人物観察
彼女と僕は、春の風が微かにそよぐ陽当たりの良いベンチでボーッとしていた。
正確に言うと、ボーッとしているのは僕だけ。
彼女は隣で、システム手帳を開き、何かを忙しそうに書き込んでいる。
ここは、30分に一本しかバスが来ないバス停。
東京の公共交通機関が、こんなに不便だとは思わなかった。
やがて、時刻表どおりにバスがやってきた。
乗客は数人しかいない。
乗る人が少ないから、30分刻みなのかもしれない。
彼女が先に立ってバスに乗り込み、僕は2人分の折りたたみ椅子を持って後に続いた。
合宿所という名のオンボロビルを出るとき、玄関の外に折りたたみ椅子が2脚置いてあることに気がついた。
「エムくん、よろしくね」
彼女から、目的語のない依頼を受けたけど、視線の先を見れば言わずもがな。
「了解」
僕は2脚の折りたたみ椅子を担いで、彼女の後を追った。
バスと地下鉄を乗り継ぎ、銀座へ向かう。
出掛けたのが中途半端な時間だったのが良かったのか、車内は比較的空いていた。
折りたたみ椅子を持ち込んでも邪魔にならなかったのは幸い。
地下鉄銀座駅に着くと、彼女は迷うことなく銀座四丁目の交差点口から地上へ出た。
そして、あたりを見回す。
「日曜日だから、ちょうど良いでしょう?」
「そうだね」
そういえば、今日は日曜日だった。
大学が始まっていないから曜日の感覚が分からない。
長い春休みが、まだ続いているような気分だ。
このままずっと休みだったらいいのに。
そんなことを考えている僕をよそに、彼女は歩行者天国の道路脇を見渡した。
「ここにしましょう」
僕たちは持ってきた折りたたみ椅子を開き、人物観察を始めることにした。
持ち込みの椅子なので、邪魔にならないように歩道の端に置く。
銀座を行き交う人たちを眺めていると、何となく誰かに見られているような気がしてきた。
誰だ? 少し気になる。
でも、隣に座る彼女がシステム手帳に黙々とメモを書き続けているので、考えないことにした。
相変わらず、こういう時の彼女は距離が近い。
「椅子、少し離そうか?」
「エムくん、私のこと避けてるの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
滅相もありません。
美少女……大学生になったから美女? ちょっと違う気もするけど、とにかくそんな彼女が銀座の街で隣に座っているだけで、十分に誇らしい。
実際、彼女のことをチラチラ見ながら通り過ぎていく人も多い。
「じゃあ、何?」
「折りたたみ椅子に並んで座っていると、交通量調査をしているみたいだなと思って」
「それ、いいんじゃない?」
彼女は、妙に納得した顔をする。
「次回からカウンターと腕章も持ってこようよ。そうすれば、どこに椅子を置いても怪しまれないよ。皇居の前でも大丈夫」
彼女は、皇居がトラウマにならなかったのだろうか?
受験の時、あんな目に遭ったのに。
まあ、本人がいいと言うなら、僕からは何も言わない。
「それとね、一人で座っていると、変なおじさんが声を掛けてくるから、エムくんは防波堤」
「防波堤?」
「そう。気にしなくていいからね」
なるほど。
隣の席ではなく、防波堤ですか。
了解です。
彼女は口を動かしながらも、目に入った通行人を素早く観察し、システム手帳にその人物の特徴を書き込んでいる。一方の僕は、たまに珍しい人を見つけてメモする程度。
そんな格好をして恥ずかしくないの? ……みたいな人だ。
しばらく人物観察を続けていると、いつの間にかお昼になっていた。
その頃になると、近くから食欲をそそる匂いが漂ってくる。
数台のキッチンカーが、歩行者天国の近くに並び始めた。
「エムくん、お腹空かない?」
「少し空いたかな」
「ノリが悪いなぁ」
彼女が不満そうな顔をする。
「健康な男子だったら、『腹減ったぁ。メシは? メシはどこ?』って言うでしょう?」
そうなの?
彼女は一人っ子で、同い年の男子を高校のクラスメイトくらいしか知らない。
たぶん、その発想は小説かアニメの受け売りだ。部活にも入っていなかったし。
僕たちの世代がみんなそんな腹ぺらしだったら、外食産業はもっと儲かっているはずだけど。
「じゃあ、どこかへ食べに行く? 銀座のお店はよく知らないけど」
待ってました、と言わんばかりに、彼女の顔が変わった。
まず「仕方がないなぁ」という顔。
次に、美少女スマイル。
彼女の表情は、春先の天気みたいにコロコロと変わる。
思わず見とれていると、だんだん目元が険しくなってきた。
「ナニ? ボケーッと人の顔を見てるの!」
「いや……別に」
「お昼ごはんをどこで食べるのか? でしょう?」
どうして疑問形?
「エムくんがノーアイデアなのは、お見通しよ。ほら、どのお店がいいと思う?」
彼女はシステム手帳の中から、折り畳んだ紙を取り出した。
「これ、何?」
「銀座のお店の候補」
渡された紙を開いてみる。
A4サイズの銀座マップ。
そこには、いくつもの店名と簡単な情報が手書きでびっしり書き込まれていた。
「エム君がノーアイデアなのはお見通しよ。ほら、どのお店が良いと思う?」
彼女がシステム手帳の中から、折り畳んだ紙を取り出した。
渡された紙を開いてみると、A4サイズに印刷された銀座マップに手書きでお店とその情報が書き込まれていた。
(つづく)




