東口
山を下りるにつれて、道は少しずつ広くなっていった。
最初は馬が一頭通るだけでいっぱいだった道が、いつの間にか二頭並べるようになっている。
人ともすれ違うようになった。
荷を背負った人。
馬を引いた人。
大きな袋をいくつも積んだ荷馬。
僕たちとは反対に、これから山へ登っていくらしい旅人もいた。
そして、道の向こうに建物が見えてきた。
一軒ではない。
何十軒もある。
「町?」
僕が聞くと、バフラムさんが頷いた。
「ナーヴァン」
「ナーヴァン?」
「町の名前だよ」
バフラムさんは前を指した。
「天空騎士団ナーヴァン東口基地。俺たちがずっと東口って呼んでたのは、ここだ」
僕は前を見た。
「ここが東口なんだ」
「そういうこと」
ハルザーンから山を越えて、ずっと目指してきた東口。
てっきり門でもあるのかと思っていた。
でも、そこにあったのは町だった。
山へ続く道の入口には石造りの建物が並び、その少し上には壁と塔も見える。
けれど、近づいて最初に目についたのは塔ではなかった。
洗濯物だった。
家と家の間に縄が渡され、服や布が風に揺れている。
その下を郵便袋を積んだ馬が歩いていた。
馬糞の匂いもした。
宿屋がある。
食堂がある。
馬屋がある。
鍛冶屋がある。
倉庫も並んでいる。
荷を下ろしている人がいて、その横では子供が走り回っていた。
「……騎士団の基地なんだよね?」
「そうだよ」
「普通の町みたい」
バフラムさんが笑った。
「人が暮らしてるからね」
僕が想像していた騎士団とは、やっぱり何かが違う。
もっとこう、鎧を着た人がずらっと並んでいるものだと思っていた。
もちろん、武器を持った人もいる。
坂の上にはちゃんと砦らしいものもある。
でも、それより多いのは、荷物を運んだり、馬を洗ったり、帳面を持って走ったりしている人だった。
ダルガンはそんな僕を見て言った。
「まだ騎士を探してんのか」
「だって天空騎士団だよ」
「郵便屋だったろ」
バフラムさんが振り返った。
「聞こえてるぞ」
僕たちはまず、東口基地の郵便所へ向かった。
そこも、思っていたより普通だった。
人が並んでいる。
手紙を渡す人。
荷物を量ってもらっている人。
お金を預けているらしい商人もいる。
奥では大きな郵便袋が次々と運ばれていた。
バフラムさんは背負っていた袋を下ろした。
「ハルザーン便、戻りました」
受け取った人が中身を確認する。
これで終わりかと思った。
終わらなかった。
「沢が一つ崩れてる」
バフラムさんが言った。
係の人が帳面を開いた。
「場所は?」
バフラムさんが説明する。
「馬は通さない方がいい。人だけなら行けると思うけど、しばらく北回りにした方がいい」
係の人が書き留めた。
「北回りは?」
「問題なし。水場も使える。鐘も全部確認した」
次々と書かれていく。
僕は横で聞いていた。
郵便を運んできただけじゃなかったんだ。
「旅客は?」
「三人」
バフラムさんが僕たちを指した。
「馬三頭。全員無事」
僕は自分を指さした。
「僕たちも報告するの?」
「するよ」
「どうして?」
「無事だったから」
「それだけ?」
「それが一番大事だからね」
バフラムさんは笑った。
係の人も、ちゃんとそれを書いた。
旅客三人。
馬三頭。
全員無事。
山を越えたことが、帳面の一行になった。
僕にとっては、ものすごく長い旅だったのに。
それからバフラムさんは何かに署名して、確認の印をもらった。
帳面が閉じられた。
「じゃ、終わり」
「何が?」
「仕事」
「これから?」
「風呂」
僕は少し待った。
本当に、それだけだった。
「もう案内しないの?」
「ここから先は街道だよ。俺の仕事は山」
バフラムさんは肩を回した。
「三日余計に歩いたからな。風呂入って、飯食って、寝る」
「そのあとは?」
「休み」
「そのあとは?」
「またハルザーン」
僕は山の方を振り返った。
「あそこ、また行くの?」
「行くよ」
「また戻ってくる?」
「戻ってくる」
「それをずっと?」
「三十年くらい」
やっぱり、よく分からない人だった。
僕にとっては、生まれて初めて越えた山だった。
雪を見た。
鐘を鳴らした。
山小屋で火を囲んだ。
道が崩れて、遠回りをした。
山の上からインドゥーラを見た。
たぶん、一生忘れない。
でもバフラムさんにとっては。
郵便を運んで。
人を連れて。
道を見て。
帰って報告する。
今日も、それだけだったらしい。
「じゃあな、代表」
バフラムさんが手を上げた。
「待って」
「なんだ?」
「結局、僕は何の代表だったの?」
「一同の代表」
「だから一同って誰なの?」
ダルガンが笑った。
ナディラも笑った。
バフラムさんは答えないまま、風呂のある方へ歩いていった。
「……最後まで教えてくれなかった」
「次に会ったら聞け」
ダルガンが言った。
「また会えるかな」
「道があるんだ。歩いてりゃそのうち会うだろ」
僕はもう一度、山を振り返った。
ずっと遠くまで来たような気がした。
それから前を見る。
ナーヴァンの通りには、人と馬と荷物が行き交っていた。
僕たちは東口へ着いた。
そしてここから先には、もうバフラムさんはいない。
三人で歩く旅が、また始まる。




