タラートへ
朝、昨日より少しだけ身体が軽かった。
ザフラさんの薬草のおかげなのか、キジのおかげなのか、それとも早く寝たからなのかは分からない。
ダルガンに聞いたら、
「寝たからだ」
と言われた。
ファルハドに聞いたら、
「俺の粥だ」
と言われた。
ナディラに聞いたら、
「両方でいいんじゃない?」
と言われた。
僕もそういうことにした。
火を消し、荷をまとめた。
最後にもう一度、昨日の夕日を見た場所を振り返る。
朝になれば、ただの山だった。
それでも地図の丸印が、昨日までとは少し違って見えた。
僕たちはタラートへ向かった。
---
旧道は相変わらず古かった。
でも、壊れっぱなしではない。
石が落ちたところは片付けられている。
道端の小さな水路には、最近土を掻き出した跡があった。
古い鐘の縄も新しい。
誰がやったのかは分からない。
その人たちとすれ違うこともなかった。
昼を過ぎたころ、小さな川に出た。
そこに石橋が架かっていた。
「止まれ」
ダルガンが言った。
橋の途中が欠けていた。
全部崩れているわけではない。
人だけなら通れそうだった。
でも馬は嫌だった。
石を組んだ端の一部が抜けて、穴になっている。
ダルガンがしゃがんだ。
「昨日の地図には書いてなかったな」
「最近かな」
僕も覗いた。
ファルハドは返事をしなかった。
橋の上を見る。
横から見る。
川へ下りる。
また上がってくる。
欠けたところを覗く。
今度は反対側へ回った。
「どう?」
僕が聞いた。
「直せる」
「え?」
「二刻ありゃ直せる」
ダルガンがファルハドを見た。
「通れるようにか?」
「今でも人間なら通れる。馬を安心して渡せるくらいにはする」
「二刻?」
「ああ」
ナディラが空を見た。
「それやったら、今日中のタラートは?」
ダルガンも西を見た。
「無理だな」
ファルハドが橋を指した。
「じゃあ行くか?」
誰もすぐには答えなかった。
少し戻れば、馬を川へ下ろせそうなところもある。
迂回できないわけではない。
ダルガンが聞いた。
「直したいのか?」
「直せるからな」
それだけだった。
僕は昨日の橋を思い出した。
色の違う板。
新しく結び直された鐘の縄。
バフラムの地図。
――次に行く馬鹿のために。
「直そうよ」
僕が言った。
ダルガンは少し考えてから、
「二刻だぞ」
と言った。
「分かってる」
ファルハドは袖をまくった。
---
まず石探しだった。
「同じくらいのないか」
僕も川原へ下りた。
石はいくらでもある。
でも、ファルハドに見せると、
「丸すぎる」
とか、
「薄い」
とか、
「それは割れそうだ」
とか言われる。
「石なんて全部同じじゃないの?」
「同じに見えるなら、お前は拾う係だけやってろ」
ひどい。
ようやくファルハドが気に入った石を何個か見つけた。
それを橋まで運ぶ。
次にファルハドは桶を持って川へ下りた。
水を汲む。
「飲むの?」
「違う」
欠けたところへ水をかけた。
土と砂が流れる。
また水をかける。
古い目地に入り込んだ泥や、細かい石を掻き出した。
「汚れたまま詰めてもつかねえ」
そう言って、今度は土を探し始めた。
地面を少し掘る。
指で潰す。
水をつける。
丸める。
捨てる。
また別のところを掘る。
「何探してるの?」
「粘る土」
「粘土?」
「それに近いやつ」
ようやく気に入った土が見つかったらしい。
ファルハドはそれを持って戻ってきた。
次に小さな槌を出した。
石を叩く。
割るためではない。
細かな砂利を、もっと細かく砕いている。
「それも入れるの?」
「ああ」
砕いた砂利と土を混ぜ、水を少しずつ足す。
踏んだり、練ったりする。
僕もやらされた。
「こんなので橋になるの?」
「橋はもうある」
ファルハドが言った。
「俺が作ってんのは、欠けたところだけだ」
その言い方が、いかにもファルハドだった。
---
欠けたところへ練った土を詰める。
選んできた石を合わせる。
一度置く。
外す。
少し削る。
また置く。
「合わないの?」
「合わしてんだよ」
また外す。
今度は別の石を使う。
僕には同じようにしか見えないのに、ファルハドには違うらしい。
やがて一つが収まった。
その隣へもう一つ。
隙間には小さな石を噛ませる。
その間へ練ったものを押し込む。
表面だけ埋めるのではなく、奥まで指や細い木片で詰めていった。
ダルガンとナディラは、その間に馬を休ませていた。
飼料も食べさせる。
