素敵な休日
・今まで
休日=時間を潰すもの
・現在
休日=待ち遠しいもの
それから一週間、クラス内での目立ったイジメは無かった。
ヒソヒソ話は相変わらずだけど、今までに比べると何でもない。
こっそりと氷室さんのこと聞いてくる子もいたほどだ。
まだ何か悪口でも言い足りないのかしら?
そう構えていたら、一目見てファンになったんだという女子が多かった。
あたしと彼はどういう関係なのか。
彼はいくつなのか。
何をしている人なのか。
どの質問にも貝のように口をつぐんだ。
余計なことを話して氷室さんに迷惑かけたくないし、都合のいい時だけ話しかけてくる人って好きじゃない。
相変わらずクラスで孤立していたけど、誰かが構ってくるほうが嫌だったから、ちょうどよかった。
そして日は流れ、十一月も終わりの週末。
秋の色が一層濃くなり、肌寒さを感じる風とあいにくの空模様。
天気予報では快晴だとか言っていたのに、ここまで極端に違うとなんていうか、笑ってしまう。
「ったくよぉ、せっかくの週末だってのに雨とはな。洗濯物が乾かねえんだよなぁ」
氷室さんは不満そうに腰に手を当てて、部屋の中をウロウロしている。
買出しは昨日のうちに済ませてあるし、今日は溜まった洗濯物でも……。
空に広がる曇り空を見るまでの、儚い予定。
あたしといえば、適当に本棚から物色してきた文学小説なんて読んでた。
興味はないけど、ただじっとしていると、悪いことばかり考えちゃうから。
予定がつまづいて、うーんと唸っていた氷室さんは、電話を取った。
「なあ綾。お前、一昨日ケーキのつくり方教えて欲しいって言ってたな」
「え? ええ」
曖昧に返事をして、記憶の引き出しを探る。
(そんなこと言ったかなあ)
思い当たることがあった。
ここ最近は学校も平和だったし、少しは心に余裕が出てきたから、氷室さんに料理を教わっていた。
でも意外とスパルタな氷室さんは、容赦がない。
あたしの無茶な要求にもポンポン応えてくれる辺りが尚更悔しくて、ケーキ作ってよ。
それと作り方を教えて欲しいって言ったら、困った顔をされたっけ。
あのときの約束って。
正直、どんな料理も器用にこなす氷室さんを困らせようと、ケーキなら作れないだろうと思って言ってみただけだった。
どこに電話しているのかな。
「パーティー? んー。期限はいつまでだ? 分かった、そっちの方は手伝うから。わりぃが今日はこっちに顔出してくれよ。桜もいるのか? じゃあまとめて頼む、場所は自宅だ」
電話が終わったみたい。
「……何の話?」
本を閉じて、氷室さんを見た。
彼はこちらを見ると、小さく微笑んで、
「雨の日に退屈しているお嬢さんに、ケーキの作り方のレクチャーだ」
芝居がかったような口調で言った。
誰か来るのかもしれない。
城戸さんの時みたいに。
「ふぅん」
「安心しろ。お前にとって不快な奴なんて、この家にゃよばねえよ」
「……そう」
あたしは関心がないフリをして、本を開いた。
内容は全く頭に入っていなかったけど、そんなことは重要じゃない。
あたしの心は、自分でも不思議と落ち着いていた。
以前なら警戒して構えることもあったけど、今じゃすっかり、慣れたものだった。
三十分くらい経った頃――玄関のチャイムが鳴った。
「おお、来たか。上がってこいよ」
ドアホン越しに言うと、来客者を招き入れた。
今度はどんな人だろう――
「オス! 失礼しますっ!」
お腹のそこから響くような野太い声。
リビングにクーラーボックスみたいな箱を持った、体格のいい男性が入ってきた。
身長は氷室さんより大きいから、180センチ以上?
