さらに途中で休憩する町などで何度か馬を交代させて、速度を維持している。この体制だけでも、コストの方が運賃よりも上回っているのでは、と噂されている。

 加えて馬車はバース王国の職人達が作り上げたもので、多少の衝撃なら吸収する車輪や軸機構などが備えられており、高速度に耐えられるものとなっている、この路線専用車両だ。そこまで特化された馬車と馬だ。一般型の馬車はこのキャラバンには参加できず、結果としてこのキャラバンは専用線として扱われているのだ。

 私有の馬車ではここまで充実したものは皆無であり、この高速キャラバンには当然参加できない。ではどうしているのかだが、実に単純な話だ。普通に別のキャラバンを運行しているのだ。

 こちらはカンターレルまでの町で一泊する。参加出来る馬車が多いので、利用客や荷物の量は高速便よりも多い。途中の町での一泊は挟むが、宿付き運賃でも高速便と値段は変わらない。高速便は宿を利用しない代わりに、馬の交代などでのコストがかかるためだ。

 この二つの便は、それぞれ高速便、普通便と呼び分けられていた。

 どちらにも冒険者が警備として乗り込むが、一日短い分高速便の方が報酬は少ない設定となっている。

 ファーネル達が高速便に搭乗した理由は、中央街道便と同じぐらいにデニアス入りが果たせるようにし、アーサー達との合流を優先した結果となる。

 馬車の中は、車輪が転がる音と、馬の蹄が地面を蹴る音がずっと響いている。乗客も終始無言で、誰も雑談には興じていない。ミリアも幌をめくり、外を眺めてはいるが口数も少なくなっていた。

「……ファーネル、これ、本当に大丈夫なのですか?」

 顔色は悪い。

「大丈夫だろう。この便で事故の話は聞いたことがないからな」

「そうは言いますけど……」

 振動を吸収する機構はあるし、街道自体も念入りに整備され、馬車はあまり揺れてはいない。だが、この馬車便の速度は、ミリアからしてみれば異常の一言である。

 彼女の出身地方では、馬車の速度はせいぜい人が小走りする程度だった。しかしガドネアに来てから、その馬車の速度に驚嘆したのがつい先日だ。しかし、このルートにおいては、そこから輪をかけて速い。ミリアはその速度に圧倒され、こんな様子なのだ。

 ファーネルが指摘したとおり、このキャラバンでの事故は起こっていない。また、魔物が待ち構えていたとしても、街道ど真ん中で待ち構えている以外であれば止まらず突っ切り、その追撃を速度で振り払ってしまう。そのため戦闘になることはほぼ無い。万が一に備え、一応馬車一台に付き二人ずつ冒険者が乗り込んではいるが、警備らしい仕事ができたという話もない。

 街道をゆっくりと進む馬車を、二〇台に及ぶキャラバンが一気に追い抜いていく。車窓から顔を出して外を眺めていたミリアは、追い抜かれる馬車をじっと見つめながら。

「……やっぱりあっちの方が良かったかも」

 と、一言漏らすのだった。


 最初の休憩地点に到着し、馬車が停車する。取り急ぎ、息が上がってフラフラしている馬が次々と交代させられている。それらを尻目に、ミリアは早速買い食いを始めた。

 彼女の出身地ではほとんど食べられないようなものばかりなので、それだけでも食欲をそそると話す。色々悩みを抱えてはいるが、それはそれとして割り切っている様子でもある。その辺りは、龍族のドライさが垣間見える。

 一方でファーネルは、冒険者協会に立ち寄り、龍族の噂話を尋ねていた。すると、最近冒険者になった龍族の女性がいるという話を聞かされた。これについては聞くまでもない内容である。自分の連れ合いがその本人だから。それ以外の情報は、これまで聞いたとおりのものであり、目新しいものは皆無だった。

 それ以上の情報を得ることができないと判断したファーネルは、早々に馬車の元へと戻った。

「ファーネル、何か新ひい情報はありまひたか?」

「……口いっぱいに頬張りながらしゃべるな行儀悪い」

 ファーネルは最近思うことがある。ミリアの兄が起こした事件、そしてその所為で彼女の親友が失踪している件について。

 ミリアは、先日大泣きするほどに心を乱していたのだが、それ以来はずっと落ち着いている。気負うことがなくなった、と言えば良いのだろうか。一定の距離を置いて考えられているようでもある。

 一見して旅行を楽しんでいるようにしか見えないが、やはり心の奥底ではいろいろなことを考えているのだろうか、とファーネルはミリアをなんとなしに眺めながら、そんなことを考えいていた。

 ミリアは口の中のものを咀嚼して飲み込み、咳払いをして。

「取りあえずファーネルが黙っているということは、収穫は無かった、という事ですね?」

「……ああ」

 と低い声で返答してしまった。少し不機嫌さが出てしまったか、とファーネルは返答してから心配になる。

「……ごめんなさい、調子に乗りました」

 ミリアはしゅんっとなって、頬張ろうとしていた串肉を口元から放す。

「違う。……いや、すまない」

「?」

 実際にファーネルは不機嫌だった。それについてはミリアに対してではなく、情報が無いことに苛立ちを覚えていることを素直に伝え、謝罪もした。それでミリアは機嫌を取り戻し、残りの串肉を頬張った。

「ほおですか。あんひんしまひた」

「……だから口いっぱいものを詰めてしゃべるな行儀悪い」

 おそらくわざとだ。

 今度は、諦めの入ったツッコミを入れるのだった。


 その後、幾度かの休憩で停車し、特に事件も何も起こらず、キャラバンは最初の目的地、カンターレルへ到着した。

 キャラバンは、厳密に言えばこのカンターレルが終点で、この先は別の便への乗り継ぎ扱いとなっている。カンターレルから西、デニアス王都までは通常の馬車車両であり、速度も通常通りとなる。旅行者は乗り換えるだけなので楽だが、運送業者は、荷物は全部載せ替えとなる。操車場は、これからが忙しい時間となるのだろう。

 バース王都からカンターレルへの便が特殊なのは、ここが軍港だから、という理由に尽きる。

 王都から兵士を迅速に展開するのと同時に、この町が戦場になった場合は市民の避難が必要になる。その訓練を連日行っているようなものなのだ。

 加えて、試験的に高速便営業を開始するとこれが大好評で、特に漁業関連の運搬業者から、今後も続けてほしいとの要望が殺到し、今に至るのだ。

 なお、経費に関しては意外な計算結果が出ている。高速便の方が安いのだ。馬の交代と馬車車両の整備費が倍以上にかさむが、途中宿泊が不要になるため、御者などスタッフに対する宿泊施設の準備や人件費の縮小、警備費用などが大幅に削ることができているためだ。それでいて到達が早い。それで高速便と普通便は同じ料金でチケットを販売しているので、高速便の方が僅かに利益が多かったりする。

 そんな蘊蓄を話すファーネルに、ミリアは素直に感心する。いろいろなことを知るファーネルに対してもだし、色々考えつく人間の技術力にもだ。

 取り急ぎ宿を決め、宿泊することを伝えたのだが。

「すまないが、同じパーティなら二人部屋にして貰えないだろうか? 部屋がなくてね」

 ほぼ満室の状況で、男女で部屋を分けられそうにはないとのことだった。

 二人は顔を見合わせ、二人同時に返答してしまった。

「なら別の宿に」

「それで構いませんよ」

 全く以て正反対の回答に、宿の主人が困惑する。

「……今なんて?」

 ファーネルがミリアに顔を向け。

「別に二人一部屋で大丈夫ですよ、と」

 いやしかし、とファーネルは反論しかけるが、ここはミリアの方が正解だと判断した。別の宿に行ったところで、状況は同じかもしれないのだ。この町はキャラバンもデニアス方面からとバース王都方面からの便が来るし、海外からの船便も来るのだ。そんな状況で外に探しに出たところで、部屋が取れない可能性も高いし、それで戻ってきたらこの宿も部屋が埋まって路頭に迷う、なんて悲惨な目に遭う可能性もあり得る。

