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星の降る道ⅰ 死者の星環  作者: 超魔王
サルマーンの大図書館
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39/65

本にないもの

アルダーンが死んだあとの歴史は、急に分かりにくくなった。

 正確には、分かりにくいというより、人が多すぎた。

 王。

 将軍。

 王子。

 王女。

 地方総督。

 従兄弟。

 甥。

 婚姻相手。

 裏切った人。

 裏切ったと思われていたけれど、実は最初から味方ではなかった人。

 同じ名前の人。

 同じ人なのに本によって名前が違う人。

 僕は三日ほど頑張った。

 四日目に諦めた。

「……全部読む必要ないな」

 大図書館の机で呟いた。

 向かいの学生が顔を上げた。

 僕は何でもないという顔をして本へ戻った。

     *

 昼。

「坊主、今日は?」

「いっぱい死んだ」

「雑だな!」

「だって本当にいっぱい死ぬんだよ!」

 おじさんたちが笑った。

「アルダーン死んでからどうなった?」

「みんな戦ってる」

「誰と誰が?」

「それを説明すると昼休み終わる」

「じゃあアンティゴノスは?」

「西」

「ガウリスは?」

「南から戻ってくる」

「ファルケンティスは?」

「パルキア」

「オルシャンは?」

「カルバーブ」

「分かりやすいじゃねえか」

「最初だけだよ!」

 そこから婚姻やら同盟やらが増える。

 国境も動く。

 一つの戦争が終わる前に別の戦争が始まる。

 しかも後世の歴史家は、それをまとめて大ディアドコイと呼んでいた。

「大ディアドコイ?」

「アルダーンの後継者争い」

「誰が勝った?」

「それが……」

 僕は少し考えた。

「一人が全部取ったわけじゃない」

「じゃあ勝ってねえじゃん」

「そうとも言える」

「つまらんな」

「歴史って、いつも一人勝つわけじゃないよ」

 ファルハドが言った。

「で、お前は何調べたいんだ?」

「え?」

「世界史の先生になるわけじゃねえんだろ」

 僕は止まった。

     *

 その日の午後。

 大図書館へ戻ってから、僕はしばらく本を開かなかった。

 ファルハドの言葉が残っていた。

 僕は何を調べたいのか。

 アルダーンの生涯を知りたかったわけではない。

 大ディアドコイを全部覚えたいわけでもない。

 最初に知りたかったのは、もっと単純だった。

 王宮の宝。

 追手が探していたもの。

 僕が持ち出したもの。

 そして星環。

 僕は紙の上に三つ書いた。

 アルダーン。

 オルシャン。

 カルバーブ王家。

 その横に、星環。

「これだけでいい」

 全部知らなくていい。

 必要なところだけ追う。

 そう決めると、急に本の山が小さく見えた。

     *

 オルシャンについて調べ始めると、また困った。

「神官」

 一冊目にはそう書いてある。

「東方代官」

 二冊目。

「軍師」

 三冊目。

「内務官」

 四冊目。

「王弟」

 それは役職ではない。

 僕は五冊目を閉じた。

「……結局、何なんだこの人」

 司書に聞いた。

「分かりません」

「また?」

「何をした人物かは、かなり分かっています」

「役職が分からない?」

「ええ」

「そんなことあるんですか?」

「あります」

「どうして?」

「後世の人が、自分たちの知っている役職名に当てはめたからでしょう」

 僕は紙を見た。

 神官。

 書記官。

 軍師。

 代官。

 王弟。

 たしかに、全部少しずつ合っている。

 どれか一つでは足りない。

「本人は何て名乗ってたんです?」

「残っているものでは、『陛下の神官』が一番多いですね」

「それだけ?」

「それだけです」

 僕は少し笑った。

 あれだけ何でもしておいて、それだけらしい。

     *

 オルシャンは、アルダーンが死んだあとカルバーブへ戻った。

 そして王になった。

 これは知っていた。

 僕の家の古い系図にもある。

 でも、その前後は詳しく習っていなかった。