十一月なのになぜか半袖だし、腕なんてあたしの足くらいの太さもある。
髪は黒の短髪で、柔道をやってるようなイメージ。
ぽかん、と眺めていたあたしに、瞬時に目を向けると、その人はドスドスと歩み寄ってきて右手を差し出した。
「オス! 初めまして! 自分は熊谷徹といいますっ。香坂綾さんですねっ! 兄さんからきいております!」
包帯でぐるぐる巻きになっているあたしの顔にも、怪訝な顔一つしないで、真っ直ぐに目を見つめてきた。
そこには一点の曇りも、哀れみも、同情も無かった。
「よろしく……です。兄さん……?」
「血は繋がってねえよ。勝手に俺のことを兄貴だとか慕うのはよせ。変な関係に思われるだろっ」
「オッス! すいませんでしたっ、兄さん」
「だめだわかってねえ…」
氷室さんは頭を抱えたが、熊谷さんは構わず、肩にかけていたクーラーボックスみたいな箱を開けた。
中には卵と砂糖、ミルク、粉、泡だて器にボール……これってもしかして。
「ケーキの材料と道具はこちらで用意したんでっ。問題ありませんっ」
「無理いって悪かったな。で、桜は?」
「駐車場に行ってます――もうそろそろかと」
「こんばんわ。あら、こんにちわでしたわ。ごめんなさい、皆様」
いつの間にかリビングに、大きめの箱を持った女性がいた。
身長はあたしと同じ百六十センチくらいだけど、ウェーブのかかった巻き髪と絹のような白い肌。
白いブラウスから伸びた傷一つない滑らかな手は、同性のあたしでさえうっとりしてしまう。
顔は小顔で、すごい美人さん。
「桜。遅かったな」
「駐車場が混んでおりましたので遅くなりました。大変失礼致しました」
「呼びつけたのはこっちだ。馬鹿丁寧な挨拶はよせ。綾、そいつは熊谷桜。徹の姉だ」
「えっ、あっ、そ、そうなんですか?」
あたしは思ったことをそのまま口にした。
桜さんはあたしを見ると、とても優しい目で、にっこり微笑んだ。
「桜と申します。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げた桜さんからは、とてもいい匂いがした。
「さて、さっそくでわりぃんだが、昼飯も近いことだし、二人には昼飯とデザートのケーキを作ってもらおうか」
「オッス! 了解ですっ」
「かしこまりました」
二人は快く頷くと、調理器具に手を伸ばした。
ええ? あたしは驚いた。
何がって、熊谷さん――徹さんのほうが、粉、バター、泡だて器のほうに手を伸ばし、桜さんが冷蔵庫から肉のブロックを取り出したから。
逆じゃないの?
「ああ、綾。こいつらのプロだから何でも聞くといいぞ。ちなみに徹がデザート担当の『ドルチェ』で、桜が料理担当の『コック』だ」
「逆じゃないの?」
「筋肉質の男がケーキ作っちゃ変か? 華奢な女性がでかい肉を扱わないか? 見た目で人を判断しちゃいけねえな」
氷室さんは唇を上げてニッと笑った。
嫌味な意味じゃなくて、意外で面白いだろ? という意味合いだったみたいだけど、その言葉はあたしの中にうまく届いた。
「徹さんっ。あのっ、ケーキの作り方、教えてもらってもいいですか?」
あたしは小説を置いて駆け出した。
徹さんはあたしのお願いに、
「勿論ですっ! その為に自分、来ましたのでっ」と、笑顔で答えてくれた。
「お料理のほうも、よろしければレクチャー致しますよ?」
桜さんも優しく微笑みかけてくれる。
「さて、俺は…」
「氷室さんはあっちで本でも読んでてっ。たまには、ゆっくりしていてよっ」
あたしがそういうと、氷室さんは少し照れたように嬉しそうに「そうかい?」と微笑み部屋を出た。
