四人でハルザーンへ
土煙は、なかなか近づかなかった。
見えているのだから、すぐ追いつくと思っていた。
そうでもなかった。
道は曲がる。
上る。
下る。
川沿いを進んだと思ったら、岩山を避けてまた曲がる。
さっきまで見えていた人影が消えて、しばらくするとずっと高いところに現れた。
「あそこまで行くの?」
僕が聞いた。
「行く」
ダルガンは短く答えた。
「遠くない?」
「道だからな」
答えになっているような、なっていないような返事だった。
ナーヴァンを出てしばらくは、僕たちも少し速く進んだ。
それでもダルガンは走らせなかった。
馬を急がせるのではなく、休まない。
そんな進み方だった。
先に出た一行には荷物がある。
僕たちは軽い。
その差が少しずつ縮まった。
やがて、人の声が聞こえた。
馬が七、八頭。
荷馬もいる。
十人はいないくらいの一行だった。
最後尾の男が振り返った。
僕も顔を上げた。
見覚えがあった。
「あ」
向こうも僕を見た。
しばらく見た。
「……坊主?」
「バフラム!」
バフラムだった。
前に山で会ったときと同じような格好をしていた。
日に焼けた顔も変わっていない。
ただ、今日は背中に郵便袋を載せていた。
「なんでお前がここにいる」
「ハルザーンに行くんだ」
「それは見れば分かる」
バフラムが僕の後ろを見た。
ナディラ。
その後ろにファルハド。
「増えたな」
「増えた」
「誰だ」
ファルハドが自分を指した。
「俺?」
「お前以外は知ってる」
「ファルハド。料理長だ」
僕は言った。
「解体屋だよ」
「料理長だ」
「どっちだ」
バフラムが聞いた。
「俺にも分からん」
ダルガンが答えた。
ファルハドが不満そうな顔をした。
「今日は料理長だ」
「じゃあ料理長でいい」
バフラムはあっさり受け入れた。
追いついてしまえば、急ぐ必要は少し減った。
ダルガンは先行していた一行の男たちと道の様子を聞き合った。
僕には全部は分からなかった。
どこかの沢の水が少ない。
橋は問題ない。
昨日、上の方で雨が降った。
夜は冷える。
そういう話だった。
バフラムにも聞いた。
「ハルザーンまでどう?」
「普通だ」
「普通?」
「道はある。橋もある。雪もまだない」
「じゃあ大丈夫?」
「山で大丈夫なんて言う奴は信用するな」
「普通って言ったじゃん」
「今のところ普通だ」
難しかった。
ファルハドが横から聞いた。
「どのくらい寒い?」
「今夜か?」
「ああ」
バフラムがファルハドを見た。
「寒いぞ」
「それだけ?」
「寒さは寒さだろ」
「ここの奴、みんな説明が雑じゃねえか?」
僕もそう思った。
道は少しずつ細くなった。
片側に斜面。
反対側に川。
遠くに見えていた山が、いつの間にか目の前にあった。
ダルガンはずっと先頭にいた。
ときどき止まる。
振り返る。
僕たちではなく、馬を見ていた。
僕の荷馬も見られた。
「手綱を短くしすぎるな」
「はい」
「引っ張るな。歩かせろ」
「はい」
「お前が道を決めるな。馬にも見させろ」
「はい」
後ろからファルハドが笑った。
「怒られてんな、坊主」
ダルガンが振り返った。
「お前もだ」
「俺?」
「鐙、長い」
ファルハドが黙った。
少しして、
「これくらい?」
「もう少し」
直した。
「これ?」
「それでいい」
「……楽になった」
「だろうな」
ファルハドは僕を見た。
「何も言うな」
「言ってないよ」
夕方になる前に、一行は道から少し外れた。
石造りの小さな建物があった。
山小屋だった。
宿屋ではない。
大きな一室と、馬をつなぐ場所。
壁。
屋根。
炉。
それだけだった。
でも、風が当たらない。
それだけでずいぶん違った。
「今日はここだ」
バフラムが言った。
ファルハドが空を見た。
「まだ明るいぞ」
「山は暗くなるのが早い」
ダルガンも馬から降りた。
「ここでいい」
僕たちも泊まることになった。
まず馬だった。
鞍を外す。
荷を下ろす。
背を見る。
水を飲ませる。
脚を見る。
飼料を出す。
僕も自分の馬と荷馬を見た。
全部終わるころには、さっきまでまだ明るいと思っていた空が暗くなり始めていた。
風も冷たくなった。
「寒い」
僕は言った。
「だから言っただろ」
ダルガンが言った。
「思ってたより寒い」
「それも言った」
そうだった。
山小屋の炉に火が入った。
先に来た人たちも、それぞれ食事の準備を始めた。
干し肉。
乾いたパン。
豆。
似たようなものだった。
ファルハドだけが荷物を開いて、妙に張り切っていた。
「何するの?」
「飯」
「それは分かる」
小麦粉を出した。
水を少しずつ加える。
こねる。
「パン?」
「違う」
干し肉を細かく刻んだ。
そこへ香草を混ぜる。
ナディラが横から見た。
「それ、全部使わないでよ」
「分かってる」
