三日いろ
「まず、最初からだ」
ザフラはそう言って、銀貨五枚を机の端へ寄せた。
一枚も返す気はないらしい。
僕は王宮が燃えた夜までのことを話した。
兄は、その日の昼まで普通だった。
朝から報告を受けていた。
書類を読んで、署名をして、役人を呼んだ。
僕も一度だけ兄の部屋へ行った。
兄は忙しそうだったけれど、いつもの兄だった。
明日の予定もあった。
来月の話もしていた。
その先の話もしていた。
それから、夜になって王宮が燃えた。
ヴァルダーンとミーラが僕を逃がした。
僕は兄のところへ戻ろうとした。
でも、戻れなかった。
「兄が死んだところは?」
ザフラが聞いた。
「見てない」
「火をつけたところは?」
「見てない」
「誰かに殺されたところは?」
「それも見てない」
「じゃあ、そこは分からん」
あっさり言われた。
「でも、兄はそんなことする人じゃないよ」
「それはお前が知ってる兄王の話だろ」
「そうだけど」
「なら、それは大事にしな」
ザフラはそう言ってから、僕の前に指を一本立てた。
「でも、見たことと一緒にするんじゃないよ」
僕は黙った。
「お前が生きている」
二本目。
「これは婆も見てる」
三本目。
「世間じゃお前は死んだことになってる」
四本目。
「なら、『兄弟二人とも死んだ』って話には、少なくとも一つ嘘がある」
僕は頷いた。
「だから兄も生きてるかもしれない」
「かもしれない」
「だったら――」
「かもしれない、だ」
また止められた。
ザフラは容赦がない。
「死んでるかもしれない。生きてるかもしれない。火をつけたかもしれない。つけてないかもしれない。誰かに殺されたかもしれない」
「……うん」
「婆には分からん」
少し腹が立った。
銀貨五枚も取ったくせに。
「じゃあ、何なら分かるの?」
「お前が知らないことだよ」
「それは僕も分かってるよ」
「なら上出来だ」
ザフラは笑った。
ダルガンが壁にもたれて腕を組んでいた。
「婆さん、珍しくまともだな」
「銀貨五枚分だからね!」
「払ったの俺たちじゃねえぞ」
「誰が払おうと五枚は五枚だよ!」
ナディラが笑った。
僕は笑えなかった。
さっきの男たちの話が引っかかっていた。
「どうして、まだ探してるんだろう」
「何を?」
ナディラが聞いた。
「王宮の宝」
僕は机を見た。
「王宮は燃えたんだよ」
誰も答えなかった。
「だったら普通は、燃えたかもしれないって考えるよね」
「物によるわね」
ナディラが言った。
「金や宝石なら、焼けても残るものはあるわ」
「でも、あの人たちは違った」
僕は首を振った。
「なくなったものを探してるんじゃない。誰かが持ち出したものを追ってるみたいだった」
ザフラが僕を見た。
「それは?」
「聞いた」
僕は答えた。
「さっき」
「よし」
何がよしなのか分からない。
「誰かが持ち出したって知ってるみたいなんだ」
「なら、そこは覚えときな」
ザフラは言った。
「なんで燃えた王宮からなくなったって分かるのか。なんで誰かが持ち出したって分かるのか」
僕は考えた。
星環。
僕が持っているもの。
でも、あの男たちは何を探しているのか知らなかった。
とんでもないしろもの。
それだけだ。
「犯人はナジャール叔父上なのかな」
言ってから、少し怖くなった。
父の弟。
兄と僕の叔父。
王の盾。
ザフラは少しも迷わなかった。
「怪しいね」
「やっぱり?」
「お前ら兄弟がいなくなって、一番王に近づくんだろ」
「うん」
「なら怪しい」
僕は身を乗り出した。
「じゃあ――」
「でも、犯人とは限らない」
また止められた。
「怪しいのと犯人なのは別だよ、親玉」
「親玉って僕?」
「ほかに神官の親玉いるのかい」
ダルガンが口を挟んだ。