「……悪いな」

 ファーネルの謝罪の意味が分からない、とミリアは首をかしげる。宿屋の主人も、二人の仲を邪推し、二人部屋の鍵を渡した。

「三〇五号室。三階の一番奥の部屋だ。下にも部屋があるから、するなら静かにしてくれな?」

「そうですね。まあそこはファーネル次第ですけどね」

 と、冗談に冗談で返すミリアだった。


「あの主人、絶対俺たちの仲を勘違いしやがったな」

「良いではないですか。そう思われた方がスムーズに事を運べる場合もありますし」

 ミリアは荷物を降ろし、靴を乱雑に脱ぎながらベッドへダイブした。ずしっという音が響き、へぶっとミリアが呻く。

「な、何ですかこれは、クッションのくの字もありませんっ」

 お腹をもんどり打ったミリアは、涙目でファーネルを見上げた。

「まあ、冒険者の宿なんてこんなもんだ。まだベッドの形をしているだけましな方だ。下手したら馬小屋と変わらん部屋なんてのもある。……くっくっくっ、耐えられるかな?」

 ファーネルが邪悪な笑みでそう話せば、ミリアはベッド上で後ずさり、冷や汗混じりの笑みを浮かべた。

「ま、まあその時はファーネルを枕にすれば平気かと。……その時はファーネルに襲われた後なのでそこまで気が回るかは解りませんけど」

「……俺が襲うこと前提かよ! 何気にひどい言われようだな?!」

 思わず声を上げるファーネルだが、ミリアはイタズラっぽく笑って人差し指を唇に当て、次いで下を指さす。階下がいるから静かにしろ、とのアピールである。

「こんの野郎」

「野郎だなんて、私は女性ですよ? ……え? ファーネルは男色なのですか? それでアーサーさんと二人っきりの旅を……ぽ」

「ぽじゃねえ。あと俺はちゃんと女の子の方が好きだ」

「それを聞いて安心しました」

 最近になって、やたらからかわれることが多くなったとファーネルは気付いている。どういった心境の変化かは解らないが、時々勘弁してくれ、と思うファーネルだった。


 翌早朝。特に何ら事件も起こること無く、二人は操車場を訪れていた。既に大勢の乗客や冒険者が集まっており、これから来る馬車便を待っていた。

「ここからは普通の車両だ。昨日みたくぶっ飛ばすことはないから少しは安心しろ?」

「……そう、ですね」

 ファーネルは既に完全に目が覚めているが、ミリアはまだ眠そうにしていた。いつもならここまで眠そうにはしていないのだが、とファーネルは考えるが、その理由には気がつけなかった。

 車庫から、次々と馬車が出てきた。台数は昨日までと同じ。車両は整備はされているものの、いささか古い印象だった。

 二人は昨日とは変わって、一二号車へと乗り込む。

 因みに、警備担当の冒険者は、実績などを加味して乗る車両が決められるが、個人の実力を見るかパーティー全体で見るかは、キャラバン隊隊長次第だ。相当な実力者であり周りを引っ張っていけるぐらいのカリスマ性も兼ね揃えていれば先頭車両へ。その後は実力順だ。ファーネルの実力は申し分ないが、ミリアは冒険者になって間がなく、実績は殆どない。そのため総合力としてはこの辺りが妥当、という事で一二号車、後ろから五番目となっている。

 指定された座席に座ると、ミリアは何処かほっとした表情をした。

「こっちの馬車の方が落ち着きますね」

「そうか?」

「ええ。速いだけよりも、ゆっくりねっとり動いてくれる方が好みですね」

「……馬車の話だよな?」

「そういうファーネルはナニを想像しましたか?」

 こいつは、と思いつつもギリギリツッコミを我慢した。ツッコミを入れたらミリアの思うつぼではないかと考えたからだ。

「つまり、ゆっくり揺れながら進む車窓の風景が好みだ、と言うことだな」

「……そうですね、その通りです」

 隙が無いツッコみ返しに、不満げにするミリアだった。

 それに対しファーネルは、時々出てくる不穏当な言葉に、何かしら対策を練らなくてはならないな、と考え始めていた。以前にこの手のことを言ったらお仕置きしてやる、と都度言い返していたことを思いだし。

「あんまりひどいこと言うと、お仕置きだからな?」

 耳元で囁くようにファーネルがミリアに宣言すると、ビクッと肩をふるわせ、ファーネルから離れた。そしてこくこくっと何度も頷く。どうしてか、以前からこのお仕置き、という言葉には過敏に反応する。

「……その、私に対してどんなお仕置きをするつもりなのですか?」

「そりゃあ、あんなこととかこんなことだな」

 意味深に答えるファーネルに、ミリアはやはり引き気味になる。

「そ、その。お手柔らかに……」

 そういって、ミリアは沈黙するのだった。


 昼過ぎ。対向の馬車とのすれ違いは、町の中だった。昼時ということもあって、ここで一時間ほどの休憩時間が設けられていた。それなりに長い時間停車するので、対向便の商人同士で軽く商談をしていたりしていた。

 御者同士、そして冒険者の警備リーダー達が集まり、情報の交換をしていた。ファーネル達は、今回は下っ端扱いなのでそこには参加はしていないが、この後情報伝達のため一度全員が集まることになっている。ミリアは相変わらず買い食いで頬を膨らませているが、その他はやや緊張の面持ちである。

「ちらっと聞いたんだが、サンドワームが出没しているらしいな」

「もうそんな時期か。……しかしやっかいだな。街道は地面が固いからともかく、少しでも外れると餌食にされかねないな」

 そんな会話が聞こえてきたため、ミリアは口の中のものをそのままに、ファーネルに問うた。

「はんどわーむって、なんでふか?」

 当然わざとであることを知りつつ、まずは真面目に答えた。女性は、イモムシやミミズといった生物、そこから魔獣化したものも含めて嫌悪感を抱く傾向がある。聞いて食欲が落ちてしまえ、というファーネルのイタズラ心も大きいが。

「まあ、でっかいイモムシだな。とにかく砂の中を移動する速度が速いし、地面から急襲されてお陀仏って事もある。因みにコカトリスの大好物で、挟まれたときはまあ、地獄だな」

「ほっへー。あれおいひかったでふよね」

 ミリアは、強引に串肉を頬張った。ファーネルは眉間に筋を入れて話を続ける。イモムシ作戦は不発だったからだ。

「地面からはサンドワーム、上空からコカトリス。お前ならどっちからやる?」

 ミリアはしばし考えつつ咀嚼し、口のものを飲み込む。

「コッケーですね。ジューシーでコクがあって、それでいてしつこさもないあの肉は絶品です。サンドワームはともかく、フロストワームは甘みも合って珍味でしたので、サンドワームの方も一度捕食してみたいものです」

 ファーネルは眉間を指でほぐす。

「突っ込みたいことは色々あるが……」

 コカトリスはともかく、寒冷地に出る巨大イモムシ、こちらの方が遙かにグロテスクな見た目をしている。そんなフロストワームすら捕食対象とする、それが龍族だ。不発に終わって当然だった。龍族の食欲には感服するが、そういう話ではないぞというツッコミを我慢して。

「上空を飛ぶ方がやっかいか。そっちが現れたらミリアに任せる。なるべくなら門外不出の新魔法を使ったという体で演技してくれ。後、肉だが、前のように持ち帰ることができるかは状況次第だと理解してくれ」

「解りました。確かにコッケーの上空からの攻撃はやっかいですしね」

 急に真面目な表情で答えるミリアに、ファーネルは力が抜けそうになるのだった。

「で、こっからツッコミを入れる。フロストワーム、あれはお前らにとっては食料なのか?」

 ファーネルは、人間があの手の魔獣を食することはない。見た目だけで食欲も失せるし、まず調理する方法すら知らない。冒険者という制度ができてから幾星霜。代を重ねて伝えられる魔獣の可食部などの教えの中で、ワーム系の料理方法は一切合切伝えられていない。特に秘匿される訳でもないが、その理由にも触れられていないのだ。

