第一章~アーサーとマリア~
ガドネア歴 九七五年 四月後半 マリア・ファルアスタシア
最近カレンダーを見ていないため、日時が曖昧なのはご容赦を。
さて、私たちは無事にバース王国に到着しました。アーサー達は何度か来たことがあるらしく、多少の地理は把握しているそうです。町の中心部にさしかかったあたりで馬車を飛び降り、私たちは早速宿を決めました。
宿は、四人用の一室。小さなリビングがあり、さらに狭い寝室が二部屋。寝室にはベッドが二台ずつ。いつものように男女で分ける予定。そこは常識的に考えればその通りなのだけど、アーサーと恋人になってから、より一層好きが大きくなって、もっと長い時間一緒にいたい、そう思うことが増えてしまいました。……アーサーのことが好きになったのは、妹が先。先に彼とキスをしてしまったのは私の方で、なんだか抜け駆けしてしまったみたいで少し罪悪感はあります。それでも心も身体も共有しているので、妹の方はあっけらかんとしています。
それから、この先は二組に分かれての旅路となるため、ミリアが一つ提案をしてきました。確かにその方法ならずいぶんと楽になりますが、でも、あなたの気持ちは、と考えずにはいられません。
第一章~アーサーとマリア~
宿を確保し、一服する四人。この先については、客として乗るか、それとも護衛の任として乗るかはそれぞれの自由としている。客として乗れば料金を支払う必要があるし、自分らがなまじ強い冒険者であるため、戦いが不利な状況になれば助け船に出る必要がある、無償で。しかしこの先の宿はしっかりと確保されているので、そこは安心材料だ。旅をする上では、やはりしっかり眠ることが大事だからだ。
対して護衛として乗れば、報酬が貰えるが襲いかかってくる魔獣や魔物を、先頭を切って追い払う仕事をしなくてはならなくなる。戦闘が長引けば馬車便に遅れが生じてしまうため、迅速かつ確実に、が求められる。また宿泊地の宿も自分らで確保しなくてはならないなど、報酬以外のところが存外面倒だ。
バースまでの二泊三日を振り返る。アーサーとファーネルは馬車の護衛にも慣れているため、特段これといった問題点はないが、さすがに女性陣二人は冒険者資格を取って間もない新人だ。色々勝手が分からなかったこともあり、表情に疲れが見て取れた。
「さすがに疲れました。こんなつらい仕事を平気な顔して受けるファーネルはドMなのですか? それともその過酷に私たちを引きずり込んでほくそ笑むドSなのですか?」
ミリアが吠える。最初に出会った頃の物静かさは全くなくなり、ファーネルに対しては益々突っかかるようになっている。元々ミリアは話し好きの快活な方だったらしい。その態度の節々に情緒不安定さが滲んでいるが、今のところはこれで収まっている。油断はできないが、ここは静かに見守ろうと、ファーネル達は考えている。ただ、答えにくい詰問だけは勘弁してと、ぶつけられるファーネルにとっては悩みどころではある。ただ最近、『お仕置き』をちらつかせると妙に静かになってしまうことを発見したファーネルは、最近これを多用してミリアを黙らせることに成功している。逆に、あまり多用しても効果がなくなる可能性もあるな、とも理解しているため、よほどの時の切り札としているのだ。では今回のようなこれに対して、ファーネルはどう切り抜けるかというと。
「……あのなミリア。お前の旅の目的は?」
至ってシンプルに、正論をぶつける。
「それは……」
急に静かになり、しゅんとなってしまうが、敢えてここは言い聞かせておくことにした。
「お前の親友の捜索と、敵に下った兄の捜索だろ?」
それまでの馬鹿騒ぎが一点、全員黙り込み、ミリアの次の言葉を待つ。しばらくしてから、ぽつり、ミリアが本音を吐露した。
「……忘れているわけではありません。……別のことを考えていないと、張り裂けそうなんです。バカみたいなことを言って、バカみたいに騒いで、気持ちを誤魔化そうとしているだけです」
ミリアはファーネルを見上げる。その瞳は、不安げに揺らいでいた。
「龍族はたしかに敵と定めた存在に対しては徹底的です。ですが、私にとってはたった一人のお兄ちゃんだった人です。そんな人を、この手で……」
ミリアは、両手を胸元にまであげ、拳を握る。力が入りすぎ、ぷるぷる震えさせながら。彼女は、今まで隠してきた本音を、漏らす。
「一緒にいろんな所に遊びに行って、勉強もして、将来の夢を語り合った親友の行方も解りません。私たちに使えてくれた侍女三人は死にました。……悲しくないわけ、無いじゃないですか!!」
大声を上げた瞬間、ミリアは大粒の涙を飛ばす。そのままファーネルの胸に飛び込み、声無く泣き出した。
ファーネルは悲痛な表情となり、ミリアの肩に手を置いた。
「……すまない。軽率なことを言った」
ミリアはぷるぷると首を振り、ファーネルは悪くない、と涙声で答えた。
しばらくして、落ち着いたミリアはファーネルから身体を離す。頬を染めながらそっぽを向き。
「お見苦しいところをお見せしました……その、ありがとうございます。大分気持ちが軽くなりました」
「そうか」
「ですが一つだけ不満があります」
ミリアは、耳まで真っ赤にさせながら。
「肩に手を置くのではなく、男らしくぎゅっと抱きしめて貰いたかったです」
「……」
ファーネルは言葉を失う。この期に及んでまた馬鹿話か、と。ファーネルの目つきがちょっと怖くなったところで、ミリアは残念そうに身体を離す。
「一つだけ、わがままを聞いてくれますか?」
ファーネルは、その言葉に少々不安を覚える。
