第4節 初詣
一月一日、元旦。この日に家族で近所の神社へ初詣に行くことは、毎年の恒例行事だった。
参拝して、破魔矢やら御守りやらを買って、おみくじで一年の運気を占って。後は延々と軒を連ねる屋台を巡ってから帰ろうかという段になって、僕はふと思い立って足を止めた。
ポケットに入れていた携帯を取り出して画面を開く。片手でポチポチと操作して、それから前を歩く家族に向けて声をかけた。
「ごめん、友達が今から来れるかって言ってきた」
そう言って、何の着信もなかった携帯の画面を隠すように消してポケットへと滑り込ませる。
完全な嘘では、決してない。友人と会おうと思ったのは本当だ。それが受け身ではなく自発的なもので、本当に会えるかの確証が無いというだけの話。
何となく、一人きりになれば彼女がやって来そうな気がしたのだった。
両親はそんな僕の言葉を少しも疑うことはなく、相手にも宜しくとか、あまり遅くならずに帰ってくるようにとか、そんなありきたりな事を言うだけで済ましてくれた。
そうして両親は先に帰っていこうとして、けれど妹だけが何か言いたげな顔をして僕の前へと残っていた。
「それってもしかして、クリスマスにも一緒にいた人?」
「そうだけど」
「ふぅーん、へーぇ? お兄ちゃんがねぇ」
意味深な笑み。何を考えているのか、どんな根拠のない与太話を考えているのか。それが想像できてしまって、ああ嫌だなと気持ちが隠しきれずに顔に出た。その予感から外れることなく、妹は一番言われたくない事をたった一言に詰めて口にした。
「彼女だ」
「違う」
即答してやった。何を言われるかは予想していたから、先んじて用意しておいた回答を間髪入れずに声に出す。こういうのは変に口ごもったりした方が余計に怪しまれる。だから叶う限り簡潔に、叶う限り明確に、叶う限り勘繰りを許さないようにと一言だけで否定を示す。
ただしこういうのは厄介なもので、否定しなければ疑いもせずに勝手な妄想を信じ込むくせに否定したらしたで怪しまれるのだった。妹もその例に漏れず僕の言葉なんてまるで信じていないとでも言いたげに訝りの目を向けてくる。そうして何事かを言いかけて、けれど結局、ため息を吐くだけでそれ以上は何も追及してはこなかった。
「別にどっちでもいっか。ま、楽しんできなよー」
ひらひらと手を振りながら両親の後を追って離れていく。僕は一人残されて、嫌な緊張から解放されてほっと小さく息をついた。次いで、根無しごとで変な勘繰りをされたことに対する愚痴が頭の中に溢れてくる。
男女間での友人を彼氏彼女とすぐに誤認するのは良くない外野の風潮だ。当人からすれば迷惑極まりないし、些細なことでも懐疑の目を向けられるなんてたまったものじゃない。それに何より今回の場合でたちが悪いのは、僕自身がそれを否定するのに幾分かの躊躇いを感じてしまっているという点なのだった。……なんて、そんな戯れ言は置いておいて。
何はともあれ彼女というのは断じて違う。だって好きだと言った訳ではないし、ましてや好きだと言われた訳でもない。惚れた腫れたの話にまで発展するにはあまりに関係が浅すぎる。何せまだお互いに知らないことが多すぎるのだから。誕生日も、出身地も、趣味も、名前も、僕は彼女のことを、何も知らない。
──と。
そんな風に、それだけ思い浮かべたところで、止まった。
そういえばまだ名前も聞いていないじゃないかと、物凄く今更すぎる事柄に思い至った。
連絡先だなんて言っている場合じゃない。むしろそんな些細なことはどうでも良くて、むしろもっと早くに済ませておくべきことだったのに。
思い返してみれば確かに、初めて会った時には名前を聞くなんて考えもしていなかった。もう一度会いたいと思ったのも二度三度と話すようになったのも後の事で、単に隣に居合わせただけの関係でしかなかった当初は自己紹介の必要なんてなかったのだ。
だけど今となっては話が違う。もう友人と呼んでも差し支えない今となっては、名前を知らないなんて状況はおかしすぎる。むしろどうして今の今までそれを疑問に思わなかったのかと不思議なくらいだ。
もしも今日彼女と会うことができたなら前回みたいな逃げ腰にはならないように、絶対に名前は訊かなければいけないと心に決める。
本当に会えるかの保証はない。連絡はなければ約束もなく、あるのは何時かはきっと会えるだろうというだけの不明瞭な予感だけ。だけどそれが今日だという予感は、自分でも不思議なくらいにすんなりと受け入れることが出来ていた。
初めて出会ったのが盆祭り。次がハロウィンでその次がクリスマス。そうと続けば次もまた何らかの行事ごとのある日が怪しい野手はないかと、そんな安直な理由で導きだした法則性。けれどそんな予感も間違いではないのだと証明するように。
──からん。
下駄を鳴らして、彼女は僕の前に現れた。
「うん、初詣なら浴衣でも不自然じゃない」
「ちょっと。その言い方だと、前は不自然だったみたいに聞こえるんだけど」
彼女を見て開口一番しみじみと口にした僕に、彼女は若干不満げな顔をして唇を尖らせた。そうは言っても、初めて会った時は兎も角として残りの二回はハロウィンとクリスマスだ。西洋のお祭りごとに和装というのは些か組み合わせとしては奇異に映る。
