希望の代償
燃え落ちた森、消えない約束
ランディル地方では、戦争は日常だった。
村が一つ滅びても翌日には別の戦いが始まり、人々は悲しむ暇もなく武器を手に取る。
そんな混沌の中で、一つだけ噂になっている討伐部隊があった。
第14討伐部隊「エルヴェン・ソード」。
隊長は、金色の長い髪をなびかせ、大剣を振るうエルフの女性。
エルリン・ファリル、三十歳。
「ランディルの希望」と呼ばれ始めた彼女は、数え切れない村を救いながら、一人の犠牲者も出さず任務を成功させていた。
仲間たちはそんな隊長を信頼していた。
ある朝。
作戦本部に呼ばれたエルリンは、地図の前で言葉を失う。
赤い駒が二万。
青い駒が一万二千。
そして森の横には、小さな駒が八つだけ置かれていた。
参謀は淡々と告げる。
「陽動は第14討伐部隊に任せる。」
エルリンは耳を疑った。
「……八人だけですか?」
「そうだ。」
「増援は?」
「ない。」
思わず机を叩く。
「ちょっと待ってください! いくらなんでも八人で陽動なんて出来ません!」
しかし返ってきたのは冷たい言葉だった。
「命令だ。拒否すれば拘禁刑とする。」
部屋は静まり返った。
基地へ戻ると、隊員たちは顔色だけで異変を悟った。
説明を聞くなり、怒号が飛ぶ。
「ふざけるな!」
「俺たちは捨て駒か!」
誰もが拳を握り締めていた。
その中でエルリンだけが静かに立ち上がる。
涙を飲み込みながら言った。
「……皆で生きて帰ろう。」
全員が彼女を見る。
「そのために、やれることをやるだけだ。」
その一言で部屋は静まった。
誰も諦めてはいなかった。
エルリンが考えた作戦は大胆だった。
東の森に火を放つ。
上位魔物は知能が高いが、下級魔物は統率が失われれば混乱する。
燃え広がる炎で隊列を崩し、その隙に敵将を発見して本隊へ知らせる。
危険極まりない作戦だったが、他に道はなかった。
作戦当日。
八人は音もなく森へ入る。
斥候であるエルリンが風向きを確認し、小さく手を上げた。
一斉に魔法の火種が放たれる。
乾いた木々は瞬く間に燃え上がった。
轟音。
黒煙。
悲鳴のような魔物の咆哮。
統率を失った魔物たちは互いにぶつかり合い、大混乱へ陥る。
エルリンは煙の向こうに、一際巨大な影を見つけた。
「敵将確認!」
空へ向けてシグナルボールが何度も打ち上がる。
赤い光は何度も何度も空を駆けた。
そして本隊が突撃する。
人族軍は敵将を討ち取り、二万を超える魔物軍は崩壊した。
勝利だった。
しかし。
その場に立っていたエルヴェン・ソードは四人だけだった。
半数が帰らなかった。
埋葬の時間すら与えられない。
新たな命令が届く。
「敗走する魔物を追撃せよ。」
誰も反論する力は残っていなかった。
エルリンは黙って剣を背負い、歩き始めた。
追撃は乱戦へ変わった。
逃げる魔物。
合流する別働隊。
気づいた時には、数百を超える魔物に包囲されていた。
「撤退!」
エルリンは叫ぶ。
三人が後退し、一人が足を止めた。
「隊長! 行け!」
魔法が炸裂し、魔物の群れを押し返す。
その隊員は戻ってこなかった。
さらに走る。
また一人が倒れた。
誰も弱音を吐かない。
ただ仲間を逃がすためだけに剣を振るっていた。
ようやく辿り着いた洞穴。
息を切らしながら人数を数える。
一。
二。
三。
それだけだった。
隊長エルリン。
ヒーラー、リュイ。
サポーター、ユーゴー。
5人が消えていた。
洞穴の外では魔物の唸り声が響き、出口は塞がれている。
静寂の中、エルリンは膝をついた。
握っていた大剣が音を立てて転がる。
そして初めて、涙が溢れた。
「生きて……」
声が震える。
「生きて帰ろうって……約束したのに……」
頬を伝う涙は止まらない。
「守れなかった……」
リュイは何も言えず、ただ肩に手を置いた。
ユーゴーも俯いたまま拳を握る。
誰も隊長を責めなかった。
彼らは知っていた。
最後まで誰よりも前で剣を振るい、誰よりも仲間を信じ続けたのがエルリンだったことを。
洞穴の外では、燃え尽きた森から黒い灰が風に乗って舞っていた。
その灰はまるで、戦場で散った仲間たちの魂が静かに空へ昇っていくようだった。
そしてエルリン・ファリルは、この日初めて理解する。
「ランディルの希望」になるという誓いは、
勝利を重ねることではなく、
失われた命を背負いながら、それでも剣を手放さず前へ進み続けることなのだと。




