夜明け前 2/2
仕事始めの日。時間ちょうどに社長が一歩前に出て挨拶を始めた。
「皆さん、あけましておめでとうございます。今朝は実に見事な冬晴れになりました。なんだか今年の当社の行く末を応援してくれているような気持ちのいい朝です。景気のほうはこの青空とは裏腹にまだまだ冷え込みが続いています。きびしい舵取りを迫られる場面は多いでしょう。だからこそ、まず何よりも足元を整えることから始めたいと思っています。やりかけのことをやりっぱなしにしない、使ったものは片付ける。それが転ばないために必要なことです。転ばなくなったら飛躍もできます。今年一年、がんばって作って売っていきましょう」
そのあとは工場長から安全の話、裕太君から景況の感覚についての短いスピーチがあり、朝礼は終わった。郵便の配達が来るのはいつも10時頃。年賀状が何枚あるかはわからないが、それを受けていったんExcelを締める。予定通りに明日は電話作戦だ。
宛先不明の年賀状は100枚。電話番号が不明で確認できない相手が25件。残りの75件に新年のご挨拶をする。朝、正午前、昼食後のそれぞれ30分間は注文電話がある。この時間帯に電話回線を片方、占有するわけにはいかない。手分けもできないのでひとりでやることになる。
ピポパポピポプープツ。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
ピポパポピポプープツ。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
これはぜんぜんダメじゃないか。電話がつながらないということも重要なデータだ。それはもちろんそうなのだが。
ピポパポピポプープルルルル。
「はい、杉浦文房具店です」
「おそれいります。比野文具と申します。実は弊社からお送りした年賀状が宛先不明で戻ってまいりまして、あらためてお出ししたいのでご住所の確認をお願いできませんでしょうか」
「あれ、比野文具さんは当店とお付き合いがありましたか。商品は存じておりますが」
「以前は親しくさせていただいていたものと存じます。今回はむかしのお客様にも年賀状をお送りしておりまして」
嘘である。過去の取引記録を短時間で調べることはできなかった。
「そうでしたか。それではお伝えしますね。杉並区の…」
「ありがとうございます。ではお送りいたします。本年はどうぞよろしくお願いいたします」
いつかは知らないが店が隣町に移転していた。電話交換局が変わらなければ電話番号は引き継げることが多い。おそらくそのケースだろう。まず年賀状を急いでお送りして、それから裕太君に訪問を指示しよう。この反応ならカタログを持って行って損はないはずだ。
プルルルル。
「東京の比野文具と申しますが…」
夕方まで50件の電話確認を終えて、2枚の年賀状を投函してきた。明日までにこの作業は終わらせる。高揚した気持ちを持て余しながら跳ねるように会社に向かった。あけましておめでとう。本当に良い年になるといいな。
出社すると異変が生じていた。美香さんがややあわてた様子で机に駆け寄って来た。
「社長、おはようございます。今朝はFAXが変なんですよ」
「おはよう。何が変なの」
「知らないお客様からの注文が6通も来ているんです」
「ちょっと見せてみて」
PC-9821Aeを起動してKOKYAKU2.XLSを開く。名前と電話番号を確認する。
「どれも状態0の顧客だ。問題ないです。そのまま受注してください」
「なんですかそれ」
「納品条件や支払い条件は他の顧客と変わりませんね。もしわからないことがあったら私に聞いてください」
「はあ」
ネスカフェを持って自席で日経新聞を広げる。ときどき注文の電話に出る。いつもの朝だ。10時になったら斉藤さんが出社する。すこし打ち合わせをして、それから電話作戦の残りを片付けよう。
「おはようございます」
「おはよう、どうかしたの」
思いつめたような顔で現れた斉藤さんにどきりとした。
「社長、今日の終業後にすこしご相談させていただけないでしょうか」
「わかりました」
美香さんの引き留めに成功して安堵していたのに、まさか斉藤さんが退職とか言わないよな。伏兵は心臓に悪いぞ。
ピポパポピポプープツ。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
事務所の隅の応接スペースと呼ばれるエリアで斉藤さんと向かい合った。斉藤さんはジャケットを自席に置いたままだった。
「暖房が効きすぎてるみたいですね。すこし下げましょうか」
「結構です。すぐにお話ししますので」
暑くないとは言わないんだな。それとも緊張してるのか。
「お茶でも淹れてこようか」
「いえ、大丈夫です。実は妹のことでご相談したいと思いまして」
「妹さんですか」
これは退職の話ではなさそうだ。
「美智子さんはおいくつになりましたか」
「今は21歳です」
何年も前、妹さんとふたりきりになってしまった斉藤さんは、できるだけ家にいるためにパート勤務への変更を希望した。妹さんが高校を出たら正社員に復帰してくれるものと期待していたのだが。
「今はどうされていますか」
「就職先の商社では普通に事務の仕事をこなしていました。それが職場で怖い目にあいまして、それから出社できずに家にいます」
妹さんが家で家事をしているという話は以前にも聞いた。具体的なことを聞く必要はない。斉藤さんと妹さんが何を望んでいるかが問題だ。
「このままではいけないと思います。しかし本人は私といるときだけ安心できると言っています。それでお願いなのですが、週1でもかまいません。ここでアルバイトに雇っていただけないでしょうか」
こう言ってはなんだが、渡りに船かもしれない。
「斉藤さん、週4勤務で来てもらっていますが、来月から週5になりませんか」
「私ですか。それは家のことがなんとかなりましたら」
「うん。それで妹さんにも週5でお願いしたいです。事務のほうで仕事内容の変更を計画中でして、美香さんひとりでは大変だと思っていたのですよ」
PC-9821Aeのほうを向いてそう説明すると、斉藤さんもつられてそちらを見た。
「本人に聞いてみます。やりたいと言うかもしれません」
「それでね、4月から当社も週休二日にするつもりです。そうしたらおふたりともフルタイムになります。正社員として保険もきちんとします。そうしてくれたら会社も助かります」
斉藤さんは考えてみますと言い残して退社した。あの様子だと結論は美智子さん次第だろう。
「社長、また知らないお客様からご注文が来ていますよ。今朝は2件です」
「ちょっと待ってね。うん。これも大丈夫です」
「これってあの年賀状作戦のおかげなんですか。もしかして年賀状代の元が取れてますか」
どうかな。まだ利益より経費のほうがちょっと多いはずだ。
「元はこれから取れます。なんとか使えそうなんでね」
「はあ」
まだまだこれからなんだよ。




