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星の降る道ⅰ 死者の星環  作者: 超魔王
エピソード0 兄の国
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2/65

兄の国

ぱん。

音がした。

僕は目を覚まさなかった。

ぱぱん。

また鳴った。

遠くでも何かが弾ける。

夏至祭の爆竹だ。

眠りながら、そう思った。

夜になってから、ずっと鳴っていた。

雨を呼ぶ音。

今年も田に水が来ますように。

米がたくさん実りますように。

町の人たちは、まだ鳴らしているらしい。

だから僕は、そのまま眠っていた。

次に聞こえたのは、

ぱん、

ではなかった。

悲鳴だった。

一度だけだった。

僕は目を開けた。

暗い。

何の声だったのか分からない。

起き上がる。

外では、まだ爆竹が鳴っていた。

ぱん。

ぱぱん。

その間に、人が走る音がした。

廊下だ。

僕は寝台から降りた。

「何が――」

鐘が鳴った。

祭りの鐘ではなかった。

扉へ向かう。

裸足だった。

開けるより先に、扉が開いた。

「アシャン様」

ミーラだった。

いつものミーラではなかった。

髪を整える暇もなかったのか、少し乱れている。

「着替えてください」

「何があったんです?」

「早く」

答えなかった。

僕は上着を取った。

手がうまく袖に入らない。

外でまた爆竹が鳴った。

ぱん。

その直後、もっと近いところで何かが倒れる音がした。

「兄上は?」

「分かりません」

それが一番怖かった。

分からない。

ミーラがそんなことを言うのを、僕はほとんど聞いたことがなかった。

外へ出る。

煙の匂いがした。

「爆竹?」

ミーラが答えない。

違う。

もっと重い匂いだった。

「火事?」

返事はない。

廊下を兵が走っていった。

白河宮の兵だった。

そのはずだった。

でも、誰が誰を追っているのか分からなかった。

町では爆竹が鳴っている。

宮殿では剣の音がしている。

どちらも遠くから聞けば似たような音だった。

「兄上のところへ行きます」

「なりません」

「どうして!」

「アシャン様」

ミーラが僕の腕をつかんだ。

「いまは私と来てください」

「兄上がいるんです!」

「存じています」

「だったら!」

向こうから何人か走ってきた。

僕は身構えた。

先頭にいたのは、ヴァルダーン公だった。

昼間まで静かに兄のそばに座っていた老人が、剣を持っていた。

抜いてはいなかった。

けれど、その顔を見た瞬間、僕は何も言えなくなった。

「殿下」

「ヴァルダーン。兄上は?」

「こちらへ」

「兄上はどこです?」

「こちらへ」

同じことしか言わない。

「嫌です」

僕は動かなかった。

ヴァルダーンは僕を見た。

「殿下」

「兄上を探します」

「なりません」

「みんなそればっかりだ!」

ぱぱん。

外で爆竹が鳴った。

その音に重なるように、どこかで剣がぶつかった。

もうどちらの音なのか分からなかった。

ヴァルダーンが僕の肩をつかんだ。

強かった。

老人の手とは思えなかった。

「離してください!」

離さなかった。

「私は王の盾です」

「王はラシャンです!」

「ですからです」

意味が分からなかった。

「だったら兄上のところへ行ってください!」

ヴァルダーンは答えなかった。

僕を歩かせた。

「嫌だ! 兄上が――」

そのときだった。

廊下の向こうに人影が見えた。

「アシャン!」

兄だった。

「兄上!」

僕はヴァルダーンの手を振りほどいた。

走った。

今度は誰も止めなかった。

ラシャンもこちらへ来た。

昼間の王服ではなかった。

簡単な衣装だった。

髪も乱れていた。

「無事だった!」

僕はそれしか言えなかった。

兄は僕の肩をつかんだ。

「アシャン、よく聞け」

「一緒に行こう。ヴァルダーンが――」

「おまえはヴァルダーンと行け」

「兄上も」

「僕は残る」

「なんで!」

「僕は王だから」

昼間なら、僕は何か言い返したと思う。

王だから祭りに行けない。

王だから仕事がある。

そんなのばかりだ、と。

でも、そのときは何も言えなかった。

「嫌だ」

やっと出た言葉がそれだった。

兄は少しだけ困った顔をした。

僕たちは同じ顔をしている。

なのに、そのときの兄は僕よりずっと大人に見えた。

「アシャン」

「嫌だよ」

「聞け」

「一緒に行こうよ」

兄が僕の顔を見た。

そして自分の耳へ手を伸ばした。