「ヴァルダーンはどうだ?」
「怪しい」
僕は思わずザフラを見た。
「ヴァルダーンが?」
「お前の父親が死んでから国を支えてた大貴族なんだろ?」
「僕を逃がしてくれたよ」
「それは?」
「見た」
「なら、逃がしたのは本当だ」
「だったら――」
「だからって、その爺さんが何も隠してない証拠にはならない」
僕は口を閉じた。
まただ。
何か一つ分かるたびに、分からないことが増える。
「嫌だなあ」
「何が」
「ザフラ婆と話してると、どんどん分からなくなる」
「よかったじゃないか」
「よくないよ」
「知らないのに分かった気になるより安上がりだよ」
ダルガンが鼻で笑った。
「インチキ呪詛師のくせに」
「お前は黙ってな!」
その日の夕飯は粥だった。
豆と青菜と、細かく裂いた鳥の肉が入っている。
湯気からいい匂いがした。
「これは?」
僕が聞いた。
ザフラは真顔になった。
「呪い除けの粥だよ」
僕は匙を止めた。
「いくら?」
「銀貨一枚」
「高いよ!」
「普通の粥なら銅貨二枚」
「何が違うの?」
「祈祷する」
「粥は?」
「同じ」
「インチキじゃないか!」
「愛情が上乗せされるんだよ!」
結局、普通の粥を食べた。
おいしかった。
おかわりした。
「呪い除けにするかい?」
「しない」
「あとからでも間に合うよ」
「しない!」
食べ終わるころ、ザフラが言った。
「三日いろ」
「三日?」
「あいつらには三日前に来たって言ったからね」
「信じてなかったよ」
「それでもパルキアの方を少しは調べる。お前らはその間に支度しな」
ナディラが頷いた。
「山越えの?」
「そうだ」
ザフラは僕を指した。
「それと坊主を食わせる」
「僕?」
「こんな細っこいの連れてハルザーン越える気かい」
「僕、そんなに弱くないよ」
「じゃあ三日食え」
「なんでそうなるの?」
「食って弱くなる奴はいないよ」
反論できなかった。
翌朝から、僕は働かされた。
薬草を洗った。
根を並べた。
干してある葉を裏返した。
昼前、ザフラに言われて庭から草を取ってきた。
「これ?」
「違う!」
「庭に生えてたよ!」
「庭に生えてりゃ全部薬だと思うな!」
「薬草畑じゃないの?」
「雑草だって生えるわ!」
横でダルガンが笑っていた。
「笑わないでよ」
「王国司祭でも草は分からねえんだな」
「神学には出てこないよ!」
「神様も草くらい生やすだろ」
「そういう問題じゃない!」
二日目には、ハルザーン宿へ戻って荷物を整理した。
ナディラが預けていた荷を一つずつ開ける。
「これは置いていく」
「これも?」
「山ではいらないわ」
「でも、持てるよ」
「持てることと、持っていくことは別」
荷物がどんどん減った。
ダルガンも自分の荷を減らしていた。
僕は少し安心した。
「ダルガンも置いていくんだ」
「当たり前だろ」
「全部持っていけそうなのに」
「持てるから持つ奴は馬鹿だ」
僕の荷物をもう一つ抜いた。
「それも置け」
「僕のだよ」
「だから言ってんだ」
ザフラの家へ戻ると、机いっぱいに地図が広げられていた。
かなり新しい。
僕は意外だった。
「これ、ザフラ婆が描いたの?」
「ちゃんと金出して買った地図だよ!」
「持ってるんだ」
「なんだい、その顔は」
地図にはさらに細かい字が書き足されていた。
水場。
崩れた道。
馬が通れる場所。
去年なくなった小屋。
新しくできた休み場。
「これは地図に最初から書いてないよね」
「通った奴から聞いた」
「どうしてそんなに調べてるの?」
ザフラは地図の北を指で叩いた。
「いつか息子のところへ行くからね」
「息子さん?」
「ザルカドで獣医やってるよ。馬と羊ばっかり診てやがる」
「会いに行かないの?」
