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解けない魔法  作者: 黒猫
~あるシンデレラの物語~
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22/23

最終章・解けない魔法

あたしがみんなに伝えたいことは


たくさんのありがとう


そしてあなたに伝えたいことは


ありがとうはもちろん――


愛してるって言葉と気持ち。


「まことに申し訳ございません」

 事情を説明されて、陽一と雄介は一度、座席から飛行場の待合室に戻った。

「何だか知らないが、迷惑なことをするやつがいるもんだな」

「うーん……そうっすね」

 雄介は、まさか、と気付いていたが、あえて口にしなかった。

 飛行機の中は禁煙になる。

 陽一は、別に吸いたくもないが、やめる理由もなくなったタバコに火をつけて、煙をふかす。


 目を疑った。 

 一瞬視界を覆った煙の向こうから、雪でグショクジョになったドレスに乱れた髪の毛を整えもせず、血だらけになったスニーカーを履いた綾が、そこに立っていた。

「……あ、綾」

 あ、の部分でくわえていたタバコを落としてしまい、一瞬何事かと雄介を見る。

 雄介はそっぽを向いて、気付かないフリをする。


 あたしは全身で呼吸をして、息を整える。

 まずはビンタ。それからっ、それからっ!

 陽一さんを見た瞬間、自然に涙が溢れてきて、前が見えなくなってしまった。

「あ、綾、これはっ」

 ぜいっ、ぜい、と呼吸が落ち着いて――

「うそつきっ!」

 あたしは精一杯の声を張り上げて叫んだ。

「うそつきっ! ずっと……一緒にいてくれるっていったじゃないっ!」

 陽一さんはあたしを真っ直ぐに見つめた後、申し訳ないような、何かをこらえるような顔になり視線を落とした。

 あたしの足に気付く。ここまで走ってきただけなのに、血で濡れて汚れてしまったスニーカーが痛々しかった。

「綾、お前まさか、ずっとここまで走ってきたのか?」 

「ううん、走った距離はそんなに長くないけど途中までヒールで走っていたから靴擦れしただけ。それより本当に、間に合ってよかった……」

 あたしは陽一さんに一歩を踏み出した。

 この一歩が、あなたに届く距離でよかった。

 あたしの足がもう少し遅かったら、夏美ちゃんに会えなかったら、あなたはあたしが、何千歩、何万歩あるいても決して辿り着けない異国の地に、行ってしまうところだったのだから。

「……綾。俺はどちらかといえば、日陰で生きてきた人間だ。元ジャーナリストで父親は権力者。叩けば埃が出るような裏の道を歩いてきた。

 そんな人間が、今人気絶頂の【AYA】と同居していると世間に知れてみろ。マスコミは喜んで飛びつくし、綾の過去だって面白おかしく暴かれる。俺はせっかくお前が手にした幸せの邪魔になりたくなかったんだ」

「あなたの居ない生活そのものが、あたしにとって幸せなんかじゃないっ!」

「しかし、俺の仕事なんて講師と言えば聞こえはいいが、一日五時間程度のアルバイトみたいな仕事だ。お前はもっと立派でまともな仕事をしている奴と、一緒になってだな……」

「立派な仕事ってなに? まともな仕事ってなに? 芸能人? 公務員? それとも、シンデレラの王子様? どの仕事なら”立派だ”って誇れるの? ”素敵!”なんていえるの? あたしが欲しいのは名声でも贅沢でもお金でもないのっ! あたしは陽一さんと一緒にいて、とってもとっても色んなことを教えてもらった!」

「俺は自分でデザートを作れるわけでもないし、メイクもしてやれなければ衣装だって作れない。あれはみんなのおかげだ」

「そんなことない。料理だって上手だし、消えたいと思っているあたしを救ってくれた。退院して病院から出た時も、学校で襲われそうになった時も、マスコミに記事のことで狙われそうになった時も助けてくれた。それにいつも送り迎えしてくれたじゃない。素敵な人たちと引き合わせてくれたじゃない。たくさん、たくさんっ!

 あたしの心と体を守ってくれたじゃない! みんな今だって……あたしの為にっ……」

 溢れてとまらない涙に、言葉が続けられない。

 すると――

「……はい。了解です」

 どこかと電話していた雄介さんが、電話をきって咳払いを一つ。

 あたしのところにやってきた。

「おやおやシンデレラ――靴がガラスの靴ではないけれど、一体どこに落としてきたのかな?」

 お芝居口調でそんなことを言い出した。

 あたしの履いている靴は、夏美ちゃんに借りたスニーカーだけど、元々ガラスの靴なんて使ったことがない。

 ドラマの小道具にはあるけど、実際に履いて歩けるものじゃないことは、雄介さんも知っているはずなのに。

「もしかして、さっきまで履いてたヒールのこと? あれは落としてきちゃったけど……」

 あたしがそう言い返すと、

「それはいけません。ならばオイラがシンデレラにとっておきの、ガラスの靴を――」

 言いながら雄介さんは懐に手を入れて、その姿勢のまま言葉を続けた。

「……と言いたいところすが、ガラスの靴なんてダメですよ。あんなにもキレイで繊細な靴じゃあ、未来という名の道を歩くのには、もろくて不確かすぎますからね。それよりもっと安全で確かなもので、しかも綾ちゃんに<ピッタリサイズの合う>ものを、ちゃんと渡してあげるべきではないですか? 氷室さん」