「ちょうど外は太陽が出た。洗濯ものを片付けてくる」
ドア越しに声が聞こえて、氷室さんが歩いていった。
「まず何から教えればいいですかっ。まずはスポンジケーキを焼くところから始めたいので――」
「あの、徹さん。それに桜さんっ」
あたしは悪いなと思いつつ、徹さんの言葉を遮った。
二人は手を止めて、あたしを見た。
「お聞きしたいことがあるんですけど……氷室さんとは、お付き合い、長いんですか? あの、あたし、一緒に住んでるくせに、実は氷室さんのことよく知らなくて、よかったらちょっと教えて欲しいなあって」
一緒に住んでいるくせに。
よく考えたら凄い言葉だと思うけど、あたしは意識していなかった。
先にうーん。とうなったのが徹さんだった。
「兄さんのことですか。 あの人案外秘密主義なので、実は自分も詳しいことは知りません。だた、どうやって兄さんと出合ったのかを話すことはできますっ!」
「お願いします」
「……自分にとっては恥ずかしい話なのですが。初めて自分が、兄……氷室さんと知り合ったのはあるパーティーの会場で、元々お菓子をつくるのが好きだった自分は、ケーキを作っていたんですっ。
そしたら、まあ氷室さんが試食もしないで自分のケーキにケチつけてきたんです。『こいつあダメだ。失敗だ』って。自分はその時、血気盛んだったもので……持っていたケーキを氷室さんにぶつけたんです。
自分っ、結構思い切りだったんで、柔らかいケーキだからよかったったんですが…。そしたらあの人『悪かった。思ったより美味しいな。けど、ちょっと甘さが足りない』って言ってきてたんですっ」
「ケーキをぶつけられたのにですか?」
「そうですっ。自分もその時は、からかわれているんだと思って、カッとなっちゃって、今度は包丁を構えたんですっ。でも氷室さんは動じなくて、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいってアドバイスを始めたんです。
素人が何を、って思っていたんですけどね、あの人の話を聞いているうちに、確かにそうだ。その通りだって思うことがいっぱいあって…気がついたら、包丁の代わりにペンを握ってました。
ペンは剣より強し…。まさにあのとき、思った言葉です」
「……」
「すいませんっ。ここ笑うところだったんですが……」
「あっ、ごめんなさい。あの、聞き入っちゃって」
「まあ、そんなこんなで色々アドバイスもらっているうちに、自分の中では兄貴と呼べる存在となりましてっ。
氷室さんは嫌がっているみたいなんですが、あの人がいなかったら、自分は成長できませんでした」
包丁を持つ手を止めて、次は桜さんが語りだした。
「不思議な方ですね、氷室さんは。まだお若いのに、デザートからお料理に関して凄くお詳しいですし。
私もその日、デザートの担当をさせていただいておりました。けど本当にしたかった料理は肉料理だったんです」
「意外です」
桜さんはふふっ、と笑うとさらに続けた。
「徹とは別の店で働いていたのですが、そのパーティーは結構大規模だったもので、いくつかのお店からスタッフが集められていたんです。氷室さんは私のところに来て言いました。『まるで草食動物になっちまったライオンみたいだな。あんたの作りたいものは、別にあるんじゃないか?』って一目で見抜かれました。
本来、担当のフロアというのは長い経験を積んで、コック長がそれぞれの担当フロアに割り振るものなのですが――あの人のおかけで、一度だけ肉料理を担当する許可をいただきまして。そのおかげで今は、厨房担当です」