この数日の間に、ミリアの発言は不穏当なものが結構多くなった。それこそバカみたいな発言を、の一環だと思われるが、しかし本当に困る発言はいくつかある。
龍族は、気を許した相手に対して限定だが、性的な事柄については結構緩い。これは以前から言われていることで、ミリアに限った話ではないのだが、そうした発言が、ファーネルに向けて発せられるようになった。これ自体は親睦が深まったことの証左ではあるのだが、どこまでが冗談でどこからが本気なのか、一切見えないので、いつも返答に困るのだ。
「ま、まあ、……俺ができる範囲なら」
そのため、ある程度の予防線は張る。一線を越えた願いであれば、これで断ることができる。
ミリアは、深呼吸して、気分を落ち着かせる。そしてファーネルの目を見つめながら、龍眼を少しゆらして、その願いを言葉にした。
「私の角笛を、受け取ってください」
「……角笛? もっととんでもないことを言われるかと思ったんだが、まあ、それぐらいなら」
ファーネルたちは、龍族についてあまり細かいことは知らないし、ミリアはそれを承知の上で話した。
「解りました」
ミリアは微かに微笑み、小声で古代語の呪文を唱え始めた。すると小さな力場が発生し、魔法陣を形成する。ミリアの掌よりも小さなそれらは、彼女の身体の周りを揺蕩う。
ファーネル、手を握ってください。
「……こうか?」
差し出された両手を、両手で包み込むように握り返すと、ファーネルの身体の中に彼女の魔力がゆっくりと入ってくるのを感じた。
ピクリ、とミリアが反応をする。それが妙に扇情的だった。一瞬戸惑ったファーネルに、ミリアは目を開く。
「ファーネル、私が紡ぐ呪文を反芻してください」
「ああ、わかった」
ファーネルが頷くのを見て、ミリアは呪文を唱え始めた。
「Я клянусь с удовольствием , отлать жизнь за вас」
「えっと、ヤー・クリェヌースィ、スダヴォーリストヴィエム、…アトダーチ・ジーズニ・ザヴァース」
古代語を正確に理解しているマリアは、その意味を知り、少し目を見開く。そんな中、二人を包む力場が変化し、ミリアは苦痛の表情となった。
そしてぱき、と乾いた音が響き、力場が一気に霧散していった。
二人が重ねる手の中には、いつの間にかそれが握られていた。
「……私と、ファーネルを継ぐ角笛です」
「あ、ああ。……て、おい? 血が流れてるぞ!?」
ファーネルは慌ててミリアの頭に手を伸ばす。ミリアの頬に血がしたたり、顎を伝って床へと数滴落ちた。その表情は痛みに歪んでいるが、それでも微笑もうとしていた。
「当然です。根元から角をへし折っていますから」
「治すぞ。エクス」
治療魔法を唱えようとしたファーネルを、ミリアはその手で制止した。
「……大丈夫です。そのうち生え替わりますから。今はこの痛みすら、心地よいものです」
ファーネルはその発言に、驚き半分、やはりそうなのかという妙な納得感を感じ、思わず一言漏らしてしまう。
「……やっぱりMなのか?」
「そういう意味ではなくてですね!?」
当然反論する。ミリア本人は、そんなつもりはないのだから。そして一呼吸つけて落ち着かせて、その理由の一部を話した。
「……いえ、あなたに角笛を渡す日が来たということがとても嬉しい、それだけのことです」
ミリアは、顔を赤らめ、そっぽを向く。その様子に、ファーネルは何かとんでもないことをやらかしたのではないかと、そんなことを考えてしまった。
「それはそれとして。角笛は長距離の会話ができる手段となります。私の感覚としては、……そうですね、あの水道橋のあった町、……ここからならあの町付近までなら、この角笛を介して会話ができます。地図を見た限りでは、北部街道が一番北を通るあたりでは難しいかも知れませんが、大凡の地点では中央街道のお二人と会話できると思われます」
ミリアは、ぬれタオルをマリアから受け取り、顔を拭う。そしてそのタオルに目を落として、その汚れ具合にミリア自身が驚いていた。結構出血していたのか、と。
顔を拭うところで一度会話を中断する。そのタイミングで、マリアが質問した。
「角笛はファーネルが契約したものだとして、それを他人に渡しても良い物なの?」
マリアは、唱えた呪文の内容から、ミリア本人と契約したファーネルにとってはとても大事な物であることを理解している。そのような品物を、預かって良いのかというものだ。
「はい、角笛には私の魔力と呼応して遠距離での会話ができること、私が角笛の在り処を正確に感じることができるぐらいです。これ自体に契約者を拘束することはできないです。ぶっちゃけ、ファーネルに持たせておけば、ストーキングをする上ではこの上なく便利なアイテムではありますが」
「おい最後」
ミリアの言葉に、尽かさずツッコミを入れるファーネルだった。そして、結果賭しては、やはりとんでもないお願いだったと後悔するファーネルだった。
「因みに、さっきの呪文の意味は?」
「そうですね、……今はまだ教えません」
「……すっげえ心配になるんだが? 俺は一体ミリアとどんな契約をしたことになってるんだ?」
唯一古代語を理解しているマリアに内容を尋ねてみるが。
「ファーネルが心配するような内容では無いですけど。……むしろそこまで想われてることを自覚した方が良いよ?」
前半姉が、後半妹が答えた。どちらも意味深にほくそ笑みながら。
「……いや、余計に心配になるんだが?」
今度はアーサーに助け船を求めるが、アーサーは古代語をほとんど理解していない為、諸手を挙げるのみだった。
「で、ファーネルをストーキングするためにせっかく作り出した角笛ですが、これはマリアさんに託します。必要なときにだけ連絡をして頂ければと思います。その、お二人の時間を邪魔するのも悪いですし」
