死者の王
仕事が終わっても、ファルハドは何も聞かなかった。
昼飯でも聞かなかった。
風呂でも聞かなかった。
大図書館へ向かう道でも聞かなかった。
だから僕の方が気になった。
「聞かないの?」
「何を」
「朝の」
「あとでって言ったのお前だろ」
「そうだけど」
「じゃあ待ってる」
こういうところだけ妙に律儀だった。
*
大図書館へ着いた。
いつもの席に座る。
ファルハドも向かいに座った。
「ここで話すの?」
「お前が連れてきたんだろ」
「そうだけど……」
人がいる。
学生。
学者。
司書。
誰も僕たちを見ていない。
それでも嫌だった。
「場所変えよう」
「どこへ」
「部屋」
「お前の?」
「うん」
「囚人部屋か」
「宿舎!」
*
大図書館の宿舎は狭い。
寝台。
机。
椅子。
荷物。
本。
本。
紙。
また本。
ファルハドは入口で止まった。
「狭えな」
「一人部屋だから」
「これに金貨一枚?」
「図書館も使える」
「飯は?」
「別」
「風呂は?」
「別」
「高くねえか?」
「だから働いてるんだよ!」
僕は扉を閉めた。
鍵もかけた。
「そこまでやる話か?」
「たぶん」
自分でも、たぶん、としか言えなかった。
*
上着を脱いだ。
右腕を出す。
ファルハドが黙った。
腕には二つの輪がある。
旅の間、できるだけ人には見せないようにしてきた。
サルマンドでも同じだ。
「これ」
僕は言った。
「星環」
ファルハドは近づいた。
でも触らない。
「二つあるじゃねえか」
「対だから」
「どっちがどっちだ」
僕は一つずつ指した。
「生者」
もう一つ。
「死者」
「……本物?」
「僕はそう教わった」
「誰に」
「先生」
「どこの先生だよ」
「それは言えない」
「何者なんだ、お前」
答えられない。
ファルハドは僕を見た。
それから星環を見る。
「盗んだ?」
「違う!」
「ならいい」
「それでいいの?」
「盗品じゃねえなら、今聞いてもお前答えねえだろ」
「……うん」
「じゃあ後でいい」
やっぱり変なところで話が早かった。
*
「触っていい?」
「待って」
「駄目?」
「僕以外が触ったらどうなるか分からない」
「じゃあ触らねえ」
手を引っ込めた。
そこも早い。
「怖くないの?」
「何が」
「これ」
「腕輪だろ」
「聖具だよ」
「お前が何週間もつけて解体現場来てんだろ」
「そうだけど」
「なら今さら俺が怖がってどうすんだ」
そう言われるとそうだった。
*
机に、今までの写しを並べた。
壁画。
石板。
古い葬送儀礼。
ザルカドの記録。
アルダーンについての写本。
ファルハドが腕を組む。
「で、何したい」
「まだ何もしない」
「何週間調べてんだ」
「だから慎重にやってるんだよ」
「使えるか試せば早いだろ」
「駄目」
「なんで」
「儀礼が分からない」
「輪作るんだろ」
「それだけじゃない」
「死んだ奴を王にする」
「そんな簡単に言わないで」
「違うのか?」
「……大体は合ってる」
「じゃあいいだろ」
よくない。
*
僕は古い儀礼の文を読んだ。
「『死者を輪の内に迎えよ』」
「うん」
「『その者を王として戴け』」
「うん」
「『生ける者は輪を閉じ――』」
その先がない。
石板も欠けている。
別の写本にも続きがない。
「そこで終わり?」
「残ってない」
「じゃあやってみりゃいい」
「だから!」
「何怒ってんだよ」
「何が起きるか分からないんだよ!」
少し声が大きくなった。
廊下を人が通った。
二人で黙る。
足音が遠ざかる。
「……静かにしろよ」
「ファルハドのせいでしょう」
*
僕は声を落とした。
「儀式って、順番があるんだよ」
「へえ」
「言葉もある。誰が何をするかもある。間違えたら成立しない」
「成立しないだけ?」
「場合によっては、よくない」
「爆発する?」
「しないと思う」
「じゃあ何だ」
「知らないよ」
「知らないのに怖がってんのか」
「知らないから怖いんだよ」
ファルハドは少し考えた。
「それはそうだな」
珍しく納得した。
*
翌日から、僕は儀礼の復元を始めた。
歴史の調査とは少し違う。
ここからは僕の知っていることも使える。
古い祈り。
今の祈り。
戴冠。
葬送。
臣従。
神官の継承。
言葉を一つずつ比べる。
省かれた部分。
残った部分。
意味が変わった部分。
紙が増えた。
「楽しそうですね」
司書に言われた。
「楽しくないです」
「そうですか?」
「怖いです」
「でも楽しそうです」
「……ちょっとだけ」
*
一番困ったのは、「王」だった。
死者を王として戴く。
では、誰を王にするのか。
昔の王だけなのか。
死んだ族長なのか。
家長なのか。
英雄なのか。
誰でもいいのか。
史料によって違った。
ある村では、死んだ長。
ある町では、戦死した守護者。
ある一族では、祖先。
ある古い記録では、本当に王。
「共通してるものは……」
僕は並べた。
地位ではない。
身分でもない。
死に方でもない。
ただ、どの記録でも、輪の外側にいる人々と関係がある。
守った人。
導いた人。
家族の祖。
実際の王。
「……関係?」
僕は紙に書いた。
*
昼。
「死者の王、分かったか?」
おじさんに聞かれた。
僕はむせた。
「なんで知ってるの?」
「ファルハドが言ってた」
睨む。