「だから行くって言ってるだろ」
ダルガンが地図を覗いた。
「何年言ってんだ?」
「うるさい」
「去年も聞いたぞ」
「去年より地図が新しくなっただろ!」
「婆さんは古くなったけどな」
ザフラが丸めた地図でダルガンを殴った。
「痛え!」
「もっと古くしてやろうか!」
三日目の朝。
ザフラは空を見ていた。
山を見て。
雲を見て。
また山を見る。
「明日は悪くないね」
「分かるの?」
「分からん」
「分からないの?」
「天気なんぞ、最後は山に聞きな」
「どうやって?」
「見てりゃ分かる」
分かるのか分からないのか、よく分からない。
ザフラはダルガンに言った。
「宿で同行者を探しな。いなけりゃ天空騎士団に金払って案内をつけろ」
「そこまでいるか?」
「二人なら好きにしな」
僕を指す。
「坊主がいる」
また僕だった。
「追手がいるから?」
「違うよ」
「じゃあ何?」
ザフラは山を指した。
「熊だよ、熊」
僕は山を見る。
「熊と戦える人を雇うの?」
「戦わないよ」
「え?」
「熊と戦わなくて済むように歩くんだよ」
ザフラは呆れたように言った。
「道を知ってる奴ってのは、そういうもんだ」
その晩。
夕食のあとで、僕はふと思った。
この家にはザフラしかいない。
「ザフラ婆」
「なんだい」
「旦那さんは?」
「ああ」
ザフラは山の方を指した。
「山にいるよ」
「生きてるの?」
「土にもぐってらぁ」
「死んでるじゃないか」
「何年か前に元気におっちんだわ」
元気に死ぬという言葉を初めて聞いた。
「苦しまなかったの?」
「晩飯食って、酒飲んで、寝た」
ザフラは茶をすすった。
「朝になっても起きなかった。それだけだ」
少しだけ笑った。
「上等だろ」
翌朝。
出発する前に、僕は頼んだ。
「お墓、どっち?」
ザフラが山の斜面を指した。
「向こうだよ」
「少しだけ祈っていい?」
ザフラは僕を見た。
「好きにしな」
葬儀ではない。
もうきちんと葬られた人に、もう一度葬送をする必要はない。
僕は山へ向かって立った。
太陽の子として旅立った魂が、正しく死者の列に加わっていることを願う。
短い祈りだけにした。
終わって振り返る。
ザフラが腕を組んでいた。
「あながち小僧、ちゃんとした神官なんだな」
「あながちって何さ」
「見た目はただの小僧だからね」
「僕、王国司祭なんだけど」
「肩書きだけなら、わしだって大呪詛師だよ」
「そっちは自称だろ」
ダルガンが言った。
「お前には聞いてない!」
ナディラが笑った。
ザフラは薬袋をいくつか持ってきた。
「腹を壊したらこれ。熱が出たらこっち。傷は洗ってからこれを使いな」
ナディラが受け取る。
「ありがとう」
「金は?」
「取るの?」
「薬は商売だよ!」
ナディラはちゃんと払った。
ダルガンが手を出した。
「俺のは?」
「ない」
「なんでだよ」
「元気だろ」
「まあ」
「ならいらん」
そして僕を見る。
小さな袋を一つ投げてきた。
受け取った。
「これは?」
「腹の薬」
「僕、お腹痛くないよ」
「お前みたいなのは旅先で変なもん食って腹壊すんだよ」
「決めつけないでよ」
「そのとき感謝しな」
ザフラの家を出た。
少し歩いたところで声が飛んできた。
「おい!」
三人で振り返る。
ザフラが庭先に立っていた。
「今度来るときゃ、追われてないときにしな!」
それからダルガンとナディラを指す。
「あと結婚の報告!」
「まだ言うの?」
ナディラが叫んだ。
僕は手を振った。
ザフラも振り返した。
そして、もう僕たちには用がないみたいにしゃがみ込むと、また薬草をむしり始めた。
僕たちはハルザーン宿へ向かった。
次は、山を越える。
天空騎士団の案内人を探すために。




