第9話 この世で一番タチが悪いやつ
登場人物
浅間天音:合法的、非合法的な手段でクズの人生を終わらせる女探偵(休業中)
七瀬遊真:歌舞伎町の高級ホストクラブ「グラスシャード」のナンバーワン。変装の名人。
氷室暁:天才的なハッカー。難解ななぞなぞに正解しないと仕事を受けない。
影山:無口な大男。実は甘党。
黒瀬聡一郎:かつての天音の仲間であり、他人をコントロールする術に長ける。現ノーブルブリッジ総帥。
第9話 「前哨戦」
正義の話をしよう。
この世で一番タチが悪い人間は、無自覚な悪人じゃない。
――世間的には悪だろうが、自分は正しい。
そう確信してるヤツ。
誤用の方の「確信犯」だね。
正しい意味はインターネットで調べてくれ。
こういうヤツは止められない。
確信を燃料にしてどこまでも突っ走る。
マイナス点は――最後に付けてやるよ。
地獄への土産にしてやる。
◇◇◇
八月。
東京の夏は暴力だ。
窓の外、アスファルトが陽炎を吐いてる。
エアコンの室外機だけが律儀に回る真昼のマンション。
あたしは今、マンションの一室にいる。
大ノ手探偵事務所じゃない。
本業はちょいと夏休みを取らせてもらった。
権田さんには事情を話してある。
あの人は「そうか」とだけ言って、いつもの濃い茶を淹れた。
何も聞かなかった。
何も止めなかった。
あの沈黙が「行ってこい」だとわかるまで3秒かかった。
黒瀬からの電話があった日から、あたしは探偵として動いてない。
「元ノーブルブリッジの人間」として動いている。
依頼人、あたし。
古い看板をわざわざ担ぎ出してきたバカをぶちのめすお仕事。
依頼料は過去の清算。
実質無給だけど、別にいい。
終わった時にはスッキリしてるだろうし、その気持ちだけで十分だよ。
まずはいつものスイーツタイム。
『ロースン 真夏の激辛マンゴープリン』。
マンゴープリンにハバネロソースを練り込んだらしい。
商品開発会議で誰も止めなかったのかな。
一口目。
うん。マンゴー。
南国の甘さが口に広がって、ちょっと幸せになる。
辛さを覚悟してたけど、ちょっとピリッとしたくらい?
二口目。
まだ大丈夫。
三口目。
……あっ。
ヤバいかも。
四口目。
辛っ。
辛い辛い辛い。
舌が燃えてる。
一気に火が付いた。
喉が燃えてる。
水。水どこ。
騙し討ちじゃん。
いや、最初から激辛って書いてあったけどさ。
後から来るのは予想外だよ。
マイナス……いや、騙し討ちのエンターテイメントってことで200点はあげよう。
最初は油断させておいて、後からジワジワ効いてくる。
まるで黒瀬みたいなスイーツだったね。
口直しに普通のプリンを食べた。
甘い。
うまい。
やっぱり普通が一番かも。
◇◇◇
ターゲットの話をしよう。
黒瀬聡一郎。
年齢不詳。たぶん30前後。
あたしが大昔に『復讐代行業ノーブルブリッジ』を立ち上げたときの初期メンバーの1人。
頭のおかしいボンボンに姉を殺されて、その恨みを晴らす機会をずっと伺ってた。
当時のあたしは色々と甘かったからね。
黒瀬の復讐にもちゃんと手を貸した。
頭のおかしいボンボンは……頭がボンとなって心の病院にいる。
今もあたしの幻覚に怯えているらしく、二度と出てくることはないだろう。
やりすぎた、という自覚はある。
旧ノーブルブリッジであたしが「死んだ方がマシ」な目に遭わせたのは72人。
全員、裁かれるべき悪だった。
自分の行いが間違っていたとは思っていない。
ああ、そうさ。
この世で一番タチが悪いのは、あたしのようなヤツだ。
そして黒瀬も同類だ。
第2、第3の姉が出ないように。
暗い瞳で呟きながら、その頭脳で次々にターゲットを破滅させていった。
データ分析で人間の行動を予測して、チェスでも指すみたいに相手を追い詰める。
当時は頼もしかった。
最高の相棒だと思ってた。
けど、アイツの心の闇までは見抜けなかった。
黒瀬はあたしの知らないところで勝手に動いて、まだ何も悪事をなしていない人間を「予防的に処理」していた。
それが分かったのは――報復で仲間のひとりが命を落とした時だった。
久留間蓮。
大人気Vtuber《Ren》の中の人……だったヤツ。
チームの諜報担当で、潜入調査みたいなことをしていた。
今の仲間だと七瀬みたいなポジションだ。
ちなみに久留間蓮が亡くなったあとは、双子の弟がこっそりと《Ren》を継いだらしい。
声も話し方も同じだから誰にもバレてないとか。
ここ最近、《Ren》はあたしが解決した事件のことを取り上げてくれているけど、どんな気持ちでやってるんだろうね。
