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星の降る道ⅰ 死者の星環  作者: 超魔王
死者の星環
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壁の中の神殿

赤。


 青。


 金。


 白い漆喰の下から出てきた色は、思ったより鮮やかだった。


「止めて」


「止まってるよ」


「みんなも」


「誰も触ってねえよ」


 僕は振り返った。


 おじさんたちは少し離れたところから壁を見ている。


 ファルハドだけが僕の隣にしゃがんでいた。


「これ、絵だよ」


「見りゃ分かる」


「古い」


「それも分かる」


「どのくらい?」


「知らん」


「そこは分からないんだ」


「お前は分かるのか?」


「……分からない」


「じゃあ一緒だ」


 違うと思う。


 でも言い返せなかった。


 僕はもう一度、壁を見た。


 表面の白い漆喰が欠けたところから、赤い線が見えている。


 その横には青。


 さらに奥には、金色らしい部分。


 今壊している家の壁に描かれたものではない。


 上から塗り潰されている。


 しかも一度ではない。


「もっと出せる?」


「出せるけど」


 ファルハドが僕の持っている道具を取った。


「お前にはやらせねえ」


「なんで?」


「手つきが怖え」


「慎重にやってたよ」


「慎重な奴は、さっきから息止めて削らねえ」


「止めてない」


「止まってた」


 僕は口を閉じた。


 たしかに苦しかった。


     *


 その日の解体は、壁一枚のせいで止まった。


「坊主」


「はい」


「仕事増やしたな」


「僕のせいじゃないよ」


「お前が見つけた」


「見つけなくてもあったでしょう」


「見つからなきゃ壊してた」


 それを言われると困る。


 ファルハドは現場を歩き回った。


 壁の裏へ行く。


 上を見る。


 隣の壁を叩く。


 床を見る。


 外へ出る。


 また戻る。


「何してるの?」


「考えてる」


「何を?」


「この壁だけ残せるか」


「残すの?」


「まだ分からん」


 ファルハドが壁の端を指した。


「ここ見ろ」


「何?」


「石」


「石だね」


「積み方が違う」


 僕には分からない。


「こっちと比べろ」


 隣の壁を見る。


 言われてみれば少し違う。


 今の家の壁は、大きさの違う石を組み合わせ、その間を埋めている。


 絵のある壁は、もう少し揃った石が並んでいる。


「これだけ古い?」


「たぶんな」


「どうしてこの家の中にあるの?」


「使ったんだろ」


「何を?」


「昔の壁を」


 僕はファルハドを見た。


「壁って使い回せるの?」


「残ってりゃな」


 そう言って壁を叩く。


「昔ここに何かあった。それを全部壊さず、使えるところを新しい家に取り込んだんだろ」


「そんなことする?」


「する」


「なんで?」


「石は生えてこねえからだよ」


「またそれ」


「何度でも言うぞ」


 サルマンドでは石が高い。


 すでに立っている丈夫な壁があるなら、わざわざ壊して新しい石を運んでくる必要はない。


 新しい建物の一部として使えばいい。


 そうして何百年も建物が建て替えられてきた。


「じゃあ、この絵が残ったのも……」


「大事にされたからとは限らんな」


「え?」


「壁として使えたから残っただけかもしれねえ」


 僕は黙った。


 なんだかひどい話だった。


 でも、ありそうだった。


     *


「今日はここまでだ」


 ファルハドが言った。


「え?」


「この壁の周りは触るな」


 おじさんたちへ指示を出す。


 別の場所の片づけを始めるらしい。


「もっと見ないの?」


「見る」


「じゃあ」


「順番がある」


 ファルハドが壁を指した。


「こいつが何支えてるか分からんうちに周り壊したら、絵ごと倒れる」


「あ」


「だからお前は触るな」


「分かったよ」


「本当に?」


「分かったって!」


     *


 結局、その日の仕事は少し早く終わった。


 いつもの食堂へ行く。


「今日は何読んだ?」


 おじさんに聞かれた。


「まだ図書館行ってないよ」


「じゃあ昨日」


「昨日はオルシャン」


「またあいつか」


「僕の祖――」


 危なかった。


「……何だ?」


「なんでもない」


 僕は水を飲んだ。


「それより、今日の壁」


「宝物か?」


「分からない」


「金になる?」