「え? 食べないんですか? フグの肝に似ていて、食べ始めると微妙に舌がしびれる感触が絶品ですよ?」

「……それ毒だからな!?」

 ファーネルの即ツッコミに、ミリアは首をかしげて、したり顔で笑う。

「そうか、ファーネルは食べられないんですね? あんな美味しいものが食べられないだなんて、人生の大半を損してますよ?」

「俺らが食うと人生の大半を失うからな?」

 ツッコミの後、ファーネルは至って真面目な顔で、指摘する。

「多分龍族だけだからな、大半の毒を無効化できるのは」

「……そうなのですか?」

「ああ、一応覚えておいてくれ」

 ミリアはしばらく考え、頷いた。

「そうですね。いつかファーネルと家庭を持ったとき、間違えて子供達に毒入りの料理を出さないよう、今からちゃんと勉強しておかないと」

 そして、どうツッコミを入れたら解らない回答を返すミリアだった。


 馬車は定刻通りに出発し、予想通りの地点で魔獣の襲撃を受けた。

 さすがに先頭付近に乗車している冒険者は手際は良かった。数体のサンドワームに囲まれながら、しかしそれを危なげなく撃退し、馬車へと戻っていった。

 ミリアも上空を警戒しているが、今のところコカトリスの気配はないとのことだ。撃退後、数分ほど様子を見てから出発したが、それ以降もコカトリスが現れる気配はなく、キャラバンは危機を脱することができた。

「……しかし、その索敵能力、俺らにも欲しいところだな」

 ファーネルはミリアにごちる。

「こればかりは、私たちの感性というか、本能的な部分ですから、龍族以外に教えられる物ではないんですよね」

 でも、と付け加える。

「似たような魔法なら、もしかしたら作れるんじゃないかって思います」

「魔法で再現できる物なのか?」

 ミリアは自信なさげの表情で、続ける。

「おそらくは。……何らかの魔法的作用であるのは間違いないんです。ただ余りにも本能的な部分なので。むしろ、ブレスの方が再現は簡単かも知れません」

 ファーネルは相づちを打って、腕を組む。

 ミリアは以前、上空を飛ぶコカトリスを高火力のレーザー・ブレスで一撃のもと打ち落とした。あのときも再現できたら良いなとは考えたことはあるが、その可能性を龍族本人から指摘しているのだ。魔法の知識に深い人物が近場にいればもしかしたら、とファーネルはその顔ぶれを思い返してみる。

 実家に帰れば、魔法の知識に富んだ宮廷魔導師を抱えている。彼らに研究させられれば、糸口を掴めるかもしれない、そんなことを考え始めた。

 不意に、肩を揺すられたファーネルは現実に戻ってきた。

「……ファーネル? その、真剣な表情はとてもそそりますが、私を無視しないでくれますか?」

「え? ああ、すまない。何だった?」

 そそる、とは何だとツッコミを入れたかったが、いつの間にか無視していたようだったため、先に彼女の質問に答えようとした。

「いえ、大したことではないのですが、次の町について、聞きたいことが幾つかあったのですが」

「ああ、そうだな」

 次の町、エルシェンド。ガドネア大陸北東部にある巨大な半島の、西側の根元に位置する。現在の街道はこの半島を横断する形で延びている。エルシェンドは昔から漁業が盛んで、遠洋漁業の母港となっている。日持ちしない生の魚はさすがに現地消費だが、凍らせたり保存食に加工されたものは、バースの首都まで運ばれている。

 それ以外の主な産業としては、宿場町であること、比較的鉄鋼業も盛んなことだ。そしてこちらにも一二信仰の大聖堂があり、参拝や観光などでの収入も多い。

「多いですね、一二信仰の大聖堂。私たちの地方では、大きな町にちょっとした教会があるぐらいです」

「まあ、ユニスが総本山でもあるわけだからな。何だかんだとガドネア中で信仰されてる」

 一二信仰の教えは、まず一二の主神があり、その一柱だけを集中的に信仰しても良いし、複数の神をまとめて信仰しても良いとされる。この一二の神にはそれぞれ天使が属しており、奇跡は主にこの天使がもたらすとされている。その天使を信仰しても良いなど、結構緩い。

 一二の神は、人間の感情や世界の事象などで分けられているが、必ず対となる存在がある。創造に対して破壊、愛に対して憎悪、生と死、明と暗、そして地水火風。四徴は特に精霊にも通じる部分があることから精霊神と一括りにされ、一二神から除外している考え方もある。これらは精霊術士が信仰していることが多い。

「因みに、ファーネルはどの神を?」

「全部」

 即答するファーネルに、ミリアは一言。

「一番日和っていますね」

「悪かったな」

 ファーネルは笑って反論し、ミリアもつられて微笑んだ。

「私、と言うよりほとんどの龍族はそうなのですが、生と死の二柱を信仰しています」

 ふむ、とファーネルは興味深げにその理由を問うてみた。

「以前どこかで話したことがありますけど、私たち龍族は、どうしても子供ができにくい体質です。そのため新しい命を授かるために生の神に祈りを捧げますし、死者を偲んで死の神に祈りを捧げます。こちらの方の人は解りませんが、私たちは生まれ変わりというものを信じています。亡くなった人は、新しく生まれ変わって再び私たちの元へと戻ってくる、そういう考えです」

 ミリアはうつむき加減となる。おそらくは、亡くなった侍女のことを偲んでいるのだろう。彼女らへの祈りは、先日ユニス王国パルス市に滞在していた時に捧げていた。祈りは何度でも捧げて良いものではあるが。

「でも、あまり祈りを捧げすぎても、安心して生まれ変わることもできないでしょう。侍女達のことは確かに残念ですが、彼女らが生まれ変わって戻ってくること、私は信じて待つのみです」

 前向きな言葉が戻ってきたことに、ファーネルは一安心した。

「いっそ私たちで彼女らを迎えるというのもありですね。そうなると最低三人は欲しいところです」

 意味深な表情でファーネルを見上げるミリアに、今の安心を返せ、とそう思わずにはいられなかった。


 エルシェンドに到着したのは、夕刻。宿泊は、操車場近くの冒険者の宿とした。相変わらず混雑しており、今回も一人一部屋というわけには行かず、二人部屋を借りるほかなかった。

「まあ、野宿に比べればずっとましだ。今日も俺なんかと一緒の部屋で悪いが勘弁してくれ」

「? 別にファーネルと同室なのは問題ありませんけど?」

 きょとん、とミリアは理由が分からないという表情だった。

 これに関しては、以前も説明したとおりだ。だが、今回はもう何も言わないことにした。今のミリアを相手だと、なぜか墓穴を掘る気がしたからである。

「まあ、ミリアがそう考えるならいい」

 逆に、同室となったことで都合が良い面もある。

 龍族との契約で得られた角笛を介して、遠方にいるマリアたちと連絡を取るには、やはり二人そろっている方が都合が良いからだ。

「……それよりも、角笛。ここからなら試せるか?」

「そうですね」

 ミリアは両手を挙げ、頭の両脇、角があった部分に人差し指を添えた。右手には何も触れないが、左手にはかすかにその膨らみを感じて。そして目を閉じ、魔力を集中させる。

「……はい、かなり遠いですが、角笛の在り処を確認できました。南西に……、空を飛べば大体二時間ほど、いつもの馬車なら二日ほどの距離ですね。本来ならマリアさんからの呼びかけを待ちたいところではありますけど、こちらからも呼びかけることはできます。……どうします?」

 そうだな、とファーネルは一拍おいて。

「頼む」

 すぐに連絡することを提案した。


◇


 時間は少し遡る。

 アクエイスを出発したアーサー達は、先頭馬車に乗り込み、周りの状況を伺っていた。とはいっても、常に気を張っているわけでもない。魔獣や魔物が潜んでいる場所はおおよそ決まっている。そうした場所を重点的に、他は砂の盛り上がりなどで身が隠せるようになっている場所などを集中してみていれば良い。風の影響でそれなりに左右されるが、この辺りは長年この街道を運行し続けているキャラバン関係者の方が詳しいだろう。

 案の定。

 御者の指示の下、アーサーは荷馬車の上に立ち、大きな赤い旗を振る。後方に停車を促すための合図だ。馬車が止まったと同時に警備の冒険者が馬車から飛び降り、まずは自分らの乗っている馬車を守るよう、周りを警戒する。

「見えるか?」

「ああ、あれはバジリスクだな」

 アーサーも、ガドネア中を旅して回っており、様々な場所でいろいろな魔獣と遭遇し、戦った経験がある。何処にどんな魔物が生息しているかは、そのおかげですぐに把握できるのだ。

 バジリスクは、砂漠に住まう大型のトカゲが魔獣化したものだ。爪には毒、眼光には石化魔法に類似したものがあるため、特に危険視されている。記録によれば、たった数体のバジリスクで完全武装のキャラバン隊が全滅したという事件が残されている。やっかいなのは石化で、任意のタイミングでそれを放ってくることだ。