 懐から出された手には、小さな箱が握られていた。

 手のひらに乗る程度の大きさの箱で、何だかそういうものを過去にも一度、見たことがある。

「おっ、おい雄介! っなんでそれを?」

「悪いとは思ったんすけどね。氷室さんの部屋から拝借させていただきました。前に言ってたじゃないですか。『こんなものを俺が綾に渡しても、あいつの幸せの邪魔になっちまうか』って。

 上から二番目の引き出し。まさか外国に行っても使うわけないでしょうから引き出しに入ったままになってると確信してたんで、持ってきちゃいました」

 鍵はヘアピンで。

 それはこの場で説明することでもないので、黙っていた。

「それって……」

 あたしはまさか、と思って尋ねた。

「氷室さんから綾さんに贈る、サイズピッタリの『ガラスの靴』ならぬ『ダイヤの婚約指輪』っすよ」

「陽一さん……」

「そうだな。俺の気持ちは確かに今でも変わっていないさ。しかし、綾の幸せを第一に考え――」

「見損なわないで! 華やかな世界で豪華絢爛な生活を送って、テレビの中のキャラクターの、ミンナから愛される【AYA】より、あたしは、今のみんなと一緒にいたかった。ドラマを抜けたことで、みんなに迷惑かけちゃった。エレナに小畑社長。徹さんだって野上さんだって桜さんだって……」

「……」

 もう一度懐に手を入れた雄介さんが、あたしと陽一さんのちょうど中間に立った。

「さっきの電話ですけどね綾さん。後で説明しますけど、いい話っすよ」

 何のことか分からないけど、あたしにはそう言って笑顔を見せてくれた。

 今度は陽一さんに向きを変える。

「氷室さんの中では、もう答えは出ているハズっすね。それでも一応は――氷室さんには今、二つの未来を選ぶ権利があるわけです。ここで正直、氷室さんが『行かない』といっちゃうと正直オイラ、寂しいもので。選んでもらいましょうか。二つの未来のうちの一つを」

 取り出されたのは、氷室さんの航空チケット。

 雄介さんの左手には、あたしの知らない異国の航空チケット。

 右手には――小さな箱に入った、結婚指輪。

「雄介……」

「最後の意地悪です。どちらを選んだとしてもオイラはどの道、この便で空の上っすから」

 搭乗の準備が整ったようで、ご搭乗の再開を呼びかけるアナウンスが流れる。

「ど、どういうこと? 雄介さんも外国に行くって、あたし、てっきりお見送りに来ているとばっかり……」

「……よかったっす。オイラ正直――綾ちゃんがここに駆けつけた時、氷室さんしか見てなくて。オイラの存在が目に入ってなかったのが、ちょっとショックだったんす」

「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」

「冗談っすよ。だから最後の意地悪なんです」

 ははは、と雄介は笑う。

 綾ちゃんは気付いてないでしょうけど、オイラたちみんな、綾ちゃんのこと好きだったんですよ。

 もちろん、特別な意味で。

 徹の奴も桜のねえさんも、無茶しちゃったっすね。

 だからオイラが、最後に憎まれ役を買うっすよ。

「さあ氷室さん、あなたの選んだ未来を、その手にとってくださいっ」

 ひらひらと揺らす航空チケットと、婚約指輪。

 雄介はちゃんとわかっている。陽一がどちらを選ぶかなんてことは。

「……綾。俺はいわば、シンデレラに出てくる魔法使いだ。シンデレラを幸せにする為に魔法をかけて、あとは静かに消えるのみだ。ところが俺は料理しか作れずにデザートとメイクも知識だけ。ただの凡人だ。だから正直、怖かった。お前を幸せにするのは、俺じゃないと思っていた」