桜さんが微笑む。本当に自然に微笑むってことができる人なんだなあと、あたしは羨ましくなった。
「そういうことがあったんですか」
二人が氷室さんと出合った場面が自然と目に浮かぶ。
いいなあ、そういう出会い方。
羨ましかった。
「あの、最後に一つだけいいですか? あたし、これといって何かできるわけでもないし、資産家の娘でもないし、顔だって…こんなのになっちゃっているのに、何で氷室さんは、あたしのことを助けてくれるんでしょうか」
ああ我ながら、馬鹿な質問をしていると思った。
普通なら【知らない】とか【自分で聞けよ】って答えが普通。
だけど、二人は顔を見合わせた。
「香坂さんにはっ言ってないんですかっ!?」
「あたしも一回聞いたんですけど、『お前にとってはつまらない理由だ』って言われちゃって」
「そうですか。なら……自分たちも勝手にお話するわけにはいかないですっ」
「心配なさらなくても、下心のことがあってのことではございません。時が来れば――いずれ」
二人はそれ以上のことは、何も話してくれなかった。
気にはなったけど、それ以上の追求もしちゃいけないことは、あたしにも分かっていた。
「卵白を泡立ててメレンゲを作る時は、結構力がいるものでっ。ケーキ作りの職人でも、男が結構おおいんですよっ」
機械を使わずに一生懸命、泡立てる徹さん。
「凄いですね…」
「空気を含ませるのが目的なんですけど、この時もう一つ大事なものを含ませる必要があるんですっ」
「それはなんですか? 砂糖、とか?」
「気持ちです」
「なるほどっ! アハハ」
「香坂さんっ、ここは笑うところじゃないですっ」
「す、すいません」
―――………
「肉を焼く時は、予め塩コショウをしておられる方が多いですが、それだと肉の水分が外に出すぎてしまって焼くとパサパサになってしまいます。あらかじめコショウだけをして肉の臭みをとり、肉を焼く十五分くらい前に塩をするとよろしいですわ。焼きながら塩を振るとうまく肉に馴染まなくて――」
あれやこれやとお二人にレクチャーを受けながら、みるみる料理が完成していった。
ガッチリした体格で、ケーキの繊細なデコレーションをする徹さん。
モデルみたいな顔と綺麗な指で、荒々しい肉料理をこなす桜さん。
正反対の二人が織り成す対照的な料理。それってある種の芸術作品にも思えた。
お昼ごはんの時間。
匂いに誘われて氷室さんが戻ってきた。
「晴れてきて助かった。洗濯物は部屋干しすると湿気が――おっ、うまそうじゃねえか」
「ちょうど完成したところよっ」
そう言ったのはあたしだった。
「お前は、お手伝いしただけだろ」
笑いながら、氷室さんがあたしの頭を撫でる。
普段は二人分の食事しか置かれないテーブルクロスの上は、花が咲いたように豪華な料理が並んだ。
「ピノグリージョで宜しいですか?」
「いや、レッドツリーにしようか」
何の会話をしているのかと思えば、ワインの話だったみたい。
桜さんが抱えてきた赤い箱から、ワインを取り出す。
「この前の城戸さんもそうだったけど、みなさん箱を持たれているんですね」
シンプルなデザインだが、ファッション性のある箱だった。
「ええ。使い勝手がよくて気に入っております。城戸さんにもお会いされたのですね?」
「自分は最近、会ってないです。久しぶりにウィスキーの飲み比べをしたいです」
みんな繋がりがあるみたいだった。
「失礼致します。テイスティングはなさいますか?」
「いや、必要ない」
氷室さんが棚から、キレイなワイングラスを四つ持ってきた。
「テイスティングって何?」
あたしが聞くと、氷室さんが「試飲することだよ」と教えてくれた。
でも四つって?