 バジリスクが主食とするのは、砂漠の定番となる魔獣、サンドワームである。これはコカトリスも好物とすることから、中央街道ではこの魔物達の縄張りが重なっている地域もある。両者がそろうと非常にやっかいなのは、言うまでもないだろう。

「そう言えば少し前ミリアに聞いたんだけどな」

「うん?」

「龍族は、ある程度上空から生き物がいる場所を特定できるそうだ。何処に隠れていようとも関係ないとか。そんなことは可能と思うか?」

「そうですね……、相手のアストラルを感じとることができれば、ミリアの言うとおり何処に隠れていても大丈夫と思います」

 マリアはそう答えてから、ふと気がつく。ファルアスタシアの空間跳躍という技法は、アストラルサイドへ無理矢理突入し、別の場所へと転移する荒技だ。転移に失敗すると、アストラルサイドに捕らわれてしまい、二度と戻って来れなくなる危険性が孕むため、最初この方法をとった奴は相当いかれてると、これを習得したときはそう思ったこともある。ただアストラルにいるほんの僅かな間、相手の場所を完全に特定することができる。

「……ちょっと試してみたいことがあります」

「余り危険なことはよしてくれな?」

「それは大丈夫です」

 マリアは、魔法を組み立てていく。

 バジリスクはまだこちらには気付いてはおらず、街道を行ったり来たりと彷徨っている。そんな様子に、マリアは近くに食糧となる生物、おそらくサンドワームが地中に潜んでいることまで把握する。

 マリアは目を閉じ、古代語で何かを呟く。そして魔法を組み立て終わり、それを使用していた。

「……多分これでいけそう。ノイスク・アストラーリナヴァ」

 魔法を発動させると、マリアの脳裏の中に平面が浮かび上がった。その平面に小さな点が打たれ、それが全て命ある者たちのアストラルであることが解る。細かい反応は虫等だろう。こうして見えてしまうと、こんな過酷な環境でも意外に数は多いと、一種の感動すら覚えた。今はそれらを排除し、反応の大きいものに絞っていく。最終的に魔獣ぐらいの相手が見られるように魔力を調整した。

 元々この魔法は、古い大衆小説、英雄伝の中に登場するものだ。呪文までは記載されていなかったが、こちらでも龍族の索敵能力を参考に組みあげたことや、その他ヒントになりそうな記述があったことから、組みあげてみたのである。

「バジリスクは一体だけですね。群れからはぐれた可能性がある感じです。他に魔獣とかはあっちの方に隠れているから……。私一人でも、どうにでもできます」

 マリアの予想は的中した。地中の生物は、実際に目で見てみないことには分からないが、経験則からサンドワームと考えた。それに、バジリスクも一体だ。複数ならともかく、たった一体なら、彼女にとってはただの獲物でしかない。

 マリアはジャマダハルを背中の鞘から引き抜く。

「バジリスクなら俺たちも加勢するぞ」

 後方の馬車からやってきた冒険者達が次々と手伝いを申し入れる。

 基本的にバジリスクを相手にする場合、囮と攻撃手とに分かれての集団で行う。バジリスクが石化の能力を使うには、ある程度の準備時間と動作が必要となるのだが、それを封じるための作戦が確立しているのだ。囮が翻弄し、石化の能力を出そうとしたタイミングで死角から攻撃を入れる。それでバジリスクが乱れると、すぐに石化を使ってこないのだ。この辺りは、魔道士が詠唱を妨害され、最初から唱え直すのと状況がよく似ているのだ。もしかしたら、石化は魔法ではないかと密かに噂される所以になっている。

 マリアはマントを翻しながら外し、背中に翼を呼び出す。それで一部の冒険者がどよめいたが、それには構わず。

「アーサーは確か石化の解除魔法は使えましたね?」

 マントを受け取りながら、アーサーは頷いた。

「ああ」

 石化を解除できるのは、かなり優秀なヒーラーでもある。アーサーはそれでも自信満々ではなく、できて当然であるように、淡々と答えた。なお、彼がどんな魔法が使えるかは、マリアはほぼ把握している。これは彼が説明したわけでは無く、『夢見』によって知ったことだ。アーサーは最初こそ驚かされたことだったが、今更だし諦めも付いている。彼女の前に、プライベートも何もあったのじゃない。

「まあ、その時は任せろ」

「うん」

 アーサーは、マリアがバジリスク程度に後れを取るとは毛頭考えていない。マリアはこの周辺で生まれ育った砂漠の民であり、ファルアスタシアの剣技もかなりの実力者で、先日は極意の技まで見せつけてくれたのだ。なので、安心してみていられる。

 マリアの発言は、アーサーが石化を解除できることを周りに伝え、万が一の場合でも助かる見込みがあると、安心材料を増やしただけのことである。

「取りあえず、私に任せておいて」

 そして、援護を申し出た冒険者にも、軽く断りを入れて。

 マリアは一気に走り出した。そして背中の翼を広げると、上空へと転移する。転移を見て、冒険者達からまたもどよめきが上がった。それを余所に、マリアはさらに上空へと上がり、翼で風をつかんで一気にバジリスクの真上に到達した。そこで姿がかき消え、バジリスクの真後ろへ。勢いそのままにジャマダハルを突き出し、首を貫く。

 バジリスクは何が起こったのかも把握することはできなかったであろう。マリアはジャマダハルごと空間を渡り、やや離れた位置に着地する。その直後、バジリスクは砂塵をあげ、倒れ伏した。

 まさに瞬殺だった。

 マリアはゆっくりと立ち上がり、一切汚れていないジャマダハルを半回転させ、背中の鞘へと収める。冒険者の誰かが駆け寄ろうと走り出したところで、マリアは右手を開いて突き出し、制止の合図を出した。マリアは別の方向を睨んでおり、遠くを見渡すように左手を額に添える。

 ややあってから、マリアの姿が突然かき消え、すぐ近くに転移してきた。

「ただいまです。バジリスクはあれだけでしたが、少し離れたところにサンドワームが固まっていました。今はまだ気付かれてはいないので、今のうちに駆け抜けると良いかも知れません」

 見える範囲は砂ばかりだ。多少盛り上がって陰になって見えない場所もあるが、おおよその範囲は見渡せる。

「……よく気付いたな?」

 だからこうして別の冒険者が驚くのは当然である。

「まあ、私はアクエイス出身で砂漠の住民だから、何処にサンドワームが隠れているかは勘で分かります。……この馬車の台数なら、気付かれても向こうが避けるとは思いますが、念のため少し距離を取る感じで、早めに離脱したいところです」

 マリアは、索敵魔法のことは話さず、そう説明した。

 この街道を何度も利用する者たちは、砂漠に住まう者たちの実力を良く知っている。こうした洞察力などには、これまでも大いに助けられている。それに、アクエイス出身で、ジャマダハル持ちで空間を渡る技術を持っているということだけで、ファルアスタシア流の優れた剣士であることはすぐに解るのだ。だから、マリアの言葉を誰も疑いはしない。

 キャラバンリーダーの判断も速かった。マリアの意見をすぐに聞き入れ、すぐに出発することを宣言した。


 夕刻。

 沈みかけている眩しい夕日の中、宿泊地となる町が見えてきた。

 プロシェッツァ。南方を草原と田畑、北方に砂漠がある農業都市である。

 元々は、西方の町近くに龍族が舞い降りたことで逃げ出した一族が切り開き、いつしか町に発展したというのがこの町の始まりである。

 この当時の龍族は、人間に敵対する派閥と共生する派閥と、真っ二つに分かれて争っていた。舞い降りた龍族はその争いに疲れ果て、大陸を離れてこの地にやってきたらしい。龍族は、人々たちとの共生を求める派閥の者たちだということはすぐに知れ渡り、襲撃だと勘違いしていた者たちとも、すぐに和解できた。

 その後は、町を魔獣などから守るため、そして農地を開墾する手伝いをするため、何人かの龍族が派遣された。そして人々と交流し、そのまま定住するようになった。そしていつしか血が混じり合い、子孫にその力と考え方が継承されていった。

 それから広大な農地が切り拓かれ、そして東西の街道が整備されていく中で、一大農業都市として、そして大きな宿場としての確固たる立場を築き上げた。

 現在では、周辺の町に留まらず、バース王国やデニアス王国の首都にまで、この町ならではの特産物を送り届けているほどに発展した他、ガドネア中央街道の要衝ともなっている。