 ザルカドは、しばらくオルシャンが預かった。

 その後、王家へ返している。

 僕はそこを読んで感心した。

「ザルカドの独立を尊重して――」

 次の史料を読む。

 少し違った。

 さらに読む。

 もっと違った。

 翌日の昼。

「オルシャン、ザルカド返した」

「いい奴じゃねえか」

「たぶん違う」

「なんでだ」

「遠いから」

 おじさんたちが止まった。

「遠い?」

「カルバーブからずっと山越えないといけない。税を集めるのも兵を置くのも大変。ザルカド王家も残ってる」

「それで返した?」

「少しずつ」

 ファルハドが頷いた。

「賢いじゃねえか」

「そうなの?」

「持ってても面倒なもんは、持ち主に返した方がいい」

「国を古材みたいに言わないでよ」

「使わねえ土地抱えてどうすんだ」

 身も蓋もなかった。

 でも、たぶん間違ってはいない。

     *

 面白かったのは、パルキアとの関係だった。

 アルダーンが死んだあと、パルキアのファルケンティスとオルシャンは敵になっていない。

 手紙がある。

 商人を通す。

 国境の揉め事を処理する。

 逃げてきた兵の扱いを相談する。

 ファルケンティスが援軍を求めたらしい記録もあった。

 オルシャンは出していない。

 でも、関係は切っていない。

「友達だったのかな」

 僕は呟いた。

 隣にいた司書が言った。

「友人だったかどうかは分かりません」

「そうですよね」

「ですが、関係を壊す必要がなかったのでしょう」

「それだけ?」

「国家間では十分では?」

 それもそうかもしれない。

     *

 そして星環。

 ここだけは、思ったより記録が多かった。

 多すぎるくらいだった。

 アルダーンが身につけた腕輪。

 ザルカドで対になった聖具。

 生者。

 死者。

 王。

 神官。

 誓約。

 葬送。

 後継者。

 帝位。

 世界聖王。

 本によって意味が違う。

 僕が習った教義では、星環は神官が継ぐ聖具だった。

 でも西方の歴史家は違う見方をする。

 アルダーンの帝位の証。

 世界を統べる者の証。

 東方諸王が欲した聖遺物。

「そんなものだったの?」

 僕は右腕を押さえた。

 今そこにある。

 服の下。

 旅に出るとき、ただ持ってきた。

 正確には、持ってこなければならなかった。

 神官だから。

 僕が継承者だから。

 それだけだと思っていた。

     *

 僕はアルダーン自身が、星環を後継者の証にしたのか調べた。

 なかなか出てこなかった。

 帝位の証。

 後継者の証。

 世界聖王位。

 そう書いてあるのは、ほとんどアルダーン死後の本だった。

 生前の記録に近づくほど、言い方が曖昧になる。

 腕輪。

 聖具。

 王の輪。

 誓約の輪。

 僕は司書を捕まえた。

「アルダーンが『この星環を持つ者が自分の後継者だ』って決めた記録、あります?」

「私は知りません」

「ない?」

「ない、とは言えません。見つかっていない、と言うべきでしょう」

「じゃあ、どうして後継者の証になったんです?」

「後継者を争った人々が、そう扱ったからでは?」

 僕は黙った。

「持っていることに意味ができた?」

「そう考える研究者は多いですね」

「最初から意味があったんじゃなくて?」

「最初の意味と、後から付いた意味が同じとは限りません」

 僕はまた右腕を触った。

 少し重くなった気がした。

 腕輪自体の重さは変わっていないのに。

     *

 オルシャンは、アルダーンの死の前に星環を預かった。

 それからカルバーブへ持ち帰った。

 その後、星環はオルシャンの家系と王家のあいだを行き来する。

 いや。

 行き来したというより、だんだん一つになっていった。

 婚姻。

 相続。

 養子。

 神官家。

 王家。

 何代も重なった。

 あるところで僕は系図を並べた。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 つなげる。

「……あ」

 声が出た。

 司書が振り向いた。

「すみません」

