午前零時の鐘が鳴る前に
午前零時の鐘が
魔法の終わり
急がなきゃ
あの人は遠い
異国の地に旅立ってしまう
それからの一ヶ月間は、今までのあたしの人生の中で最も忙しく、最も充実していて、最も変化にとんだ日々だった。
ドラマの収録の合間を縫ってCMの撮影。
声で学校にバレちゃいけないから、ラジオと音声インタビューは全て社長が断ってくれていたんだけど、逆にそれが【謎の美女。AYA】【年齢、経歴、素性、本名が一切謎の天使】【凛とした中に陰を秘めた期待の新人】など、各誌がこぞって記事を取り上げて、AYAは一躍、時の人になってしまった。
「凄いねっ綾っち!」
「『週間未来』『スマッシュ』『プレイガール』『WANWAN』……各雑誌の見出しが全部、綾さんですものね」
スケジュールの合間をぬっての食事時間で、わずかな時間でもみんなと会いたくて、食堂でテーブルを囲んでいた。
「なんか自分は、綾さんが遠くに行ってしまう気がして寂しいです!」
「いや、あの、桜さん、徹さん、あたしはあたしですから、何にも変わらないし、むしろみんなと合える時間が少なくなるほうが寂しいし……」
「まあこの子ったら。口ばっかりが達者になっちゃって、何も出やしないさね」
「そういいながら悦子ちゃん、綾のハンドバックをはりきって作っていたじゃない?」
「そ、それは単に、素材が余ったから作ってやろうかと思っただけさね、この子ときたらロクなバッグの一つ持ち合わせてなくて……ん?」
全員の視線が声の主に集中する。
「なんで社長がここにいるんですか? 悦子ちゃんなんて呼び方する奴ほかにいねえし、思いっきり、自然に溶け込んでましたよね?」
「ここはアタシの会社なんだから、どこに居ようといいじゃないのっ」
かといって社員食堂<といってもレストランだけど>に、混ざっている社長というのも珍しい。
「どうせ電話がなりっばなしだから逃げてきたんじゃないすか?」
「き、城戸ちゃん、アナタもしかして、人の心が読めるの!?」
いやバレバレですから。
「社長! こんなところで何やってるんですか! 早く来てくださいっ」
「しゃちょー」
「シャチョー」
「まっ、待ちなさい。アタシのきつねうどんのおあげがまだっ!」
小畑社長は会社の重役に連れ去られてしまった。
まるで嵐が通った後のような出来事に、けれどみんな、何事もなかったかのように、食事をすませた。
三月二十五日。今日はついに、といってもあたしには割と実感のない卒業式の日。
それでも、この制服に袖を通すのが最後かと思えば、また名残惜しさも出てきちゃう。
「じゃあ昼過ぎに迎えに来る。今日はドラマの最終話の収録だ。名残惜しいかもしれないが、あまり寄り道せずにな」
「うんっ」
あたしにはこれが、最後になる学校生活。
卒業式が始まり、生徒会長が卒業生代表として最後の挨拶をし、在学生からの祝辞を受ける。
校長先生から一枚ずつ渡される賞状も、あたしには正直、感動はないと思っていたけれど――
いざ受け取ってみると、胸に残る温かなものを感じる。
教室内では、クラスメイトたちが肩を寄せ合い抱き合い、離れていても一緒だよっとか、連絡取り合おうねとか言葉を交わし、ある男子生徒は好きだった女子生徒に告白をし、またある人は他の生徒に、今までの謝罪をしている人までいた。
仲良くなったクラスメイトから、色紙の寄せ書きを頼まれたり、最初は酷いこと言ってごめん。と謝ってくる子もいた。
みんなそれぞれの道を歩き出す。
自分は芸能界という道に進んでいるけれど、だからといって優れているとか凄いんだっていうつもりも無くて、安定した将来が約束されたわけでもない。
一時的なブームはすぐに消えるものだとも知っている。
あたしだって、これから次第だよね。
「綾っ~」
廊下の向こうから、夏美ちゃんが駆けてきた。
「お互い無事卒業できてよかったよね~。わたしさあ、赤点多かったからヤバっとか不安だったけど、卒業できるって分かってからラッキーと思ってたら、不覚にも、泣けてきちゃったじゃんね」