 とはいえ。

 今現在は、当初の旅行者を遙かに超える人数となっているので、宿の部屋が足りない状況が続いている。野宿になるほどではないにしろ、部屋を選べないことも多い。そのため、新しい宿屋が求められているところだ。

 その煽りを受けてしまうのは、警備担当の冒険者達だ。

「すまんが、二人で一部屋となる。男女で分けるのはちょっと難しい」

 宿の主人は、アーサー達が入ってくるなりすまなそうな顔でそう話してきた。二人は顔を見合わすが、二人にとってそれは問題は無い。

「それなら大丈夫だ。俺たち、その…」

「ま、まあ、恋人同士だし?」

 二人照れて、余計な一言をマリアが添えて大丈夫だと話す。

「それなら話は早い。なら二〇三号室でも大丈夫か。こっちが勝手に決めたから、料金は少し安くしておくよ」

 掲示された料金に二人は納得し、鍵を受け取った。

 二階に上がり、部屋の鍵を開ける。戸を引くとやけに重い扉だという印象があり、そして実際に今まで泊まった宿よりも分厚い作りの扉だった。戸を開ける際、引きが重かったため壁に手をついていたが、その壁も今までの宿と比べ、こちらも分厚い。よほど頑丈に作られているのか、と最初はそう考えた。

 そして、部屋に入るなり、アーサーは手にしていた荷物をどかっと落とす。いつもは荷物を乱雑にする人物ではないのだが、それだけ驚いたのだ。

 マリアもマリアで、顔を真っ赤にさせて沈黙してしまった。

 部屋には小さなテーブルが一つと椅子が二つ。荷物を置くスペースも広く、ここが二人部屋であることは間違いない。ただ、大きめの丸いベッドが一つで、枕は二つ。ベッドの側には、綺麗に洗ってあるぼろ切れが籠に入れられていた。冒険者の宿では、武具を手入れするためにサービスで置いてあることはあるが、普通は一人一枚の計算だ。だが、ここは一〇枚近くも置いてある。

 それで気付くことがあった。扉も壁も分厚いのは頑丈さを求めたわけではなく、音が漏れにくくするためではないかと。つまりは、この部屋なら多少騒いでも外に音は洩れない。男女で寝所を共にして騒ぐといえば、それしかない。そのために用意された部屋だということだ。ぼろ布で拭くものも、想像に難くない。

 通常、冒険者の宿にはこんな部屋は用意されていないものであり、面食らうと同時になんでこんな部屋がと、二人とも二重に驚いている。

 我に返ったアーサーはぎこちない動作で荷物を拾い上げ、マリアに視線を移す。それと同じタイミングでマリアもアーサーを見上げ、より顔を赤らめ、すぐに視線を逸らした。そう言う仕草こそよりアーサーをかき乱すものだが、さすがに余裕がなさそうなマリアだった。

「と、取りあえずここで固まっているのもあれですから、ななな、中に入りましょう……」

 マリアはアーサーの手を引き、部屋の中央まで進んだ。扉は自然に閉まり、ごすっと音を立てて閉まった。

 ゆでだこ状態になったマリアは、それでもアーサーに向き直り、顔を上げる。潤んだ瞳は何かを訴え、アーサーはそれに的確に答えていた。


 結局二人は、この部屋を正しく利用した。


 ほどよい疲れが二人を支配し、二人はまどろんでいた。

 その時、不意にマリアの荷物から強い魔力反応が発生した。マリアは荷物を手探りで引き寄せ、その反応があったものを取り出す。

 マリアとファーネルから預かった、ミリアの角笛だった。通常であればペンダントなどに加工して肌身離さず持ち歩く品なのだが、その時間がなかったため、小さな布袋を購入し入れている。

 マリアが角笛を取り出し、自身の魔力を注ぐ。すると、手にするマリアにだけ、角笛の主の声が脳裏に流れ込んできた。

『聞こえますか?』

「はい、よく聞こえます」

『その声は、マリアさんですね』

 ミリアの声は、アーサーには聞こえない。

「ミリアからか?」

 マリアは頷く。

『アーサーさんは近くにいますか』

「うん、隣に寝てい…じゃなくて隣にいますよ?」

『………』

「な、なんでそこで無言に……」

『えっと、その。この角笛というものは、従者が主人の身を守ること、病気などをいち早く察するためにですね? その、手にしている人の健康状態などがすぐに伝わるようになっているのです。いえ、本来は主が持つべきものなので、こうした誤爆もあるわけでその……』

 ミリアがしどろもどろに、角笛の機能の一つを開示した。それ自体は有用なものなのではあるが。

 つつー、とマリアの頬に汗が垂れる。それは決して暑かったからではない。

『おめでとうございます?』


◇


 ミリアは角笛に魔力を注いでしばらく、角笛に魔力が注がれたことを確認した。すぐにその相手が誰であるのか、すぐに把握できた。この角笛は、注がれた魔力から相手方の健康状態を知るため、様々なバイタル情報が流れてくるのだ。

「聞こえますか?」

『はい、よく聞こえます』

 角笛所有者の声は、ミリアの頭の中にしか聞こえなない。そのためファーネルは、ミリアが部屋の隅に焦点も合わさず話しかけているというシュールな姿を見ていることになる。

「アーサーさんは近くにいますか?」

 と発言したところで、マリアの詳細情報を全て受け取り終わった。そこで、ふたりの仲が進展したその証拠をつかみ取ってしまった。二人をくっつけようと考えていたミリアだが、知らぬ間にそこまで進んでいたことに驚くのだが、さらに連絡を取る直前にも、そういった行為をしていたことに、言葉を失っていた。

『うん、隣に寝てい…じゃなくて隣にいますよ? …………な、なんでそこで無言に』

 今後のことを踏まえると、ここは正直に話しておいた方が良いだろう、とミリアは考える。ミリアはファーネルと一度視線を交わし、すぐに念話へと戻る。

「えっと、その。この角笛というものは、従者が主人の身を守ること、病気などをいち早く察するためにですね? その、手にしている人の健康状態などがすぐに伝わるようになっているのです。いえ、本来は主が持つべきものなので、こうした誤爆もあるわけで………なんといいますか、その、……おめでとうございます?」

 念話が一瞬途切れた。おそらく向こうでは大慌てなのだろう。

「ぷっ」

 ミリアは吹き出していた。

「何がおめでとうなんだ?」

「いえ、後で説明しますね」

 ファーネルが尋ねるが、丁度その時念話が回復した。

「こほん、気を取り直して」

 ミリアは、今日までの道のりで、一切新しい情報がなかったことを説明する。すると、マリア達からも同じ状況であるとのことだった。旅の目的である情報交換はそれだけで終わりである。

「ファーネル、なにか聞いておきたいことはありますか?」

「そうだな、アーサーは暑いのにてんで弱いから、健康管理はしっかりしろと伝えてくれ」

「解りました。……ファーネルからの伝言、アーサーさんは暑いのに弱いので、健康管理には気を付けてくださいと」

『解りました』

「話は変わりますが……」

 そこからは、女性同士の雑談が始まった。少しぐらいは良いだろう、とファーネル、そして遠く離れたアーサーもそう考えていた。

 マリアがバジリスクやサンドワームの話を切り出したときに、それにかなり食いついた。サンドワームはコカトリスもよく食べる魔獣で、龍族はコカトリスをご馳走とする。他三人も、あの時初めてコカトリスを食べて、とてもおいしかったことは覚えているが。ミリアは、そこから食べ物の話に花を咲かせた。それも見事な大輪を。もう、なかなか終わりそうにない勢いだった。放っておけば深夜まで続いてしまいそうなぐらいだった。

 北部街道は大回りな分、出発時間は早い。そのため早寝早起きが推奨される。既にファーネルが考えていた就寝時間も過ぎてしまったことで、ファーネルはミリアを無言で睨む。

「うっ……」

『う?』

「いえ、ごめんなさい。長々と話し込んでしまったようです。ファーネルがなんかすごい目で睨ん……、こ、今晩はこの辺りでおやすみなさいっ」

 ミリアは、慌てて念話を停止し、取りあえず焦り混じりの笑顔をファーネルに向けた。

「明日の晩も長々と話したらお仕置きだからな?」

「お、お仕置きっ……」

 ビクッとミリアは身体を震わせ、押し黙ってしまった。

「明日も早い。早く寝ろ」

 ファーネルはふてくされるように布団へともぐり、ミリアも魔法のランプの明かりを絞り、部屋を暗くしてからベッドに身体を横たえた。

 ただ、今までにないぐらいに胸が高まっていた。

 ファーネルからのお仕置きという言葉が、妙に胸をざわつかせるのは最初からだ。それ自体は不快な気持ちではないのだが、何をどうしたらよいのか解らないという焦りみたいなものも同時に感じていた。深呼吸してそれを無理矢理落ち着かせ、強引にでも眠っておくことにしたのだった。


