EPISODE 0 1/2
以前は品川の古い家から京浜東北線で通勤していた。そして今日からは国分寺の1DKのアパートから中央線で通うことになる。ひさしぶりに見た会社は以前とあまり変わっていないように思えた。白い壁の工場の前を通り過ぎて事務所に向かう。時間が早すぎたようで事務所には美香さんと山下さんしかいなかった。
「おはようございまーす」
「おはよう。待ってたよ。これ今日から使うタイムカードね」
「おはよう。秋以来だな。またよろしく」
去年の秋、山下さんは営業部商品企画課課長に昇進していた。それからしばらくして、ゆりちゃんと結婚したのであった。山下さんの出張先にわざわざ用事を作っていっしょに行くのだから情熱的というか、そんな理由で出張して仕事の成果を出してくるのがすごいというか。それを偶然だな、ですませていた山下さんがおかしいというか。こんなにぶい人に企画課の課長が務まるのが不思議だと結婚式の二次会は盛り上がっていたものだ。
「ゆりちゃんはどうしてますか」
「あいつは多摩センターの客先に直行してる。夕方には戻るよ」
変わったところと言えば、受注管理部の端末が2台とも新しい MATE MA50J になっていた。OSは Windows 2000 Professional で業務システムは FileMaker Pro 5.0J だ。1年ぶりの浦島太郎は仕事を覚え直さないといけないのだ。
「大丈夫だよ。業務マニュアルを見たらわかるけど基本は変わってないよ」
業務マニュアル。これも前からあるにはあったが、完成したのは山下さんの結婚式のあとくらいだった。2年前に始まった ISO 9001 への挑戦が認証取得という形で結実していた。コンサル抜きの自社作業で、ここにいなかった私以外のみんなが苦労して最後までなしとげた。お姉さんは終わったあと気が抜けて、うっかり結婚してしまったくらいだ。つまり私のいない会社では大きなイベントが立て続けに起こっていた。
「今日からしばらくはマニュアルを片手に野原さんといっしょに仕事してみて。すぐわかるはずだよ」
「はい。よろしくお願いします」
美香さんが使っていたV200/M7は大きな島の真ん中に置かれていた。これは仕事の仕組みが Excel 95 から FileMaker Pro に変わったときに導入された機械で当時は圧倒的に高性能な端末だった。第二の人生はみんなで使う共用機。そして私のVS26Dは壁の向こうの工場長の机に移動していた。壁紙は三毛猫の写真。竹山工場長が前に飼っていた猫で名前はミケコ。これも懐かしいな。
「美智子さん、おはよう」
「おはようございます。今日からまたよろしくお願いします」
裕太さん、真子ちゃん、かおりちゃん、田中くん。次々と出社するみんなに挨拶を返した。どうせ朝礼でまた復職の挨拶はするんだけど。最後に社長とお姉さんが顔を見せて朝礼の時間になった。
「本日から受注管理部主任として復職いたしました、星野美智子です。休職中は温かいサポートをいただき本当にありがとうございました。予定より少し早い復職となりますが、一日も早く元のペースを取り戻し、チームに貢献できるよう努めます。保育の都合などでご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、これまで以上に効率を意識して業務にはげみますので、どうぞよろしくお願いいたします」
あたたかい拍手のあとでもうひとり。工場の仕事はきついのに、こんなに細い女の子が配属されるなんて。
「本日より入社いたしました、堀川英美里と申します。大学では経済学を専攻しておりました。この度は工場への配属ということで、早く皆様の戦力になれるよう、まずは現場の仕事を必死に覚えたいと考えております。体力と根性には自信がありますので、どんなことでも厳しくご指導いただければ幸いです。会社の一員として早く一人前になれるよう全力を尽くします。これからどうぞよろしくお願いいたします」
工場には去年もひとり配属されていた。私の休職と入れ替わりでまだ会ったことのない松本くん。この増員は近い将来の工場長引退と新工場への移転を見据えてのものだ。だが場所も設備も資本も確定していない。その不安定さが社内を浮つかせているとお姉さんが言っていた。
「よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
素直そうな良い子じゃないか。
お姉さんは私の上司の美香さんのところへ来て、わざわざ私のことを頼んでくれた。今までそんなことなかったのに。心配されている。
「哲夫さんは今日も奥多摩のフリーターの仕事なのね。保育はどうすることになったの」
「フリーターじゃないんだってば。大地はお義母さんのところで預かってもらうことになったの」
夫がフリーター呼ばわりされているのは残念だけど、しかたのないところもある。自衛隊について聞かれても私が何も答えられないからだ。駐屯地勤めの隊員なら家族の交流や見学会もあっていろいろな知識が身に付く。夫の場合はダンジョンでの特別任務らしいので、正直なところ、私だって彼が何をしているのかよくわかっていないのだ。
そしてようやく自分の席に戻る。野原さんは古い IBM ThinkPad 560E でメールの文面を考えているところだった。
「野原さん、端末取っちゃってごめんね」
「そこは美智子さんの席ですから。仕事はいっしょにやることになっていますので私は困りません」
老いては子に従えと言うけれど、私がこの子に教えたんだよね。立場が逆になってしまった。
「午前のルーチンはだいたい終わってますので、お昼まではその説明だけしましょうか。それともマニュアルを読みますか」
「ううん、お願いします」