 小さな声にした。

 もう一度見る。

 間違っていない。

 星環がカルバーブへ来たのではない。

 星環を持っていた人たちが、カルバーブ王家になっていった。

 僕はずっと逆に考えていた。

 アルダーンの宝が、どうしてカルバーブにあるんだろう。

 そうではなかった。

 オルシャンが持って帰った。

 その家系が王家と結びついた。

 だから残った。

「先生、これ教えてくれてたのかな」

 たぶん、部分ごとには教わっていた。

 オルシャン。

 王家の系譜。

 神官家。

 星環。

 僕が一つにつなげて考えていなかっただけだ。

     *

 昼飯で話すと、おじさんたちは思ったより興味を示さなかった。

「へえ」

「へえ、だけ?」

「だって持って帰ったんだろ?」

「そうだけど」

「じゃああるだろ」

「千年以上だよ?」

「家が続いてりゃあるんじゃねえか?」

 僕は少し腹が立った。

 三日かけて調べたのに。

「もっと驚いてよ」

「じゃあ、すげえ!」

「もういい」

 ファルハドが笑った。

「で、それがお前の調べものと関係あんのか?」

「あると思う」

「思う?」

 僕は少し迷った。

「まだ分からない」

「ならまだ途中だな」

「うん」

     *

 星環については、本がある。

 アルダーンについてもある。

 オルシャンについてもある。

 カルバーブ王家についてもある。

 でも、もう一つ調べてみた。

 兄上の耳飾り。

 左耳につけていた、小さなもの。

 兄上が僕に渡した。

 王家の品なら、何か残っているかもしれない。

 最初はそう思った。

 何冊か見る。

 ない。

 王家の装身具の記録。

 ない。

 歴代王の宝物。

 ない。

 儀礼具。

 ない。

 宝物庫の古い目録。

 ない。

 僕は司書にも聞いた。

「左耳だけにつける、小さな耳飾りです。カルバーブ王家の」

「年代は?」

「最近です」

「王のもの?」

「兄の」

「王だったのですか?」

 一瞬、言葉が詰まった。

「……はい」

 司書は僕を見た。

 でも何も聞かなかった。

「最近の王室装身具でしたら、大図書館の収集対象とは限りません」

「どうして?」

「歴史的価値がまだ定まっていませんから」

「王のものでも?」

「王が毎日履いていた靴まで全部残しますか?」

「……残さない」

「そういうことです」

 分かっていた。

 でも少し寂しかった。

     *

 兄上の耳飾りは、本にない。

 たぶん、歴史にとっては大したものではない。

 兄上が使っていた。

 僕に渡した。

 それだけ。

 だから僕には大切だった。

 でも歴史書には関係ない。

 星環は違う。

 千年以上、本に残る。

 誰が持っていたか。

 誰が欲しがったか。

 何の権威になったか。

 何度も書かれている。

 僕が持っている二つのものは、あまりにも違っていた。

 右腕には、千年の歴史がある。

 袋の中の小さな耳飾りには、何もない。

 なのに、僕にはどちらも捨てられない。

     *

 その日の昼。

「坊主、元気ねえな」

「そう?」

「本に負けたか?」

「本には勝たないよ」

「じゃあ何だ」

 僕は少し考えた。

 兄上のことは話せない。

 でも、全部隠す必要もない気がした。

「調べたい人のことが、何も載ってなかった」

「昔の人か?」

「……少し前」

「有名人?」

「僕には」

 おじさんは、それ以上聞かなかった。

 しばらくして言った。

「本に載ってねえなら、知ってる奴に聞きゃいいじゃねえか」

 僕は顔を上げた。

「知ってる人がいなかったら?」

「物見るとか」

 ファルハドが口を挟んだ。

「物?」

「本だけが残りもんじゃねえだろ」

 僕は解体現場を思い出した。

 古い梁。

 昔の金具。

 壁の中の銀貨。

 誰かが隠した首飾り。

 書物には載っていないけれど、物は残っている。

「家壊してるとさ」

 ファルハドが言った。

「持ち主が何も言わなくても分かることあるぞ」

「どんな?」

「ここ直したな、とか。後から壁足したな、とか。昔の家の上に新しい家建てたな、とか」

