解体屋の小僧
「じゃあ、まずそれ運べ」
ファルハドが指したのは、石だった。
大きくはない。
両手で抱えれば持てそうだった。
「これですか?」
「それ」
僕はしゃがんだ。
両手をかける。
持ち上げる。
「……っ」
重い。
思っていたよりずっと重い。
それでも何とか立ち上がった。
「どこまで?」
「あっち」
ファルハドが指した。
遠かった。
「……あそこ?」
「そうだ」
歩いた。
三歩で腕が痛くなった。
五歩で腰を下ろしたくなった。
七歩で後悔した。
「坊主!」
「はい!」
「落とすなよ!」
「分かってます!」
「足の上に落とすなよ!」
「分かってますって!」
ようやく指定された場所まで運んだ。
石を置く。
僕は息を吐いた。
その横を、おじさんが二つ抱えて通り過ぎた。
僕は見送った。
「……二つ?」
「二つだな」
ファルハドが言った。
「僕より大きいからですよ」
「そういうことにしといてやる」
腹が立った。
*
解体屋というのは、建物を壊す仕事だと思っていた。
間違ってはいなかった。
ただ、壊せば終わりという仕事でもなかった。
「それ叩くな!」
初日に三回くらい怒鳴られた。
「でも壊すんですよね?」
「壊すけど壊すな!」
「どっちですか!」
「使える石まで割るなって言ってんだ!」
ファルハドが壁を指した。
「こっちは崩していい。こっちは残せ。上の梁は抜く。扉も外す。金具も取る。床石は傷つけるな」
「なんで?」
「売れるからだよ」
僕は壁を見た。
古い家だった。
住んでいた人はもういない。
その家を壊しているのに、柱や石や扉は丁寧に外していく。
「また家に使うんですか?」
「使えるものはな」
「古いのに?」
「坊主」
「はい」
「サルマンドじゃ石は生えてこねえんだよ」
「石はどこでも生えませんよ」
「そういう話じゃねえ」
近くのおじさんが笑った。
サルマンドの周りには、立派な建物に使える木も石も、それほど豊富ではないらしい。
遠くから運べば高い。
だったら、昔の家から取ればいい。
だから古い建物を壊すときは、使えるものをできるだけ残す。
梁。
切り石。
床板。
扉。
金具。
瓦。
それぞれ分ける。
本当に使えない石だけが砕かれて、道に使われる。
「壊す仕事なのに、壊さない方が大事なんですね」
「分かってきたじゃねえか」
少し褒められた。
その直後、僕は古い板を落として怒られた。
*
昼前には、腕が動かなくなっていた。
「坊主、力ねえな!」
おじさんが笑った。
「あります!」
「ねえよ!」
「ありますって!」
「じゃあこれ持て」
さっきより大きな石を指された。
「……今日はもうないです」
「なくなってんじゃねえか!」
みんなが笑った。
悔しい。
王宮にいたころ、こんなに笑われたことはなかった。
いや。
兄上には笑われていた。
でも、こういう笑われ方ではない。
ファルハドが腕を組んで僕を見た。
「お前、なんか得意なことねえのか?」
「得意なこと?」
「石運び以外でだよ」
僕は考えた。
「古代典礼文が読めます」
「いらねえ」
「神学」
「いらねえ」
「祭儀なら一通り」
「もっといらねえ」
「古い文字も何種類か――」
「家壊すのに何の役に立つんだよ!」
僕だって分からない。
「字は書けるんだったな」
「はい」
「計算は?」
「できます」
「それは使える。他は?」
他。
僕は旅に出てから覚えたことを考えた。
料理は大してできない。
宝石はナディラほど分からない。
武器はダルガンほど使えない。
道も知らない。
値段にも疎い。
「あ」
「なんだ」
「馬に乗れます」
ファルハドの顔が止まった。
「……お前」
「はい」
「先に言え!」
「なんでですか!」
「馬がいるだろうが!」
指された。
確かにいた。
二頭。
朝からずっといた。
「荷馬ですよね?」
