今日のアルダーン
「坊主、今日のアルダーンは?」
最近、昼飯を食べ始めると誰かが必ず聞く。
今日の、と言われても千年以上前の人なのだけれど、僕もいちいち訂正しなくなった。
「ブルガノーブルに着いた」
「おお」
「それで?」
「攻めた」
「落ちたか?」
「落ちなかった」
「なんだよ」
「僕に言わないでよ」
向かいのおじさんがパンをちぎりながら首を振った。
「アルダーンも大したことねえな」
「昨日までアンティゴノスが出ただけで喜んでたじゃないですか」
「アンティゴノスは別だ」
「何が?」
「猛将だからな」
「このころはまだ猛将って呼ばれてないよ」
「後でなるんだから同じだろ」
「歴史ってそういう読み方していいのかな」
たぶん駄目だと思う。
*
ブルガノーブルは海峡に面した大都市だった。
西から来たアルダーンは、正面からそこを攻めた。
でも落ちなかった。
城壁が強い。
海がある。
船もある。
アルダーン軍は西から来た陸軍だった。
「じゃあどうした?」
「諦めた」
「またそれか」
「本当に一回諦めてるんだよ」
僕は昨日写してきた紙を広げた。
「ただし、ファルケンティスを残した」
「色男か」
「なんでそれで覚えてるの?」
「演義じゃ美男子だからな」
「史料にも容姿がいいとはあるけど」
「ほら」
「そこだけ史料を信じるんだ」
ファルケンティスには、ブルガノーブルを落とせとは命じなかったらしい。
包囲を続ける。
兵を出させない。
西側を押さえる。
それだけ。
「で、アルダーンは?」
「海峡を渡った」
「城落としてないのに?」
「うん」
「何しに?」
「反対側のブルガンティスを取るため」
「なんで?」
「僕も最初そう思った」
*
次の日。
「今日のアルダーンは?」
「ブルガンティス」
「ブルガノーブルは?」
「まだファルケンティスがいる」
「アンティゴノスは?」
「対岸の拠点を守ってる」
「よし」
「何がよしなの?」
「出てきたからだ」
おじさんたちのアンティゴノス好きがよく分からない。
「ガウリスは?」
ファルハドが聞いた。
「アルダーンと南へ」
「何しに?」
「沿岸都市を取ってる」
「また城ほったらかして?」
「うん」
アルダーンとガウリスは、ブルガンティスの海岸沿いを南へ進んだ。
一つ落とす。
次へ行く。
港が降る。
さらに進む。
そのうち、面白いことが起きた。
「船が増えてる」
「船?」
「ブルガンティスの船」
降伏した港には船がある。
船乗りがいる。
水先案内人がいる。
船を直す職人がいる。
造船所もある。
アルダーンは、それを壊していなかった。
「そりゃそうだろ」
ファルハドが言った。
「使えるもの壊してどうすんだ」
「ファルハドは何でも解体屋で考えるよね」
「使える船取ったんだろ?」
「そうだけど」
「じゃあ同じだ」
たぶん違う。
でも少し似ている気もした。
*
さらに何日か経った。
「坊主」
「今日は面白いよ」
「なんだ?」
「アルダーンが戻った」
「どこへ?」
「ブルガノーブル」
「やっとか!」
みんなが知っている話だった。
僕も演義では知っていた。
でも、調べるまで誇張だと思っていた。
「アルディスからも艦隊が来てる。それにブルガンティスで手に入れた船も合わせてる」
「ほら来た!」
「何が?」
「海を埋めるんだろ!」
「海は埋めてない」
「船で埋めたんだろ?」
「……かなり集めてる」
「ほら!」
悔しい。
演義では、アルダーンが一夜にして千艘の船をつなぎ、海の上に道を作ったことになっている。
千艘という数字は怪しい。
一夜というのも怪しい。
でも、大量の船を海峡へ集中させたことは複数の記録に残っていた。
一部はつながれ、兵や荷を渡すためにも使われたらしい。
「演義の方が正しいじゃねえか!」
「人数と日数が違うんだよ!」
「でも船で海埋めた」
「だから、その言い方が大げさなんだって!」