ミリアは、手にしていた角笛を、マリアに手渡した。マリアは改めてそれに目をこらす。
長さ二フォーネル程度の円錐形をしているものだ。角笛とはいうが、本当にただ折れただけの角でしかない。これに魔力を込めて口づけを行うことで、霊的の繋がりがあるミリアに伝わるようになっている。その姿が小さな笛を吹いているように見えたことから、いつの時代からかは分からないが、そう呼ばれるようになった。
会話はその霊的な繋がりを経由して行われるため、魔力もさほど使用しない。
使い方は解ったが、マリアはどこかはずかしそうにする。
「お、女の子同士でそんなことしちゃっても、良いのかな?」
「おませか!?」
ファーネルがミリアの時と同じような鋭いツッコミを入れる。
「はぅっ」
マリアのその言葉に、ミリアも何処か恥ずかしそうにする。
「そ、そうですよね。……ええと」
そのまま頬を両手で隠し。
「女の人同士で忠誠を誓うという意味でも割と頻繁に行われるのですけど、……な、なんでこんなに恥ずかしくなるのか、意味が分かりませんよ。……それはそれとして、ファーネルはやっぱりえっちです」
「何でだよ!?」
相変わらずツッコミが冴えるファーネルに、その騒動に苦笑するアーサーだった。
翌朝。
一行は操車場にいた。既に冒険者協会事務所を訪れ、昨日の便の報酬と、今日の便の護衛依頼を受けている。結局二組とも、護衛依頼を兼ねての移動とすることにした。懐に余裕はあるが、稼げるときは稼ぎたいと言うこともある。何より、女子二人とも、護衛の仕事がどんなものなのか、体験してみたいという要望もあったのだ。
「じゃ、おさらいしよう」
アーサーは、それぞれの街道における宿泊地を述べていく。
北部街道。カンターレル、エルシェンド、ドランティー、サルーア、クレイア村、そしてデニアス王都。
中央街道。アクエイス、プロシェッツァ、ハルシェフスカヤ、ノリヴァフスク、カンターリエンキェ、そしてデニアス王都。
どちらも五泊六日、丁度一週間の行程であるが、北部街道は大回りしている分距離が長く馬車の速度も速い。昔のことを考えれば、馬も品種改良され、馬車も新技術が投入されて速度アップと乗り心地の改善などはされているが、それでも中央街道よりも大変な行程になる。
本当に良いのか、とアーサーはファーネル達に尋ねるが、逆に暑さに弱いアーサーが北部街道だと死ぬぞ、とまで言われてしまう始末である。北部街道は熱帯地方を横断するため、年間を通して気温が高い。そして道中砂漠が続くので、実際に暑さのために死人がでている。ファーネルの忠告は、わりと本気だ。中央街道も砂漠を横断するが、北部よりは幾分ましな気候だ。それでもアーサーにとってはきついかもしれないが。
「ま、そういうことでお前らは中央を進んでくれ。俺らは北部街道。何、民間人だって普通に旅をしているんだ。暑さ以外ならそう大変でもないだろう」
ファーネルの言葉に、アーサーは従うことにした。
その一方で、女性二人もまた、つかの間の別れの挨拶を交わしていた。
「……という感じで、角笛を活用してみてください」
「うん、解った。明日は多分距離の問題で会話はできないけど、呼びかけては見ようかな」
「マリアさんの都合で大丈夫ですよ。明日はアクエイスですし、久しぶりの里帰りとなりますので」
「うん、まあ」
「それに、家族には報告したいこともあるでしょう?」
「う……」
頬を朱に染めるマリアに、ミリアは微笑んだ。
そして馬車が出発の時間が訪れる。四人は二手に分かれ、それぞれの馬車便に搭乗するのだった。
◇
マリアとアーサーは、キャラバンの先頭馬車に乗ることとなった。
先頭馬車は、キャラバンの進行をコントロールする先導車でもあり、極めて重要な車両でもある。多くは無蓋の荷物車であり、今回も例外では無い。少なからずの荷物は荷台に乗せてあるが、緊急時のフットワークが犠牲にならないように少なめの積載である。
御者も屈強な者たちであり、控えも二人乗っていた。
「それじゃあ、出発だ。お二人とも、よろしく頼みます」
御者が手綱を持ち、アーサー達に改めて挨拶を交わした。
「はーい」
「わかりました」
二人それぞれの言葉で返答し、馬車は操車場を滑り出した。
同じタイミングで北部街道方面の馬車も動き出し、その先頭車両に乗るファーネルとミリアと視線を交わした。
ファーネルがサムズアップしてミリアが手を振ると、アーサー達も同じように答えて見せた。
そして馬車は一路、西と北へと早速分かれ、そしてバースの王都を進む。
すぐに西端に到達した馬車は、全車両が門から出た後、一気に速度を上げる。大体人が長距離走をするぐらいの速度である。昔はここまでの速度は出ず、出せたとしてもすぐに馬がへばってしまい、長続きはしなかった。今は馬も車輌も改良され、一時間程度ならこの速度を維持できる。少し休めばまた一時間。それを繰り返すことで、長距離移動はぐっと時間が短縮された。ユニスの良質な馬と、バース王国の工業力の賜ともいえよう。
街道も整備されている。町の中の石畳の方が強い衝撃を受けて乗り心地は悪いが、その外に出てしまえば固く踏みしめられた土道が続く。車輌自体にも衝撃を吸収するような構造が設けられているし、所々に埋まる小石はともかく、大きな石などは定期的に片付けられているため、それらを踏んで大きくバウンドするようなこともない。
その柔らかな振動が、マリアに睡魔となって襲いかかっていた。
「うう……眠い」