「それも分からない」


「じゃあ何なんだ」


「だから調べるんだよ」


 おじさんが笑った。


「お前、分からんもの見つけるたび図書館行くな」


「図書館はそういうところでしょう」


「で、図書館でも分からんって言われる」


「最近それ多いんだよなあ」


 ファルハドが笑った。


     *


 午後。


 大図書館へ戻った。


 壁の一部を紙に写してきた。


 正確な絵ではない。


 僕は絵がそれほど上手くない。


 でも、色と線の位置は記録した。


 まず宗教画の本を探した。


 太陽。


 星。


 王。


 神官。


 古い祭祀。


 似たものがある。


 でも同じものがない。


「何をお探しですか?」


 いつもの司書だった。


「これ」


 紙を見せる。


「どこにありました?」


「解体してる家の壁」


「家?」


「たぶん家より古いです」


「どのくらい?」


「ファルハドも分からないって」


「ファルハド?」


「解体屋」


 司書は僕を見た。


「あなた、図書館に住みながら解体屋をしている方でしたね」


「そうです」


「本当だったんですね」


「誰から聞いたんですか?」


「食堂で有名です」


「なんで?」


「朝は建物を壊し、午後は古代史を読んでいる少年がいる、と」


 嫌な有名になり方だった。


     *


 司書は写しをしばらく見た。


「これだけでは難しいですね」


「太陽教?」


「その可能性はあります」


「アルダーン時代?」


「それも分かりません」


「じゃあ何が分かるんです?」


「色を見たいですね」


「色?」


「顔料です」


 僕は紙を見た。


 赤、青、金。


「絵じゃなくて?」


「絵も重要です。ただ、何で描いたかも重要です」


 なるほど。


「壁そのものも?」


「もちろん」


「それはファルハドの方が分かるかも」


「解体屋が?」


「石の積み方とか、継ぎ目とか」


 言ってから気づいた。


 大図書館の人でも、壁を見れば全部分かるわけではない。


 ファルハドも、絵を見れば歴史が分かるわけではない。


「明日、見に来てもらえます?」


「私が?」


「はい」


 司書が少し困った顔をした。


「私は建築の専門ではありません」


「じゃあ専門の人は?」


「紹介はできます」


「お願いします」


「費用がかかるかもしれませんよ」


「……いくら?」


 最近の僕は、そこを先に聞くようになった。


     *


 翌朝。


「おはようございます!」


「うるせえ!」


 いつもの声が返ってきた。


 でも今日は、仕事を始める前から壁の前に人がいた。


 ファルハドが呼んだらしい。


 古材を扱う年配の職人。


 石工。


 僕が大図書館で紹介してもらった人も来た。


 みんな壁を見る。


 僕は少し離れて見ていた。


「坊主」


 ファルハドが呼んだ。


「何?」


「こいつらの言ってること書け」


「僕?」


「字きれいだろ」


 そういう使われ方をするとは思わなかった。


 紙を出した。


     *


「この家より古いのは間違いない」


 石工が言った。


「どのくらい?」


「それは知らん」


「みんなそこ分からないんだ」


「石に年書いてあると思うか?」


「書いてある石もあります」


「そういう意味じゃねえ」


 古材の職人は壁の端を見ていた。


「ここ、切られてるな」


「何が?」


「元はもっと続いてた」


 ファルハドも頷く。


「だろうな」


「じゃあ大きな建物?」


「少なくともこの壁だけで終わりじゃない」


「何だったんだろう」


 誰も答えない。


 今度は図書館から来た研究者が、絵を見ている。


 少しずつ漆喰を外した。


 人の手が見えた。


 指。


 輪。


「止めて」


 僕は言った。


「何だ?」


 近づく。


 描かれた人物が、隣の人物と手をつないでいる。


 いや。


 手だけではない。


 何人かが円を作っている。


「輪……?」


 僕はもっと近づいた。


 中心には一人いる。


 頭の周りに光のようなもの。


 でも太陽ではない。


 周囲には、小さな点がたくさん描かれている。


 星。


 たぶん星だ。


「知ってるのか?」


 ファルハドが聞いた。


「似たものは」


「何だ?」


「儀式」


「何の?」


 僕は答えなかった。


 まだ分からない。


 ただ、神官だった僕には見覚えがある。


 今のカルバーブでは、こんな描き方はしない。


 でも、人が輪を作る。