片方の耳飾りを外す。

「持ってろ」

僕の手に押し込んだ。

左手だった。

「なんで」

「いいから」

「兄上も来るんでしょう?」

兄は答えなかった。

「ラシャン」

僕は呼んだ。

兄は僕の肩を一度叩いた。

「行け」

「嫌だ」

「アシャン」

「嫌だ!」

ヴァルダーンが僕をつかんだ。

今度は本気だった。

「離して!」

「参ります」

「兄上!」

僕は手を伸ばした。

左手だった。

祭儀では使ってはいけない手。

いつもミーラに直される手。

兄へ伸ばしたのは、その手だった。

指先は届かなかった。

「ラシャン!」

兄が何か言った。

聞こえなかった。

ぱぱぱん。

外で爆竹が鳴った。

同時に、後ろで大きな音がした。

誰かが叫んだ。

煙が流れ込んだ。

視界が消えた。

「兄上!」

返事はなかった。

僕は引きずられるように走った。

どこを通ったのか、ほとんど覚えていない。

白河宮には、王族が普段使わない通路がいくつもあった。

使用人の道。

荷を運ぶ道。

水を運ぶ道。

僕は王国司祭だったのに、自分が暮らしていた宮殿にこんな道があることすら知らなかった。

「ミーラ!」

振り返った。

ミーラがいない。

「ミーラは!?」

「別の道です」

ヴァルダーンが言った。

「どこへ?」

「殿下、前を」

「どこへ行くんです!」

「宮外へ」

「僕は戻る!」

「戻れません」

「兄上がいる!」

ヴァルダーンは答えなかった。

僕は暴れた。

腕を振った。

蹴った。

それでも離してくれなかった。

「放せ!」

「できません」

「命令です!」

初めてそう言った。

王族として。

王国司祭として。

何でもよかった。

ヴァルダーンは僕を見た。

「お聞きできません」

「僕は王国司祭です!」

「はい」

「だったら!」

「いまは、ただ生きてください」

腹が立った。

そんなことを言われても、納得できるはずがなかった。

外へ出た。

夜だった。

夏至の夜。

一年でもっとも短い夜。

町にはまだ祭りの飾りが残っていた。

ぱん。

ぱぱん。

爆竹が鳴っている。

まだ祭りを続けている人たちがいる。

あの人たちは知らない。

宮殿で何が起きているのか。

僕だって知らない。

遠くに灯りが見えた。

祭りの灯りなのか。

火事なのか。

もう分からなかった。

馬が用意されていた。

「乗ってください」

「乗れません」

「存じております」

「じゃあどうするんです」

「乗っていただきます」

「無茶だ!」

こんなときなのに、ヴァルダーンは少しだけ昼間までの顔に戻った。

「落ちないようにしてください」

「それができないから言ってるんです!」

馬に押し上げられた。

僕は手綱を握った。

左手の中に何かがあった。

兄の耳飾りだった。

握ったままだった。

「兄上」

誰に言ったのか、自分でも分からない。

馬が動いた。

僕は振り返った。

白河宮が見えた。

煙が上がっている。

一部が赤く染まっていた。

「火が」

誰も答えなかった。

ぱぱぱん。

町で爆竹が鳴った。

雨を呼ぶ音だった。

「止めて」

馬は止まらない。

「止めてください!」

止まらない。

僕は何度も振り返った。

白河宮が遠くなる。

あそこには僕の部屋がある。

兄の部屋がある。

朝、ミーラに右手を直された祭場がある。

叔父上にもらった水を飲んだ。

兄がマーダヴ先生の真似をした。

町へ降りた。

ぽん、ぽん、と米を作る音を聞いた。

夏至祭を見た。

米菓子を食べた。

兄の分を買った。

帰って、二人で食べた。

窓辺で爆竹を聞いた。

来年は一緒に祭りへ行くと言った。

ほんの少し前のことだった。

まだ今日だった。

なのに、もうずっと昔のことみたいだった。

「ヴァルダーン」

「はい」

「兄上は、あとから来ますよね」

返事がなかった。

「来ますよね」

「……いまは、お進みください」

それは答えではなかった。

ぱん。

遠くで、また鳴った。

昼間は、あんなに楽しい音だった。

僕は振り返った。

白河宮が燃えていた。

胸の前で左手を握った。

耳飾りの縁が掌に食い込んだ。

痛かった。

それでも離さなかった。

戻らなければならないと思った。

明日でも。

何日かかっても。

どれだけ遠くへ連れていかれても。

絶対に戻る。

あそこには兄がいる。

あそこには、今日までの僕たちがいる。

そして何より――

あそこは、兄の国なのだから。

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