猛将はまだ山にいる
パルキア戦のあと、アルダーンの歴史は少し読みにくくなった。
それまでは簡単だった。
アルダーンがどこへ行った。
誰と戦った。
勝った。
次へ行った。
だいたいそれで分かる。
ところがパルキアを取ったあたりから、同じ頁にいろんな人の名前が出てくるようになった。
ファルケンティス。
アンティゴノス。
ガウリス。
それからオルシャン。
アルダーン本人は、その間を行ったり来たりしている。
「坊主、今日のアルダーンは?」
「今日は、あんまりアルダーン出てこない」
「じゃあ誰だ」
「ガウリス」
「お」
最近、おじさんたちも慣れてきた。
アルダーンが出てこなくても続きを聞く。
*
ガウリスは南へ進んでいた。
ただ南へ進んでいる、という書き方だと大したことがないように見える。
実際に年代を並べると変だった。
「この町を取った」
「うん」
「その次の月に、さらに南の町」
「うん」
「その次に川を越えてる」
「うん」
「その次――」
「待て」
ファルハドが止めた。
「何?」
「早すぎねえか?」
「僕もそう思った」
地図を広げる。
距離を測る。
別の記録も見る。
間違っていない。
ガウリスは本当に速かった。
「戦ってないのか?」
「戦ってる」
「じゃあなんでこんな進むんだ」
「勝ったあと、すぐ動くみたい」
敵を破る。
町を押さえる。
長く休まない。
次へ行く。
相手が兵を集め直す前に、また来る。
「嫌だな、それ」
おじさんが言った。
「やっと逃げて次の町に着いたら、後ろから同じ旗が来るんだろ」
「たぶん」
「韋駄天将軍だな」
「まだそう呼ばれてない」
「もう言うと思った」
*
ガウリスが速く進めた理由は、本人が速いからだけではなかった。
平地が多い。
馬が使える。
大人数でも動ける。
アルダーン軍が得意な戦い方を、そのまま使える。
そして後ろから、食糧が来る。
「誰が送ってる?」
僕は頁をめくった。
「オルシャン」
「また知らねえ奴が出てきたな」
「知らないの?」
「名前は知ってる」
「何した人?」
おじさんたちが顔を見合わせた。
「神官?」
「軍師じゃなかったか?」
「カルバーブの王子だろ」
「書記官って本もあったぞ」
僕は少し嬉しくなった。
「大図書館でも同じことになってる」
「どういうことだ?」
「本によって役職が違う」
「じゃあ何なんだ」
「分からない」
「またかよ」
でも、やったことは分かる。
穀物を送る。
宿場を整える。
馬を用意する。
書簡を出す。
部族と交渉する。
道路を押さえる。
「軍師じゃないのか?」
「作戦を考えるというより、戦えるように周りを整えてる」
「地味だな」
「でも、これないとガウリス進めない」
「じゃあ大事じゃねえか」
僕もそう思った。
*
そのころアンティゴノスは、北へ向かっていた。
ザルカド。
「来た!」
おじさんが声を上げた。
「そんなに楽しみだったの?」
「猛将の本番だろ」
「たぶん、思ってるのと違うよ」
「どう違う」
「……負ける」
食卓が静かになった。
「誰が?」
「アンティゴノス」
「嘘だろ」
「本当」
「ザルカド軍に?」
「それもあるけど」
僕は地図を見せた。
「山に」
*
ザルカドの道は狭い。
高い。
寒い。
大軍を連れていくほど、食べ物が足りなくなる。
馬も減る。
荷物を運ぶ動物も疲れる。
谷を一つ越えるだけで時間がかかる。
アルダーン軍は平地では強い。
でも山は、強さを消した。
「兵増やせばいいだろ」
「増やしたらもっと食べ物が足りなくなる」
「五万くらい――」
「五万人を食わせられる道じゃないって」
「じゃあどうすんだ」
「だから困ってる」
アンティゴノスは進んだ。
押し返された。
戻った。
翌年、また来た。
「また?」
「また」
「今度は?」
「また止められた」
「来年は?」
「行く」
「ならいい」
「何がいいの?」
*
その次の年。
「坊主」
「はいはい」
「アンティゴノスは?」
「また山」
「勝った?」
「まだ」
「負けた?」
「押し返された」
「来年は?」
「また行く」
「ならいい」
「それ好きだね」
どうやらおじさんたちは、勝っているからアンティゴノスが好きなのではないらしい。
諦めないから好きなのだ。
僕も少し分かるようになってきた。
ガウリスはどんどん地図の南へ行く。
アンティゴノスは、同じ山の前にいる。
なのに、どちらも仕事をしている。
*
「兵を増やせばよい」