「桜、綾には少しでいい。酒だから飲まなくていいぞ。ただ一人だけグラスが空じゃ寂しいからな、乾杯用だ」
「ワインくらい飲めるわ。子供扱いしないでよっ」
あたしは悪態をついて、ワインが注がれると、一口飲んでみた。
「……!」
ダメ。あたしにはまだ早いみたい。
「お姫様には、まだワインは早かったようですねっ!」
あたしの渋い顔を見て、徹さんが笑う。
桜さんも氷室さんも、みんな笑っているけれどその笑顔は優しさに満ち溢れていた。
肝心の料理の味は、絶品だった。
肉はとろけるように柔らかくて塩加減も絶妙。緑のスープは、最初は怖くて手を伸ばせずにいたけれど、アスパラガスのですと説明されて、抵抗なく飲めた。
付け合せのニンジンとジャガイモ、ニンニクのスライスは無臭ニンニクだから、と丁寧な解説付きで楽しかった。
程よい満腹感で食事が終わり、次にデザートのケーキがやってきた。
食事の量とケーキの量を足してちょうどになるように調整するのは至難だけど、この二人が姉弟だからこそ、そこは完璧らしい。
ピタリと息のあった、熊谷姉弟と、師と仰がれる氷室さん。
その二人を信頼して、料理とデザートの先生として呼んでくれて、また、嫌な顔せずに駆けつけてくれた二人。
……いいなあ。
あたしはケーキが喉に詰まり、慌ててコーヒーで流し込んだ。
「ケーキが好きなのは分かるが、そんなに急いで食べなくてもいいんだぞ」
「う、うん」
ごくりと飲み込む。
皆、とても素敵な笑顔をしている。
羨ましかった。
お二人が帰り、あとは寝るだけになった深夜零時。
「氷室さん、今日は、見直したよ」
「うん?」
何だか分からないといった様子で、氷室さんは寝室に向かった。
いつもより目が冴えて眠れなくて、寝付いたのは多分、夜中の二時か三時を回っていた頃だと思う。
意識だけ覚醒して、目が覚めた。
夢を見たような気がするけど、どんな夢だったか思い出せない。
目を開いたはずなのに真っ暗なのは、包帯が目元に来ているとすぐに気付き、ずらす。
と。目の前に顔があった。
――!
「キャアアアアアアア!」
大声で叫んだ。
あたしを見ていた誰かは、すぐに飛びのいて壁に頭を打ったらしく「あいたっ!」て声が聞こえた。
あれ? 今の声って。
「城戸さん?」
「あたた。おはようっす綾ちゃん。チャイム鳴らしても誰も出てこなかったんで、勝手に上がらせてもらったんです。氷室さんの部屋に行ったんすけど鍵かかってたんで、まさかここにいるのかと……」
後頭部をさすりながら、城戸さんは頭を下げた。
「氷室さんがここに? いっ、いるわけないでしょ」
「そうすよね……あだっ!」
勢いよく開かれた扉に跳ね飛ばされて、城戸さんは地面を転がった。
「どうした綾っ、今すげえ悲鳴が聞こえたぞっ」
「……」
あたしは無言で、再び後頭部を強打してのたうち回っている城戸さんを指差した。
「雄介。何してんだよこんなところで」
「氷室さんが、今朝来て欲しいって言ったんじゃないっすか」
「あ? ああ、そうだったそうだった。悪かったな」
ははは。と笑ってごまかす氷室さんだったけど、雄介さんは背中を向けてすねていた。
……ちょっとかわいい。
三人で朝食を食べることになった。城戸さんも大して根に持つ性格ではないらしく、喜んでパンをかじっている。
ちなみに氷室さんがコーヒー。
あたしが紅茶。
城戸さんが牛乳だった。
三人とも見事に好みがバラバラ。
「綾ちゃん、久しぶりっす。元気してましたか?」
「あたしに敬語は使わないで下さい。あたしのほうが年下なんだし……」
「気にしないで下さい。クセなんで、じきに慣れると思います」
「雄介。昨日は徹と桜が来ていたぞ。二人とも、お前にも会いたがってた」
「も。は余計っす。じゃあ綾ちゃんは二人の料理食べたんすね。羨ましいなあ~」
身振り手振りのリアクションと、表情豊かな城戸さんはとても話しやすい。
「朝食が終わったらメイクを頼む。今日は、野上さんに会わせようと思ってな」
「……」
城戸さんの手がピタリと止まった。
あたしは気になった。何か――マズイ人なのかしら。
「オイラ、あの人苦手なんすよね~」
「ダメだしされるからか? けどおかげで、お前もだいぶんマシになったんじゃないのか? 色々と」
「ハッキリ言いますからねあの人は……。じゃあ、綾ちゃん、メイクにかかりますか」
例によって氷室さんは、別室で待機という形になった。
包帯の下の顔を見られたくはないだろ?