 一方。

「切れちゃった」

 マリアは角笛をじっと見ながら、呟いた。

「なんで?」

「ファーネルから早く寝ろってミリアが叱られたみたい」

 アーサーは、ファーネルと二人で旅をしてきた期間もそれなりに長いため、互いに性格を知る仲だ。ファーネルはちょっと融通が利かないところがあること、向こうの街道は朝が早いことなどから、彼がどんな態度に出たのかは容易に想像できた。

「あと、ごめんなさい」

「何が?」

「アーサーと私が、その。……え、えっちしちゃってること、ミリアにバレちゃった」

「……」

 マリアが先ほど慌てていたのはその事か、とアーサーは大きく溜息を吐いた。

「ま、まあ。そこはもう諦めよう。どのみち合流したときに、付き合い始めたことはふたりに話すつもりだったから」

「……うん」

 角笛を布袋に戻したマリアは、それをカウンターに置いてアーサーにぎゅっとしがみつく。アーサーは、なんとなしにその頭に手を置き、優しくなで始めた。嬉しそうな表情で全身の力を抜いたマリアを愛おしく思いながら、そのまどろみに身を任せ、目を閉じるのだった。


 深夜。

「あーさー、ごめん、……ごめんね、……ごめん、なさいっ……ひぐっ……」

 嗚咽と共にマリアの謝罪の声が耳元で聞こえ、アーサーは慌てて身体を起こす。しかしマリアはそれには反応せず、ただ苦しそうな表情で涙を流し、眠っていた。さすがに心配になったアーサーは、マリアの頬に手を触れる。どう声をかけていいかは解らなかったが、それでも。

「大丈夫だ、安心しろ。何があっても俺がついている」

 まごうことなき本心を、伝えた。すると、マリアは苦しそうな表情を緩め、涙も止まる。

 一体どんな悪夢を見ていたのかは解らないが、自分の言葉に落ち着いた様子に安心し、マリアを優しく抱きしめた。

 最初は、スナー家の呪いがあることから、女性をなるべく近づけさせないようにしていた。だから当初マリアに対しても、同じようにやや冷たい対応を取っていた。だがマリアは、最初から彼の本心を見抜いていたのだろう。あっという間に懐に飛び込まれ、そして心を鷲掴みにされてしまった。

 こんなにも愛おしい。ただただそう思い、彼は目を閉じるのだった。


◇


 翌日。

 大あくびをしながら、ファーネルたちは馬車へ乗り込む。そしていつもの席に、今度はミリアが窓側となって着席した。ミリアは時々ファーネルの顔を伺うが、彼はむすっとしたままだ。そしてお腹がぐーっと盛大に鳴る。その様子に、ミリアは引きつった表情を浮かべた。お腹がすきましたね、とは口が裂けても聞けない。というのも……。

 起床した時間は、もうすぐキャラバンが出発しようという時刻だった。そのため慌てて準備をして操車場に駆け込んだのだ。とても朝食を食べるどころか買いに寄るという事もできなかったのだ。

 馬車は定刻通りに出発し、その振動が空きっ腹に響く。そして最悪なことに、ふたりの近くでパンを食べている老夫婦がいて、その匂いが漂ってくるのだ。ミリア自身も空腹を我慢しているが、さすがにこれはきつい。無言の圧をかけ続けるファーネルに、引きつった表情のまま、ミリアは一言もらす。しかも余計な奴。

「い、良い匂…じゃなくて良い天気ですね?」

「全くだ。これで雨なんぞ降られたら俺ぁぜってー爆発してるな。なあ寝ぼすけさんよ」

「あう……そ、それはファーネルも」

 実際寝坊したのは二人ともなのだが。しかし普段寝起きの良いファーネルのはずだが、この日に限って寝坊してしまったのはミリアが原因なのだ。

 夜、お花を摘みに起きて出ていったミリアだが、寝ぼけていた事もあるのだろう。戻ってきたときに、あろうことかファーネルの寝るベッドにダイブしたのだ、思いっきり。下敷きにされたファーネルはそれで一瞬で目覚めたが、ミリアはがっしりと布団をファーネルごと抱きしめてしまったことで、ファーネルは脱出することができなかった。結局その後ほとんど眠れておらず、それでも朝方あれで寝落ちしていたのが奇跡か不幸か、それで寝坊に繋がったのである。

 全面的にミリアが悪いことは本人も認めているので、取りあえず彼女は文句は言えないはずである。反論しかけたところでファーネルは睨み、ミリアは慌てて謝罪した。

「ごめんなさいごめ」

「お仕置きしてやる」

 ファーネルは、うわごとのようにそう呟き、ミリアはさらに顔を引きつらせてしまった。

 そして、パンを食べ終わった老夫婦は、二人を微笑ましく見守る。お盛んね、と。


 エルシェンドを離れたキャラバンは、幾度かの休憩を挟み、ドランティーを目指す。その休憩の合間に、ファーネル達は遅い朝食を頂くことができた。

「……うまい」

 と、ファーネルはしみじみと呟く。

 ここまでの一時間、ミリアは何度かファーネルに話しかけ機嫌を取ろうとしたのだが、その都度お仕置きという言葉が繰り返されてきていた。

「そうですね。確かにこれは絶品です」

 なお、ファーネルは食事を始めてからはすっかり機嫌は良くなった。

「因みに、俺は絶食三日当たりが限界だった。ミリアは?」

 そうですね、と相づちを打ってから。

「あの岩場で一週間何も口にできず、飢え死にか失血かどっちが先になるんだろうって朦朧と考えて居ました。健康であれば、食べないだけなら多分二週間以上は耐えられるかと思います」

 これだから人外は、とファーネルは考える。

 そういえばと、ふとミリアの顔をのぞき込んだ。

「な、なんですか? そう見つめられるとドキッとします」

 救出したときは、もっと顔がこけていたことを思い出す。少し太ったかという言葉は飲み込む。それは既に体感済だからだ。あのときは背負ってもずいぶんと軽い印象だったが、昨夜ダイブされたときの衝撃はずしっとくるものがあったのだ。比べるべくもない。

「ファーネル? 今かなり失礼なこと考えてません?」

「いや?」

 しらを切ってから一言。

「いつもうまそうに食べるなって見ていただけだ」

 これも事実ではあるのだが、話を逸らすには大成功だった。ミリアは顔を赤らめて逸らし、小さくバカ、と漏らすのだった。


 その後、サンドワームに囲まれて一回、珍しくデザートスコルピオ、そしてそれを上回る巨大なサソリ、グレーター・スコルピオに囲まれての戦闘を挟んだが、都度冒険者が駆けつけて駆逐し、予定よりも少し遅れて目的の町に到着した。

 ドランティーは、地下水脈の真上に発展した町だ。その豊富な水と、海に面した立地であることもあり、畜産と水産の盛んな町として発展している。

 加えて、ほとんどの家庭に水道が引かれており、宿も例外ではない。そして少し大きめの宿ともなれば、風呂が各部屋ごとにあるという贅沢な所すらあるのだ。

 その贅沢な宿に、ファーネル達は宿泊することとなった。

「……グレーター、様々ですね」

「だな」

 魔獣や魔物の中には、突出した大きさと強さを持つものが突然現れることがある。それらはグレーター級と呼ばれている。グレーター級はただ強くなっただけではなく、高い知能も持っており、群れを率いるリーダー格となっていることがほとんどだ。それゆえ、経験の浅い冒険者とっては荷が勝ちすぎる相手であり、ベテランでも相手をするのは難しい。場合によっては、以前アーサーやファーネルが請け負ったような、特に強いと認められている冒険者への指名依頼として、討伐が依頼されるような個体もいるほどだ。

 今回道中出会ったデザート・スコルピオ、その親玉的な存在として、グレーター・スコルピオが何体も登場したのだ。通常なら、群れに一体が相場のグレーター級が何体もいる自体、異常なことではある。