アルダーンが言ったとする記録がある。
アンティゴノスは答えた。
「もっと負けます」
僕はその部分を昼飯で読んだ。
「いいな」
おじさんが言った。
「何が?」
「ちゃんと言い返してる」
「猛将なのに?」
「猛将だからだろ。無理なもんは無理って言わねえと」
ファルハドが頷いた。
「現場知らねえ奴に人増やせって言われるのが一番困るからな」
「アルダーンは現場知ってるでしょう」
「山は別だろ」
そうかもしれない。
*
アンティゴノスが困っている間、オルシャンが動いた。
「今度は何してる?」
「アンゴルに行ってる」
「何しに?」
「羊買いに」
「……羊?」
「あと乾燥肉。乳。穀物。馬。人も」
「人も買うのか?」
「傭兵とか案内人」
「また地味だな」
「でもこれで北から食べ物が来る」
ザルカドは、攻めてきた軍が飢えるのを待てばよかった。
冬が来る。
道が悪くなる。
食糧がなくなる。
敵は帰る。
翌年、また来ても同じ。
そう思っていたはずだ。
でも、アンゴルから食糧が入るようになった。
北側にも道ができる。
次にオルシャンはサルマーンへ行った。
「ここ?」
僕は食堂の床を指した。
「この国?」
「そう」
「何しに?」
「馬買いに」
「征服したのか?」
「してない」
「じゃあなんで馬が買える」
「売ってくれたから」
「敵じゃないのか?」
「敵でも味方でもない」
「そんなのありか」
「あるみたい」
サルマーンはアルダーンに従わなかった。
でも戦わなかった。
馬を売った。
中立。
後の本では、アルダーンの勢力圏として塗られている地図もあった。
でも条約を読むと、そうではないらしい。
「じゃあ地図が嘘じゃねえか」
「簡単に塗りすぎてる」
「歴史の本って適当だな」
「全部じゃないよ」
*
ガウリスは、その間にも南へ進んだ。
さらに南。
さらに南。
「次の町は?」
「ある」
「その次は?」
「ある」
「まだあるのか」
ある。
そしてとうとう、海まで行った。
「海?」
「うん」
「アルダーンたち、元々海の国から来たんだろ?」
「そうだけど、反対側」
インドゥーラの南端。
海へ突き出した土地。
後世、西方の人々はそこを「サイの角」と呼んだ。
「なんで?」
「形が似てるから」
「ガウリス、サイ見たのか?」
「たぶん見てる」
「で、何した?」
「……さらに南を見に行った」
「海なのに?」
「船で」
ファルハドが笑った。
「止まれねえのか、あいつ」
「たぶん」
*
アンティゴノスは、まだ山にいた。
僕がその言葉を言うと、みんな笑った。
「ガウリスは?」
「海」
「アンティゴノスは?」
「山」
「比べんなよ!」
「僕が比べたんじゃないよ!」
でも、少しずつ変わっていた。
ザルカドへ入る道が増える。
外から入る食糧が減る。
周辺の部族がアルダーン側と取引する。
アンティゴノスは毎年戻る。
ザルカドは戦いでは追い返している。
それでも戦争は終わらない。
「勝ってるのに、終わらないのか」
おじさんが言った。
「うん」
「嫌だな」
「僕もそう思う」
*
ある年、アンティゴノスはアルダーンへ援軍を求めた。
「やっとか」
おじさんが言った。
「兵が足りなくなったのか?」
「違うみたい」
「じゃあ何だ」
「アルダーン本人に来てほしいって」
「本人?」
「うん」
僕も最初は分からなかった。
でも記録を何冊か読むと、少し見えてきた。
ザルカドはもう苦しかった。
外から食糧を入れる道も減った。
戦い続ける力も落ちている。
でもアンティゴノスに降伏するのと、世界を征服してきたアルダーン本人に降伏するのとでは意味が違う。
「花持たせたんじゃねえか」
ファルハドが言った。
「誰に?」
「ザルカドにも、アルダーンにも」
なるほど。
アンティゴノスが最後まで攻めれば、ザルカドはアンティゴノスに負けた国になる。
アルダーンが来れば、世界聖王に降った国になれる。
「アンティゴノス本人も?」
「最後だけ王様にやらせたんだろ」
「でも何年も戦ったのはアンティゴノスだよ」
「だからできるんだよ」
僕は、その言葉をしばらく考えた。
*
アルダーンはザルカドへ来た。
大きな戦いはなかった。
城門が開いた。
王家は残された。
条件が決められた。
アルダーンは入城した。
アンティゴノスもいた。
「やっとか!」
おじさんたちが本当に喜んだ。
「長かった!」
「何年聞かされたと思ってんだ!」
「僕だって何年も読んだわけじゃないよ!」