「明日の分もあるから」
「料理長を信用しろ」
「食料管理は私よ」
「権限が弱い」
また言っていた。
ファルハドは小麦粉を薄く延ばした。
丸く切る。
そこへ刻んだ干し肉と香草を置いた。
包む。
「何それ?」
僕が聞いた。
「水餃子」
「ぎょうざ?」
聞いたことのない言葉だった。
「トゥランの方で食う」
「行ったことあるの?」
「ない」
僕は手を止めた。
「ないの?」
「サルマンドの食堂にトゥラン人が来るんだよ」
なるほど。
「本物?」
「知らん」
「知らないの?」
「食堂の親父がトゥラン風だって言ってた」
バフラムが笑った。
「便利な言葉だな」
「うまけりゃいいんだよ」
大きな鍋で湯を沸かした。
包んだものを次々に入れる。
最初は底へ沈んだ。
やがて浮いてきた。
皮が透けて、中の肉が少し見えた。
湯気が出る。
さっきまでただの干し肉だったのに、匂いが変わった。
香草の匂いが山小屋に広がった。
先にいた人たちまでこちらを見ていた。
「料理長」
僕は言った。
「なんだ」
「見られてるよ」
「見せてやれ」
「分けるの?」
ファルハドが止まった。
「……人数いるな」
ナディラが笑った。
結局、少しだけ分けた。
熱かった。
噛むと皮の中から汁が出た。
干し肉だから硬いと思ったのに、細かく刻んであったので食べやすい。
「うまい」
バフラムが言った。
「だろ」
ファルハドが嬉しそうだった。
ダルガンも食べた。
「どうだ?」
ファルハドが聞いた。
「食える」
「お前、それしか言えねえのか」
「もう一つくれ」
ファルハドは黙って一つ入れた。
たぶん、それがダルガンなりの褒め方だった。
僕ももう一つ食べた。
体が温かくなった。
「終わりじゃねえぞ」
ファルハドが言った。
「まだあるの?」
「寒いからな」
鍋には、水餃子を茹でた湯が残っていた。
少し肉の脂が浮いている。
香草も落ちている。
僕なら捨てるところだった。
ファルハドは捨てなかった。
乾飯を取り出した。
「それ入れるの?」
「ああ」
「水餃子食べたばっかりだよ」
「だから少しだ」
乾飯を鍋へ入れた。
残っていた香草。
干し肉の細かい切れ端。
塩。
それも入れた。
ぐつぐつ煮る。
乾いていた飯が水を吸って膨らんだ。
「今度は何?」
「トゥラン風の粥」
僕はさっきの話を思い出した。
「それもトゥラン人から?」
「いや」
「じゃあ何でトゥラン風なの?」
ファルハドは鍋を混ぜながら言った。
「香草入ってるから」
「それだけ?」
「あと寒いところで食う」
「それでトゥラン風になるの?」
「なる」
バフラムがまた笑った。
「やっぱり便利だな、トゥラン風」
ファルハドは気にしなかった。
「食え」
小さな椀に入れてくれた。
水餃子ほど豪華ではなかった。
ほとんど薄い粥だった。
でも熱かった。
香草の匂いがする。
干し肉の塩気も少し残っている。
何より、温かかった。
外では風が鳴っていた。
山小屋の壁にも、ときどき風がぶつかった。
僕は椀を両手で持った。
「おいしい」
「だろ」
「でもこれ、トゥラン風じゃなくてもいいんじゃない?」
「坊主」
「なに?」
「料理には名前が必要なんだよ」
「そうなの?」
「知らん」
ファルハドは自分でも粥を食べた。
食事が終わってから、ナディラが残りの食料を確認した。
しばらく帳面を見ていた。
「思ったより減ってないわね」
ファルハドが寝床を作りながら言った。
「余ったもん捨ててねえからな」
「あなた、意外と安くつくのね」
「料理長に向かって安くつくって言うな」
僕は笑った。
バフラムは炉のそばで郵便袋を枕にしていた。
「明日も一緒?」
僕が聞いた。
「ハルザーンまではな」
「その先は?」
「仕事がある」
「タラートまで行かない?」
「行かん」
「山好きなんでしょ?」
バフラムが目を閉じた。
「山好きと無職は違う」
ファルハドが吹き出した。
「こいつ気に入った」
「明日起こさねえぞ」
「撤回する」
早かった。
火が小さくなった。
山小屋の中には、知らない人たちの寝息があった。
馬の音もする。
風の音もする。
僕は毛布の中に入った。
暖かい粥がまだ腹の中に残っているような気がした。
サルマンドを出てから、まだそれほど経っていない。
でも、大図書館はもうずいぶん遠く感じた。
本を開けば、千年前へ行けた。
ここでは、明日の道さえ歩いてみなければ分からない。
「アシャン」
暗いところからダルガンが呼んだ。
「なに?」
「寝ろ」
「まだ何も言ってないよ」
「明日も歩く」
「馬でしょ」
「なら馬に乗って寝るか?」
「寝ます」
ファルハドの声がした。
「料理長も寝るぞ」
ナディラが言った。
「誰も聞いてないわよ」
「役職者だからな」
そのあと、しばらく誰も喋らなかった。
外で風が鳴った。
明日はハルザーンだった。