いつだったかの言葉を思い出す。あの人なりの気遣いだ。
包帯を解くと、それまでニコニコと大袈裟な身振り手振りをしていた城戸さんの、手と目は一点に注がれる。
「あの……城戸さん」
「なんすか?」
手と目は集中したままだけど、意識をわずかにこちらに向けてくれた。
「城戸さんが、氷室さんと知り合ったのって、どんなキッカケだったんですか?」
手と目が、わずかにピクリと動いた。
「聞いちゃ、まずかったですか?」
「いや、ちょっと驚いただけっす。だって二ヶ月ほど前に会った時って、綾ちゃんは自分の殻に閉じこもっているっていうか、他人には興味ないって感じだったでしょ?」
「ええ。そうね」
「綾ちゃん自身に何があったのか――ってことは、実はオイラは知らないっす。氷室さんだって、人のことを何でもペラペラ暴露したり、勝手に話したりしないので、オイラは綾ちゃんは綾ちゃんとしてしか見てないすけど――何か少し、いいことがあったみたいっすね」
「いいことっていうか、孝治のお墓参りに行ってきたの」
「孝治さんっていう方ですか。前におっしゃってましたね」
「あたしの彼氏だった人。もう、十一ヶ月前に亡くなったばかりだけど」
「……十一ヶ月っスか。傷が塞がるにはまだ早いッスね」
「でもやっと、きちんと挨拶にいけたから……」
「……」
城戸さんは何も応えなかった。
よかった。
こういう時に、下手に「それでいい」とか「ガンバレっ」なんていわれると、どうしてもうわべだけの励ましに聞こえて嫌になる。
何も言ってくれないことがありがたいなんて、あたしはつくづく、ワガママだなと思った。
「氷室さんとオイラが出会ったのは、三年前くらいですかね。徹と桜みたいに、自分と衝突したり劇的な変化をもたらしてくれたわけでもなくて、BARで飲んだときに意気投合して、それからの付き合いスよ」
「そうなんだ」
もっとドラマチックな出会いがあるのかと思っていたけど。
「意気投合したキッカケですか? 単純にウイスキーの好みが一致して――」
話しながらも、城戸さんの手は滑らかに動き、あたしにメイクが施されていく。
終わるまで鏡が見られないから、自分の状態も分からない。
「あ、そういえばさっきの……」
「今からリップのトコなんで、ちょっと待ってて下さい」
伸ばしたピンクの口紅を筆でとり、あたしの唇にぬっていく。
「口紅って、直につけるものだと思っていたけど……」
「それでもいいすよ。ただ初心者は、筆でやったほうがいいっす」
筆が唇から離れた。
「あのっ、さっき言ってた野上さんって……」
城戸さんはビューラーでまつげをセットしながら、ああ。とつぶやいた。
「いい人っすよ。ただちょっとキツいというか、何で顔みただけでそこまで分かるの? っていうね、見透かされている感じが、オイラにはちょっと辛いんすよ」
完成です。城戸さんの言葉でメイクが終わった。
すぐにでも鏡を見たかったけど「見透かされている感じが」その言葉が気になっていた。
「今日のメイクはちょっと特殊なんで、午後の二時までは大丈夫だと思います」
「あ、城戸さんっ、凄いワガママなお願い、一つ聞いてもらってもいいですか?」
「お願いっすか?」
化粧品や道具をしまいながら、城戸さんは顔をこちらに向けた。
「うん……実は……」
あたしの無理な『お願い』は、スケジュール貼を見て快く承諾してくれた。
「ごめんなさい。無理言って」
「構わないっすよ。年に一度のことでしょうし。そうすると来週の月曜日っスね」
「うん」
「了解っす。ああ、それと綾ちゃん。野上さんの職業は『デザイナー』。女性の方っす。じゃあオイラ、次の仕事があるんで。失礼しますっ」
またまたちゃんとお礼を言う前に、城戸さんはそそくさと駆けていった。
「おい雄介っ。たく、忙しい奴だな――綾、もういいのか?」
氷室さんが駆けてゆく城戸さんと、廊下の向こうですれ違ったらしい。
「え? うん」
反射的に答えてから気付いた。あたしはまだ、メイクされた顔を見ていない。
「今回は時間がかかったみたいだが、凝ったメイクでも……」
氷室さんがリビングに入るなり、その顔は一目で驚きに変わった。
そんなに酷い顔になっているのかな?