「アンティゴノスは?」
「褒賞をもらってる」
「何もらった?」
「ブルガンティス」
「おお」
「それから、帰る」
「帰る?」
みんな少し静かになった。
「戦わないのか?」
「もういいって」
記録には、アルダーンとのやり取りも残っていた。
どこまで本当かは分からない。
でも、僕は好きだった。
「何が欲しい」
「帰りとうございます」
「領地を聞いている」
「では、帰れるところを」
おじさんたちはしばらく黙った。
「……いいな」
「うん」
「猛将なのに、帰りたかったんだな」
「ずっと山にいたから」
「そりゃ帰りたいか」
アンティゴノスは、ブルガンティスを与えられ、西へ戻った。
後の戦争にはまた名前が出てくる。
でも、この東征での戦いは、そこで終わる。
*
アルダーンはザルカドに残った。
そして、山へ行った。
昔、アルディスの近くに大きな隕石が落ちた。
そのころ遠い東、ザルカドにも、もう一つ落ちたという記録がある。
双子の星。
演義ではそう呼ばれる。
「見に行ったのか?」
「うん」
「本当に?」
「これはかなり確かみたい」
「じゃあ東征の理由、隕石じゃねえか」
「分からないって」
「でも最後に見に行ってる」
「だから困るんだよ」
アルダーンは本当に、その隕石を見た。
それから星環に関わる儀式を行ったらしい。
今まで持っていたものに、もう一つが加わった。
生者と死者。
対の輪。
僕は右腕に触れた。
服の下にある星環。
千年以上前、この近くで同じ名前の聖具が完成した。
*
翌日の昼。
「それで?」
おじさんが聞いた。
「何が?」
「次どこ行くんだよ」
「誰が?」
「アルダーン」
僕は少し黙った。
「行かない」
「なんで?」
「死んだ」
「……誰が?」
「アルダーン」
食卓が静かになった。
「昨日ザルカド落としたばっかだろ」
「うん」
「隕石見たんだろ」
「うん」
「それで?」
「病気になったみたい」
「毒じゃねえの?」
「そういう話もある」
「ザルカドの王家に殺された?」
「そういう演義もある」
「帰りたい将軍が反乱したってやつは?」
「それも後世の話っぽい」
「じゃあ何なんだよ」
「分からない」
まただ。
でも、今回は前より重かった。
*
アルダーンの死については、いろんな話が残っていた。
双子の隕石を見て満足し、役目を終えて天へ帰った。
毒を盛られた。
遠征に疲れた将軍たちが反乱した。
ザルカドの復讐者に殺された。
呪いを受けた。
そして、ずっと後の研究者が書いた説もあった。
遠く東へ来すぎたため、アルディス人がほとんど経験していない病に罹り、重くなった。
実際、同じころ遠征軍の古参兵にも発熱者が出ている記録がある。
「世界を取れそうだったのに病気か」
おじさんが言った。
「病気には勝てないでしょう」
「毒殺の方が格好いいな」
「死因に格好よさ求めないでよ」
「じゃあ隕石見て満足して死んだ」
「それは死因じゃないって」
「でも満足はしたかもしれないだろ」
僕は答えなかった。
それは分からない。
歴史書には書けない。
*
アルダーンは、死ぬ少し前に星環などの聖具をオルシャンへ預けた。
誰か一人を後継者にはしなかった。
記録には、短い言葉が残る。
強い者がいれば渡せ。
いなければ、お前が持て。
僕は何度も読み直した。
ファルケンティスにはパルキアがある。
ガウリスにはインドゥーラがある。
アンティゴノスにはブルガンティスがある。
故国アルディスには王家が残っている。
オルシャンにはカルバーブと、預けられた聖具がある。
アルダーンが生きている間は、全部が一つの戦争だった。
死んだ瞬間から、別々のものになる。
「坊主」
「何?」
「続きは?」
「いっぱいある」
「じゃあ明日な」
「……たぶん明日じゃ終わらないよ」
「今までだって終わってねえだろ」
そうだった。
僕は笑った。
でも、大図書館へ戻って次の本を開いたとき、少し後悔した。
知らない名前が増えた。
国も増えた。
戦争も増えた。
同じ名前の王が何人もいる。
婚姻。
裏切り。
同盟。
分裂。
再統合。
頁をめくった。
さらに人が増えた。
「……明日にしよう」
本を閉じた。
アルダーンの生涯を追うだけなら、まだ簡単だった。
問題はそのあとだった。
星環は、誰の手に渡ったのか。
なぜそれが、千年以上たった今、カルバーブにあるのか。
そして。
僕の兄上が死んだ夜と、それがどうつながっているのか。




