第2節 ハロウィン
肌寒い夜の町を、家を目指して早足に帰る。広い道をそれでも溢れ返らせようとするかのように集まる人混みを避けながら、道の端の方へ寄りながらすり抜けていく。
あれやこれやと騒いでいる人々を、カーディガンの襟を寄せながら横目だけで流し見る。気温はとうに十五度を下回っている筈なのだが、彼らはまるでそんなことを気にしていない。その原因の一つは恐らく、このごった返す人々が生み出す熱気のせいだろう。
釣瓶落としの陽は瞬く間に空を夜闇へと塗り替える。けれど今夜に限っては、普段以上に眩い地上の明かりがそんな闇を払い除けていた。
なにせ今夜はハロウィンだ。年に一度のお祭り事。本来の宗教的な意味合いなんて何のその、仮装やらお菓子の配り合いやらを楽しむ人々によって、町の中心街の辺りはそれはもう大騒ぎの大盛り上がりだ。
ハロウィン。日付で言えば十月三十一日。秋も終わりに近付く十月の末。あの盆祭りの日、不可思議な少女と出会ったあの夜から、実に二ヶ月半の月日が流れていた。
あれから未だ、彼女と再び会うことはできていない。当然だろう。僕は彼女のことを何も知らない。名前も、住んでいる場所も、何をしている人なのかも、何も知らないのだから、会う以前に探しようすらありはしない。唯一年の頃だけは僕と同じ位に見えたから高校生かもしれないと思うのだけど、それだって何処の学校かまでは特定できないのだからあまり意味はない。
だから普通に考えて再会するなんて不可能で、僕自身も期待三割諦め七割程度の気持ちでいるだけだ。それでも、完全に諦めることだけは出来ずにいる。
そんなだから今だって、わざわざ遠回りまでして大通りを通っているのだ。塾から家まではもっと人の少ない最短ルートがあるにも関わらず。敢えて苦手な人混みに埋もれてまで、こんな道を選んでいる。
町は人々の喧騒で満ちている。慌ただしいが故のものではなくて、とても楽しげな賑やかさ。こんなお祭り騒ぎの只中にいると、どうしてもあの盆祭りの日のことを思い出してしまう。
あの時あの場に残されていた彼岸花は、持ち帰ってから花瓶へ一輪挿しにして取ってある。何となくで調べた赤い彼岸花の花言葉。別れを連想させる悲観的な言葉が多い中で、『再会』という意味があることを知って。それで、御守りというか願掛けというかで今も手離せずに置いているのだった。
二ヶ月半もの間を枯れることはおろか萎むことすらしなかった。その様子が、まるで花言葉通りの事が起きるということを、暗示しているように思えたから。だから僕は、三割にまで減った期待を捨て去ることが出来ずにいるのだった。
もしかしたら街中で会うことはできなくとも、来年になってまた祭りの日になれば会えるのだろうか。わざわざこうして探し回るような真似をしなくても、祭りの夜にまたあの川原に行けば、彼岸花を線香花火よろしく垂らしている彼女に出会えるのではないだろうか。
そんな想像をすれば、何だかそれが有り得ることのように思えてきた。少なくとも今みたいな何人いるとも知れない人混みから、居るか居ないかも分からないたった一人を探し当てるよりは可能性が高いだろう。そうだ。それなら見付けることが出来なくても、一年待てばもう一度会うことは叶うではないか。
そう、そこまで考えて。
何を考えているのだろうとため息を吐いた。
来年だとか。一年待てばとか。そこまでして会う必要があるのかと、自分自身の冷めた部分が問い掛ける。そこまで焦がれる理由なんて無いだろうに、そうして会えたところでまた気まずくなるだけかもしれないのに、どうしてまだ会おうとしているのか、と。
それで少し熱されていた思考が冷まされて、冷静さを取り戻した。
どうして彼女に会いたいと思っているのか。そんなの、とっくに分かっている。理解している。