「あたし、この学校に来て夏美ちゃんに会えて、本当によかったと思ってるよ」
「な、何よ急に、どうしたの? そうだ綾、前に行ってたさ、保母さんの学校に行くことになったよ。ちょっと遠いところだから会えなくなっちゃうかもだけど……」
「ううん、あたしのほうからも会いに行くよ。住むところ決まったらまた教えてね」
「勿論じゃん。で、綾はさ、この後どうするの?」
この後、というのは、卒業式が終わってからの予定じゃなくて、進路のことなのは遠慮がちな夏美ちゃんの声で分かった。
「あたしは進路、もう決まっているよ。実はもう働いているんだ」
卒業式だからもう問題はない。
夏美ちゃんにだけこっそりとあたしの包帯の下の傷は無く――あたしが【AYA】だと伝えた。
びっくりして口をパクパクせていたけれど「マジ?」と聞かれた大きな小声に、あたしは「マジで」と笑顔で返した。
卒業後の再会を約束して、あたしは校舎を出た。
最初は、父と母が残してくれたから……その義務感で通っていた高校も、最後になってみると通っててよかったと思える。
校舎を出ると、ちょうど陽一さんが到着したところだった。
「待たせたか?」
「今来たところだよ」
車に乗り込み、クラウンジュエルのビルに向かう。
その途中――陽一さんがあたしの手を握る。
「片手運転は危ないよ?」
「平気だ。雪も落ち着いたし、問題ねえよ。それより綾、家の鍵はちゃんと持っているか?」
「うん? いつも持ちあるいてるよ」
あたしは学校に持っていってるカバンに、キーホルダーと一緒につけてある鍵を掲げて見せた。
何? と聞くと、陽一さんは何でもないと答えて、手元にある賞状に目をやり「卒業おめでとう」と言ってくれた。
「ありがとう」
雪は少し解け始めてはいたものの、路面は危ないから、安全運転で時間をかけて、クラウンジュエルに到着した。
みんなで一緒に食事をして、しばらくの間の談笑をする。
ドラマの収録は午後の一時から。十二人のシンデレラ、の最終話でありメインヒロインという主役を抜擢されたあたしは、緊張で頭が一杯だった。
「綾、ちょっといいか?」
本番十分前。楽屋で待機していたあたしのところに陽一さん尋ねてきた。
「どうしたの?」
「……いや、これといった用はないんだが、緊張していると思ってな」
「当たり前だよ。手も足もガクガクして体も震えちゃって」
不意に予告も心の準備もなく、キスをされた。
「……」
ビックリしてしばらくあ然としていたけれど、すっ。と離れた陽一さんは「じゃあ、頑張れよ」とだけ言い残して、部屋を出た。
ただ呆然と事態が把握できなかったあたしの心臓は、不思議なほど安定した鼓動になっていた。
楽屋を飛び出して、そこから見える陽一さんの背中に叫ぶ。
「ビックリしたけどっ、ありがとうっ」
陽一さんは振り返らずに、右手だけ上げて、エレベーターに乗っていった。
お化粧は勿論、雄介さんにしてもらって、靴はガラスの靴をイメージした白銀のハイヒール。
髪も小畑社長とエレナちゃんにアップしてもらって、衣装は勿論、野上さんのオリジナル。
ドラマの撮影はこれといったNGもなく順調に進み、途中で何回か休憩を挟みつつ、いよいよクライマックスシーンが近づいていたその時――
「綾さんっ!」
突然スタジオに駆け込んできた男がいた。
徹さんだった。
「ちょっ、カットカット! 徹ちゃん、一体なにごと? 今は本番中なのよ?」
「すいません社長っ。無理は承知ですっ、けど大事なことなんですっ!」
桜さんも一緒だった。
その手に、小さな封筒があった。
「あの……どうかされたんですか?」
何事かと思って尋ねる。
「兄さんがっ、自分はっ、自分は兄さんを……見損ないましたっ!」
といいながら、涙ながらに封筒を渡してくれた。
真っ白で飾り気のない封筒で、中には一枚、折りたたんだ紙が入っていた。
陽一さんからの、手紙だった。
「綾さん。私たちはその手紙の内容を知りません。けど、事情を雄介さんからお聞きしました」
「……」
何だろう、こんなときに手紙だなんて。
