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星の降る道ⅰ 死者の星環  作者: 超魔王
サルマーンの大図書館
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36/65

図書館に住む坊主

解体屋の朝は早い。

 大図書館の朝も早い。

 ただし、意味が違う。

 大図書館では、朝早くから本を読む人がいる。

 解体屋では、朝早くから壁を壊す。

 僕はその両方にいることになった。

     *

 日の出より少し前に起きる。

 顔を洗う。

 昨日の埃が残っていないか確かめる。

 大図書館を出る。

 まだ涼しいサルマンドの街を歩いて、ファルハドたちの現場へ行く。

「おはようございます!」

「うるせえ!」

 もう騙されない。

「おはようございます」

「今日は小せえな!」

「どっちでも文句言うじゃないですか!」

 笑われる。

 仕事を始める。

 馬に荷を積む。

 木材を運ぶ。

 金具を分ける。

 帳面を書く。

 たまに石を運ぶ。

 石は相変わらず重い。

「坊主、腕太くなったか?」

「なりました」

「なってねえよ」

「なりましたって」

「じゃあこれ持て」

「それは嫌です」

「賢くなったな」

 こういうやり取りにも慣れた。

     *

 仕事は毎日同じではない。

 家を丸ごと壊す日もあれば、壁だけを外す日もある。

 屋根から始める日もある。

 倉庫を片づけるだけの日もある。

 僕にはどこから手をつければいいのか、まだよく分からない。

 ファルハドには分かる。

「今日はこっちから」

「なんで?」

「向こうからやると梁が落ちる」

「どうして?」

「支えてるから」

 僕は上を見る。

 分からない。

「どれが?」

「それ」

「どれ?」

「お前、古代文字より梁覚えろ」

「午後は古代文字を読みたいんです」

「知ってるよ」

 ファルハドは、建物を見る時間が長い。

 壊す前に見る。

 壁を叩く。

 柱を見る。

 継ぎ目を見る。

 上へ行ったり、裏へ回ったりする。

 それから、

「よし」

 と言う。

 そこからは早い。

 壊していいところ。

 残すところ。

 先に外すところ。

 最後まで触らないところ。

 全部決める。

 僕には家にしか見えないものが、ファルハドにはいくつもの部品に見えているらしい。

「ファルハド」

「なんだ」

「どうして分かるの?」

「仕事だから」

「僕もそのうち分かる?」

「何年かやればな」

「そんなに?」

「お前、宝石屋でも同じこと言っただろ」

 言った。

「じゃあいいです」

「諦めんの早えな」

「僕、解体屋になるためにサルマンドにいるわけじゃないから」

「じゃあ何になるんだ?」

 答えに困った。

 王様です。

 とは言えない。

「……まだ分かりません」

「十六ならそんなもんだろ」

 ファルハドはそれ以上聞かなかった。

     *

 ある日、古い家から首飾りが出てきた。

「宝石だ!」

 僕は思わず声を上げた。

「坊主!」

「はい?」

「手ぇ出すな!」

「出してません!」

 おじさんが布の上に置いた。

 銀の鎖に、赤い石が一つついている。

「ジャミールさんのところ?」

「たぶんな」

 ファルハドが記録を確認する。

 その家は、持ち主が死んだあと長く空き家になっていた。

 相続する人も見つからず、家の中に残された物を含めて処分する契約になっているらしい。

「じゃあ、これ売れるんだ」

「石が本物ならな」

「たぶん柘榴石」

「たぶんで売るなよ」

「売りませんよ!」

 ジャミールと同じことを言う。

 その日の仕事が終わると、僕が首飾りを持っていくことになった。

 もちろん一人ではない。

 帳面と一緒に、おじさんがついてくる。

     *

「柘榴石ですね」

 ジャミールが言った。

「ほら」

「お前が言うな」

「僕もそう思ってた」

「思ってただけだろ」

「当たったじゃないですか」

 ジャミールは石を光にかざした。

「大したものじゃない。ただ、細工は悪くない」

 値段を決める。

 僕は横で見ていた。

「どうだ、解体屋は」

「石が重い」