 中心に誰かを置く。


 その形は知っている。


     *


 さらに漆喰を外した。


 今度は文字が出た。


「待って」


 僕はしゃがんだ。


 古い。


 今の文字とは形が違う。


 でも読める。


 神官の勉強で習った。


「読めるのか?」


「少し」


「何て?」


 指で追う。


 欠けている。


 全部はない。


 それでも、いくつか読めた。


「……王」


「王?」


「それから、星」


 もう一つ。


「輪」


 ファルハドが僕を見た。


「お前が調べてたやつじゃねえのか」


「まだ分からない」


「星の輪だろ?」


「そう読めるけど」


 胸が少し速くなった。


 偶然かもしれない。


 星環という言葉自体、後世のものと同じ意味とは限らない。


 でも。


 さらに下。


 欠けた文字。


 僕は埃を吹いた。


「何だ?」


「待って」


 読む。


 もう一度読む。


「……死者」


 誰も何も言わなかった。


 僕は右腕を押さえた。


 服の下。


 そこには星環がある。


 生者と死者。


 対の腕輪。


「坊主」


「何?」


「顔色悪いぞ」


「大丈夫」


「本当か?」


「うん」


 大丈夫ではなかった。


     *


 昼飯でも、僕はあまり喋らなかった。


「今日はアルダーンなし?」


「今日はいい」


「珍しいな」


「考えたい」


 おじさんたちは放っておいてくれた。


 ファルハドだけが、食べ終わったあとについてきた。


「図書館行くんだろ」


「うん」


「俺も行く」


「なんで?」


「壁のこと調べるんだろ」


「ファルハド、本読まないじゃん」


「読めるわ」


「そういう意味じゃないよ」


「お前だけに任せたら、壁全部宗教の話にされそうだからな」


「しないよ」


「じゃあ俺が行っても困らねえだろ」


 困らない。


 むしろ助かる。


     *


 大図書館へ入ると、ファルハドは落ち着かなかった。


「静かだな」


「図書館だから」


「みんな何してんだ」


「本読んでる」


「全員?」


「だいたい」


「気味悪いな」


「失礼だよ」


 僕は昨日の司書を探した。


 壁画の写しを広げる。


 今日見つかった文字を書き足す。


 王。


 星。


 輪。


 死者。


 司書の顔が少し変わった。


「原文を見たいですね」


「壁を持ってくる?」


「持ってこないでください」


「冗談です」


「あなたならやりかねないので」


「やらないよ」


 横でファルハドが笑っている。


「明日、もう一度専門家を向かわせます」「何の専門?」


「古代宗教と、サルマンド以前の都市史です」


「そんな人いるんだ」


「ここはサルマンドですよ」


 僕は少し笑った。


 おじさんたちと同じことを言う。


     *


 帰る前に、僕は一冊だけ本を借りた。


 アルダーン時代より前の宗教についての本。


 ファルハドが覗く。


「また読むのか」


「読むよ」


「今日朝から働いたぞ」


「知ってる」


「壁も調べた」


「うん」


「明日も朝早いぞ」


「分かってる」


 ファルハドがため息をついた。


「馬鹿な学徒」


「うるさいな」


 宿舎へ戻る。


 机に座った。


 本を開く。


 最初の数頁を読む。


 サルマンド周辺では、太陽教が広がるより前から、死者を星と結びつける信仰があったらしい。


 死者の魂は夜空へ上がる。


 星になる。


 生者はそれを見上げる。


 そんな古い話。


 僕は頁をめくった。


 その中に、小さな図があった。


 人々が輪を作っている。


 中心には一人。


 今日見た壁画によく似ていた。


「……あった」


 説明を読む。


 死者を輪の中心へ置く。


 その死者を、一夜の王として戴く。


 僕は読む手を止めた。


 もう一度、最初から読んだ。


 間違っていない。


 死者。


 王。


 輪。


 僕は右腕を見た。


 星環について習ったとき、こんな話は聞かなかった。


「先生、これ知ってたのかな」


 答える人はいない。


 窓の外はもう暗かった。


 サルマンドの夜空に星が見える。


 僕は本へ戻った。


 昨日まで、星環がどうしてカルバーブにあるのかを調べていた。


 今日は違う。


 初めて考えた。


 星環とは、そもそも何をするためのものだったのだろう。

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