「ううん、もう十分すぎるほど、幸せだったよ」

「そう言ってくれると、俺も救われる。決心がついた」

 陽一さんが受け取ったのは――異国のチケットのほうだった。

「……」

「凡人の俺にとっては何の魔法も使えねえ。だがな、必死になって走ってきた綾の姿をみて、俺が使える魔法を思い出した」

「?」

「人は誰でも、最終的にその決断をしなきゃならないんだ。それは――『未来を決めること』」

 陽一さんは勢いよく、航空チケットを破り捨てた、

「――!」

「こりゃ魔法でも何でもねえ。誰もが当たり前にできることだ。この手で未来を掴み、この足で歩いていく」

 あたしは驚いて固まっていると、陽一さんが”婚約指輪”を掴んだ。

「雄介、悪いがフランスへは一人で行ってくれ」

「あーあ、オイラ、一人でウイスキー飲むことになるんすね。寂しいなあ~」

 そうは言うものの、清々しい笑顔だった。

 そしてあたしの方に向きを変える。  

「さっきの電話の伝言です。小畑社長からです。

『ちょっとアンタたち、どれだけ無茶したのよっ。徹も悦子ちゃんも、釈放するためにどれだけ苦労したと思ってんのっ!

 あと飛行機の件だけどもね、桜が滑走路にまで出て止めてくれようとしたみたいだけど、エレナが「爆弾を仕掛けた」なんて嘘の電話をするもんだから、飛行機はそれでストップよ。桜は厳重注意で済んだみたいだけど、アタシどれだけの賠償金を払わなくちゃいけないと思ってるのよっ!

けどね、間に合ったみたいで本当によかったわ。それと綾、最終話はあのままオンエアすることにするわっ。最後のシンデレラは、王子様じゃなくて魔法使いを追って飛び出した、こんなラストだっていいんじゃない? だから、気にすることもないわよっ。ちゃんと気をつけて帰ってらっしゃい。

あとね、氷室ちゃんに、辞表は受けたから今度はクラウンジュエルの専属講師になったら? すぐに合格するわよ。面接官はアタシだから』……だ、そうです。暗記するの大変だったっす」

 おつかれさまとか、雄介さんありがとうって言うよりも早く、あたしは――

 今日一日だけで、一生分の涙を流している。

「なんだ、あの電話、エレナの仕業か」

「迷惑な奴もいるもんだっ、て話していたら、知っている人間の仕業だったってのが驚きっすね」

「あの、お取り込み中失礼致します。間もなくお時間ですので、ご搭乗のほう宜しくお願い致します」

「それじゃあオイラはこれで。氷室さん、綾ちゃん、お元気で」

「雄介さんっ! また、帰ってくるんですよねっ!」

「でなけりゃあ、こっちから押しかけるぞっ!」

「……はは、それはそれで楽しみっすね。向こうについたらまた、住所書いて送ります」

 バイバイと手を振って、雄介を乗せた飛行機は滑走路からはるか上空へ――飛び立っていった。

 そしてこれは、今より約三十分後の話となるのだが、雲の中に入った飛行機の中で――


 ――……


 ピリリリリ―― ピリリリリ――

 緊急用の携帯電話が着信。

「お客様、飛行機内での携帯電話のご使用は……」

「す、すいません。すぐ終わりますんで……もしもし?」

『城戸ちゃん? アタシ。小畑よ。アンタが探していたフランスの有名なメイクの先生ね、今日本に来ているんですって。しばらく在住するみたいだし――ウチも有能なメイクスタッフが抜けるのは困るから、戻ってらっしゃいよ。ただし、黙って消えようとした罰は重いわよっ。罰としてトイレ一ヶ月、メイク(掃除)してもらうからねっ』


 プツ。ツーツー。


「……」

 なんてこった。

 オイラの探してた先生、日本っすか。

 まずフランスについたらやることが決まった。

 日本行きのチケットを購入することだ。

 今は少し眠ろう。

「まいったっすねぇ」

 けれど言葉とは裏腹に、口元に安堵の笑みを浮べて、眠りについていた。


 ――……


 雄介さんを二人で見送った。

 改めて陽一さんは、あたしと向かい合った。

 あたしたちはお互いに一歩、前に出て、二人の距離がほとんどゼロになる。

「俺は臆病者だったが、もう逃げたりはしない。それで綾、よかったら、なんだが……俺と一緒に……」

「あたしにとって、あなたは……陽一さんは、これ以上ないくらい、大切な人だよ」

 陽一さんの手が小さな箱を開けて、中から婚約指輪を取り出す。

 その白くて滑らかな手で、これからもあたしを守ってね。

 あたしの頬を伝う、嬉し涙を優しくさらってくれたきれいな指。

 今のあたしときたら、雪でぬれたドレスにバサバサになった髪、メイクだって落ちてるかもしれないけど。

 陽一さんは構うことなく、そっと抱きしめてくれる。

 あったかい……。

 今あたしは、最高の幸せを最愛の人と抱きしめている。

 これはずっとずっと、終わることのない――

 最高の、解けない魔法。

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