ここで一目惚れによる恋心だとか、もしもそんな事を言えていれば綺麗な話だったのかもしれないけど。残念ながら僕は、どれだけ魅力的でも初対面のよくも知らない相手を好きだと思える程に直情的な性格はしていない。
だからこれは恋とか愛とかそんな綺麗なものではなくて。もっと汚くて、もっと打算的な。ただ、自分のことを他の誰かが特別なものとして感じていて欲しいというだけの、自己満足の為の承認欲求だ。
あの夜、彼女はよく分からない質問をしてきた。もしももしもの例え話。それに対して僕は意図も意味も掴めないままに答えて、そして彼女は自分も同じだと笑った。そしてそれが彼女との最後の会話となった。
不可思議な少女に、不可思議な疑問を投げ掛けられて、不可思議な反応を返された。
僕にとってあの出来事は、印象的を通り越して十二分に特別なものだった。
だからこそ。あの出来事が、彼女にとってもそうであれと願ってしまうのだ。
そう願ってしまうから忘れられない。忘れられないから固執してしまう。固執してしまうからこうもみっともなく縋ってしまう。縋ってしまって、実感が得たいと求めてしまう。
あるいは。
彼女のことなど全部建前で。
一度偶然に踏み入った非日常に、在り来たりで代わり映えの無い日常の外側に、留まっていたいだけなのかもしれないけれど。
とは言え、どちらにしたところで大した違いなんてありはしない。僕は彼女との再会を望んでいる。会ってどうするかなんて度外視して、ただ『会う』という展開だけを求めている。
その願いは今の今まで叶えられなくて。叶う保証なんてどこにもなくて。これからだって叶わないかもしれなくて。
そして同時に、次の瞬間にだって叶う可能性はあるのだった。
──からん。
そんな、乾いた音が耳朶を打った。
高くて、鈴の鳴るような綺麗な音。まるで木の板が地面を叩くかのような……いや。ような、ではなく、事実そうなのだろう。
それは足音だった。行き交う人の波の隙間から、まるで生まれ落ちるように零れ出た靴の音。スニーカーでも革靴でも出すことのできない流麗さを感じさせる、それは下駄の鳴らす音だった。
「やっほー、久し振り」
緋色の浴衣が、夜の町の中でくっきりと浮かび上がっていた。薄暗さなど意にも介さない鮮烈さ。なのに何処か捉えどころのない存在感。
彼女は前回いなくなった時とは真逆に、まるで始めからそこにいたかのような自然さで僕の目の前に現れた。
「──────あ。えっ、…………?」
思わず目を見開いて、ぱくぱくと魚みたいに口を開閉させる。
まさかこんなに呆気なく会えるだなんて思ってもみなかった。いや、呆気なくという言葉は違うのだろうか。何せ二ヶ月以上も経っている。これだけの時間はその一言で簡単に流せるものじゃない。
けれどそれでも。それを考慮した上ですら、このあまりの唐突ぶりは呆気ないと思えて仕方のないものだった。
「ひ、久し振り……」
突然の展開に追い付けず真っ白になった頭では全うな受け答えはできなくて、辛うじて同じ言葉で返事を返す。それから数十秒の時間をかけて目の前の現実をどうにか噛み砕きながら飲み込んで、それで漸く二ヶ月ぶりの再会が果たせたのだと受け入れられた。
ただし、会ったところでどうしようと考えていた訳ではない。ただ会うことだけが目的だったのだから、その先にまでは考えを巡らせてはいなかった。だから挨拶以上に何を話せば良いのかなんて分からないし、受け入れたとはいえ動揺の冷めやらぬ頭では咄嗟に何も思い付かない。
それでもまた前みたいに黙りこくってしまうのは恐れて何か口にしなければと意気込んで。けれどそれよりも少し速く、今回は彼女が直ぐに言葉を繋げていた。
「ちょっとそこまで、歩こっか」
断る理由なんてある筈もなかった。そうして二人連れだって歩きながら、他愛もない雑談を交わした。本当に何ということのない、中身も実もない只の閑談。