 ひときわ大きな巨体で、全長全幅五フォーセル程度、高さ三フォーセル程度もあるとにかく巨大なサソリだった。ずんぐりむっくりながらも太い八本の足が、砂地という悪条件を意に介さず素早く駆け抜け、周りの冒険者は全く太刀打ちができない相手だった。

 それを。

 ミリアが放ったレーザー・ブレスは、ただの一撃で一瞬にして焼き払ったのである。ファーネルですら、開いた口が塞がらないほどの圧倒的瞬殺だった。魔物故に屍体は残らなかったが、今回は魔石がその中に構築されていたため、それが戦利品となった。

 魔石は、強力な魔物の体内に生成されるものである。小さな不純物を核に、魔素が結晶化したものと謳われているが、詳細は不明な点が多い。ただ、これに呪文を刻むことで、一定の効果を出力する魔導石に加工できることから、それなりの金額で取引されている。

 討伐依頼自体は請け負ってはいないが、実際に倒したのはミリアである。町に到着した二人は冒険者協会に立ち寄り、いつもどおりに龍族の動向を尋ね、討伐報酬と魔石の売却によりそれなりの金額を受け取った。

 そして、受け取ったお金をどうしようと考えたとき、どうせならというミリアの提案で、この高級宿、いや高級ホテルなのである。

 さすがに利用客は少ない。キャラバンの優等車両に乗っている家族が数組、ここに宿泊しているだけのようだった。

 受付を訪ね、手続きを行おうとする。すると受付がカウンターから出てきて、二人の荷物を持ちますよ、と手を差し出してきた。ミリアが困惑する中、ファーネルは一言。

「冒険者の装備だから、他の者には任せたくはなくてね。気持ちだけ受け取っておく」

 やんわりと断った。それでしたら、という感じで受付は持ち場へと戻り、書類をカウンターに並べて準備を始めていた。

 二人が受付に到着することには、万年筆やインクなども用意され、すぐに記帳できるように整っていた。

「ようこそ、ホテル・ガンツ・ハミルトンへ。どの様な部屋をご希望されますか?」

「そうだな。ミリア、要望は?」

 既に考えがまとまっていたミリアは、その要望を並べていく。風呂とトイレは個別で、小さな居間があり、ベッドルームにはツインで、と。

「畏まりました。三〇四五号室をご用意いたしましょう。大変失礼とは存じますが、お二人のご関係をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 聞きにくそうにする受付に、二人はほぼ同時に答えた。

「旅の仲間だ」

「夫婦です」

 ファーネルは顔を引きつらせ、ミリアは当然という表情だ。その様子に受付は苦笑いし、さてどうしましょうと考える。

「では、そのようにアメニティをご用意させていただきます」

 そう答えてから、一旦引き下がるのだった。

 受付が立ち去った後、ファーネルはミリアを睨み、ミリアは素知らぬ顔でそっぽを向いた。

「あれ絶対勘違いしただろ。本当にお仕置きしてやろうか? ああん?」

 小声ですごむが、ミリアは何処か勝ち誇った表情でファーネルに振り返った。

「そう思わせておいた方が得なこともあるんですよ」

 その笑顔に、ファーネルはどっと疲れを感じるのだった。

 部屋の準備が整ったとのことで、改めて部屋の鍵を渡され、三階まで案内された。

 部屋に通された二人は、ほお、と感嘆の声を漏らす。決して豪華でもないし派手でもないが、統一された美というものがこの部屋にはあった。飾られている調度品も派手でもなく地味すぎでもなく、この部屋にほどよく馴染んでいた。この部屋をコーディネートした人物は、よほど優秀な人なのだろう、と感じるところだった。

 失礼します、と受付は持ち場へと戻っていく。二人は部屋に入り、色々見渡してみる。

「……ふむ」

「ファーネル、田舎者クサいですよ?」

「どの口が言う?」

 最近の容赦ないミリアの言葉に、ファーネルはもう慣れっこだ。

「まあ、そんなことよりも、食事はレストランでしょうか?」

 荷物を置き、ローブを脱ぎながらミリアは尋ねた。

「まあ、せっかくだからな」

 ファーネルも鎧を外しつつ、答える。ローブをたたんでいるミリアの後ろ姿を見て、ファーネルは確信する。やっぱりこいつ太ったな、と。ただ、以前のガリガリなときよりも、今の方がらしい、と感じている。

「今、何か失礼なこと考えてませんでしたか?」

「そんなこと無いぞ?」

 しれっと答えるが、最近えらく鋭いな、と感じざるを得ない。

「……そうですか?」

 食が絡むと、ミリアはすこぶる行動が早い。あっという間に整え終わっており、ファーネルを今かと待ちわびていた。

 ファーネルは苦笑しながら整容を整え、ミリアが冗談で出してきた手を取り、レストランへと向かうのだった。


 味は、とても美味しかった。ただ、ミリアがナイフなどを使うフォーマルな食事形態を不得意とすることが解った。単純に両手とも不器用で、道具をうまく使いこなせていないという印象なのである。そこで、ファーネルはミリアが文字を書いているところを一切見かけていないことに気付いた。

 部屋に戻る途中、それとなく尋ねてみたのだが。

「文字ぐらい書けますよ? 一応これでも、不本意ながらデリシア国立学園卒業していますので」

 学園自体はディトリア・クレール大陸の中でもかなりの名門なのだが、それを『デリシア』という国名がついているだけで不本意というのがミリアらしい。

 ミリア達龍族と、デリシア王国との間に何があったのかは、ファーネルもユニス王立学園時代に勉強したことなので、良く知っている。その頃を回想しかけたところで。

「そういうファーネルこそ書けますか? 『鬱』って」

 ミリアが煽ってきた。世界で使われる共通言語でも、特に難しい文字だ。空中にそらんじて書いて見せるミリアの、その笑みが小憎たらしくなるが、我慢するのだった。

 部屋に戻ると、お風呂は先にファーネルが入って、とミリアが勧めた。女性ファーストだろ、と話すが、ミリアは首を振った。

「寝坊させてしまったので、せめて今日の一番風呂ぐらいは譲ってあげようと」

「……まあ、そうだな」

 既にその事はもうどうでも良くなっているファーネルだが、好意はありがたく受け取っておくことにした。

 久しぶりの風呂に、ファーネルは念入りに身体を洗うことができた。余り時間をかけるのもどうかと思い、早々にミリアと交代することにした。

 風呂から出た後は、備え付けの寝間着に着替える。そして居間に戻ると、ミリアはファーネルのその姿を見て固まり、見上げていた。

「……どうした?」

「い、いえっ、入ってきますね」

 ミリアは慌てて風呂場へと入っていき、バタンと言う音を立てて扉が閉められた。いつになく照れていた様子だが、一体何だったのだろうか、と考えるも、理由は分からない。

 最近、ミリアを一人にして戻ってきたとき、このような反応を示すことが多いのだ。何か思い詰めているようでもあるが、友人や敵のことを考えて沈んでいるのとはまったく違っていた。

 お湯の流れる音などが響いてきて、どうやら身体を洗い始めたことが解る。

 これは、とファーネルは表情をしかめた。自分の時もこうやって音が筒抜けだったのか、と。これは普通に恥ずかしく感じられた。そしてミリアも先ほどの反応を見る限り、これで照れてしまっていたのではと考える。が、既に知っていてなお、水音を立てているのだ。ミリアが今一体どんな顔をしているのか。興味深げではある。そう考えるに到り、自分も相当助平なこと考えて居るな、と自重するのだった。

 水音も無くなり、しばらく無音があって。ミリアはゆっくりと脱衣所から現れた。

 タオルに身体をくるみ、上気だつ頬を赤らめて。

「……ミリア?」

「あの、……今日、私をお仕置きするんですよね?」

 ファーネルは思考が停止してしまった。

 ミリアは、タオルの下にはおそらく何も身につけていない。先ほど下着を持っていなかったことからそれは明白である。その時はからかってやろうかとも考えていたのだが、その台詞に思考を奪われてしまったのである。