「荷馬だからだよ!」
*
だからといって、すぐ任せてもらえたわけではなかった。
「乗ってみろ」
ファルハドが言った。
「はい」
鞍に上がる。
「そこ一周」
回った。
「止めろ」
止めた。
「下がれるか」
少し下げる。
「荷つけるぞ」
「はい」
左右に荷をつけられた。
今度は重さが違う。
「傾いてます」
「分かるか」
「分かります」
「じゃあ直せ」
「僕が?」
「分かるんだろ?」
降りて、荷を調整した。
ダルガンと旅をしていなければ、分からなかったと思う。
荷物を積んだ馬は、人だけを乗せた馬とは違う。
左右の重さが違えば歩きにくい。
狭いところでは、荷が壁に当たる。
疲れれば足取りも変わる。
馬が嫌がっているのに無理に引けば、もっと面倒なことになる。
もう一度乗った。
「そこの路地入れ」
「狭くないですか?」
「だから行くんだよ」
入った。
曲がった。
荷を壁に当てないように抜けた。
戻ってくる。
ファルハドが僕ではなく馬を見た。
脚。
汗。
荷。
それから僕を見る。
「誰に習った?」
「ダルガン」
「あの商人か」
「はい」
「何年?」
「そんなに長くないです」
「その前は?」
「ほとんど乗れませんでした」
「へえ」
ファルハドが少し笑った。
「じゃあ、ちゃんと習ったんだな」
その言葉は嬉しかった。
*
午後になる前に、仕事が終わった。
「もう終わり?」
僕は聞いた。
「終わり」
「まだ昼ですよ」
「暑くなってから石運びたいなら、一人でやれ」
「やらない」
「だろ」
ファルハドたちは道具を片づけ始めた。
朝が異様に早かった理由がようやく分かった。
サルマンドでは、昼を過ぎると日差しが強くなる。
石も熱を持つ。
埃も舞う。
そんな中で重いものを運び続ける必要はない。
朝早く始めて、暑くなる前に終える。
僕には都合がよかった。
午後から大図書館へ行ける。
「坊主」
「はい?」
「飯」
「え?」
「食ってくだろ」
おじさんたちはもう歩き始めていた。
「僕も?」
「嫌なら帰れ」
「行きます」
僕もついていった。
*
連れていかれたのは、細い通りにある食堂だった。
大図書館の食堂より騒がしい。
職人らしい人が多い。
みんな声が大きい。
「坊主、何食う?」
「何があります?」
「いろいろ」
それだけで嬉しかった。
大図書館では一種類しかない。
「肉」
「何の?」
「羊」
「じゃあそれ」
「若えのに地味だな」
「羊で地味なんですか?」
よく分からない。
平たいパンと、焼いた羊肉と、豆と野菜が出てきた。
朝から働いたせいか、ものすごくおいしかった。
僕は食べた。
おじさんたちはもっと食べた。
酒を飲んでいる人もいる。
ファルハドは水だった。
「午後どうする?」
聞かれた。
「図書館に戻ります」
「本当に住んでんのか?」
「住んでます」
「なんで?」
「調べものがあるから」
「何を?」
僕は少し迷った。
兄上のことは言えない。
カルバーブの王宮から逃げてきたことも言えない。
「昔のことです」
「昔?」
「アルダーンとか」
一人のおじさんが顔を上げた。
「アルダーン王?」
「はい」
「なんだ。お前、歴史好きなのか」
「好きというか……」
神官だから勉強していた。
今は必要だから調べている。
でも、それを全部説明するのも面倒だった。
「勉強してます」
「学生か」
「まあ……そんな感じです」
「朝から家壊して、昼から勉強か」
おじさんが笑った。
「変な坊主だな」
ファルハドが言った。
「大図書館に住んでる時点で変だろ」
「そんなに変ですか?」
「普通は本読むために家借りねえよ」
「家じゃありません。宿舎です」
「もっと変だよ」
また笑われた。
でも、不思議と嫌ではなかった。
*
翌日から、僕の仕事は少し変わった。
石を運ばなくなったわけではない。