なお、馬車便の朝は早い。どうしても長距離を走破しなくてはならないため、朝六時出発だ。それに合わせて早起きをしなくてはならない。加えて、護衛依頼の説明を当日受けるため、実質彼らが動き出したのは朝四時だ。眠くて当然でもある。
アーサーはそんな生活を二年以上はしているため慣れたものだが、マリアはまだ本格的な旅に出てから三週間ほどしか経っていない。そんな経験の差が、現れているのだ。
「ああ、眠れるならそうしておけ。今のところは安全な地域だからな」
「ん」
マリアは小さく頷いたかと思うと、アーサーの隣に移動して座り直し、視線が絡む。にへっと笑ってからアーサーにもたれ、そのまま目を閉じるのだった。
バースの町を出ると、初心者御用達の森がしばらく続く。魔獣や魔物の姿もその奥で見かけるが、キャラバンを襲うことはほぼない。自分らよりも遙かに巨大なものが列を成して駆け抜けていくのである。自分の身が優先の魔獣達は、ただただそれを見送るだけだ。
幾度かの休憩を挟み、馬車は森を抜ける。その先は草原へと達する。少し下り坂となっているため、速度が出すぎないよう、馬が支えになるように調整する。この馬はよく分かっているようだ。特に手綱を振って合図を送ることもなく、自ら適切な速度に調整してくれているのだ。
下り終わったところに、広々とした広場があった。これがバース王国とデニアス王国との国境のようだった。
極めて良好な関係の両国である。特に出入国の検査などは行われておらず、ただここで長めの停車をするだけだ。
この近くには集落があり、そこから村人がこの場所へと集まっている。既に物販準備も整えられており、馬車が到着し、乗客たちが降りてくると早速呼びかけの声が上がった。
「シャシルィーク!?」
「うわっ!?」
マリアが大声を上げて突然起床し、アーサーが驚く。当のマリアは周りをキョロキョロと見渡し、現在値を把握した。
「……国境ね?」
「あ、ああ」
どうやら売り子の声に反応したらしい。余り聞かない食べ物の名だが、マリアはそれにいち早く反応したようである。
「あれ、美味しいの。一緒に食べよ? ここの名物」
寝起き直後の判断力は驚嘆するものがあるが、それが食べ物に向けてものなのでアーサーは苦笑した。
「ああ、そうだな」
マリアはすでに馬車から身を翻しており、その後をアーサーがゆっくりと追うのだった。
昼食代わりに、マリアのリクエストの揚げまんじゅうを食べていると、対向方面のキャラバン隊が到着した。若干遅れ気味のようである。キャラバン隊隊長同士が話をするようで、二人もそこにお呼びがかかった。
「ああ、食べながらで大丈夫だよ。ただの情報交換だしね」
「ごめんなさいね」
背が低いマリアを、対向側のキャラバン隊隊長は微笑ましく見てから、ここまでの道中について話し始めた。
「アクエイスの向こう、サンドワームがなんだか騒がしいんだ。そろそろ繁殖期だし、気を付けた方が良さそうだよ」
「もうそんな時期か。そうなると、バジリスクも意識しておいた方がよいな」
「だね」
「こちら側は何も起こらず、至って平和なものだ。もう少しで王都だが、油断はするなよ」
「ははっ、解ってるよ。それでは旅の安全を」
「ああ、旅の安全を」
御者達は別れ、冒険者同士も軽く頭を下げて分かれた。マリアは会話が終わったところで残りを食べ始める。因みにアーサーは、この話し合いが始まるまでに一気に食べ終わっている。なお少々熱くて口の中を火傷し、涙目になったことは内緒だ。
マリアが食べ終わり、それから準備をしてから馬車に乗り込む。後は出発を待つだけだ。とはいえ、一時間の停車時間は意外に長い。アーサーは身体を伸ばし、馬車の荷がない場所と移動して、思いっきり身体を投げ出した。
「ちょ、アーサー?」
「先頭車両の特権だな。出発する頃合いになったら起こしてくれ」
「……うー、うん、解った」
不満げにマリアは答えるが、すぐに眠ってしまったアーサーに苦笑した。無防備な寝顔がそこにあることが何処か嬉しくなり、じっと彼の顔を見つめる。
しばらくしてから御者二人も戻り、馬車は定刻よりやや遅れ、出発した。
アクエイスに到着したのは、日が暮れる直前だった。魔獣や魔物なども遠巻きに見ていただけで戦闘にはならず、結局遅れを巻き返して、定刻よりも若干早い時刻での到着だ。さすがに冬が近い事もあり、砂漠にほど近いこの町でも大分気温が下がっているようである。
マリアがここを出立したのは丁度三週間前だった。それでも季節が進んだことをその肌で感じ、彼女はぶるっと身体を震わせた。
荷馬車の上、マリアはアーサーにもたれ掛かる形で座っているため、その震えはアーサーにも伝わった。
「寒いのか?」
「はい、少しだけ」
マリアは丁寧な口調で答える。
馬車はゆっくりと町の中を進み、発着場へと向かっている。この速度になれば、宿を決めていない冒険者達が馬車を飛び降り、走っている光景を見かける。一応マリアの実家、ファルアスタシア家に泊めて貰うことも念頭にあるが、マリア自身が実家に戻りづらいのであれば、別に宿を借りても良かった。アーサーがその事を話すと。
「うん? 大丈夫ですよ?」
「いや、家出てからたったの三週間でとなると、さすがに顔を合わせづらいんじゃないかと思ったんだが……」
アーサーの心配をよそに、マリアは実家に戻ることが当たり前という表情だった。どうしてそう感じるのか、とマリアは思考を巡らせ、そういうことか、と理解して途端に顔を赤らめてしまった。
マリアのこの旅は、一六歳修行として送り出されている。一六歳修行では、強くなりたい、自分の生涯の目標や目指したい職業を見つける、等の目的をもって出発する。また、生涯のパートナーを見つけることもまた、そのうちの一つでもある。というよりは、パートナー探しこそが目的、という人物の方が多いだろう。