「何だよ」
「喋ったの?」
「壁の話だけだ」
「星環は?」
「言ってねえよ」
「ならいい」
「何だ星環って?」
「何でもない!」
「怪しいな」
余計に怪しくなった。
*
「で、死者の王って何だ?」
「まだ分からない」
「死んだ王様だろ?」
「それなら簡単だったんだけど」
「違うのか」
「王じゃない人も王にしてる」
「死んだあと出世すんのか」
「そういう言い方すると変だけど……」
少し考えた。
「そのときだけ王として扱うみたい」
「誰が?」
「残った人が」
「なんで?」
答えようとして止まった。
なんでだろう。
*
午後。
その答えに近いものを見つけた。
古い葬送論の写本。
難しい。
三回読んだ。
四回目で、ようやく意味が取れた。
死者は話さない。
命じない。
自分で歩かない。
だから生者が場所を与える。
死者を輪の中心へ置き、王として戴く。
そして、生者がその周りに輪を作る。
僕はその部分を何度も読んだ。
「死者のためじゃない……?」
死者を生き返らせる儀礼ではない。
死者に従わせる儀礼でもない。
死者を、死者のまま置く。
その周りに生者が輪を作る。
死者がどこにいるのかを決める。
生者がどこにいるのかも決める。
「境目……」
そういうことなのかもしれない。
*
夜、ファルハドに話した。
「つまり?」
「死んだ人を、生きてることにする儀式じゃない」
「当たり前だろ」
「大事なんだよ」
「じゃあ何だ」
「死んだまま、王にする」
「余計分からん」
「僕も説明しにくい」
紙に丸を描いた。
真ん中に点。
「これが死者」
「うん」
周りに丸。
「これが生者」
「うん」
「死者は真ん中から動かない」
「死んでるからな」
「そうじゃなくて!」
「分かった分かった」
絶対分かっていない。
*
「死者に何かしてもらうんじゃないんだと思う」
「じゃあ何のための王だ」
「……生きてる人が、その人をどう扱うか決めるため?」
「墓参りじゃ駄目なのか」
「昔の人に聞いてよ」
「いねえからお前に聞いてんだろ」
それもそうだった。
「でも、星環を使ったら違うのかもしれない」
「どう違う」
「分からない」
「結局そこか」
*
さらに二日調べた。
そして、僕なりに必要なものを三つまで絞った。
一つ。
死者。
二つ。
その死者を王として戴く生者。
三つ。
輪。
「輪って人だろ?」
「本来は」
「星環は?」
「たぶん、その輪を聖具として形にしたもの」
「たぶん多いな」
「千年前の儀式だよ!」
*
問題が一つあった。
「死者、誰にする?」
ファルハドが言った。
「まだやらないよ」
「やるなら」
「だから」
「昔の王でいいじゃねえか」
「どこの?」
「その辺の」
「その辺の王って何?」
「アルダーン」
「絶対嫌だ!」
「なんでだよ。一番有名だろ」
「いきなりアルダーン王を呼ぼうとしないでよ!」
「呼ぶのか?」
「分からない!」
「じゃあやってみようぜ」
「嫌だ!」
*
「じゃあ、お前の知ってる死んだ奴」
その瞬間。
兄上の顔が浮かんだ。
消した。
「いない」
「今なんか考えただろ」
「考えてない」
「顔に出たぞ」
「出てない」
「出た」
「出てない!」
ファルハドは、それ以上聞かなかった。
僕も話さなかった。
兄上は駄目だ。
何が起きるか分からない。
そもそも本当に死者と何かが起きるのかさえ分からない。
そんなものを最初に兄上で試せるわけがない。
*
その夜。
一人になってから、星環を外した。
机に置く。
二つ並べる。
生者。
死者。
小さな輪。
千年以上前、アルダーンが持っていたもの。
オルシャンが預かったもの。
僕の家へつながったもの。
右手で死者の星環に触れた。
冷たい。
ただの金属みたいだった。
「本当に何かできるの?」
当然、答えない。
僕は笑いそうになった。
何週間も調べて。
壁を掘って。
本を読んで。
古い祈りを並べて。
結局、腕輪に話しかけている。
アルダーンも石に話しかけていた。
「……似たくないな」
*
翌朝。
僕はファルハドに言った。
「試してみる」
「何を」
「死者の星環」
「お」
「でも兄上は駄目」
言ってから止まった。
ファルハドも止まった。
「兄?」
「……今の忘れて」
「無理だろ」
「忘れて」
「分かった」
「本当に?」
「今は聞かねえ」
僕は少しだけ息を吐いた。
「誰で試す?」
「まだ決めてない」
「誰でもいいんじゃねえの?」
「そんな雑な――」
そこで止まった。
ファルハドが笑った。
「何だよ」
「いや」
「何」
「お前さ」
嫌な予感がした。
「千年前の本を何冊も混ぜて、欠けた石板と壁画から儀式作ったんだろ?」
「復元したんだよ」
「それを雑って言うんじゃねえの?」
「言わない!」
「じゃあ大丈夫だ」
「何が!」
*
それでも。
試すことにはした。
誰を王にするのかは決まっていない。
何が起きるのかも分からない。
本当に何か起きるのかさえ分からない。
でも、そこまで来てしまった。
僕は仕事へ向かいながら、ずっと考えていた。
死者の星環。
死者の王。
輪を作る。
もし何も起きなければ、それでいい。
僕の仮説が間違っていただけだ。
また本を読めばいい。
もし。
本当に何か起きたら。
その先だけは、どの本にも書いていなかった。




