郵便屋の騎士
ハルザーン宿へ戻ると、ダルガンは主人に聞いた。
「東へ抜ける奴はいないか」
「今日はないね」
主人は帳面をめくった。
「昨日なら薬草商が二人出たよ」
「追いつけるか?」
「無理だろうね。向こうは朝一番だ」
ザフラに言われた通りだった。
同行者がいなければ、天空騎士団に頼む。
僕は少し楽しみだった。
天空騎士団。
その名前なら知っている。
アルダーンの時代から続く騎士団。
巡行者を助け、道を守り、各地を結んだ人々。
古い書物にも何度も出てきた。
「どこにいるの?」
僕が聞くと、宿の主人は道の向こうを指した。
「あそこ」
見た。
小さな石造りの建物がある。
看板には、天空騎士団の印。
僕は少し拍子抜けした。
「砦じゃないんだ」
「なんで砦なんだよ」
ダルガンが言った。
「騎士団だから」
「ここで戦争でもするのか?」
「しないけど」
中へ入った。
もっと拍子抜けした。
手紙が山積みになっていた。
大きな袋もある。
壁には行き先を書いた札が並び、窓口の向こうでは男が荷物の重さを量っている。
隣の窓口では、老人が紙を握っていた。
「ザルカドの息子に銀貨十枚送りたいんだが」
「ではこちらへ。受取人のお名前を」
その隣では女が小包を差し出している。
「これ、サルマーンまで何日?」
「天候がよければ――」
僕はダルガンの袖を引いた。
「郵便屋だよ」
「そうだな」
「天空騎士団だよね?」
「そうだな」
「銀行もやってる」
「やってるな」
「騎士団だよね?」
「何回聞くんだよ」
ナディラは気にせず窓口へ行った。
「三人と馬三頭。東へ抜けたいの。案内をお願いできる?」
係の人が顔を上げた。
「サルマーン方面ですか?」
「ええ」
「山越えの経験は?」
ナディラが自分とダルガンを指した。
「二人はあるわ」
それから僕を指す。
「一人はない」
「僕です」
「見れば分かります」
そんなに分かりやすいんだろうか。
「荷物は?」
「宿に置いてある。山用に減らしたわ」
「それなら大丈夫でしょう」
係の人は帳面を開いた。
「ちょうど東へ行く便があります。同行扱いにできますよ」
「郵便と一緒に行くの?」
僕が聞いた。
「ええ」
「騎士じゃなくて?」
係の人は少し不思議そうな顔をした。
「騎士ですよ」
また分からなくなった。
ナディラが料金を払った。
僕は入口の近くへ座った。
どんな人が来るんだろう。
山の騎士なら、さすがに鎧は着ないかもしれない。
でも剣くらいは持っているだろう。
熊が出る。
盗賊だっているかもしれない。
古い騎士団なのだから、何か特別な装備もあるかもしれない。
しばらくすると、入口が開いた。
日に焼けた男が入ってきた。
四十代くらい。
よく笑いそうな顔をしている。
背中には大きな袋。
腰には水筒。
縄。
雨具。
小さな刃物。
杖。
鎧はない。
兜もない。
男は僕たちの横を通った。
「こんにちは」
「こんにちは」
僕も頭を下げた。
男はそのまま奥へ入っていった。
違ったらしい。
また待った。
少しして、さっきの男が戻ってきた。
背中の袋が一つ増えている。
「じゃあ、行こうか」
僕は入口を見た。
誰も来ない。
「え?」
男も僕を見る。
「ん?」
「案内人は?」
「俺だよ」
「……あなた?」
「うん」
男は笑った。
「バフラム。郵便部隊ハルザーン班。よろしく」
僕はバフラムさんを見た。
やっぱり鎧はない。
「騎士なの?」
「そうだよ」
「郵便屋なの?」
「そうだよ」
「どっち?」
「どっちも」
簡単に言われた。
「騎士なのに鎧とか着ないの?」
バフラムさんは自分の服を見た。
「着ないね」
「どうして?」
「重いから」
「でも騎士だよ?」
「それじゃ山道を往来できないからね」
僕はダルガンを見た。
ダルガンは笑っていた。
「なんだよ」
「いや」
「何?」
「お前、もっとすごいのが来ると思ってただろ」
「思ってないよ」
思っていた。
宿へ戻って馬と荷物を見せた。
バフラムさんは一つずつ確認した。
ヴァルシャの脚も見る。
蹄を上げる。
「この子は?」
「ヴァルシャ」
「若いね」
「分かるの?」
「そりゃ分かるよ」
ダルガンが少しだけ興味を示した。
「馬も見るのか?」
「脚くらいはね。獣医じゃないから、それ以上は知らない」
ダルガンが頷いた。
それで終わった。
僕の荷物も見た。
一つ抜かれた。
「これは置いていこう」
「いるよ」
「いらない」
「必要になったら?」
「ならない」
「どうして分かるの?」
「山で使わないから」
僕は取り返そうとした。
バフラムさんが僕より先にナディラへ渡した。