それを開いた時、あたしは今まで、ここ数日間――ううん、もっと前から感じていた違和感の正体が、現実のものになったことを知る。
手紙に目を通したあたしは、血の気が引くのを感じ、その場で倒れそうになったところを桜さんに支えられた。
「綾、わたしも事情は聞いたさね。行くだろう? 午前零時の鐘がなる前に、追いつかなきゃ手遅れさねっ」
「はっ、はい!」
あたしは頷いて徹さん、桜さん、野上さんの三人とスタジオを飛び出す。
一瞬呆気にとられていたスタッフたちが、大騒ぎになった。
「ちょっとAYAさんっ。どこ行くんですか?」
「本番真っ最中ですよっ」
取り押さえようとするスタッフたちが、何かに足をとられて転んだ。
スタジオに無数に設置されたケーブルの類か何かに、躓いたのだ。
「エ、エレナさんっ」
どよめくスタッフたち。
それはエレナが持ち上げたケーブルだった。
「ごめんねみんなっ。事情は分からないけれど、綾たちがあんなに血相変えて飛び出すってことは、きっととっても大変なことがおきているはずだから」
小畑社長は、しばし呆然としていたけれど「まさか氷室ちゃん。冗談だと思っていたのに……」懐から取り出したのは氷室陽一の退職届け。
どよめく共演者とスタッフに、小畑社長は、声を上げた。
「撮影は一旦中止よ! しばらく事情があって席を外すけど、すぐ戻ってくるわっ」
「しゃちょ、もしかしてお兄ちゃん――」
「あのっ馬鹿っ。綾を置いていくなんてっ! 後でキッチリと絞ってやるんだからねっ」
小畑社長とエレナは、社長室に走る――
地下駐車場に到着したあたしたちは、野上さんの車に乗込んだ。
「わたしの車が一番いいさね。雪道にも強いし、ある程度のスピードは出せる。こう見えても運転には自信があるからね」
「大丈夫ですわ綾ちゃん。野上さんの運転技術なら、きっと間に合います――」
桜さんの励ましの言葉も、あたしの耳には届いておらず、握り締めていた手紙をもう一度読み返す。
”綾へ。この手紙を読んでいる頃には、俺は遠い異国の地に旅立った頃だろうか――”
車は勢いよく発進して、駐車場を出た。すっかり日が落ちた街は街灯とビルの光がきらめいて。
あたしは陽一さんと過ごした思い出の日々が、この灯りの一つ一つと重ねてしまう。
そしていずれ、おぼろげに消えてしまうのではないかと錯覚する。
”ずっと一緒に居たいと言ってくれた綾の気持ちはとても嬉しいが、綾が巣立つ世界の中で、俺の存在は、はっきり言って邪魔になる”
”勘当した親父の会社から、跡を継げと圧力がかかった。このままではお前や、みんなにまで迷惑がかかる。それに、元々俺は、そこらのチンピラとそう変わらない生活を送ってきた。そんな俺の存在は、格好のマスコミのネタになる”
「そんなっ、そんなことないのにっ」
溢れ出す涙が止まらない。
”俺の存在がおおやけになれば、綾の過去のことを掴む奴らも出てくるだろう。現に今も、かなりの数の記者が情報を掴んでいた。綾には幸せを掴んでもらおうと思っていたのに、やっと掴んだ幸せを、俺が引っ張るわけにはいかねえ”
車は法定速度を大幅にオーバーして、雪も赤信号も構わず疾走する。
「徹、国際空港までの時間をナビで操作して出してくれるかい?」
「兄さんっ、俺はっ、兄さんっ」
パアン――
動揺する徹さんの頬を、平手打ちしたのは、意外なことに、桜さんだった。
「徹! 悲しんでいるのはあんただけじゃないの。それに私たちは、氷室さんと綾さんに幸せになってもらうために、その為に飛び出してきたんじゃないのっ」
普段はおっとりしていた桜さんが始めて見せた、激しい怒声。
うつむき沈んでいた徹さんは、きっ。と前を見て慣れた手つきでカーナビを操作する。
「わたしらにはナビ操作が正直分からなくてね、徹にいつも任せていたのさね」
あはは、と笑う野上さんの頬と手には、じっとりと汗が滲んでいた。
何とかあたしの気を落ち着かせてくれようと、そんな言葉の一つもかけてくれているのに――
”俺はちゃんと、シンデレラだったお前の魔法使いでいられたか? 最後まで沢山の魔法を、かけてあげられたか?”