あたしは鏡を覗きこむと――ほんとにびっくりして何回か瞬きをした。
自分でいうのも恥ずかしいけど、とても綺麗になってる。
信じられなくて、一度鏡の前から離れて、もう一回鏡を覗いてみるけど、それはやっぱりあたしだった。
「またお礼を言いそびれたんだけど」
「俺の方からも伝えておく。綾が感謝してたってな。さ、時間が勿体ねえから出かけるぞ」
「どこに行くの?」
「まずは衣装合わせだな」
意味不明なことを言われて連れていかれた先は、アートスタジオというビルだった。
「……なにここ?」
「俺が働いているところだ。綾は部外者だが、俺の許可書があるから問題ねえ。それに今日はほとんど生徒も職員もいないしな」
地下の駐車場に車を止めると、地上に続くエレベーターに向かって歩いた。
「氷室さんって、フリーのジャーナリストじゃなかったの?」
「フリーだから専属じゃない。それに、それが俺の本職じゃないのさ」
「じゃあ、何で、最初に会った時にフリーのジャーナリストだ、なんて名乗ったの? あたしがその関係の人、凄く嫌っているって知ってて……」
「ムカついたろ? 俺がジャーナリストだって言った時は」
「そうね。何に対してもどうでもよくなっていて、あなたの喜ぶことは何も言ってあげられない。って言った覚えがある」
「それでいい。知ってるか? 無気力な人間ってのが一番危ねえんだぞ。自分を支えるものが何もないから、いつパタっといくかわからねえ。笑いでも喜びでも悲しみでも怒りでも、自分が何かの感情で動いているうちは安心だ。
怒りが度を越して、犯罪に走ったりする奴もいるけどな」
ちょうどエレベーター前に到着した。
氷室さんが銀行で使うような、キャッシュカードくらいの大きさのカードを取り出す。
監視カメラが作動して、そこに身分証明のできるIDカードを見せる仕組みになっているらしい。
スイッチが点灯して、矢印が下を向き番号表示のされたパネルが一階に近づいてくる。全12階建てのビルらしい。
「一つ一つのフロアがでかいからな、上は12階までしかねえが横に広い。俺たちが行くのは四階だ。デザイン科」
そうこういっているうちに、あっという間に到着。
デパートの店内? って思うくらい広いフロアには、机や椅子は勿論、仕切り板にダンボール、パソコン、電話…あとは何? 実に様々なものが置かれていた。
「こっちだ」
なおも歩いていこうとする氷室さん。
「ねえ、ちょっと待って。何が何だか分からずにここまで来たけれど、どういうこと? 衣装合わせって何?」
「服を借りに来たんだ。たまには街で買い物でもどうかと思ってな、お前外行きの服って持ってなかっただろ?」
言われてみれば、外出用の服は今着ているこの一着だけだった。
元々服装には大して執着はなかったし、見せる人がいるわけでもないし…そんな理由を作っては、関心を持っていなかった。




