夜明け前 1/2
事務所の中央にPC-9821Aeの15インチモニターがぽつんと灯っている。内蔵ファンの動作音と不規則な打鍵音が静かな空間に吸い込まれていく。ゆっくりとマウスを操っているのは社長の比野真二。彼はパジャマにどてらのまま事務所に降りて来ていた。パソコンの周囲にはいくつかの年賀状の束が並んでいる。
年末には整備中の顧客マスターの全件を送り先にして約1,000枚の年賀状を印刷した。今日はその答えあわせだ。
まず届いている年賀状は昨年と同じくらいで約300枚。Excel 4.0 でKOKYAKU2.XLSを開くと、送り主を確認しながらJ列に1を入力する。次にあて所に尋ねあたりません、と朱印が押されて戻って来たのが100枚ほど。元になった住所録が不確実なのだから多いとも少ないとも言えない。結果を受け入れるだけだ。これはK列に1を入れる。
そこで L2=J2*2+K2 とするとL列に0〜3の状態が入る。
状態0の場合、送った年賀状は届いている。相手からは来ていない。これが半分以上を占めている。疎遠な関係も含まれているだろう。
状態1の場合、送った年賀状が戻って来た。相手からも来ていない。年始のご挨拶の電話をかけて確認をする必要がある。電話番号もわからなかったらどうしようもない。名前だけの顧客になる。
状態2の場合、送った年賀状は届いている。相手からも届いている。これは良好な関係と言える。
状態3の場合、送った年賀状が戻って来た。しかし相手からは届いている。住所を正してすぐに返信しなければならない。
明日届く年賀状もあるはず。受け取ってから返事を書く人もいるだろう。0と1の状態が変化する可能性がある。それはいつまで待てばいいのだろう。状態3の返信はすぐにやるとして電話はいつから行うべきか。火曜の仕事始めは相手にも迷惑かもしれない。では水曜日からやることにしよう。予定を立てると頭がすこし冷えた。この部屋も寒いということを思い出した。
ひとりの事務所でパソコンに向かっていると入り口に人が立つ気配があった。ガラス越しに見えるのはウールのマフラーとダッフルコート、ロングスカートの細い人影。あいかわらず茶色っぽい服ばかり着ている。妻の由美子だ。
「おめでとう。おせち持って来たよ」
「おめでとう。今年もよろしく」
小さな風呂敷包みを受け取ると営業部の席に案内する。ふだんは事務所に来ることはないので彼女は勝手がわからない。なので真二が飲み物を用意する。
「ビールしかないけど」
「いいよ。小皿と割り箸があったら出して」
筑前煮、紅白なます、田作り、かまぼこ、卵焼き、栗きんとん。自分で作ったものとデパートで買って来たものの組み合わせらしい。どれが手作りか当て損なうと気分を害するので真二は何も言わない。
「元日から仕事をしてたの。ずいぶん真面目になったみたい」
「これでも社長だから。そろそろ、ちゃんとしようと思ってるところだ」
「ああ、おいしい」
話を聞いているのかいないのか、キリンビールのお代わりをぐいぐいと飲んでいる。
「そんなに飲むほうだったっけ」
「今日はお正月だからいいの。あなたも仕事中なのに飲んでるじゃない」
「こんなのはもう終わったよ」
白い犬がお腹を見せているイラストの年賀状を見せる。
「これを投函したら今日の仕事はおしまい」
「ふーん。じゃあ投函ついでに初詣に行きましょうか。あの公園前の八幡様にしましょう」
「あんな人のいない神社に行ってもつまらないだろう」
「公園に行きたいの」
ほろ酔いで歩いて15分。角を二度曲がったところの駐車場のようなスペースに鳥居が電柱のように立っている。入ってすぐに安っぽい拝殿。絵馬もおみくじもない、地主さんと周囲の会社が維持しているだけの八幡神社だ。賽銭箱には南京錠がいくつも付いている。
二礼二拍手一礼のプロトコル。ふたりはなかなか頭を上げない。
「今さらだけどパジャマとどてらで良かったのかな。やっぱり襟付きでないとおかしい」
「本当に今さら」
由美子がくすくすと笑いながら公園のほうに足を向けた。
「ちょっと待ってて」
神社のすぐ横の商店に自販機と郵便ポストがある。まずは年賀状を片付けて、それからジョージアの缶コーヒーを2本買った。
「良い天気だな」
「そうね」
陽を受けたベンチが春のように暖かだった。
「でも風が冷たい」
「そうだな」
用があってここに来たわけではない。由美子が公園が好きなだけ。これは日常なのか、それともたまの逢瀬の非日常なのか。そんなことを思ってしまう。
「あれは何をしてるんだろう」
公園の奥に子供が何人か集まって歓声を上げている。
「コマ回しみたい」
「今の子供はスーパーファミコンで遊ぶものだと思ってた。あんな遊びもするんだ」
「そんな子もいるでしょう」
ふたりはしばらく子供達を眺めていた。勝ち負けのルールはよくわからないが、眼鏡の小さな子供が勝利して相手のコマを奪っている様子だ。あの子はいっぱい集めていてすごいな。
「あいつはどうしてる」
「今日は学校の友達と初詣に行くって言ってた。ゲームはあまり遊んでない。最近はパソコンが欲しいみたい」
「それはいいな。俺が買ってやろうか」
「あの子は受け取らないんじゃないかな。あなたが悪いわけじゃないって理解してくれてるとは思うんだけど」
「いや」
真二はすこし言葉に詰まって手元を見た。
「やっぱり俺が悪いんだよ。かばうことも助けることもできなかった」
「父親には面会権があるでしょう」
「それは本当は子供の権利だ。だから本人が拒否したら、たとえ裁判官に頼んだってどうにもできない」
何度も繰り返された会話に疲れてふたりは口を閉ざした。子供達の歓声がまだ続いていた。
やがて雲が増えて寒さが増したのでふたりは立ち上がる。由美子は真二のどてらの袖をつかんで並んで歩いた。
「今日は夜までいるわ。次はバレンタインまで時間が作れないと思う」
「忙しいんだな」
「そういう仕事なのよ」