運ばされた。
でも、馬を使う仕事が増えた。
解体した木材を倉へ運ぶ。
金具をまとめて職人のところへ持っていく。
使える石を別の現場へ運ぶ。
荷車では入りにくい細い道へ荷馬を連れていく。
そして、ときどき帳面を書く。
「これ何本?」
「十二」
「長さは?」
「こっちが六、こっちが四」
「同じところに書いていい?」
「駄目だ。値段違う」
「先に言ってください」
「見りゃ分かるだろ」
「分からないから聞いてるんです!」
少しずつ覚えた。
古い木でも使えるものがある。
石にも値段がある。
扉一枚にも値段がある。
鉄の金具は集めれば売れる。
家一軒というものは、壊してしまえば瓦礫になるのではない。
いくつもの物に戻る。
僕にはそれが面白かった。
*
三日目。
別の家を壊していると、おじさんが声を上げた。
「ファルハド!」
「なんだ!」
「出たぞ!」
みんなの動きが止まった。
僕も止まった。
「何が?」
「へそくり」
小さな布包みが出てきた。
中には銀貨が何枚か入っていた。
「宝石じゃないんですね」
「毎回宝石出てたまるか」
ファルハドが受け取った。
そのまま自分の懐には入れない。
木箱へ入れた。
横に何かを書く。
「それ、どうするんです?」
「契約確認してから」
「持ち主は?」
「死んでる」
「家族は?」
「調べる」
「いなかったら?」
「契約次第」
ジャミールの店で聞いたのと同じだった。
「勝手にもらわないんですね」
言った瞬間、周りが静かになった。
「……なんですか?」
ファルハドが僕を見た。
「坊主」
「はい」
「うちを何だと思ってた?」
「家を壊す人たち」
「泥棒じゃねえよ!」
また笑われた。
*
その日の終わり。
ファルハドに呼ばれた。
「アシャン」
「はい」
「今日から日当上げるからな」
「え?」
「上げる」
「なんで?」
「馬扱える奴と、瓦礫拾ってるだけの奴が同じなわけねえだろ」
思わず黙った。
王宮では、僕が神官であること自体に意味があった。
誰の子か。
どんな家に生まれたか。
何を継いでいるか。
そういうものが先にあった。
ここでは違うらしい。
石を運べなければ安い。
馬を扱えれば高い。
「……そんなに違うんですか?」
「違う」
「馬に乗れる人、サルマンドにもいるでしょう」
「いるよ」
「じゃあ」
「今ここにいるか?」
僕は周りを見た。
いなかった。
「できる奴がどっかにいるのと、今日ここで使える奴がいるのは別だ」
「なるほど」
「分かったか」
「はい」
「じゃあ明日も日の出前な」
「はい」
ファルハドが少し笑った。
「返事だけはいいな」
*
翌朝。
僕は昨日より少し早く現場へ着いた。
「おはようございます」
声をかける。
おじさんが振り返った。
「聞こえねえ!」
「え?」
「朝の挨拶はもっと腹から声出せ!」
「はい!」
僕は息を吸った。
「おはようございます!」
何人かが振り返った。
「うるせえ!」
「どっちなんですか!」
笑い声が上がった。
ファルハドまで笑っている。
「昨日声が小さいって言われたんです!」
「真面目だなあ、坊主!」
理不尽だと思った。
でも僕も少し笑った。
その日も、昼まで働いた。
馬を引いた。
古い梁を運んだ。
帳面を書いた。
石を一つ落として怒られた。
昼にはみんなと飯を食べた。
それから一人で大図書館へ戻った。
服を払っても、まだ埃が出た。
閲覧室へ入る前に何度も払った。
机に座る。
昨日途中まで読んでいた本を開いた。
アルダーンは、まだアルディスにいた。
「……全然進んでない」
僕は頁をめくった。
朝から家を一軒壊してきたのに、千年前の王はまだ故郷を出てもいなかった。
なんだかおかしくなった。
その日の夕方。
僕は初めて、自分で稼いだ日当を持って大図書館へ帰った。