それを、マリアは出立してから僅かの間で成し遂げた。それも、家系の事情で頑なとなっていたアーサーの心を解きほぐして、である。彼の家系の事情を知り、その過酷を受け入れる覚悟を持って、改めて好きだと自覚して。
その後、雨宿りをしているとき、急に唇を奪われたことは心底驚いた。思い出すとドキドキして恥ずかしくなって、ついつい顔が赤くなってしまうけど、素敵な思い出だと、マリアは色々思い返す。
たった三週間。恋人を引き連れて戻ってくるには、世間的には余りにも早すぎる。そうした事をアーサーが話しているのだろう。
「……もしあれなら、別に宿を借りても良いと思うが、どうする?」
それはそれで、心穏やかではなくなる。
旅に出てからアーサーと恋人になり、それから二人きりで泊まるのは何気に初めてである。しかもそれを、故郷の町で家族の目を盗んで、という形になることから、いろいろと行き過ぎた妄想をしてしまっていた。
「あ、その……アーサーが望むのなら、私はそれでも構わない、ですよ?」
アーサーは真意に気付き、そして二人して赤面して沈黙する。
御者ふたりは、どこか眩しげに、このできたてカップルを見守るのだった。
馬車が発着場で客を降ろして操車場に入った後、護衛の冒険者達がようやく解放される。そして明日の集合時刻を確認してから解散となる。二人は操車場を後にし、マリアの実家へと向かった。
結局二人っきりになるよりは、家族の目が合った方が、間違いは起こさないだろうという考えだった。
操車場からは、北へまっすぐ。ゆっくり歩いてもそれほど時間はかからなかった。
ファルアスタシア家。その名を冠するファルアスタシア流剣技の総本山であり、道場を併設している。古くは千年ほど前に活躍した英雄にまで遡る剣技でもあり、その道では有名でもある。正式な門下生は非常に少ないが、それ以外でも初心者に対する手ほどきも行っており、アクエイスとその周辺の村から、冒険に出る前にある程度鍛えるという目的で、個々に鍛錬しに来る生徒も多い。
二人は道場の方ではなく、母屋への通用門からお邪魔する。
敷居を潜ると、一族が一列に並んでいた。
一門の誰かが馬車に乗る二人を見かけたらしく、こうして待ち構えることにしたらしい。二人はその様子に、別の宿にしなくて良かったと、ほっとする。もしそうしていたら、後日何を言われることになるのやら。
「で、どうなった?」
ファルアスタシア家の頭目、ジョージ・ファルアスタシアの開口一番がこれだ。主語も何もなく、一体何を聞いてきたのか意味不明だ。
彼はマリアの祖父で、ファルアスタシア流の師範でもある。その隣にはソフィア。マリアの祖母だ。そしてマリアの両親、クレッドとケイトが並ぶ。両親の間に小さな女の子、アリアがマリアの姿を見て破顔していた。
「まだ捜索の途中です。バース経由でぐるっと回ってきたけれど、これといって何の情報も掴めていません。次の案として、中央街道と北部街道に分かれて、デニアスを目指していくことになりました」
マリアは、現在の状況をそう報告するが、祖父は首を振る。
「まあ、里帰りにしては急すぎると思ったが、そんな理由か。まあそれはそれとして」
アリアがマリアにぎゅっとしがみついたところで、彼女を除く大人四人がアーサーを取り囲む。
「で、マリアとは何処まで行った? ん? お爺ちゃん怒らないから正直に話してみろ」
がしっと肩を組まれ、アーサーの逃げ場はなくなった。
「ですね。ここは父親としてはちゃんと聞いておかなくてはなりませんね」
半分脅迫するような顔つきに、アーサーは引きつった笑みを返す。
ファルアスタシア家で相伝される剣技は、相手の心理の虚を狙うものである。それだけ駆け引きに強く、ちょっとした誤魔化しは一瞬にして看破され、通用しない。アーサーは、今はもう、マリアのことに関しては前向きに考えているし、マリアも覚悟を以てアーサーと恋人になったのだ。その覚悟に対して、誤魔化しは失礼だろうと、そう考えに至る。
「ユニスに滞在したときに、俺の実家に連れて行きました。ファルアスタシア家であれば、スナー本家にかけられている呪いに関しても、ご承知のことかと思います」
アーサーが、予想以上に落ち着いた口調で、そして真面目に話すものだから、両親と祖父母は面食らう。
「まて、……そう改まって話されるとは思わなかった。すまない」
祖父が陳謝するが、アーサーはこの際という事で、話しておきたいと進言する。続きは落ち着いて席について、という事となり、ようやく二人は玄関を潜るのだった。
家族一同とアーサーは広い食堂で、テーブルを囲む。
祖父ジョージを最奥に、その横に祖母が座る。祖父母を挟んでマリアの父、母が席に座り、実妹のアリアは母の膝の上で、まん丸な目で辺りを見渡していた。
「さあ、話してくれ」
祖父は先ほどとは違い、真面目な表情でアーサーを促した。
「はい。ユニス王国のパルスで、ミリアに冒険者登録をさせるためしばらく滞在することになりました。その間に、ファーネルの勧めもあって一度故郷へと足を伸ばしたのですが、まあ、マリアが着いてきたわけですが。
ご存じの通り、スナー家には特殊な呪いがかけられています。スナー家に生まれた女性、スナー家に嫁いだ女性、例外なく孫の代までは生きることができない、不条理なものです。……マリアは、その呪いを受け入れる覚悟を持って、俺の恋人になってくれました」
祖父はマリアに視線を移し、彼女が力強く頷いたことで、そうか、と小さく言葉を漏らして頷いた。祖父は、家族一同に視線を巡らす。アリアは状況を理解できないだろうと祖父が思ったのだが、一番最初に口を開いたのが、そのアリアだった。