ファルハドだけは違うところが気になったらしい。
「どう固定した?」
「え?」
「船だよ」
「知らない」
「潮は?」
「知らない」
「海峡だろ。流れあるだろ」
「……あると思う」
「何隻ずつつないだ?」
「そこまで書いてなかった」
「明日な」
「なんで僕に宿題出すの?」
*
翌日、調べた。
分からなかった。
正確には、史料によって違った。
「分かりませんでした」
「使えねえな」
「千年前の船のつなぎ方を一晩で調べてきた人に言うこと?」
「で?」
「全部を一本の橋にしたわけじゃないみたい。封鎖する船、兵を運ぶ船、つないで渡れるようにした船があったらしい」
「そっちの方が普通だな」
「そうなの?」
「全部つないだら動けねえだろ」
僕は少し考えた。
そういうことは本を読んでいても気づかなかった。
第二次ブルガノーブル攻撃で、アルダーンは最初とはまるで違う戦い方をした。
最初は西から城壁を攻めた。
今度は海峡そのものを押さえた。
ブルガンティス側からも兵を動かした。
海からの出入りも難しくした。
そして、ブルガノーブルは落ちた。
「それでアルダノーブルになるんだろ」
「うん。名前が変わるのはこの後」
「最初からアルダノーブルじゃなかったのか」
「ブルガノーブル」
「面倒だな」
「僕に言わないでよ」
*
アルダノーブルを取ったところで、演義なら大事件が起こる。
アルダーンの父王が死ぬ。
そして犯人は、東の大国パルキア王トミナス二世。
毒殺。
父の仇を討つため、アルダーンは東征を決意する。
僕も昔、その話を聞いたことがあった。
だから調べた。
「嘘だった」
昼飯で言うと、みんなが止まった。
「何が?」
「トミナス二世の毒殺」
「嘘?」
「たぶん」
「毒杯持ってくる女は?」
「ずっと後の本にしか出てこない」
「黒い衣の男は?」
「もっと後」
「父王が血を吐いてアルダーンの腕の中で――」
「それ演義」
「全部かよ!」
アルダーンの父王がこのころ死んだこと自体は確からしい。
ただ、病死と考えても何も不自然ではない。
パルキアが毒殺したという同時代の記録は見つからない。
「じゃあ何でパルキア攻めたんだよ」
「それがよく分からない」
「分からない?」
「ブルガンティスにパルキアが使者とか、少し援軍を送ってた記録はある」
「じゃあそれだろ」
「たぶん戦争の直接の理由としては」
「ほら」
「でも、それだけならパルキアを取ったあとも東へ行く理由にならない」
みんなが黙った。
「何で行ったんだ?」
「だから分からない」
「布教だろ」
「そう書いてる本もある」
「世界の果てを見たかった」
「それもある」
「双子の隕鉄」
「それもある」
「どれだよ」
「分からないって言ってるでしょう」
ファルハドが肉を食べながら言った。
「全部じゃねえの」
僕は少し考えた。
「それが一番ありそうで困る」
*
パルキアとの戦争を読み始めると、おじさんたちは急に詳しくなった。
「来たぞ。二万で十万!」
「六万」
「十万!」
「六万!」
「演義じゃ十万だ」
「僕が読んでるのは記録なの!」
パルパロキア平原。
アルダーン軍、およそ二万。
トミナス二世の軍、およそ六万。
それでも三倍だった。
パルキア軍は王直属の兵だけではない。
諸部族。
傭兵。
地方軍。
いくつもの軍勢が集められている。
アルダーンは正面から戦った。
「勝つんだろ?」
「勝つ」
「どうやって?」
「これが……」
僕は紙を見た。
「アルダーン本人が突っ込んでる」
「ほら!」
「なんで嬉しそうなの?」
戦っている途中、アルダーンはパルキア軍の陣形に隙間が生まれたのを見つけたらしい。
騎兵を率いてそこへ入った。
奥まで進んだ。
そしてトミナス二世のいる指揮所近くまで突入した。
「演義じゃ王の旗を槍で倒すぞ」
「それは確認できなかった」
「一騎で百人斬った」
「それも嘘」
「トミナスと一騎討ちは?」
「してない」
「つまらんな」