「そうだろうな」

「馬の仕事をしてます」

「ファルハドから聞いた」

「もう?」

「あいつ、ここに来るからな」

 ジャミールは帳面を書きながら言った。

「日当も上がったそうじゃないか」

「上がりました」

「なら、うちより稼いでるな」

 少し誇らしかった。

「宝石屋より?」

「見習いのお前と比べればな」

 少しだけ誇らしさが減った。

     *

 解体屋の仕事が終わると、だいたいみんなで飯を食べた。

 最初のうちは僕も自分の分を払っていた。

 ある日も食べ終わって銀貨を出そうとすると、おじさんが僕の手を止めた。

「今日はいい」

「なんで?」

「俺が出す」

「自分で払えます」

「知ってるよ」

「じゃあ払います」

「坊主」

「はい」

「お前、勉強してる学生らしいじゃねえか」

「学生……みたいなものです」

「このぐらいしてやっても罰は当たらんぞ」

「でも」

「こんな細い坊主一人食わせたって、俺が酒二杯おかわりしたのと勘定変わらねえよ」

「そんなに食べてません」

「そういう意味じゃねえ」

 向かいのおじさんが笑った。

「奢られとけ。うちの倅と飯食ってるようなもんだ」

「でも――」

「じゃあ出世したら返せ」

「出世?」

「偉い学者にでもなれ」

 僕は困った。

 たぶん、この人が考えているのとは違う意味で、偉くならなければならない。

「……分かりました。ありがとうございます」

「よし」

 隣でファルハドが呆れていた。

「これだから、うちのオヤジらは甘いんだよ」

「じゃあファルハドが払います?」

「なんでそうなる」

     *

 別の日には、仕事のあと風呂へ連れていかれた。

 サルマンドには人の多い浴場がいくつもある。

 解体仕事のあとだから、ありがたかった。

 湯につかる前に身体を洗う。

 髪から砂が出た。

「お前、図書館にそのまま帰ってたのか?」

「服は払ってました」

「服じゃねえよ」

「顔も洗ってました」

「そういう問題か?」

 自分ではきれいにしていたつもりだった。

 その日から、何日かに一度は仕事帰りに浴場へ寄るようになった。

 飯を食べる。

 風呂に入る。

 大図書館へ帰る。

 そうすると眠くなる。

 これが問題だった。

     *

「……アシャンさん」

「はい!」

 顔を上げた。

 司書が立っていた。

「寝ていました」

「寝てません」

「寝ていました」

「目を閉じて考えてました」

「本に頬の跡がついています」

 僕は本を見た。

 ついていた。

「すみません」

「破損はしていませんから結構です」

 司書は去っていった。

 恥ずかしい。

 向かいに座っていた学生が笑っている。

 僕はもう一度本を開いた。

 アルダーンはようやくティベルスとの戦争に入ったところだった。

 僕が神官として習った歴史では、ティベルスなんてほとんど名前しか出てこない。

 大図書館にはティベルス側の記録まであった。

 もちろん、原本ではない。

 後世の写本だった。

 それでも、アルダーン側の記録とは書き方が違う。

 ティベルス軍は精鋭を一方の翼へ集めていた。

 斜めに敵へぶつけるような陣形。

 アルダーンは、それを見て配置を変えた。

 反対向きに似た形を作った。

 そして敵の精鋭を受け止める場所に置かれた将軍の名前が――

「アンティゴノス」

 僕は小さく読んだ。

 どこかで聞いたことがある。

 有名な名前だ。

 猛将アンティゴノス。

 演義にも出てくる。

 でも、このころはまだそんな呼ばれ方をしていない。

 若い将軍の一人にすぎない。

 僕は少し面白くなって、そのまま読み進めた。

     *

 翌日の昼。

「坊主」

「はい」

「昨日は何読んだ?」

 羊肉を食べていると、おじさんに聞かれた。

「アルダーン」

「お、いいじゃねえか」

「ティベルスとの戦い」

「知ってるぞ」

「本当に?」

「馬鹿にすんな。ここはサルマンドだぞ」

 別のおじさんが口を挟んだ。

「アンティゴノスが敵の精鋭ぶっ潰すやつだろ」

「正確には、ぶっ潰したというより止めたんです」

「同じだろ」

「違いますよ。ティベルス軍は片翼に精鋭を集めて斜行陣を作って、それに対してアルダーンが――」