僕はファルハドを手伝ったり、馬のところへ戻ったりした。
本当に二刻ほど経ったころだった。
ファルハドが立ち上がった。
「よし」
「できた?」
「とりあえずな」
僕には、さっきまで穴があったところが分からなくなっていた。
色だけが少し違う。
ダルガンが近づいた。
「馬、通せるか?」
「一頭ずつ。俺が見ながら通す」
「直ったんじゃないの?」
僕が聞くと、ファルハドは首を振った。
「応急だよ」
「応急?」
「ちゃんとやるなら、もっといい材料持ってきて、古いところも見て、目地からやり直す」
橋を軽く叩いた。
「でも次にちゃんと直す奴が来るまで、ここが抜けるよりはいい」
昨日までの僕なら、それで十分だと思ったかもしれない。
今は少し違った。
「じゃあ地図に書いておこう」
バフラムにもらった地図を出した。
――石橋、一部欠損。
そこまで書いてから、
――応急修理。
と付け足した。
ファルハドが覗いた。
「俺の名前も書いとけ」
「なんで?」
「俺が直した」
「次の人には関係ないじゃん」
「ちょっとくらい自慢させろよ」
僕は笑った。
名前は書かなかった。
---
馬は一頭ずつ渡した。
最初はダルガンが引いた。
ファルハドは修理したところをずっと見ている。
一頭。
二頭。
三頭。
六頭全部が渡った。
崩れなかった。
「どうだ」
ファルハドが得意そうだった。
ダルガンは橋を見た。
「持ったな」
「それだけ?」
「じゃあ何て言えばいい」
「すごい、とか」
「二刻で直せるって自分で言っただろ」
「言ったけどよ」
ナディラが笑った。
僕は素直に言った。
「すごかったよ」
「だろ?」
ファルハドは満足した。
単純だった。
---
問題は、二刻使ったことだった。
ダルガンがしばらく地図と空を見比べていた。
「タラートは近い」
「じゃあ行ける?」
「距離ならな」
西の山には、もう影が伸び始めている。
「今日中には遠い」
僕には変な言葉に聞こえた。
近いのに、遠い。
でも山を歩いていると、なんとなく分かるようになってきた。
距離だけで旅は決まらない。
「ここで泊まるぞ」
「橋のところで?」
「ああ。水がある。場所も悪くない」
ファルハドが橋を見た。
「ちょうどいい。明日の朝もう一回見られる」
「お前、橋の医者みたいになってるな」
僕が言うと、
「建物も橋も、壊れる前にはだいたい何か言ってんだよ」
と答えた。
「喋るの?」
「お前より分かりやすくな」
「ひどいな」
僕たちは、ファルハドが直した橋の近くに二晩目の野営を作った。
昨日とは違って、夕日を見るためではなかった。
ただ、暗くなる前に止まっただけだった。
でも水があった。
火も起こせた。
馬も休められた。
橋もあった。
旅では、それで十分だった。
---
翌朝。
ファルハドは起きると最初に橋へ行った。
僕もついていく。
昨日詰めたところを指で触る。
軽く叩く。
反対側からも見る。
「どう?」
「まあ、こんなもんだ」
「大丈夫?」
「俺たちが渡る分にはな」
「もう渡ったよ」
「じゃあ次の奴の分だ」
ファルハドは立ち上がった。
その言葉に、僕は少し笑った。
昨日までは知らなかった誰かが、僕たちのために道を直していた。
今日はファルハドが、知らない誰かのために橋を直した。
たぶん、こうやって残ってきた道なのだ。
それ以上考える前に、ダルガンに呼ばれた。
「行くぞ」
「うん」
---
昼前。
山の向こうに、屋根が増えた。
道も広くなる。
人とすれ違う。
荷を積んだ動物も見えた。
久しぶりに、旅人ではない人の声が聞こえた。
「タラート?」
僕が聞いた。
ダルガンがうなずいた。
「ああ」
ファルハドが大きく息を吐いた。
「やっと町か」
ナディラが笑った。
「料理長、疲れた?」
「疲れた」
今度は「たぶん」を付けなかった。
僕も疲れていた。
でも、ハルザーンを出たときより少しだけ、この古い道が好きになっていた。
地図には新しい書き込みが二つ増えている。
昨日見た夕日の場所には、僕が小さく書いた。
――本当にきれいだった。
そして今日の石橋には、
――一部欠損。応急修理済み。馬は一頭ずつ。
次にこの地図を見る人が誰なのか、僕には分からない。
バフラムかもしれない。
ハルザーンの年寄りかもしれない。
僕たちみたいな馬鹿かもしれない。
それでよかった。
僕は地図を畳んだ。
前にはタラートがある。
そして、そこから先はヴァルダーン公爵領だった。