「敵本陣まで突っ込んでる時点で十分おかしいよ!」
しかも、その部分はパルキア側の記録にもあった。
トミナス二世は戦場を離脱した。
それを見た軍が崩れた。
六万全員をアルダーンが倒したわけではない。
でも、六万を戦わせていた中心を壊した。
「やっぱり十万でいいだろ」
「よくない!」
*
でも、パルパロキアで戦争は終わらなかった。
次の日。
「トミナス捕まったか?」
「まだ」
「逃げたのか」
「王都に戻ろうとしてる」
トミナス二世にはまだ王都があった。
宮殿がある。
官僚がいる。
金がある。
各地へ命令を送る仕組みがある。
王都へ帰れば、もう一度兵を集められる。
アルダーンはそれをさせなかった。
ヘラクスで追撃軍がトミナス二世の帰路を脅かした。
戦いながら進路を変えさせる。
「誰が追ってる?」
「この時点ではアルダーンも近くにいるみたい」
「ガウリスは?」
「いる」
「アンティゴノスは?」
「いるよ」
「よし」
「だから何なの、そのアンティゴノスが出るたびに喜ぶの」
*
そして、ここからアルダーンの戦い方が変わった。
僕はそれに気づくまで少しかかった。
「……あれ?」
「どうした坊主」
「アルダーンがトミナスを追ってない」
「逃げられたのか?」
「違う」
僕は何冊か並べた。
ガウリス。
トミナス二世の捜索と追撃。
ファルケンティス。
パルキア北方部族との交渉。
アンティゴノス。
降伏したパルキア軍の再編。
「じゃあアルダーンは?」
おじさんが聞いた。
「王都」
「何してんだ?」
「……国を取ってる」
自分で言ってから、少し怖くなった。
アルダーンはトミナス二世を捕まえることより先に、トミナス二世が王でいるために必要なものを取っていた。
宮殿。
官僚。
記録。
金庫。
命令を地方へ運ぶ仕組み。
それを壊さずに使い始める。
「昨日まで敵だった役人だろ?」
「そう」
「言うこと聞くのか?」
「給料も仕事も残してる」
「じゃあ働くか」
「そんなものなの?」
「役人だって飯食うだろ」
そういうものなのかもしれない。
*
アンティゴノスは、パルパロキアで崩れた軍まで拾い始めた。
部族兵。
傭兵。
降伏兵。
全部がトミナス二世に最後まで忠誠を尽くしたわけではない。
「昨日まで敵だったんだろ?」
「うん」
「今日からアルダーン軍?」
「そういう部隊もある」
「いいのかそれ」
「僕に聞かれても」
ファルハドが言った。
「金払う奴が変わっただけの奴もいるんだろ」
「傭兵はそうだと思う」
「なら働くだろ」
また身も蓋もない。
でも、そうやってアンティゴノスが軍を組み直すほど、ガウリスが使える兵も増えていく。
トミナス二世を追っているのは、いつの間にかアルディス人だけではなくなっていた。
*
「今日は?」
「タナス渓谷」
「トミナス?」
「違う。トミナス二世の一族の将軍が蜂起した」
「お」
みんなの顔が少し真面目になった。
パルキアはまだ終わっていなかった。
王都を取られても、地方には兵がいる。
王族もいる。
トミナス二世も生きている。
一族の将軍が軍を集め、旧王家のために立った。
「アンティゴノスだな」
「まだ誰が戦うか言ってないよ」
「アンティゴノスだ」
「なんで決めつけるの?」
「猛将だから」
「だから、このころまだ――」
「で、誰だった?」
僕は紙を見た。
黙った。
「……アンティゴノスもいる」
「ほら!」
食堂で笑い声が上がった。
「なんで当たるんだよ!」
*
タナス渓谷の反攻も失敗した。
パルキア王家が王都を奪い返す機会は、さらに小さくなった。
それでもトミナス二世は捕まらない。
逃げる。
ガウリスが追う。
また逃げる。
さらに追う。
「ガウリス、速くない?」
僕は言った。
「今さらか」
「この人、ずっと追ってる」
「韋駄天将軍だからな」
「まだそう呼ばれてない」
「お前、それ好きだな」
好きで言っているわけではない。