「お姉ちゃん、このおじちゃんと結婚するの?」
「おじ……」
弱冠六歳の女の子からすれば、アーサーは立派な大人である。そう言われてもおかしくはないが、さすがにアーサーはショックを受けた。
「そうだぞ。お姉ちゃんはこのおじちゃんのことが大好きだそうだ」
ここぞとばかりに、祖父は『おじちゃん』部分に力を入れてアリアに話す。アーサーは引きつった顔で笑みを崩さないように努力する中、隣に座るマリアが突っついてきたため顔を向ける。
「じいじがごめんなさいね。後でとっちめてあげるから」
姉の謝罪の後、イタズラっぽく言い放つ妹性格に、アーサーは苦笑に取って代わった。
そう言えば、とアーサーは考える。妹性格は、マリアの妹『アリア』が亡くなった時に生まれたもう一つの性格である。目の前にいるアリアは、と疑問に感じたのだ。マリアは、アーサーの心を読んだかのごとく、その回答を話す。
「この娘が生まれたときにですね、マリアの妹の名は、アリアである、と『妹』はそう言って、自身の名を譲ったという感じです。死んでしまった自分の変わりなんかじゃなくて、マリアの妹という存在を継ぐもの、という意味をそこに込めて」
マリアは、何処か暖かい目でアリアを見ていた。
「……ただ、余りにも傍若無人な妹にはならない事を祈るばかりで……それって、『私』が傍若無人って言ってるようにしか聞こえなんだけど?」
脳内喧嘩が口を割って出てきた。
きょとんとするアリアに、マリアは微笑む。
「何でも無い。妹は可愛いなあって思っただけ」
口調はそのままだ。主導権はそのまま妹に譲ったようである。アリア以外の家族もマリアが二重人格であること、もう一つの性格は亡くなった双子の妹が根本になっていることも承知しており、過去には葛藤もあったが現在は認めている。
「丁度良かった。あなたにも聞いておきたかったの」
「え、えっと、……何、かな?」
祖母と、こちらの性格は余り寄り合いが良くない。生まれてしまったこの性格を、一番最初に拒絶したのがこの祖母だからだ。『妹』は生まれながらに偽物であるとは理解していたが、それでも傷ついたことは確かである。以来、祖母の前ではこの性格は前には出ないようにしていたのだが。
「アーサーさんといて、幸せかい?」
静まりかえる中、マリアは頷く。すると祖母は微笑み、頷き返した。
「そうかい。それならいいさ」
まだ壁はあるが、それでも祝福はした。今はそれだけで十分だった。
「まあ、……ここは一つ定番と行こうか」
祖父ジョージがほくそ笑むと同時に、父クレッドも不穏な笑みで頷いた。そして二人同時にアーサーにその笑みのまま振り返る。
「俺の孫娘を」
「俺の娘を」
と順番に言ってから、二人声が重なる。
「何処の馬の骨か解らん奴にくれてやるものか!!」
アーサーは、先ほどは認めておいて今度は全力拒否か、と困惑するが、マリアは大爆笑していた。笑いすぎて涙すら浮かべているが、その涙が果たして笑いだけから来ているかは不明だ。
「じいじも、おとうさんも、私が恋人連れてきたときは絶対に言ってやるって、昔から豪語してたからね。……ああもう笑いすぎて死にそう」
当の二人とも、言ってやったととても満足げな表情だった。
「まあ、本当に馬の骨だったら本気で追い出すものだが」
「スナー流のアーサー殿だ。そこは問題ないだろう」
そして二人改まって。
「孫娘を」
「娘を」
そして再び声を重ね。
「よろしく頼むぞ」
その言葉に、アーサーは頭を下げて。
「わかりました。お任せください、……とまだ胸を張って言える人間ではありませんが、こちらこそよろしくお願いします」
こうして、アーサーはマリアの恋人、実質結婚相手と飛躍して認められることとなった。
夕食は家族とともに摂り、色々な話に花を咲かせた。
昔のアーサーの話を根掘り葉掘り聞かれたり、逆にそれをマリアが制したりと、そんな家族の団らんだ。アーサーは幼少の頃から父と祖父に育てられ、家族の団らんというものはあまりなかった。今はその中心に自分が置かれており、少々の気恥ずかしさと暖かさを感じ、まるで夢の中にいるような気分だった。
幼少のアリアが大あくびをして、そろそろ寝る時間かと祖父が呟いたことで、解散となった。
アーサーには、客間が用意された。以前は療養していたミリアにあてがわれた部屋でもある。場所も解っているし、その間取りなども把握済だ。そのため、些細な違和感にも気づけた。
部屋には少し大きめのベッドが一つ。その他の調度品や家具など、それらに関しては以前訪ねたときと何ら変わりはない。
パタン、と扉が閉められる音で、アーサーはそちらに振り向く。扉の前にはマリアがいた。勝手知ったる実家であるし、こうして訪ねてくることも問題はない。
マリアは、洗面器の中に濡れたタオルを入れて持ってきてくれたようである。
この辺りの生活様式は、入浴という文化がない。代わりに固く絞ったタオルで身体の汚れを拭き取って清潔を保つのが基本だ。アーサーは長年ガドネアを旅して回っているため、特に砂漠の地方では、この様式がほとんどである事を知っている。逆に南側では所々で温泉が出るため、温泉宿がある町は多い。特にタルファームは高架水道で水も潤沢にあるし、温泉の町としても有名だ。そうしたた事情もあってか、入浴する習慣を持っている人たちは多い。
マリアは、ぐるっと回ってきた旅路の中で数回ほど入浴の機会があった。ここより南のマツモト村の温泉と、聖龍島の小さな町だ。その時彼女が上機嫌だったことから、時間が取れるときはできる限り案内してあげても良いな、などとアーサーは考えながらそれらを受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
