北門、開く
北門の前では、四日目になっても戦いが続いていた。
ただし、大きな戦いにはならなかった。
朝になればアシャン軍が前へ出る。
サラーフも兵を出す。
弓が飛び、槍がぶつかり、騎兵が走る。
だが双方とも、まだ全軍をぶつけてはいない。
北門の外では小競り合い。
その後ろでは、槌の音。
アシャン軍の陣には、すでに三台の攻城器が並んでいた。
最初の一台より二台目。
二台目より三台目のほうが出来がよい。
作るたびに職人たちは慣れていた。
その中に、いつの間にかファルハドも混じっていた。
「そこ、もう一度締めろ」
「十分だろ」
「飛ばしたときに緩む」
「俺は解体屋なんだけどな」
「四日もやってまだ言ってるのか」
工匠に怒鳴られ、ファルハドは縄を締め直した。
その様子を見ていたアシャンが笑う。
「もう仲間みたいだね」
「嬉しくない」
「でも上手くなったんでしょう?」
「壊す道具を作るのが上手くなってどうするんだ」
そう言いながらも、ファルハドの目は北門へ向いていた。
投石器が放つ石は、前日から門楼の右側へ集中している。
後から増築された部分。
古い石積みと、新しい石積みとの継ぎ目。
そこを狙えと言い出したのはファルハドだった。
石が飛ぶ。
低い音が響く。
門楼から石片が落ちた。
「だいぶ割れたね」
アシャンが言う。
「でも、門は開かない」
ファルハドは答えた。
「上を全部崩しても、下の扉が生きてれば結局あそこから入らなきゃならない」
「じゃあ、壊せない?」
「壊せるよ」
「どっち?」
「正面からなら時間がかかるってこと」
ファルハドは北門そのものではなく、その脇を見ていた。
城壁の下へ水が流れている。
オルシャニクほどではないが、パトナにも水路がある。
市外から来た水の一部が、城壁の下を潜って市内へ入っていた。
当然、人が簡単に入れないよう、石造りの水門と格子で塞がれている。
ファルハドは、その水路をじっと見た。
「……あれ、いつからある?」
工匠が答える。
「知らん」
「門より古い?」
「たぶんな」
「見てくる」
「おい」
ファルハドはもう歩き出していた。
*
そのころ、サラーフも同じ北門を見ていた。
「援軍の知らせは」
「ありません」
副官が答える。
「昨日の使者は?」
「まだ戻りません」
「ナジャール殿からは」
「北門を堅守せよ、と」
「それだけか」
「……はい」
サラーフは小さく息を吐いた。
兵たちは戦っている。
誰も逃げてはいない。
北門とパトナには、まだ五千を超える兵がいる。
城壁も残っている。
門も壊れていない。
戦えと言われれば、まだ戦える。
だからこそ、サラーフには門を開けられなかった。
援軍が来るかどうかはわからない。
ナジャールが本当に兵を送るのかもわからない。
それでも、城壁の上では兵たちがその援軍を待っている。
昨日、
「援軍はいつ来ますか」
と若い兵に聞かれた。
サラーフは、
「もう少し待て」
と答えた。
その翌日に、自分から門を開くことなどできなかった。
副官が低い声で言った。
「アシャン王から、また使者が来ています」
「内容は」
「停戦交渉を望む、と」
サラーフは首を振った。
「まだだ」
「しかし」
「こちらから門を開けば、兵たちはどう思う」
副官は黙る。
「援軍を待てと命じたのは私だ」
サラーフは城外を見る。
「その私が、敵が門を破る前から降るわけにはいかん」
「では、最後まで?」
「それも違う」
副官が顔を上げる。
「門を守るのが私の役目だ」
サラーフは言った。
「パトナを焼くのが役目ではない」
*
ファルハドは、その日の午後には水路のそばにいた。
盾を持った兵数人に守られながら、城壁の基部を見ている。
「撃ってくるぞ」
「わかってる」
「早くしろ」
「急かすなよ。見る仕事が一番大事なんだ」
水が石造りの暗渠へ吸い込まれている。
入口には太い木格子。
その奥に、もう一枚。
人の侵入を防ぐ構造だった。
だが、ファルハドが見ているのは格子そのものではない。
その周囲。
石の組み方。
木枠。
水が長年削った跡。
「これ」
ファルハドが言った。
「門より弱い」
一緒に来た工匠が覗く。
「水門を壊すのか」
「水が入るぞ」
「もともと水路だ」
「市内にだぞ」
「全部壊さない」
ファルハドは木枠を指した。
「ここだけ抜く」
「どうやって」
「破城槌」
工匠が顔をしかめた。
「北門に使うために作ってるんだぞ」
「北門よりこっちのほうが薄い」
「運べるか?」
「小さいのを作ればいい」
工匠がファルハドを見る。
「お前、昨日まで投石器も知らなかっただろ」
「解体ならずっとやってる」
ファルハドは立ち上がった。
「正面の扉を壊すより、脇から中へ入って開けたほうが早い」
*
夕方、ヴァルダーンの前に簡単な図が置かれた。
「水路?」
アシャンも覗き込む。