「いや、似合ってないとかそういう訳じゃないから、大丈夫」
「ふーん、お世辞ってことで受け取っておくけど。まあ取り敢えず、久し振り」
「うん、久し振り」
幾らか迂遠ながらも挨拶を交わした。そのままこれ以上の回り道をすることなく直ぐに本命の話題を口に出そうとして。
不意に、背中に軽い衝撃があって我に返った。驚いて振り向くと、どうやら偶然にぶつかってしまったらしい男性が一人。男性はちらと一瞬迷惑そうな目で僕を一瞥して、それきり何も言うことなくせかせかと通り過ぎていく。それで漸く、道の真ん中で立ち止まってしまっていたことに気が付いた。
今いるこの場所は神社からはある程度離れているものの、まだ周囲には屋台の出店がところ狭しと並んでおりお祭りにも負けず劣らずの盛況ぶりを見せている。そして当然人の数も賑わいに比例するもので、道路はかなりの混雑を見せているのだった。
この人の流れの只中でいつまでも立ち話なんてしていられない。だからと言って何処かに移動しようにも、何処へ向かうべきかで悩んでしまう。いつもは家への帰り道で出会うから何処へ向かうかなんて考える必要も無かったけど、今回ばかりはそうはいかない。行くべき場所は特に無くて、何処にも行かない訳にもいかない。
「じゃあ、神社の方にお参りでもしに行く?」
そうして最終的な結論として、僕にとっては二度目になる参拝を提案した。初詣で何をするかと言えば本命は神様への祈願だし、一先ずの目的地として境内を目指すのは間違ってはいない。それに、仮に彼女が今来たばかりで参拝を済ませていないというのならちょうど良いしと。そう考えての進言だったのだけど、対する彼女は僅かに曇らせた表情で苦笑いを浮かべながら、静かに首を横に振った。
「お参りは、私はいいや。私のお願いなんてこれ以上は叶えてもらえないだろうし」
そんな、よく分からない理由を彼女は告げる。それに僕が何か言おうとして、だけど彼女はそれよりも更に速く下駄を鳴らしてくるりと後ろへと振り向いた。
「それよりもさ、適当に歩こうよ。屋台もいっぱいあるし、どんなのがあるのか見てみたい」
それだけ言ってさっさと僕から遠ざかる方向へと歩きだしてしまう。有無を言わさず、まるでその話をこれ以上は続けたくないと言わんばかりに、まるでそこに深入りされるのを避けるように、彼女は先に行ってしまう。僕は慌てて追いかけて、やけに早足な彼女の隣に並ぶ。
そんな彼女の言動は気になったけど、今は名前を聞こうと意気込んでいたせいもあってあまり深く考えることはできなかった。それだけの余裕はなくて、頭の中では何と言って話を切り出すかを考えているので手一杯。
彼女はいつもと変わらない様子で楽しげに並んだ屋台を眺めている。そうして彼女が何か言いかけるのに先んじて、僕は決心を固めて口を開いた。このまま違う話が始まってしまえば変にタイミングを見計らおうとして結局切り出せなくなってしまいそうで、だからいつもみたいな雑談が始まる前に捩じ込んだ。
「あのさ。えっと、名前、何て言うの?」
「名前?」
「うん。そう言えば聞いてなかったなって思って」
突然の話題に彼女は面食らったように此方を向いた。それから、ああ、と意味に気付いて頷いている。
「そっか、言ってなかったっけ。……うん、言ってなかったね」
彼女の方も忘れていたのか、しまったなぁと苦笑しながら頭をかく。失念に対する恥じらいか、僕の方をちらと見てから直ぐに視線を外してしまう。
どうしてだろう。そこに込められているものが何故か、隠していたものが見付けられてしまった時のような、諦め混じりの感情に思えて仕方がなかった。
「うん。じゃあさ、折角だからこうしよう」
けれどそれもほんの一瞬のことに過ぎなくて、直ぐに彼女は明るげな表情を取り戻す。それからぽんと手を打ってから、思い付きを口にするような気軽さでこんな事を言い出した。
「当ててみてよ、私の名前」
「え、当てる?」
それは、何の突拍子もない謎かけだった。彼女は僕の問いに対して答えではなく、別の問題として返してきた。
「当てられるような名前? それとも、まさか実は有名人だったとか?」
もしそうだとしたら未だに気付けていないのは宜しくない。確かに芸能人だとかには疎い自覚はあるけれど、これだけ話していても分かっていないなんてのは失礼だったんじゃないだろうか。
そう内心で冷や汗をかく僕に、彼女は笑いながら横へと首を振っていた。
「あはは、ナイナイ。有名になれるような人じゃないってば、私なんて。別に当てやすい名前ってこともないんだけど、まあちょっとしたゲームみたいなものだと思ってよ」
──ああ、でも、と。
ふと思い出したように彼女は空を仰いだ。
「有名人っていうのは、あんまり違うとも言い切れないのかなぁ」
そう、口の中だけで小さく呟いていた。
「とにかく考えてみてよ。もしかしたら分かるかもしれないからさ」
言いながら視線を切って、一度俯き、色々な感情を払うように頭を振って、それから彼女は笑顔を見せる。笑いながら、まるで正解の見えない無茶振りを要求する。
果たして答えに行き着いて欲しいのか、それとも欲しくないのか。彼女の謎めいた笑みからは、本心は最後の最後まで読み取ることができなかった。