とは言え僕が最近の流行に弱いせいで音楽とか芸能人とかの話はできなくて、お互いの通う学校が違うから授業とか先生とかの『学校の話』というのもやりにくい。だから結局どうしても、話題は周囲に溢れる仮装をした人々のことに集約された。
吸血鬼とか、フランケンシュタインとか、魔女とかゾンビとかおばけとか。中には宇宙人みたいなよく分からないものも混じっていて、それを指摘しては二人して密やかに盛り上がった。
「そう言えば、なんで今日も浴衣? 流石にそろそろ寒そうだけど」
「え? あー、確かに浴衣は季節外れかな」
ふと思い立って口にした僕の疑問に、彼女は一瞬首を傾げてから思い出したように自分の姿を見下ろした。その様子はまるで、自分の格好の奇妙さに今の今まで全く気付いていなかったかのようでもあった。
「実は、これしか着るもの持ってなくてね」
「……なにそれ?」
「あはは。まあでも、良いんじゃない? 仮装の一種だとでも思えばそんなものでしょ。周りの人だって気にしてないしさ」
そう言って、彼女は周りを指し示しながらくるりとその場で一回転してみせる。ひらりと舞い上がる袖。緋色の布地が夜に踊る。偽物の異形が支配する今宵の街の只中に、一輪の彼岸花が咲いている。
一周回って再び前を向いてから、ねっと彼女は笑ってみせた。言われてから見回してみると、確かに彼女に奇異の視線を向けている人は誰もいない。誰も彼も、自分とは交わることのないその他大勢の一人として、僕共々彼女を視界に捉えど認識せずに流していく。
「本当だ。浴衣のおばけとでも思われてるのかな」
「あれじゃない? キョンシーなんかに見えてたりして」
「キョンシーにしては和風すぎると思うけどな……」
正直に言うと、僕はあまり人と話すのは得意ではない。気心の知れた友人が相手ならいざ知らず、関わりの薄い相手と一対一になるなんて特に苦手だ。
口達者でもなければ聞き上手でもなくて、話していても会話が途切れてしまわないかとか次は何て答えれば良いのかとか話題が途切れてしまえば何を言えば良いんだろうとか、ずっとそんなことを考えてしまうのだ。
けれど彼女が相手ではそうではなかった。彼女と話しているのは、何と言うか、楽しかった。普段ならどうしても気に掛けてしまうようなこともあまり気にならず、時々は躓きながらも、時には意見が合わずにぶつけ合おうとも、尚も言葉を交わし続けた。
それが何故かと問われれば答えられない。自分でも彼女と他の人とで何の違いがあるのかが見付けられない。けれどそれでも、不思議と彼女とは馬が合ったのだ。話しているのが楽しいと、この会話を終わらせたくないとまで思ってしまう。
きっと、だからだろう。
帰路が大通りから逸れる場所にまで来てしまった時。彼女が、そろそろ行かないとと告げた時。自分らしくないとは思いながらも、引き留めそうになってしまった。
「あ……。そっか、もう行くんだ」
だからと言って明確に止めることもできないで、曖昧な空白を空けながらも自分に言い聞かせるように言葉にする。
彼女はそれに気付いてか気付かないでか、ほんの僅かな微笑を口元へと浮かべながら僕の帰路とは違う方向へと一歩だけ足を引く。
「うん。キミも帰り道はそっちでしょ? だから今日はもうお別れかな」
僕とは違って彼女はきっぱりと線を引く。別れは別れで避けられないのだとでも言うように、言葉ではっきり明言する。僕が止めてしまった足をうじうじと動かせないでいる間に彼女は先に動き出して去っていく。
「また今度ねー!」
最後にまだその場へと留まっている僕にそれだけ言葉を残して、彼女は人混みに紛れて消えてしまった。
僕は未練がましく彼女が見えなくなった辺りをぼんやりと眺めながら、彼女の最後の一言を口の中で繰り返す。
『また今度』
別れの言葉。けれど断絶ではなく、次もあることを示すその言葉。僕はそれを噛み締めるように口にしながら、暫く立ち尽くした後に家の方へと足を向けた。