”世の中にゃ俺なんかより、もっとかっこよくて立派な職について、皆が祝福してくれるやつがいる。十も年の離れたこんなオッサンなんかより、綾は綾の、王子様を探せ”
”午前零時の鐘と共に、日本を去る。最後にお前と会えてどれだけのことに気付かされたか分からない――ありがとう”
あたしは手紙をぐしゃぐしゃに握り締めた。
「冗談っじゃ、ないんだからっ。そんなのあたしはっ……認めないんだからっ!!」
精一杯の声を上げて叫ぶ。
現在の時間は、十一時五分。国際空港までの到着予定時間、およそ六十分――
「暗闇と雪の悪路に阻まれてるからねっ。ギリギリ到着できるか危ういところだけど、間に合わせないといけないさねっ」
野上さんの運転は確かにプロ級で、雪と夜の闇を切り裂いて、どんどんスピードを上げていく。
しかし――
「……っ!」
急ブレーキを踏んでスリップし、危うく近くのビルに衝突しそうになった。
野上さんの車のライトが照らす先には、無数のバリケードと数台のパトカーで封鎖された道だった。
――……
立ち上る炎にタバコを近づけて、火をつける。
何ヶ月ぶりかに吸ったタバコの味は、ただ煙の味がするだけで、もう、美味いとは感じなかった。
「あと一時間弱で、日本ともお別れっすね」
「そうだな……」
紫煙と共に漏らした陽一の言葉に、雄介は苦笑した。
「美味しくないんでしょ? それ」
「……そんなことねえよ。元々はアイツがタバコを嫌いだったからやめていたに過ぎねえわけで」
強がってみるものの、やっぱり以前のように、うまいと感じることはなかった。
自分はこれでよかったんだろうか。そう考えると迷いが生まれて、迷いは足を止める。
だが、もう決めたことだ。
「本当によかったんすか? オイラと一緒に海外なんて」
「仕事は選ばなければどうとでもなるし、専門知識を活かせばある程度は何とかなる。
一生骨を埋めるつもりもねえ。それにお前がいなかったら、誰とウイスキーを飲み明かせばいい?」
「元々オイラと氷室さんのキッカケって、ウイスキーでしたもんね。思えば不思議な縁すけど、まさかこんな局面にまで立ち会うなんて、思ってもみなかったっす」
「迷惑かけたな。荷物とか、まあ、色々とな」
「いいえ、それは別に、構わないですけど……」
雄介が時計に目をやった。
――三時間前。
雄介は陽一に「俺が綾を迎えに行っている間に、俺の家から荷物を運び出しておいてくれ」と頼まれていた。
雄介が氷室宅にお邪魔したときには、旅行用のトランクケースに荷物が詰め込まれていて、陽一の部屋の隅に隠してあった。
(綾ちゃんがこれを見つけたら、気付かれるかも……すか)
複雑な心境になりながらも、荷物を持ってリビングに立ち寄る。
ここで初めて、綾ちゃんに会ってメイクして。
一緒に食事をしたり、年末にはバカ騒ぎをしたり。
そのどれもが昨日のことのように思い出されて、胸が痛くなる。
「このテーブルの上で……」
何となく目にしたリビングのテーブルの上に、一通の封筒が置かれていることに気が付いた。
これってもしかして。
封がしてなかったから中は容易に見ることができる。しかしこれは、陽一が綾に宛てたもの。
他人が勝手に覗いていいもんじゃない。
しかし内容は概ね想像がつく。
今日黙って出発することの報告と謝罪が書かれているのだろう。
綾ちゃんが家に帰ってきてこの手紙を見るのは、恐らく深夜。
そのときの綾の顔を想像して、雄介の手は自然と手紙に伸びていた。
中身を見るわけではない。
ただ、届けなくてはいけないと思った。
……氷室さん。オイラ、嫌われ役でも憎まれ役でも構わないっす。
綾ちゃんの泣き顔を残して、外国に飛び立つことなんて、オイラにはできないっす。
携帯電話のメモリから、綾を見つけてダイヤルするが『おかけになった電話は――』の機械音声が流れるのみだった。
だから託す。
陽一と合流する前に、アートスタジオに寄り、徹のもとにこの手紙を届けた。
「どうした雄介。今自分は会議中でなっ、新店舗のオーナーになることが決定した! とびきりのスイーツを腹が裂けるまで食わせてやるから、是非、三食抜いてこいっ」