「それ、歴史?」

「知らねえよ」

 ファルハドは肉を食べた。

「俺は家壊してるだけだ」

     *

 午後、大図書館へ戻った。

 でもすぐには本を開かなかった。

 今まで書いた紙を並べた。

 アルダーン。

 パルキア。

 カルバーブ。

 オルシャン。

 星環。

 王家。

 線でつながっている。

 千年以上前のことなのに、かなり分かる。

 戦争の日付まで分かる。

 誰がどこへ行ったかも分かる。

 ところが、ほんの少し前の兄上のことが分からない。

 なぜ死んだ。

 誰が殺した。

 王宮で何があった。

 なぜ僕まで死んだことにされた。

 なぜ宝が盗まれたことになっている。

 なぜ門では、誰かが何かを持ち出したと知っているように探していた。

 本を何冊読んでも、その頁はない。

 当たり前だった。

 まだ本になっていない。

     *

 僕は紙の一番下に書いた。

 兄上。

 その横には、何も書けなかった。

 しばらく見ていた。

 それから、今までの紙を束ねた。

 アルダーンについては前より詳しくなった。

 カルバーブ王家についても前より詳しくなった。

 星環についても、知らなかったことをたくさん知った。

 兄上がどうして死んだのかは、三日前と同じくらい分からなかった。

「……ここから先は、本に聞いても分からない」

 声に出した。

 不思議と、それほど落ち込まなかった。

 分からないことが分かった。

 それだけでも、来た意味はあったのかもしれない。

     *

 翌朝。

 僕はいつものように解体現場へ行った。

「おはようございます!」

「うるせえ!」

「もうこれ毎日やるんですか!」

 笑い声。

 馬に荷をつける。

 帳面を受け取る。

 ファルハドが、いつもと違う家を見上げていた。

 古い家だった。

 かなり古い。

 壁の一部だけ、妙に石の積み方が違う。

「どうしたの?」

「これ」

 ファルハドが壁を叩いた。

「後から作った壁じゃねえな」

「じゃあ?」

「もっと古い」

「この家より?」

「たぶん」

 僕も見た。

 分からない。

「何年前?」

「知らん」

「何の建物?」

「知らん」

「じゃあ何が分かるの?」

 ファルハドが僕を見た。

「作り方が違う」

 それだけ言って、壁へ戻った。

 僕はその石を見た。

 本にはないもの。

 誰かが書かなければ消えるもの。

 誰も書かなかったのに残っているもの。

 昨日までなら、ただの古い壁だと思ったかもしれない。

「これ、壊すの?」

「壊す」

「ちょっと待って」

「なんだよ」

 僕は壁へ近づいた。

 石と石の間。

 表面に塗られた漆喰。

 その奥に、ほんの少しだけ色が見えた気がした。

「ファルハド」

「だから何だ」

「ここ、先に剥がしてみてもいい?」

 ファルハドが僕の指したところを見る。

 少し黙った。

「壊すなよ」

「分かってる」

「お前が言うと不安だな」

「僕だって少しは覚えたよ」

 道具を借りた。

 慎重に、表面を削る。

 白い漆喰が落ちる。

 その下から、色が出た。

 赤。

 青。

 そして金色。

 線になっている。

 絵だ。

 僕は手を止めた。

「……ファルハド」

「見えてる」

 おじさんたちも集まってきた。

 誰かが言った。

「また宝石か?」

「違う」

 僕は答えた。

「たぶん、もっと面倒なもの」

 ファルハドが笑った。

「図書館に住んでる坊主がそう言うなら、面倒なんだろうな」

 僕は壁を見た。

 昨日、本だけでは分からないと思った。

 その翌朝に、壁の中から過去が出てきた。

 偶然だ。

 もちろん偶然だ。

 でも。

「これ、調べたい」

 僕が言うと、ファルハドはため息をついた。

「仕事増やすなよ、馬鹿な学徒」

「囚人よりいいだろ」

「どっちもお前だよ」

 僕は笑った。

 そして、もう一度壁を見た。

 大図書館での調べものは、終わったわけではない。

 ただ、本の外へ出る時が来たのだと思った。

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