……話がズレた。
ともあれ、ノーブルブリッジという名前はあたしにとって仲間の墓標だ。
黒瀬にもそうだと思っていたけど、勘違いだったらしいね。
いいさ。
その看板を担ぎ出すなら、くれてやるさ。
ただし、あんたの墓標としてね。
◇◇◇
今回は大仕事だ。
仲間全員に連絡を取って、マンションに来てもらった。
最初に来たのは七瀬。
「天音ちゃん、夏休みのお泊まり会? 僕ワクワクしちゃう」
「仕事だよ。今回はデカい」
七瀬がいつもの笑顔で部屋を見回した。
ミニキッチン。
折りたたみテーブル。
ホワイトボード。
生活感ゼロのセーフハウス。
「殺風景。天音ちゃんの趣味とは思えないね」
「あたしの趣味は関係ない。座って」
七瀬が椅子に腰を下ろしたところで、あたしは言葉を二つ出した。
「ノーブルブリッジ。黒瀬聡一郎」
七瀬の顔が変わった。
一瞬だけ。
ホストの笑顔が剥がれて、歌舞伎町の裏を知ってる男の目が出る。
「黒瀬? それってもしかして……」
「知ってるんだ」
「名前だけ。歌舞伎町じゃ都市伝説みたいなもんだよ。
『裏の何でも屋を束ねてる影の支配者がいる』ってね」
七瀬がこの顔をするのは珍しい。
軽口が出てこない七瀬は、ちょっと怖い。
「……ヤバいヤマってことだね」
「七瀬、恐いなら降りてもかまわないよ」
「冗談。最後まで乗るよ。吊り橋効果で天音ちゃんの気を惹けるかもしれないからね」
◇◇◇
次に——というか、気づいたらいた。
ソファの端に、小さな人影が座ってる。
フード付きのパーカー。
身体が埋まるくらいのオーバーサイズ。
フードの下から覗く顔は白い。蛍光灯の下にいても日光を知らないような白さだ。
年齢不詳。十代後半にも二十代前半にも見える。
大きな目がこっちを向いてるけど、焦点がどこに合ってるのかよくわからない。
現実の人間より画面を見慣れてる目。
「氷室?」
「天音。こんにちは」
声は電話で何度も聞いた通り。
でも目の前にいるのは初めてだ。
「来てくれたんだ」
「うん。今回は、画面の向こうじゃ足りない」
氷室暁。
この世にいるのかも怪しいと思ってたけど、ちゃんと物理的な体があった。
想像よりずっと小さい。
パーカーのポケットに両手を突っ込んで、膝を抱えるように座ってる。
「なぞなぞ」
「……今?」
「綿が死んだらどんなお菓子になるでしょう」
「わたがし?」
「正解。今回も頑張る」
「……氷室くんだっけ。それ、間違えさせる気ないっしょ」
七瀬が苦笑する。
「氷室暁。
激ムズのなぞなぞに答えないと仕事を受けてくれない天才ハッカー。
……天音ちゃんへの出題が甘いのは、最初から受ける気だからじゃない?」
「ノーコメント」
ふるふる、と氷室は首を振る。
七瀬は肩を竦めた。
「まあ、天音ちゃんの味方ならそれでいいよ。よろしく」
「うん」
初顔合わせとしては順調といったところだろうか。
ケンカにならなくてよかった。
呼んでいる仲間はあと1人。
影山。
あいつのことだから、いつのまにか部屋にいるかもしれない。
……と思ったら、普通にドアをノックして入ってきた。
「こっそり来るかと思ったよ」
「礼儀は弁えている」
スッと大きな箱を差し出してくる。
東京バナナだ。
「手土産だ」
「あんた、意外に気が利くね」
嬉しいけど、普段と違うことをされると死亡フラグの気がするよ。
まあ、こいつは死んでも死なないイメージだけど。
◇◇◇
「氷室、これまでの調査結果を聞かせて」
「うん」
氷室がパーカーのポケットからタブレットを取り出した。
小さな手でスワイプする。
「ノーブルブリッジ。犯罪支援プラットフォーム」
報告は短い。
でも中身が重い。
提供サービス。
デジタル痕跡の消去。
個人情報の売買インフラ。
人員の斡旋。
集団ストーカー要員とか。
AI画像生成ツールの開発と提供。
法的対抗措置の妨害。
犯罪のAmazonかよ。
品揃えが良すぎて吐き気がする。
「クライアントは全国に数十件。
金で犯罪のインフラが買える」
数十件。
あたしが潰してきた数件なんて、氷山の一角だったわけだ。
「中枢にハッカーが一人。
レベルは高い」
「氷室と比べて?」
「わからない。
まだ戦ってない」
ここで「勝てる」と即答しない。
それが氷室だ。
「黒瀬の拠点候補。
都内のオフィスビル。
表向きはコンサルティング会社」
「社名は?」
「ノーブルコンサルティング」
ひねりがゼロ。
舐めてるのか、挑発なのか。
たぶん両方だね。
◇◇◇
作戦はシンプル。
物理と電子の二面攻撃。