ファルハドが説明する。
「北門の少し横。市内へ入ってる」
「人が通れるの?」
「今は無理」
「じゃあ駄目じゃない」
「だから壊すんだよ」
指で入口を示す。
「正面の門は分厚い。上から石を落とされながら破城槌を寄せることになる」
「うん」
「でもこっちは低い。城壁の真下だから、上から狙いにくい」
ヴァルダーンが聞く。
「何人通せます」
「一度壊せば、一人ずつなら」
「騎兵は」
「無理」
「歩兵百人」
「時間があれば」
「五十」
「いける」
ヴァルダーンは少し考えた。
「目的は占領ではありません」
ファルハドが顔を上げる。
「北門を内側から開けてください」
「俺が?」
「場所を見つけたのはあなたでしょう」
「俺、兵士じゃないんだけど」
「知っています」
「じゃあ誰かに教えるよ」
工匠が横から言った。
「お前が行け」
「なんでだよ」
「解体屋なんだろ」
「今それ関係ある?」
「自分で壊した穴くらい、自分で通れ」
アシャンが笑いを堪えている。
「笑うなよ」
「ごめん」
ヴァルダーンは真顔だった。
「ファルハド殿。無理にとは申しません」
ファルハドは図を見る。
それから北門を見る。
「……中に入ったら、門まで誰が案内するんだ」
「旧パトナ兵をつけます」
「何人?」
「先頭は五十。穴を確保したら追加で入れます」
「戦う?」
「必要なら」
ファルハドは嫌そうに頭を掻いた。
「俺、建物壊してただけなんだけどなあ」
ダルガンが言った。
「随分遠くまで来たな」
「ほんとにな」
*
翌朝。
正面では、いつも通り小競り合いが始まった。
投石器も撃つ。
北門側の注意は正面へ向く。
その間に、城壁沿いの低い場所を盾兵が進んだ。
その後ろを、小型の破城槌が運ばれていく。
「こんな小さい破城槌、見たことないぞ」
一人が言った。
ファルハドが答える。
「俺もないよ」
「大丈夫なのか」
「知らん」
「おい」
「木を壊すだけなら大丈夫だ」
水路までたどり着いた。
「構えろ!」
太い木を数人で抱える。
先端には鉄が巻かれていた。
「そこじゃない!」
ファルハドが位置を直させる。
「真ん中じゃなくて左! 木枠と石の間!」
「行くぞ!」
一撃。
鈍い音。
二撃。
木が軋む。
三撃。
格子が揺れた。
「もう一回!」
四撃目で、古い木枠が裂けた。
水が一気に跳ねる。
「止めるな!」
五撃目。
格子の片側が外れた。
兵たちが引っ張る。
「もう一枚あるぞ!」
「知ってる!」
中へ入る。
膝まで水につかる。
暗い。
狭い。
ファルハドは這うように進んだ。
「こんなの聞いてない」
「お前が考えたんだろ!」
「考えるのとやるのは違う!」
二枚目の格子が見えた。
「破城槌は?」
「ここまで入らん!」
「じゃあ斧!」
斧が渡される。
「結局俺が壊すのかよ!」
何度も振り下ろす。
木が裂ける。
兵も加わった。
やがて格子が外れた。
その向こうに光が見えた。
「抜けた!」
最初の兵が市内へ出た。
続いて二人。
三人。
十人。
水路脇の守備兵が気づいた。
「敵だ!」
戦闘になった。
だが狭い。
大人数では囲めない。
先頭の兵たちが押し返す。
ファルハドも水路から転がるように出た。
「門はどっちだ!」
「こっちです!」
旧パトナ兵が走る。
狭い路地。
倉の横。
石段。
北門の裏側が見えた。
正面では、まだ戦闘が続いている。
「開けろ!」
守備兵が立ちはだかる。
激しい斬り合いになった。
ファルハドは剣など使えない。
壁際へ逃げる。
「俺は何でここにいるんだよ!」
その横で、一人の兵が倒れた。
ファルハドは目の前にあった木槌を拾った。
門の機構を見る。
太い閂。
縄。
巻き上げ。
「あれ切れ!」
「どれ!」
「あの縄!」
兵が斬る。
巻き上げ機が緩む。
「違う、そっちじゃない! 閂を持ち上げろ!」
数人が取りつく。
重い。
動かない。
ファルハドも加わった。
「せーの!」
閂が上がる。
少し。
もう一度。
「上げろ!」
木が軋む。
ついに閂が受けから外れた。
外側からも異変に気づいた。
「門が動くぞ!」
巨大な扉が、わずかに開いた。
*
サラーフのところへ報告が飛び込んだ。
「将軍!」
「どうした」
「水門です!」
「水門?」
「敵が水路から侵入! 北門内部で戦闘!」
サラーフは立ち上がった。
「何人だ」
「わかりません!」
「正門は?」
「閂に敵が取りついています!」
サラーフは走った。
城壁から下を見る。
北門が動いている。
まだ完全には開いていない。
だが隙間がある。
外ではアシャン軍がそれを見ていた。
ここから兵を集中させれば、まだ押し戻せるかもしれない。
門内へ兵を集める。
市街からも増援を出す。
狭い門で何百、何千と殺し合う。
その間に正面から一万を超える敵が押してくる。
サラーフは目を閉じた。
「将軍!」
副官が待っている。