ガハハ、と豪快に笑う徹に、ずっと内緒にしていたことを話した。
「徹。今日、オイラと氷室さんは海外に発つっす。ずっと皆に言い出せなかったけど、そりゃやっばり照れくさかったからで」
「なっ、なんだと? おいこら雄介っ! お前っなんで今まで黙ってた!」
襟首を掴み上げて壁に押し付けた。徹の目には涙がたまっていて、真っ直ぐに雄介を見つめていた。
「お前とか桜ねえさんの熱いところとか、野上のアネさんのお節介なところとか、エレナの能天気な明るさとか、社長の人情だとか、みんなが絶対、止めてくれるってわかっていたからっすよ。オイラはこの話は、ずっと前に決心していたことなんすよ。
だから今更、絆だ友情だなんて、そんなのに足引っ張られて決心が鈍ったら困るから……に決まってるじゃないっすか」
雄介の目から、大粒の涙がこぼれる。
「本当はこの手紙がなけりゃ、誰にも言わずに行くつもりだったんす。どれだけ後悔しても後戻りができない空の上で、泣くはずだったのに。恨むなら、陽一さんを恨むっすよ。今夜の午前零時、国際空港発……オイラは辞表を出したから、クラウンジュエルには入れないんす。
この手紙を……一番伝えなきゃいけない人に、徹っ、どうか、お願いします!」
大きく大きく頭を下げて、今までありがとうの言葉を残し、雄介が立ち去った後、呆然とする暇もなく、会議室を後にした徹は桜、野上と合流し、全力でクラウンジュエルへと向かった――
勿論、陽一はそのことを知ることはなく、雄介と空港で合流し荷物を受け取り、今に至る――
「……」
すっかり小さくなったタバコをもみ消して、吸いたくもないタバコの二本目に火をつける。
「氷室さん。こういっちゃなんですけどね。空っぽになった心は、タバコの煙やウィスキーで満たされるもんじゃないっすよ」
「……生意気な口をきくようになったな、雄介。しかし、その通りだな」
にっ。と笑う。二本目のタバコは一口で捨てた。
「本当に、よかったんすか?」
その問いは今更だということは、雄介は勿論わかっていたし陽一の答えも決まっていた。
「ああ、もう決めたことだ。俺はな、王子様なんかじゃねえ、魔法使いだったんだよ。シンデレラを幸せにした魔法使いは、いつまでもそこにいるべきじゃねえ。黙って消えるべきだ。やっと手にした綾の幸せを、俺のせいで台無しにしたくねえんだよ」
「そうすか……」
その選択は正しいのか?
あるいは間違っているのか?
その答えを決めるのは陽一であり、雄介ではなかった。
ただ、雄介は雄介の、例え憎まれ役になってでも、成し遂げたかったことをした。
そして――その意思を受けた、皆も。
――……
『緊急停止命令をする。おとなしく運転手は車を降りなさい』
パトカーのスピーカーから、クリアな音声が響いた。
誰かが通報したのかあるいはオービスで引っかかったのか。
空港まで続く一直線の道が、パトカーとバリケードによって封鎖されてしまった。
「……まいったねこんな時に。他の道を抜けようにも空港へはこの道からしかいけないさね」
カーナビの表示が、チカチカと点灯して進路を示し、一本道が先にずっと続いている。
時間は刻一刻と過ぎてゆく。
「野上さん、そこからあの右二番目のバリケードが見えますかっ?」
「うん? ああ、パトカーとパトカーの間にある白い封鎖ブロックさね?」
「自分があれを何とかするんで、そこからの突破は、可能ですか?」
「そうね、ギリギリ……可能さね」
「そんなっ、徹さんっ。野上さん。やめてください。そんなことしたら、お二人とも重罪で捕まっちゃうじゃないですかっ! あたしのワガママでここまで付き合ってもらっているのに、これ以上あたし、大切な人を失いたくないんですっ」
「綾さんっ。涙を拭いてください。そう言ってもらえるだけで自分は十分なんですよ。兄さんを愛する女性がいて、兄さんは彼女を置いて飛び立とうとしてるっ。綾さんはもう、大切な人を失ってはいけないんですっ」
「あたしにはっ! 徹さんだって野上さんだって桜さんだって、みんな大切な人なんですっ!」