「ほら、アンティゴノスが止めたんじゃねえか」

「そこだけ聞かないでください」

 ファルハドが笑った。

「で、勝ったのか?」

「勝った」

「じゃあいいじゃねえか」

「歴史ってそういうものじゃないですよ」

「勝ったか負けたかは大事だろ」

「大事だけど」

 おじさんがパンをちぎった。

「それで次は?」

「次?」

「アルダーン、次どこ行くんだ?」

「まだ読んでません」

「なんだよ」

「昨日はそこで寝ちゃったから」

「図書館に住んでるのに本読みながら寝てんのか!」

 笑われた。

 まただ。

     *

 それから、昼飯のときに聞かれるようになった。

「坊主、今日は?」

「まだ朝ですよ」

「昨日の分だよ」

「アルダーンはティベルスを取った」

「それ昨日聞いた」

「その後の整理を読んでたんです」

「進まねえなあ」

「千年以上前のこと調べてるんだから仕方ないでしょう」

 次の日。

「今日は?」

「ブルガノーブルへ向かい始めた」

「おお」

「知ってる?」

「知ってるに決まってんだろ」

「じゃあ僕が話す必要ないじゃないですか」

「細かいところは知らねえよ」

 また次の日。

「坊主」

「はいはい。アルダーンですね」

「分かってきたじゃねえか」

「まだブルガノーブルに着いてません」

「遅え!」

「僕のせいじゃないよ!」

 いつの間にか、みんなが続きを待つようになっていた。

 僕も、昨日読んだことを話すようになった。

 すると変なことが起きた。

「その城、どっち側から攻めたんだ?」

「西」

「港は?」

「……分からない」

「船は何隻だ?」

「書いてなかった」

「補給どうしてた?」

「そこまで読んでない」

「なんだ、坊主。勉強足りねえな」

「なんで僕が怒られるんですか」

 でも午後、大図書館へ戻ると気になった。

 港はどこだったのか。

 船はどのくらいいたのか。

 補給はどこから来たのか。

 別の本を探した。

 地図も見た。

 翌日。

「港、ありました」

「お」

「西側と南側に記録がある。ただ、この時代の海岸線は今と少し違うみたい」

「船は?」

「そこまでは分からなかった」

「まだまだだな」

「うるさいなあ」

 また笑われた。

     *

 そんな日が続いた。

 朝は家を壊す。

 昼は飯を食べる。

 ときどき風呂へ行く。

 午後は大図書館。

 夜も本を読む。

 寝る。

 また朝になる。

 ジャミールの店にも、ときどき解体現場から出た品を持っていった。

 ナディラの実家にも顔を出した。

 ダルガンとナディラにも会った。

 でも僕は、大図書館の宿舎へ帰った。

 そこに自分の本があり、書きかけの紙があり、翌日読む本が積んであったからだ。

     *

 ある夜。

 閲覧室を出ようとしたところで、ファルハドがいた。

「……何してるの?」

「それ俺の台詞だ」

「僕は住んでるから」

「本当に住んでんだな」

「ずっと言ってるでしょう」

 ファルハドは仕事の帳面を抱えていた。

 古い建物について何か調べに来たらしい。

「お前、朝は俺んところだろ」

「うん」

「昼まで働く」

「うん」

「飯食う」

「うん」

「たまに風呂」

「うん」

「それからここ来て、夜まで本読んで」

「うん」

「ここで寝る」

「そう」

 ファルハドがしばらく僕を見た。

「お前、馬鹿な学徒か、真面目な囚人みたいだな」

「なんでその二つなの?」

「自分から毎日同じことしてるから」

「学徒の方でいいじゃないか」

「馬鹿な、がついてるぞ」

「どっちも嫌なんだけど」

 ファルハドが笑った。

「まあ、明日寝坊すんなよ」

「しないよ」

「今日は?」

「これから寝る」

「ならいい」

 ファルハドは帰っていった。

 僕も宿舎へ戻った。

 机の上には、今日借りた本がある。

 アルダーンはブルガノーブルへ向かっていた。

 まだ落としていない。

 僕は本を見た。

「明日でいいか」

 閉じた。

 明日の昼には、きっと聞かれる。

 今日のアルダーンはどこまで行った、と。

 いつの間にか僕自身も、その続きを少し楽しみにしていた。

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