「援軍は?」
「まだ――」
サラーフは笑った。
「そうか」
門がさらに開いた。
ここまでだった。
自分は守った。
兵も守った。
敵は城壁を越えた。
門を破った。
もう、部下に説明できる。
援軍を待ちながら自分から開門したのではない。
敵が自力で門を開いたのだ。
そして、ここから先は北門の戦いではない。
パトナ市内の戦争になる。
「鐘を鳴らせ」
副官が驚く。
「どの鐘を」
「停戦だ」
「しかし――」
「門は破られた」
サラーフは言った。
「これ以上は、市を戦場にするだけだ」
副官はしばらくサラーフを見た。
それから深く頭を下げた。
「承知しました」
鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
北門の兵が動きを止める。
アシャン軍にも合図が伝わった。
「止まれ!」
「前進停止!」
「弓を下ろせ!」
開きかけた北門を挟み、双方の兵が向かい合った。
その中央で、泥と水にまみれたファルハドが息を切らしていた。
「……止まった?」
隣の兵がうなずく。
「停戦です」
「じゃあ俺、もう帰っていい?」
*
しばらくして、サラーフが北門へ現れた。
剣は帯びている。
鎧も脱いでいない。
降伏者の姿ではなかった。
門の外からアシャンも来た。
二人は、壊れかけた門の下で向き合った。
サラーフが先に口を開く。
「北門は破られました」
アシャンは水路のほうを見る。
「門そのものじゃないけどね」
「同じことです」
サラーフは少しだけ笑った。
「守備将が、『門ではなく水路だから負けていない』とは申せません」
アシャンも笑った。
サラーフは表情を戻した。
「援軍を待つよう、私は兵に命じました」
「うん」
「いつ来るかわからない援軍です」
アシャンは何も言わず聞いている。
「その兵たちの前で、自ら門を開けることはできませんでした」
「わかる」
「しかし門は破られました」
サラーフは開いた北門を見る。
「ここから先まで戦えば、次はパトナの市街です」
「僕もやりたくない」
「私もです」
サラーフは剣を外した。
だが地面へ投げなかった。
両手で持ち、アシャンへ差し出す。
「北門をお返しします」
アシャンは一瞬、その意味がわからなかった。
「返す?」
「もともとこれはカルバーブ王の門です」
サラーフは言った。
「私がナジャール殿より預かっていたものではありません」
アシャンは剣を受け取らなかった。
「それ、持ってて」
「よろしいのですか」
「まだ守ってもらうから」
サラーフが顔を上げる。
「誰から」
「今度は僕の側で」
しばらく沈黙があった。
サラーフは剣を腰へ戻した。
「……停戦したばかりですが」
「じゃあ、今日は休んで」
「陛下」
「明日考えよう」
サラーフはとうとう笑った。
「承知しました」
*
北門の占領後も、アシャン軍すべてがパトナへ入ることはなかった。
市内へ入れたのは必要な部隊だけ。
略奪は禁止。
民家への立ち入りも禁止。
サラーフの兵も武装解除されなかった。
北門の守備配置だけを双方で組み直した。
そして、その日の夕方。
ファルハドは壊した水門の前にいた。
工匠が横へ来る。
「何してる」
「見てる」
「何を」
「どれくらい壊れたか」
木枠は砕けている。
石も一部ずれた。
水が以前より激しく市内へ入っていた。
「直さないと駄目だな」
工匠が言う。
ファルハドは嫌そうな顔をした。
「俺が?」
「お前が壊した」
「戦争だから壊せって言ったんだろ」
「だから今度は直せ」
「俺、解体屋なんだけど」
工匠は笑った。
「壊し方がわかるなら、直し方も覚えろ」
ファルハドは壊れた水門を見た。
「……面倒だな」
そう言いながら、しゃがみ込んだ。
どの石が動いたのか。
どの木材なら再利用できるのか。
水を止めずに直せるか。
今度は、壊すためではなく見始めた。
北門の上では、新しい旗が上がっていた。
オルシャニク。
大王堰。
北門。
パトナ。
アシャンの側に、初めて一続きの道ができた。
その夜。
ヴァルダーンは地図を開いた。
アシャンが横から覗く。
「次は南?」
「いいえ」
「王都?」
「まだです」
ヴァルダーンの指が北門を越える。
パトナを越え、
さらに北の山地へ伸びた。
ナルヴァーン。
「ここへ参ります」
「天空騎士団?」
「はい」
ヴァルダーンはアシャンの腕に戻った星環を見る。
「北門が開いた以上、道を塞ぐものはありません」
「騎士団、来てくれるかな」
「わかりません」
「わからないの?」
「だから陛下ご自身で参るのです」
ヴァルダーンの指がナルヴァーンの名の上で止まった。
「アルダーンの印を持って」
アシャンも星環を見る。
王になってから、まだわずかな日しか経っていない。
それでも一つ、門を取り戻した。
次は、
軍を取り戻しに行く。