ナディラは宿の荷物へ戻した。
「ナディラまで」
「案内人の言うことを聞きなさい」
「でも」
「あなた、初めてでしょう」
それを言われると弱い。
僕は諦めた。
バフラムさんの荷物を見る。
郵便袋が二つ。
自分の荷物は、それよりずっと少ない。
「ずっとこの仕事してるの?」
「うん」
「何年?」
「三十年くらいかな」
「三十年!」
「十八のころからだから、それくらい」
僕は急に興味が湧いた。
「どうして天空騎士団に入ったの?」
バフラムさんは馬の荷紐を締めながら答えた。
「身体が丈夫だったから」
僕は待った。
続きがない。
「それだけ?」
「給金もよかった」
「……それだけ?」
「山歩くの好きだったし」
バフラムさんが笑った。
「山歩いて給金くれる仕事、ほかにないだろ?」
「もっとこう……」
「うん?」
「選ばれた人が入るとか」
「選ばれた?」
「アルダーンの時代から続く騎士団だし」
「ああ」
バフラムさんは納得したらしい。
「昔の話はよく知らないな」
「知らないの?」
「郵便運ぶのに使わないからね」
僕は少しショックだった。
「でも天空騎士団なんだよね?」
「そうだよ」
「アルダーンに仕えた騎士団だよ?」
「そうらしいね」
「そうらしいって」
バフラムさんは笑った。
「そんなのばっかり集めて、誰が郵便運ぶんだよ」
何も言えなかった。
出発した。
ハルザーンの町を抜ける。
家が少なくなる。
畑も消えていく。
道は次第に細くなった。
それでも、ちゃんと道だった。
古い石敷きが残っている。
ところどころ新しく直されてもいる。
「ここ、騎士団が直してるの?」
「うん」
「ずっと?」
「壊れたらね」
「千年前から?」
「俺は三十年しか知らないよ」
またそれだった。
でも、考えてみれば当然だった。
千年前のことを、四十八歳くらいの人に聞いても仕方がない。
しばらく登ると、道の脇に小さな鐘があった。
屋根のついた柱から吊るされている。
バフラムさんが立ち止まった。
鐘の下に刻まれた印を見る。
「よし」
「何?」
「ここから山道」
「今までも山道じゃないの?」
「今までは町の道」
僕には十分山だった。
バフラムさんが鐘を指した。
「せっかくだから、一同の代表としてお子さんに鳴らさせてあげましょう」
「お子さんって僕?」
「ほかにいる?」
「僕、十六歳なんだけど」
「じゃあ上手に鳴らせるな」
ダルガンが僕の背中を押した。
「ほら、代表」
「ダルガンまで言わないでよ」
「早くしろ、代表」
仕方なく鐘の前へ行った。
縄を引く。
カーン。
思っていたより澄んだ音だった。
山の中へ響いていく。
僕はもう一度鳴らした。
カーン。
「二回鳴らす決まりなの?」
バフラムさんが聞いた。
「違うよ」
「じゃあ一回でいいよ」
「……はい」
ちょっと恥ずかしい。
歩き出した。
「この鐘、何のため?」
「道標」
バフラムさんが答えた。
「この先にもある。分かれ道にもあるよ」
「音を聞いて歩くの?」
「いや。見つけて歩く」
「じゃあ鐘じゃなくてもいいんじゃない?」
「そうだね」
「そうなの?」
「鐘だと鳴らせるだろ」
「何のために?」
「人がいるって分かる」
それから付け加えた。
「獣にもね」
僕は急に後ろを見た。
何もいない。
「熊?」
「熊かもしれないし、違うかもしれない」
「熊にも効くの?」
「効くときもある」
「効かないときは?」
「近づかない」
ザフラと同じことを言う。
「次の鐘が見つからなかったら?」
「戻る」
「道が続いてても?」
「戻る」
「たぶんこっちだって分かってても?」
バフラムさんが僕を見た。
さっきまで笑っていた顔が、少しだけ真面目になった。
「山で『たぶんこっち』はやらない」
僕は頷いた。
バフラムさんはまた笑った。
「じゃあ行こう、代表」
「まだ代表なの?」
「次の鐘までね」
少し歩いた。
道は二つに分かれた。
僕は右を見た。
左も見た。
どちらにも道らしいものがある。
バフラムさんは迷わず左へ進んだ。
「どうして左?」
「次の鐘」
指さされた。
木々の向こう。
小さな屋根が見えた。
その下に鐘がある。
僕は少し走った。
「おい」
ダルガンに止められた。
「山で走るな」
「分かってるよ」
歩いて鐘へ向かった。
バフラムさんは何も言わなかった。
僕は自分から縄を持った。
カーン。
後ろから笑い声がした。
振り返る。
バフラムさんだった。
「仕事が早くなったね、代表」
「鳴らしたいだけだよ」
「同じことだよ」
違うと思う。
でも。
次の鐘がどこにあるのか、僕はもう探し始めていた。