「捕まっても死にゃしませんよっ。野上さんっ、桜姉さんっ、綾さんっ、自分はみんなとおんなじくらい、甘いモノ大好きなんで。そういう差し入れ――お待ちしていますっ」
吹雪が荒れる中、徹さんが勢いよく飛び出した。
『お前が運転手か? ゆっくりとそのまま近づいて…おい! 止まれっ! ゆっくりと来い!』
「うおおおおお!!」
警告を振り切り、徹さんが指定した封鎖バリケードに手をかける。そしてそれは、なんと持ち上がってしまった。
彼は以前『軽自動車なら持ち上げることができますが』と言っていたけど、それは大袈裟ではなく本当だった。
車を降りようとしていた警察官より先に、野上さんの車はその隙間をすり抜けた。
それを見届けた後、徹は封鎖ブロックを道の真ん中に置いて、パトカーの妨害をする。
「公務執行妨害ならびに、道路交通法違反の手助け、ならびに――」
駆けつけた警官に押さえ込まれ、徹はその場で手錠をかけられた。
一直線の道をなおも疾走する車の中で、あたしは流れる涙を抑えられずにいた。
「徹さん! あたし、あたしなんかの為にっ!」
「いいかい綾。わたしたちはね、氷室坊やと同じくらい、あんたが好きなんだ。けど氷室坊やは、わたしらよりもっともっと、あんたが大切なのさね。だから姿をくらませることを選んだ。その気持ち、分からなくもないけどね、女に別れを告げるときに花束の一つも持っていかない奴は最低だよ。
愛しているから、別れるっていう選択をしたのかい? 氷室坊や……違うさね。愛しているのなら、最後まで守り通すもんさねっ!」
メーターギリギリまで振り切って加速する車の中で、なおも後ろから追い上げてくるパトカーの光が見える。
「同感ですわ。野上さん。さあ、あとは私が何とか致します」
「桜。あとは頼んだよ。空港まではここから十分さね。巻き添え食わないように、早くいくんだよっ」
住宅街付近に差し掛かり、車を止めてくれた野上さん。
あたしと桜さんは車から降りて、裏道を走っていくようにといわれる。
「野上さんっ」
あたしは感謝の言葉とお詫びの言葉を告げたくて駆け寄った。
開けられた窓から、野上さんが優しく微笑む。
「わたしに娘がいたら、ちょうどあんたくらいの年だったろうね。諦めるんじゃないよ、人の足を進めるものは『希望』。そして止めるのは『諦め』なんだからねっ」
「さあ、綾さんっ」
桜さんに手を引かれ。あたしは警察の目を逃れるために裏路地へと入った。
ほどなくしてパトカーが野上さんの車を取り囲む。
「スピード超過、停止無視命令ならびに……」
警官はすらすらと違反内容を述べる。
「どうでもいいけどね、二月の寒空は年寄りには堪えるのさね。窓が締まった車内で話を聞かせておくれよ。パトカーに移動すればいいのかい?」
「……」
「警戒しなくても逃げやしないよ。どのパトカーに乗ればいいのさね? 選んでもいいのかい?」
捕まったわりにはあまりに堂々とした態度に、警官たちは注意をそらさなかった。
結果として、注意がそれた綾たちには誰も気付くことなく、だた一人、それを確認した野上悦子は黙って両手を差し出し、手錠がかけられた。
国際空港まで走り続けていたあたしの足は、慣れないハイヒールと雪のせいで何度も足をとられた。
「頑張って、綾さん。もう少しですわ」
「ごめんなさい、桜さんに、まで、付きあってもらっちゃって……」
呼吸が続かなくて、言葉も途切れ途切れになってしまう。
ヒールの中で靴擦れを起こし、歩くたびにビリビリと痛む。
だけど、今は立ち止まってはいられない。
ついに国際空港の階段についたあたしたちは、必死になって駆け上がる。
時計の針を見た桜は気付く。
時間は十一時四十分。
出発の搭乗手続きは、十五分前からが可能になる。
実質、残り五分でこの広い国際空港の中から氷室さんを見つけ出すのは不可能に近い。
と、なると……少し荒っぽいけれど、この方法しか残っていない。
階段を何とか登りきった先で、桜さんがそっと手を差し伸べてくれた。
「あ、ありがとう」
「綾さん……お正月の約束、覚えておられますか?」
お正月の約束?
