第3節 クリスマス
吐いた息が白く曇る。指先は凍えてかじかんで、感覚の鈍いそれを擦り合わせて温める。
ふと見上げた寒空は一面が分厚い雲に覆われていた。これでは月光も届かなければ星空を眺めることもできない。明るさで言えば普段以上にきらびやかに町を彩る電飾によって一切の不足なく照らされているが、聖夜としては些かムードに欠ける感は否めない。
けれどそれでも、町を行き交う人々はそんな些事には気を留めることなく楽しげに囁き交わしている。彼らが見ているのは今日この日という特別感だけで、月も星空もそれを盛り上げる為の舞台装置ではあるものの決して無くて困るというものでもないのだった。
そんな人々を横目に眺めながら、僕は気のせいではなく男女二人連れの多い大通りを些か早足気味に進んでいく。
あれから。ハロウィンに彼女と再開してから、僕はわざと大通りを通るなんてことはしなくなっていた。元より人混みは苦手だし用も無くそこに紛れようとは思わない。けれど今日ばかりは特別で、家族からクリスマスケーキの受け取りを頼まれてしまったのだから仕方なくこの道を通っているのだった。
十二月二十五日のクリスマス。季節は冬も盛りで、秋の暮れにまた今度と別れた日から再び二ヶ月近くの月日が流れようとしていた。今もまだ、彼岸花は枯れていない。
また今度と次の再会を暗示されたとは言え、実際の状況というのは前の二ヶ月と変化はない。一切合切の音信不通。というより連絡の取りようがない。前回はちょっとした雑談を交わした程度で、やっぱり互いに深入りすることはしなかった。僕としては聞いておきたかったところだけど、残念ながらそれを切り出す前に別れてしまったのだった。
だから僕には、彼女の言う『今度』というのが何時のことかは分からない。一週間や一ヶ月は過ぎてしまって、二ヶ月後なのか、半年後なのか、一年後なのかそれとももっと先なのか。どれだけ考えても予想を確証に変える方法を持てずにいる。
だと云うのに、僕の心は不思議な程に凪いでいた。確かに色々なことが不明だけど、前回とは違って暗闇を手探りしている訳ではない。いつ会えるのかという待ち遠しさこそ感じていれど、本当に会えるのかという不安からは縁遠い。僕は自分でも可笑しくなってしまう程に彼女の言葉を、口約束にもなっていない別れの挨拶を、何の掛け値もなしに信じていた。
そして、そんな僕の確信が正しかったのだと証明するように。
──からん。
軽い下駄の音と共に、彼女は再三僕の前に現れたのだった。
「こんばんわ。今日はちょっと急いでるみたいだけど、話す時間、ある?」
夜に眩しい緋色の浴衣。彼女は前二回と全く同じ姿で以て、僕に片手を上げていた。
「いや、大丈夫。別に時間がない訳じゃなかったから」
自分でも思っている以上にこうして会えるのを喜んでいる自分がいて、つい緩んでしまいそうになる頬を辛うじて手で隠す。そうしながら彼女の問いに問題ないと答えれば、彼女は安心したような笑みを浮かべた。
どちらからともなく隣に並んで、歩を揃えて歩き出す。それからまた、前みたいに他愛もない雑談を交わすのだった。内容は周りの景色を眺めて目についた些細なこと。町を飾るイルミネーションとか、何処からともなく聞こえてくるクリスマスソングとか、店先に飾られたリースとか、駅前の大きなツリーとか。思ったことを思ったままに口にして、共感したり意見し合ったり、どうでも良いような論争を繰り広げたりして時間はするすると流れていく。
結局僕はその中で、彼女の連絡先を訊くなんてことはしなかった。楽しい空気感を途切れさせてしまうかもしれないからとか、何となく言い出せるタイミングが無かったからとか色々と理由は付けられるけど、そんな建前を取り払えば一番大きな理由は単に度胸が足りなかったという一点だろう。急にこんなことを言い出して、何と返されるかと想像すると不安で立ち止まってしまっただけ。そんな事で、僕はまたとない機会をふいにした。一応は自分の中では連絡手段がなくとも彼女はこうして会いに現れてくれるのだから平気なのだと、申し訳程度の結論作り上げた。