「……あの?」

 ミリアが首をかしげたところで、ファーネルは思考を取り戻した。

 確かに先日よりお仕置きと連呼しているが、あれは全て冗談である。そう言えばミリアが黙ってしまうため、調子に乗っていただけに過ぎないのだ。

「じょ、冗談だぞ?」

 慌ててファーネルは弁解するが、その瞬間ミリアの表情が歪む。怒りのそれに。

「……ファーネル?」

「いやその、すまん」

 ファーネルの謝罪に、ミリアはしばらく黙り込む。そして不意に笑顔になり、のたまった。

「ファーネルにはお仕置きが必要ですね」

「や、その? なんだ? 話せば解る? だろ?」

 じりじりと迫るミリアに、ファーネルは後ずさる。そしてベッドに足を引っかけ、床に転倒した。その瞬間ミリアが一気に間合いを詰め、ファーネルに馬乗りとなり、その肩をがしっとつかんだ。

「まてまて、悪かったから、何をする気かは解らんが勘弁してくれ、な?」

 慌てて謝罪をするファーネルだが、ミリアは上から不敵な笑みをこぼす。

「だーめ。お仕置き、受けてもらいますからね」

 ミリアは右手を振りかぶり、拳を握る。

 ファーネルは逃げ場がないことを覚悟し、ぎゅっと目を瞑る。

 そして次の瞬間、彼は予想だにしなかった衝撃に目を見開いた。眼前にはミリアの強気な目があり、それだけが視界を埋めていた。ファーネルは身体を離そうとするが、頭の後ろに回されたミリアの手によりがっしりと固定され、頭を動かすことすらできなかった。

 口と口が離れ、ミリアはファーネルを見下ろす体制に戻る。突然のことで呆然とするファーネルに、ミリアは。

「前にも約束しまたよね。ヤー・クリェヌースィ・スダヴォーリストヴィエム、アトダーチ・ジーズニ・ザヴァース、って」

 それは、角笛を作るときの契約の言葉だ。ミリアが復唱してと言ったから、その言葉を聞き取れたとおりに復唱したに過ぎず、ファーネルはその意味を今だ知らない。

「……それはあのときの言葉だな?」

 こく、とミリアは頷くが、あることに気がついた。

「ファーネル、もしかしてまだ意味が分かっていないのですか?」

「知らんぞ? 俺もろくに古代語を習ったわけじゃないからな」

「……ええ?」

 ミリアはショックを受けていた。そしてさらに追い打ちをかけるように。

「教えてくれ、どんな意味か。そして今お前が取った行動とどう結び付くのか」

 本当に何も知らなかったんだな、と。そんな彼の言葉に、落胆すら感じた。だが逆に、これはチャンスでもある。

「解りました。……仕方ないですねファーネルは」

 くすり、とミリアは微笑んで。

「あの古代語の意味は、私は、喜んでこの命をあなたに捧げます、となります。言い替えれば、私は心からあなたをお慕い申し上げます。これはあのときも、そして今の私の本心でもありますよ?」

 ファーネルは、彼女の言葉に瞠目する。そういった意味があるのかと、それはまるで、愛の告白ではないか、とも。

「てっきりあの誓いの義が成功したものですから、ファーネルも私のことをちゃんと想ってくれているものと思って、あれだけアッピールしていたのに、……私の気持ちにも全然気がついてくれなかったのですね?」

 不意に、ファーネルはミリアの不穏当発現が脳裏に浮かぶ。

 夫婦とか、子供がどうとか。好きとか嫌いとか等に越えた次元の話だが、つまりはそういうことだったのか、と今更ながらファーネルは気付く。

「す、すまん。いつもの不穏当な冗談かと考えていたんだが」

 そこまで想われていたことに、ファーネル自身は嬉しくもあるが、同時にミリアも悪い、と感じざるを得ない。

「ならせめてもっと解りやすくしてくれたら」

 ファーネルの言葉に、ミリアはしばらく黙ってしまう。少しだけ憂いを見せて語る。

「もうだめかと思っていたときに、あなたに助けられました。その時私はあなたに恋をしました。一目惚れです。それから旅を続けていくうちに、想いがどんどん膨れ上がってきました。本当は友人達を見つけた後、色々片づいてから想いを伝えようと考えていたのですが、我慢できなくなりました。私は、あなたのことが好きです」

 ついに思いを伝えた。ファーネルはただ黙って、ミリアの言葉をゆっくりと受け入れていく。

 これまでのミリアの言葉を反芻してみた。色々すっ飛ばして、夫婦でありたい、子供が欲しい、そんなところに飛躍していたことにようやく気付く。

「なあ、本気か?」

 こく、とミリアは頷く。顔を真っ赤に染め、女の子らしく照れていた。

「お前、アホだろ?」

「え。……アホ? 言うに事欠いてアホ?」

 ファーネルは、夫婦などと言われて、否定しながらもまんざらではなかった。気がついたときには既にミリアの不穏当な冗談を受け入れていた。時折逆襲をしてミリアを照れさせたりと、そんな感じで冗談を言い合ってふざけていた。ただ、その言葉の節々に本気を込めて。

「ああ。そして俺もアホだ」

「……ファーネル?」

 気がつけば、ミリアの腕の力は抜けていた。ファーネルは力を入れれば、ミリアを容易に撥ねのけられる状況にはなっている。だが、彼はそうしないでいた。

「何というかさ、俺もミリアと同一だな。ほらあれだ。好きな子に対して悪戯するって奴」

「うん?」

 意味が分からない、という体でミリアは頷くが、何となく気付くものがあった。最近特に口にするようになった、お仕置きという言葉。ミリアがちょっとビックリして黙ってしまうだけだったのだが、それに調子づいてファーネルが最近連呼し始めたことだ。その言葉自体に本来の意味は無く、ただの脅し文句に過ぎない。ただ、そうしてビックリするミリアの様子が、たまらなく可笑しくて、そして好きになっていたのだ。

「お、お仕置きって言葉、そういう意味だったのですか!? それこそ解りませんよ! そんな、ファーネルも私のことが好きだなんて……」

 ミリアはおもしろいぐらいに狼狽し、身体をくねらせている。そのままでは色々危ない状況だが、本人は構ってられない様子だった。

「……まあ。可愛いなってところで」

 ぼんっと音が響くと同時に、ミリアは顔を完全に真っ赤にさせてしまった。それでも視線はファーネルから離さず、じっと目を伺う。

「りょ、両思いと言うことで間違いはないですよね?」

「ま、まあ」

 ファーネルは曖昧に返事をしたが、表情を引き締め、改めてミリアに言葉を伝える。

「俺はお前のことが好きだ」

「……私も、あなたのこと、ファーネルのこと、大好きですよ」

 ミリアは身体を傾け、ファーネルと口づけを交わす。今度は強引なものではなく、優しくついばむように。一度離れ、もう一度。

「……あの、ごめんね?」

 ミリアの口調が、少し変化した。親しみを込めての崩れた言葉遣いだ。

「何のごめんか解らないが?」

「えっと、もうずっと前から我慢できなくて」

 言いながら、ミリアはファーネルの服に手をかける。

 何が、という野暮なことはもう聞かない。ファーネルは頷き、彼女のその頬に手を伸ばすのだった。


 ホテルをチェックアウトし、二人は並んで操車場へと急ぐ。とはいえ、まだそんなに遅くはない。

「ファーネル、どうしてそう急いでいるのですか?」

「ん? 何となく。強いて理由を考えるとするなら……」

 ファーネルは歩きながら考えるが、結局何も思い浮かばなかった。強いて挙げるなら。

「馬車乗り込む前に、並びたくはない、って事ぐらいだな」

「なんですかそれ?」

 ミリアはファーネルの答えに、屈託のない笑顔で答えた。こんな笑い方もできるんだな、とそんな笑顔に、ファーネルは改めてドキッとさせられた。

「?」

 ミリアは首をかしげるが、ファーネルは顔を逸らした。何処か照れくさくなったからである。

「あれ? なんで照れてますか? まだ私何もアッピールしていませんけど?」

「何でも無い」

 ミリアは、ファーネルの前に回り込み、そこで二人とも足を止めた。

「ファーネル」

「……なんだ?」

「大好き、です♪」

 そう言って屈託泣く微笑むミリアに、ファーネルは照れてしまうのだった。

「や、やめろ、お仕置……いやその」

 そのお仕置き発言すら、今はもうただの失言だ。ミリアの屈託ないと思わせた笑顔、その瞳が妖艶に輝く。

 今晩、どうなるのだろうかと、ファーネルは焦りの表情となるのだった。


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