七瀬がノーブルコンサルティングに潜入して、中のデータを物理的に引っ張り出す。
同時に氷室がサーバーに仕掛ける。
七瀬の変装はいつも通り完璧。
今回は掃除のおばちゃん。
いったいどうやって化けたのか、身長まで縮んでる。
「我ながら天才的な変装だね。天音ちゃん、帰ったらデートね」
「成果次第」
「ひどい。僕の顔面に免じて前払いとかないの?」
「おばちゃんじゃん」
「そうだったね」
七瀬が出て行く。
影山は部屋に残った。
あたしの横で微動だにしない。
氷室はタブレット3台とノートPC2台に囲まれて、もうキーボードを叩き始めている。
……待つ時間は苦手だ。
何もしてない自分が一番キライ。
◇◇◇
2時間後。
七瀬から連絡が入った。
スマホじゃなく、専用の通信機から。
「ヤバいの出てきたよ」
声のトーンが違う。
軽口じゃない。報告の声だ。
「天音ちゃんが解決した事件あるじゃん。全部、監視されてる」
「……全部?」
「全部。
被害者のプロフィール。
加害者の行動パターン。
天音ちゃんの介入タイミング。
結果の記録。
まるで観察日記みたいに整理されてる」
背筋が冷えた。
夏なのに。
エアコンのせいじゃなく。
「それだけじゃない。
結構な部分でノーブルブリッジの連中が介入してるね」
「どんなふうに?」
「天音ちゃん、半グレの連中とやり合ってたでしょ。
あの時の依頼人、覚えてる?」
もちろん。
沢村杏。
弟想いのお姉ちゃんだ。
公園で打ちひしがれてたら、知らない男からうちの名刺を渡されたらしいけど――
「依頼人を天音ちゃんのところに紹介したの、ノーブルブリッジのメンバーみたいだね」
それだけじゃない。
桐谷莉子にAIを使ったパクり技術を吹き込んだ「お友達」はやっぱりノーブルブリッジのメンバーだった。
あるいは伏脇航や押尾弥生、佐伯隆志に『名簿屋』の存在を教えたり――
柊一真の犯罪履歴を消すだけじゃなく、集団ストーカーの人員を手配したり――。
他にもある。
あたしが探偵業を始めてからの2年間、受けた依頼のほとんどにノーブルブリッジが噛んでいた。
多くの場合、クズに近付いて自分たちの『サービス』を利用するようにそれとなく誘導していた。
がっつりと介入を始めたのは最近半年くらいみたいだけどね。
「僕からの報告は以上だね。
なんだかあっけなく潜入出来て驚――」
ブツン。
突然のことだった。
通信が途切れた。
「七瀬? 無事かい?」
返事はない。
参ったね。
あたしが七瀬に渡した通信機は特別性だ。
ちょっとやそっとの電波障害なんてものともしない。
可能性としては……七瀬本人が捕まったか。
あいつがそんなドジを踏むとは思いたくないけど、最悪の事態は想定した方がいい。
気付くと奥歯を噛み締めていた。
嫌な感覚だ。
旧ノーブルブリッジで、久留間蓮を失った時に似てる。
あいつも潜入担当だったね。
嫌な一致だ。
「天音、まずい」
すぐ横に座っていた氷室が声を漏らした。
「負ける」
「あんたが?」
現在、氷室はノーブルコンサルティングのシステムに侵入してもらっている。
こいつは世界一の天才ハッカーだ。
なのに、負ける?
「向こうの対応、早い。人間じゃないかも」
「AIとか?」
「ありうる」
氷室のタブレットを覗き込む。
画面の文字列が目まぐるしく切り替わっていた。
あたしには読めない世界だ。
有線接続されたキーボードの上で、氷室の指が激しく踊っていた。
「無理。撤退」
氷室の顔に、初めて感情らしいものが浮かんだ。
悔しさ、かな。
「ごめん、天音」
「謝らなくていいよ。今回の相手はヤバい。それが分かっただけで十分」
あたしはポンポンと氷室の頭を撫でてやる。
おっと。
馴れ馴れしすぎたかね。
「天音」
「嫌だったかい?」
「ううん。もっと」
甘えられてるのかね。
まあ、氷室にしてみれば初めての敗北だ。
傷心してるのかもしれない。
「ちょっと休んだら、またがんばる」
◇◇◇
整理しよう。
七瀬との通信は回復しない。
捕まった可能性が高い。
氷室のハッキングはブロックされた。
リトライは後になりそうだ。
こうなると、後は――
「あたしの出陣しかないね」
スッと影山がソファから立ち上がった。
俺のことを忘れるな。
そう言いたげな視線を向けてくる。
「もちろん、あんたも一緒だよ。
きっと鉄火場になるだろうからね」
それじゃ、久しぶりに感動の対面といこうか。
黒瀬。
あんたのことだから、あたしが来ることだって分かってるだろう?
次回、(ひとまずの)完結です。