僕がそんな弱腰に対する自虐で密かに胸を苦しめている内も、会話は特筆すべきこともないままに進んでいく。弾む言葉のキャッチボール。どちらもフライや全力投球するといった変化を差し挟むことはなく、ゆるゆる弱々と続けている。
そうして今の話題は、周りに溢れるカップルたちについてに移っていた。
「私たちもさ、周りの人たちからはカップルに見えたりするのかな」
ふと思い付いたとでも言うかのように彼女がそんなことを言い出した。どう思うかと訊いてくるように此方の顔をちらと窺う。
そんな彼女に、僕は少し考えてから、質問に対する答えを口にする。
「……無いとは言えないけど、僕としてはあんまり嫌かな」
「なんで?」
彼女が不思議げに聞き返してくる。
問い返されて、今の言い方はあまり良くなかったことに遅れて気付いた。
「あっと、嫌だとかそういう意味じゃなくて……ええと、事実がどうかとか何も考えてないのに『絶対にそうだ』って決め付けようとするのが気に食わないって言うかさ。ああ、それと、個人的に知らない人から変に勘繰られるのが嫌っていうのもあるかも」
もう少し細かく、今度は誤解されないように説明する。あくまでこれは他人の目を気にしやすい性格故の意見であって、そこまで共感を得られるとは思っていない。そんな風に考えながら彼女の方を窺えば、案の定と言うべきか、つまらなそうにふーんと呟いていた。
「キミってそういうところで内向的だよね」
「そういう君は、思ってた以上に社交的だった」
軽口には軽口で返しておく。そうすれば彼女も一瞬むっとした表情こそすれど直ぐに、確かにと頷いて笑い返してきた。
「でもさ、運命の人って言うのはちょっと憧れるかな。ね、運命の人と出会える確率とかってあったでしょ。あれってどれくらいなんだっけ」
「ええ……別にそんなの覚えてないけどな……」
急にそんなことを訊かれても答えられない。そういう確率を何処かの誰かが算出したことがあるという話くらいは聞いたことがあったけど、正確な数字までは記憶できていなかった。だから悪いけれど分からないと首を横に振ろうとして、その時居並ぶ店舗の中でとあるものを見付けた。
ちょうど通り過ぎようとしていた本屋さん。クリスマス特集として書店員オススメの恋愛小説が店先に並んでいて、あらすじか紹介文かが書かれたポップが飾られている。
その中の一つにちょうど話題通りの内容のものを見付けて、苦笑混じりに指を指す。
「0.00034%、だってさ」
「うわ、あんなに低かったんだ」
僕の脇から彼女もまた同じ文言を覗き見て、驚いたように目を丸くした。それから、0.00034%かぁと、何度か0の数を間違えながらも噛み締めるように口にする。
「やっぱ良いよね。もしそんな人と出逢えてたら、どんな気持ちだったんだろ」
しみじみと彼女は謳うように囁いている。空を見上げて、遠く遠くの彼方を眺めて、眩しそうに目を細める。それはまるで、何処かに居るかもしれない彼女自身の運命の人とやらに想いを馳せているかのように。
そんな彼女を横目に見て僕は、運命の人だからと出会うだけでは付き合えると決まった訳ではないだろうと、水を差すような戯れ言を飲み込んだ。たとえ軽口を言い合える仲であろうと、口にすべきでないことだってある。僕と彼女では感じ方も視えているもの違うのだから、敢えてその差異を溝として明文化する必要なんてどこにもない。
僕が見上げる空は分厚い雲に覆われている。もしもこれでホワイトクリスマスにでもなってくれるのならロマンチックと言えるのだけど、そうでなければ何のロマンもありはしない只の詰まらない曇り空でしかないのだった。
その後僕たちは前回と同じ場所まで話し続けてから別れを告げた。これもまた前と同様に『また今度』と手を振って。そうして僕は一人きりの帰路に就く。騒がしい人の波から抜け出して、話し相手も失って。たった一人、静かで暗い道を歩いていく。
胸の中には何とも言い表しがたい空虚感。一人でこの道を行くことには慣れている筈なのに、今の僕は何故だか中身の抜け落ちたがらんどうのようになっていて、出所の知れない物淋しさに包まれていた。
その日は結局雪は降らず、空も星も雲によって隠されたままだった。




