ただいま休憩中
彼女が地図に書き込んでいる店の情報をよく見ると、本好きの人ならすぐに分かる、小説家にゆかりのある店ばかりだった。
店名と小説家との由来を読んでいると、彼女が横から地図を覗き込んできた。
爽やかなシトラス系の香水が漂ってくる。
やっぱり距離が近い。
彼女はパーソナルスペースを気にしないのだろうか。
「どう? エムくんは昨日の夜、すぐにお眠だったけど私はあれからこの地図を作ったのよ。凄いでしょう」
昨日はあんなに疲れていたのに、そこからこの地図を作ったのは立派だと思う。
でも、よく見ると銀座の店は2、3軒しかない。
あとの店は地図の外に書かれている。
それなら、銀座の地図に書き込んだ意味がないんじゃないかな?
僕が微妙な表情をしているのに気づいたのか、彼女は地図を取り上げて説明を始めた。
「思いついて作り始めたんだけど、文豪が通った銀座のお店って、あまり残っていないの。少し範囲を広げてネットで調べてみたら、いろいろなお店が紹介されていて、面白い逸話も読めたから、余白に書き足したのよ」
新橋や浅草は近くだから分かるけど……だから新宿の店まで出てくるのか。
地図のことは分かった。でも、肝心のお昼は、どこへ食べに行くのかな?
「エムくんの表情は分かりやすいなぁ。どこへ食べに行くのか分からなくて、途方に暮れたのでしょう?」
はい、正解です。途方に暮れているわけではないけど。
「エムくんの初めての銀座到達記念に、お店を予約しました」
「わざわざ、予約を?」
銀座が初めてではないことは、あえて話さなかった。
あれはトラブルに遭遇した深夜の出来事だったし、彼女も自分がどこにいるのか分かっていなかったと思う。
それより、予約が必要なお店に入るような服装をしていないんだけど。
僕の挙動で察したのか、彼女が言った。
「お店は普通の洋食屋さんだから、心配しなくて大丈夫。さあ、行きましょう」
「これ、どうするの?」
僕は、自分たちが座っている折りたたみ椅子を指差した。
「大丈夫。ちゃんと持ってきました」
彼女は椅子から立ち上がると、肩掛けバッグの中から折りたたんだ紙とセロテープを取り出した。
そして、椅子の座面に貼り付ける。
『ただいま休憩中』
なるほど。
こういうところは、彼女らしく用意周到だ。
僕も立ち上がり、紙とテープを借りて椅子に貼り付けた。
紙を貼り終えると、彼女は歩行者天国の車道に降りて駆け出した。
少し先で振り返り、
「こっち、こっち!」
と、両手で手招きをする。
彼女は身振りが大きい。美少女の風貌が周りの目を引く。
近くを歩いている人たちが彼女を見て、その視線の先にいる僕を見る。
みんな、そんなにがっかりした顔をしないでほしいんだけど。
彼女に追いつき、銀座の歩行者天国を並んで歩く。
国道1号線、中央通り。
道幅は広いけれど、両側に立ち並ぶビル群が壁のように続いている。
二人でしばらく歩いていると、彼女が何かを思い出したように街角を曲がり、脇道へ入っていった。
僕も追いかけて脇道に入る。
すると、両側のビルがますます高い壁のように感じられ、お日様も見えない。
昼間なのに、夕暮れ時のように薄暗い。
先を行く彼女に急ぎ足で追いつく。
「予約したお店、この辺にあるの?」
彼女はスマートフォンで誰かと話していた。
僕をチラッと見ながら、
「はい、もうすぐ着くので、よろしくお願いします」
そう言って通話を切った。
スマートフォンをジャケットの右ポケットにしまい、僕の方を向く。
「予約した時間を過ぎたから、お店に電話したの」
「じゃあ、急がないと」
「大丈夫。今日、お店は空いているそうよ」
歩行者天国から入った脇道から、さらに右へ折れる。
細い路地だった。
「銀座にも、こんな裏通りがあるんだな」
ちょっとした社会勉強になる。
その路地は、さっきまでの通り以上に薄暗く、クルマが通れないくらい細い。
こんなところで商売するのは、不便じゃないのかな?
そんなことを考えながら、路地裏に並ぶ店の見慣れない看板を眺めて歩いていたら、突然、彼女とぶつかった。
正確に言うと、急に立ち止まった彼女の肩甲骨と腰のあたりに、前を見ていなかった僕の身体がぶつかった。
「ゴメン」
振り向いた彼女が、ニヤッと笑う。
「エムくんは、薄暗くなると襲ってくるタイプなの?」
それって犯罪者じゃない?
18歳を過ぎたら改正少年法で刑が厳しくなるから、そんなことはしません。
18歳未満でも、もちろんやらないけど。
「銀座にも、こんなところがあるんだなって、よそ見をしていただけです」
不慮の事故なのに、自分で言っていて言い訳がましい。
「その『こんなところ』にあるお店に着きました」
彼女が指差す。
その先には、木製の古びた看板が掛かった店があった。
『煉獄亭』
(つづく)