最近では、話し方やちょっとした仕草でも、どちらのマリアかはすぐに気がつくようにもなっていた。今の話し方なら、快活な妹の方だ。
アーサーは鎧を取り外す。ベルトで簡単に固定しているだけだ。すぐに脱ぎ終わると、部屋の片隅に片付けた。
その様子に、マリアはずっと釘付けだった。
「で、さっきからずっと見ているけど、使い終わったらちゃんと持って行くからな?」
「あ、うん」
マリアは、魅入っていたところに声をかけられ、少し驚いていた。
「……アーサーは、翼は拭ける?」
「拭けるぞ?」
それが何か、という表情でアーサーは返す。そうなんだ、とマリアは残念そうな表情となる。
「じゃあ、拭き終わった頃に取りに来るからね」
「ああ」
マリアはそそくさと部屋を後にして、自室へと戻った。自室といっても、アリアと同じ部屋だ。
妹は既に眠っていた。多少音を立ててもそう簡単には目覚めないことは知っているが、それでも物音をなるべく立てないようにする、気配りのできるお姉ちゃんだった。
そして自分の部屋のベッドを見て、違和感を感じた。
アーサーに渡したタオルを回収すべく、マリアは再びアーサーの元を訪ねていた。
「アーサー、タオルもらいに来たよ」
「ああ、ありがとな」
アーサーはドレッサーの席に座っており、そこにタオルが二つ置かれていた。マリアはそれらを手持ちの洗面器に入れ、そのままドレッサーに置く。
「それで、質問なんだけど」
「ああ、どうした?」
「……その枕は?」
「いや、最初からおいてあった。男女どっちが来てもいいようにとの配慮かと思っていたんだが。普通はデザインをある程度あわせるものだろ。だがこの枕は、子供っぽい」
「悪かったわね、子供っぽくて」
アーサーは、それがマリアのものだったと気付くが、既に遅い。
「……悪かった」
「良いよ。子供っぽい趣味だってのは自覚してるから」
マリアはそのままベッドに向かい、靴を脱いで這い上がる。そして壁にもたれ、自分の枕を拾い上げてぎゅっと抱きしめた。
ベッドに這い上がったときにスカートの裾が乱れてしまったが、本人まだそれには気付いていない。健康的な太ももが露わとなり、アーサーはそれに釘付けとなってしまった。
アーサーとて、健康的な男である。こうして女性が、ベッドの上であられのない姿をしていれば、たぎるものが目覚めてしまう。今はそれを理性で表には出ないようにしているが。
マリアは、抱きしめた枕の上に顎を置き、盛大に溜息を吐いた。おそらくは母の仕業であるとすぐに思い当たる。きっと恥ずかしがらせようという魂胆なのだろう、とマリアはそんなことを考えている。
「ごめんね、うちのお母さんが。……アーサー?」
先ほどから無言のアーサーに、マリアは首をかしげた。
「ん、ああ、すまない。ちょっとぼーっとしていた」
と言いつつも、アーサーは先ほどからずっと一点を見ていることに、マリアはようやく気付いた。その視線の先は、捲れたスカートと自分のおみ足だ。
「……ちょっ?!」
マリアは顔を真っ赤にさせてガバッと体勢を変えようとする。しかし裾の一部を下敷きにしていたため、逆にバランスを崩した。
「わわっ」
アーサーは咄嗟にマリアを受け止めるが、しかしアーサーもバランスを失い、マリアを押し倒す形となってしまった。
「……」
「……」
至近距離で見つめう。マリアはすぐに状況を理解して顔を真っ赤にさせていくが、アーサーはぼーっとしたまま、マリアを見下ろしていた。
押し倒されたときに枕を飛ばしてしまい、胸元はがら空きである。しかも、上着の裾まで持ち上がっており、お腹すらさらけ出している。その状況に耐えかねたマリアは、真っ赤な顔を逸らして、アーサーの名を呼んだ。
「アーサー、さすがに恥ずかしい……」
名を呼ばれ、はっとなるアーサーだが、目の前の扇情的な状況にまたも釘付けとなった。マリアの姿は、アーサーの劣情を否応無しにも高めてしまい、既に自制すれすれにある。
冒険者には、冒険者ならではの矜持がある。冒険者同士のカップルは、基本的に女性の意思が優先される。将来結婚を約束していたとしても、守らなければならない一線があるのだ。
理由は簡単だ。妊娠してしまうと、そこで冒険者としての旅が終わるからだ。もし本人がそう望んでの場合は、勿論歓迎すべき事であるし、祝福されるべき事であるのは間違いない。
女性の人生を大きく変えるきっかけになることである。男女ともに、その覚悟が人一倍必要とされているのだ。
「ね、アーサー、あのね?」
「……ああ、ごめん」
名を呼ばれ、アーサーはようやく冷静に考えられるようになった。アーサーは身体を起こそうとするが、マリアがそれを拒むかのように、背中に手を回していた。
「私、覚悟はできてるからね」
「……それは」
アーサーは、マリアを押し倒してしまったことに罪悪感を感じ始めたところである。ばつが悪そうに視線を外すが、マリアは首を回してアーサーを見上げるだけである。
「ね、アーサー」
「な、なにかな?」
「私は、アーサーのこと好き。大好き。アーサーは?」
すでに心を交わした二人、いや三人である。マリアは二つの性格共々アーサーの気持ちをちゃんと知ってるし、それはアーサーとて同じである。
「……それは勿論」
顔を赤らめながら、アーサーはようやくマリアの方を向いて答えた。そういった所は、もしかしたらアーサーの方が初心かもしれなかった。その表情は仕草から、これまで以上に彼の思いが伝わってくる。だからこそマリアは、もう一度同じ事を聞くのだ。