後世の名前で昔の人を見ると、最初からその人だったように見えてしまう。
でも、ガウリスが速いのは本当だった。
*
そして風切峠。
「今日こそ捕まるか?」
「捕まらない」
「しぶといなトミナス」
「不死隊がまだ二百人くらいいる」
「六万から二百か」
その言葉で、僕も初めて気づいた。
パルパロキアでは六万を率いていた王が、今は二百余りの忠臣と峠を越えようとしている。
しかも襲ってきた軍の中には、かつてパルキア側だった者までいる。
「トミナスからしたら嫌だろうな」
おじさんが言った。
「昨日まで自分の兵だった奴に追われるんだから」
「うん」
「それでも逃げた?」
「逃げた」
「どこへ?」
僕は地図を指した。
「カルバーブ」
一瞬、言葉が止まった。
僕だけが、その国を別の意味で知っている。
故郷。
兄上が死んだ場所。
僕が逃げてきた国。
千年以上前、トミナス二世もそこへ逃げた。
「カルバーブ王が匿ったのか?」
「そうみたい」
「じゃあアルダーンも行くだろ」
「……行く」
「また東か」
「うん」
ファルハドが僕の紙を覗いた。
「これ、パルキア戦終わったのか?」
僕は考えた。
トミナス二世は生きている。
でも王都はアルダーンのもの。
官僚も動いている。
軍も再編されている。
北方部族とはファルケンティスが交渉している。
「たぶん、国としてはもう終わってる」
「王様生きてるのに?」
「王様だけになっちゃったから」
言ってから、それも変な言葉だと思った。
*
その日の午後。
大図書館へ戻って、僕は続きを読んだ。
アルダーンは王都へ入った。
ファルケンティスは北方との交渉を続けている。
アンティゴノスは軍をまとめている。
ガウリスは東へ進んでいる。
そしてアルダーンは――
「……一月?」
読み直した。
同じだった。
パルキア王家の王女と婚姻。
その後、およそ一月にわたって宮殿の一角に籠もる。
後世の本には、王女の美貌に魅了されたと書いてある。
演義にも有名な話がある。
戦争さえ忘れた。
昼も夜も王女と過ごした。
家臣たちは王が出てくるのを待った。
「これも嘘かな」
別の史料を探した。
もう一冊。
さらに一冊。
そして、妙な記録を見つけた。
僕はしばらく、その一行を見た。
翌日の昼。
「坊主、今日のアルダーンは?」
「……石」
「は?」
「石に話しかけてる」
「何の話だ?」
「僕も分からない」
「王女は?」
「一緒にいる」
「じゃあ演義も間違ってねえじゃねえか」
「一月ずっと王女と一緒にいたのは本当みたい。でも、アルダーンは石に呪いをかけてる」
みんなが黙った。
「……何してんだ、あいつ」
「だから僕も分からないんだって」
「戦は?」
「家臣がやってる」
「本人は?」
「石」
「王女と?」
「王女と」
おじさんが腕を組んだ。
「演義より変じゃねえか」
「僕もそう思う」
ファルハドが笑った。
「それで、その石は何なんだ?」
「分からない」
「図書館なのに?」
僕は答えた。
「図書館だから」
一瞬、みんなが黙った。
「なんだそれ」
「僕も最初そう思ったよ」
僕はパンをちぎった。
明日からアルダーンは、さらに東へ行く。
ガウリスも。
アンティゴノスも。
ファルケンティスだけは、パルキアに残る。
そして、僕が何度も名前だけ習った男が、ようやく歴史の中に現れる。
オルシャン。
カルバーブの王子。
僕の遠い祖先。
星環を預けられることになる男。
でも、その前に。
「坊主」
「何?」
「アンティゴノス、次どこ行く?」
「ザルカド」
「おお」
「そんなに喜ばない方がいいよ」
「なんで?」
僕は昨日読んだ地図を思い出した。
「たぶん、ものすごく苦労するから」
おじさんは笑った。
「アンティゴノスだぞ」
「だから心配なんだけど」
このときはまだ、僕も知らなかった。
猛将アンティゴノスが、ザルカドの山を相手にどれほど長く戦うことになるのかを。