あ、確か桜さん。
「今度、二人で温泉でも行きましょうか。海の見える温泉にでも……」
って言っていたような気がするけど。
「あれ、本気だったんですよ。私、氷室さんも綾さんも、とっても大切な方なんです。どちらかが居なくなるなんて、考えられません。ですから、私からのお願いをきいていただいてよろしいですか?」
「はっ、はい!」
「氷室さんに、一発思いっきりビンタをお願いします。これだけ皆様に心配をかけたのですから、当然ですわ」
桜さんの優しい笑顔はそのままで、今まで一番きついことを言う。けれど『迷惑』ではなく『心配』という辺りが、桜さんの優しさがうかがえた。
「分かりましたっ」
陽一さんに一発、ビンタを入れなきゃいけないと思うと、痛くて冷たくて動かなかったはずの足に不思議と力が戻ってくる。
「それと、お二人のお邪魔はできませんので、温泉は取り消していただいて結構です。でも――」
ちゅっ。と不意打ちで、桜さんにキスをされてしまった。
「……」
女の子同士なのに。
あたしの頬が赤く熱くなるのを感じる。
「これくらいは、役得ということで。さあ、お急ぎ下さい。時間がありませんわ」
「桜さんはっ……」
「私なりの方法で、お役に立てると思います。ターミナルは真っ直ぐ駆け抜けていってくださいませ。綾さん――あるいは、氷室さんと一緒に海外についていくというオチも、ありかもしれませんわね」
そういい残すと、桜さんはなぜか建物の中には入らず、違う場所に駆けていった。
あたしは最後の通路を駆け抜ける為、足を動かしたけれどここまで来て――ヒールのかかとが折れて、まともに走れなくなってしまった。
靴を脱いで走ろうかとも思っていたその時、あたしを見つけて駆けてきた人がいた。
「綾っ。あんた綾じゃんっ?」
「夏美ちゃん?」
私服だったから気付かなかった。
「本当に、あんたが【AYA】だったんだ。驚きだよ。けど、どしたの? そんな格好で……靴も壊れちゃってんじゃん。もしかしてこれって、撮影?」
「ううん、ごめんね。いかなくちゃ」
「待ちなって。そんな靴じゃまともに走れないでょ? わたしのスニーカー貸してあげるから、これで走りなよ」
「でも、夏美ちゃんは?」
「平気よ。予備の靴があるんだし。何だか知らないけど急ぎなんでしょ?」
「ありがとう夏美ちゃん。でもっ、どうしてここに?」
「うん? ああ、海外に旅発つ友達がね、十二時の便で出発するっていってて、見送ってきたところ」
「飛行機は?」
「まだ飛んでないみたいだけど?」
「ごめん、もう行かなきゃっ。夏美ちゃん、本当にありがとう」
夏美ちゃんに借りたスニーカーに履き替えて、あたしは一直線の道を駆け抜けていく。
ドレスにスニーカー。なんて凄い格好なんだろうなんて思う暇も、あたしにはなかった。
最後のエスカレーターが見える。
案内板が見える。
国際線乗り場。ここさえのぼれば、間に合うんだ――
―――……
最終チェック完了。
今まさに、離陸の準備が完了した飛行機に、最大のトラブルが起こった。
「お、おいっ、なんだありゃ?」
「はあ? なんで、滑走路に人がいるんだよ?」
警備室の監視カメラがとらえた映像の一コマに映っていたのは、滑走路に立つ桜の姿だった。
両手を広げて真っ直ぐに飛行機を見上げるその姿は、どう見ても、単に迷い込んでしまった人の姿ではない。
「『機長、離陸はまだ控えて下さい。滑走路に人が紛れ込んでいます』」
知らせを受けた飛行機は、予定を少しだけ遅らせることになり、桜は駆けつけた現場の警官に取り押さえられた。
「この厳重なバリケードにどうやって侵入したんだ?」
現場にいた誰もが頭をひねったが、その答えは桜のみが知っている。
他に異常がないか、最終点検のし直しの為、十五分の待機が設けられた。
そして綾は、最後のエレベーターを駆け上がっていた。