「私は、アーサーのこと好き。アーサーは?」
「お、同じ事を聞くな。さすがに照れくさい」
アーサーは、マリアを下敷きにしながらも翻弄されていることで、照れくささは限界だ。一方のマリアは、途端に不機嫌な顔となる。
「ね、アーサーは?」
「だ、……だからね?」
「むう……言葉にしてくれないと解らないなぁ?」
マリアは不機嫌な表情から一転、イタズラっぽく笑った。
「だって、……アーサーからまだ、ちゃんと言葉にしてくれてないもん」
あ、とアーサーは気付く。マリアからはもう何度も好きだと言われてきたが、その答えは常に俺も同じだ、等のようにしか答えていなかった。まだ明確に、好きだという言葉で答えていなかった。だからその言葉を紡ごうとして、しかしうまく口が動かなかった。
たった三文字だ。その三文字を発するのに、これまでにないほどの恥ずかしさが生じるのだ。それを乗り越え、さらに自分が振られるかもしれないという不安もありながら、マリアはその言葉を紡いだ。それはそれで勇者に匹敵する、とアーサーは思考を濁らせ、最初の一文字をようやく紡げた。
「す……」
「す?」
マリアは、期待に満ちた目で見上げていた。その視線により恥ずかしくなったアーサーだが、言うと決めたのだ。マリアが好きだと言ってくれた。それからマリアのことを好きになるようなるべく努力するなんて、何処目線か解らないような発言もした。その結果はどうだ? たった一日二日で、マリアのことを、誰よりも愛おしく感じているのだ。多分マリアが考えている以上に。
だから、マリアの気持ちに応えるべく、アーサーは次の言葉を紡ごうとする。だがしかしうまく言葉が出てこない。それに対し、焦りを感じ始めていた。
「あ……」
「え、ここで『あ』なの? すあって何かな? 何かな~」
マリアの煽りに、アーサーはしかしうまく言葉が出てこない。今、アーサーはマリアのことは誰よりも好きだと心の中では自覚している。それは彼女の家族よりも誰よりも、と強くだ。だが、その気持ちに反して、その言葉が出てこないのだ。
そこで唐突に、発言しようとしている言葉が間違っているのかもしれない、とそんな考えに至る。その三文字では言い表せない、自分がマリアに対するこの感情は。
「マリア」
「うん」
真剣な表情で、アーサーは口を開く。
「愛してる」
ことのほか、スムーズにその想いを口にすることができた。好きよりも、愛してる。
相手は、出会ってまだ三週間でしかなく、さらに恋人になってからは僅か数日だ。それでも、これだけの想いを抱いていたことに、アーサー自身は驚きつつも、嬉しさが心の底からわき上がっていた。
「……………」
マリアは目を見開いたまま、固まっていた。好きだ、という言葉を期待していたのだが、それ以上の言葉が返ってきたのだ。そのまま固まっていると、不意に唇が塞がれた。アーサーからのキスだった。ただ唇同士がふれあうだけのものだったが、確かにそこからはアーサーからのあふれんばかりの想いを、愛を感じられた。離れたところで、今度はマリアからその唇を奪う。もう少し大胆に、大人がするキスだ。アーサーもそれに答え、そして離れる。
そしてお互いに視線を絡めて。マリアは頷き、アーサーも頷き返して―――
翌朝。
客間から二人一緒に出てきたことに、父親と祖父はアーサーにサムズアップし、母親は強く頷いていた。早々に昨夜二人が結ばれたことがバレていることに、アーサーもマリアも照れてしまう。
祖母は優しげな笑顔でただ見守っているだけだが、それが一番くすぐったく感じるふたりだった。既に家族公認。ここでマリアを捨てようものなら、怒濤の復讐劇に発展しそうな気もした。例えスナー流がファルアスタシア流の天敵であったとしても、マリア本人には負けているし、その他四人も相当な手練だ。絶対に逃げおおせられないだろう、と余計なことを考えるアーサーだった。当然そんな気なんて更々無いが。
「ま、これからも娘をよろしく頼むぞ、義息よ」
そしてもう一度サムズアップをする父と祖父に、アーサーはもう苦笑するしか無かった。
ふたりはファルアスタシア家を後にし、旅の人へと戻った。今度この家を訪れるのはいつになるだろうか。そんなことを考えながら。
「アーサー」
「うん、何?」
「私も、愛してます」
マリアは、不意にアーサーに自分の気持ちを伝えた。今の性格は、姉の方である。こちらの性格では、アーサーにその想いを伝えていなかったためだ。
「ああ。俺も愛してる」
「……ん」
そして照れくさそうにはにかんだ。
「妹のほうなんですけど、しばらくは表には出てこないと思います」
「なんで?」
「なんと言いますか。昨夜、あの後冷静になってから、恥ずか死んでますので……。その、逆に私の方が冷静になれるぐらいには狼狽しています」
アーサーは視線を外し、ポリポリと頬をかく。
しばらく無言のまま歩き、馬車の操車場が見えたところで、マリアはぽつり、と呟くように。
「一つだけ、約束してくれますか?」
「俺ができる範囲なら」
くす、とマリアは微笑む。アーサーにしかできないことですよ、と。
「いつか、結婚してください」
本当に何気ない会話の中での一言だった。
恋人となってほんの数日だ。いささか早すぎるのでは、と世間ならそう考えてしまうだろう。しかし二人にとって、時間は関係ない。そうなることはごく当たり前だったかのように。
「ああ、いつか。だが必ず。約束だ。結婚しよう」
「……うんっ」
アーサーは、腕に絡みついてきたマリアとともに、前へと歩む。
これが、アーサーとマリア夫妻の、成り染めだった。




