(六)
「っ……ぶねえなあ!」
再び打ち合おうとした刃の間に叫び声の主がぱっと割って入ったのを見て、劉唐は慌てて朴刀に力を籠め、刃を大きく横へ反らした。
雷横もまた同じく刃を収めたが、彼の方は、この勝負の邪魔者に見覚えがあるようで、ばつが悪そうに黙り込んでいる。
「まあまあ、お二人とも、この辺で。先ほどからずっと拝見していましたが、このまま手合わせを続けても力は互角、勝負がつきそうにない。いったん手を休めて、私の話を聞いてください」
「話って……」
そこでふと、劉唐は、男がほっそりとしたいかにも書生風の姿に似合わない物を――銅鎖を手にしていることに気が付いた。
しかもその持ち方には、どこか扱いに慣れたような様子が見えるのだ。
(こいつ、何者だ?)
しぶしぶ刀を下ろし、一歩下がって、劉唐は男をまじまじと見つめる。
己よりもずいぶん小柄で、ひょろりとした線の細い男だ。
桶型の頭巾を目深にかぶり、髪は無造作にうなじで結ったままなので、どこか超然として見える。身にまとった黒い麻の着物はゆったりと風になびき、よく見れば小粋な縁取りがほどこされている。
茶褐色の帯も白い靴下も絹の靴も質素で、決して洒落たものではないのに品を感じさせた。
あまり外に出ないのか青白い肌に、流れるような細いひげを生やしたその男の姿は、やはりどう見てもただの学者先生のようであったが、劉唐たちが落ち着いたのを見てさっと銅鎖をしまう所作などは、やはりただ家にこもっている本の虫、というわけではなさそうだった。
「呉用先生、ですが……」
「先生? なんだ、お前、こいつの知り合いか」
「こいつとはなんだ! お前、智多星の呉用殿を知らないのか? 字は学究、道号は加亮先生と言って、諸葛亮もかくやという知恵の持ち主。山東で先生を知らない好漢はいないさ」
雷横の呼んだ名は知らなかったが、細い眉をはねあげて言い返してきた言葉の中の、智多星という二つ名にはどこか聞き覚えがあった。
「まあまあ、私のことはいい。そっちの赤毛の君、なぜ都頭殿と喧嘩をしているのだ」
まるで悪いことをした子どもを叱るかのように指さされ、劉唐はむっとして呉用を睨みつけた。
「けっ、学者先生なんかの知ったこっちゃねえぞ」
「失礼な奴だなあ……呉先生、実はね、昨夜この男が霊官廟で、あろうことか素っ裸で寝ていたので、これは怪しいやつに違いないと捕らえたんです。ところがまだ朝も早かったので、お知らせがてら晁蓋殿のところへ立ち寄ったところ、なんとこの男、保正殿の甥御だとか! まあそれなら、と言うわけで放免してやったら、晁蓋殿が酒をふるまってくれたばりでなく、心づけまで下さって……断るのも失礼と、それをいただいて帰る道すがら、どういうわけかこの甥御が俺たちを追いかけてきて、晁蓋殿からいただいた金を奪おうとしやがるんです。まったく、頭のおかしい男だ」
「晁蓋殿の、甥御?」
一瞬、呉用の鋭い一重が、じっと劉唐の顔を射抜く。
「……そうかそうか、それならなおのこと、好漢よ、意地を張るもんじゃない。お前の叔父殿と私は親しい間柄、それに雷都頭のことも私はよく知っている。叔父殿が彼に渡した祝儀をお前がぶんどったのでは、叔父殿の面子が立たないではないか。ここはまあ、私の顔に免じて、無用な騒ぎは起こさぬことだ。叔父殿には私からうまいこと話してあげるから」
晁蓋の知り合いらしいこの男には、甥などという嘘は見抜かれているのではないか――刹那、背筋がひやりとしたが、呉用はそのことには触れず、あきれたように劉唐の肩に手を置いた。
「……先生、あんたは何も見てねえからそう言うんだ。この金は、この衙門の犬がしつこいんで、叔父貴がしぶしぶ渡したもの。こいつがかたり取ったのも同然だ。こいつが返さねえ限り、俺はここから動かねえぞ」
「はあ? 晁兄貴が自分で取り戻しに来たのならともかく、なんで騒動の元凶のお前に返さなきゃならないんだよ」
目尻を引きつらせる雷横に、劉唐も負けじと言い返す。
「てめえは無実の者に勝手に罪を着せ引っ立てて、おまけにその家族から金をかたり取ったんだ。それを返さねえとはどういう了見だ」
「お前の銀子じゃないのに、しつこいぞ」
「ああ? どうしても返さねえってんなら、いいぜ、この朴刀に全部聞いてみやがれ」
「ほらほら、二人とも、落ち着きなさい」
再び火花を散らし始めた二人の間に呉用が体ごと割って入るが、その薄い体では、白熱した二人の漢の勢いを止めることはできない。
「いったい、何がそんなにお互い気に入らないというんだ。力は互角、言い分も互角、もはやどうしようもあるまい」
「いいや、この犬が銀子を返さねえ限りは、死ぬまでやり合わなきゃ気が済まねえ」
「ふん、お前ごときちんぴら相手に部下の手を借りれば、朱仝の兄貴にも笑われちまう。この手でお前を刺し殺してやるよ」
「言ったなこの野郎! てめえなんざ、跡形もないほど切り刻んでやる!」
そして今にも二人して呉用を突き飛ばし、再び切り結ぼうかと思われたその時、
「あ、雷都頭! 晁保正殿ですよ!」
雷横の部下たちの指さす先を劉唐もまた振り返れば、『叔父』が筋骨逞しい長身を猪のように走らせ、はだけた着物の襟元から胸毛もあらわにこちらへと向かってくるところだった。
「こら、小三! 何を無礼な真似をしている!」
雷鳴のような声とともに、まるで仔猫でもひっつかむが如く襟元を引かれた劉唐は、あっという間に雷横と引き離されてしまった。
「はは、やはりこういうことは、保正殿でなければ解決できないですね」
仲裁に入っていた呉用はといえば、さきほどまでの必死さはどこへやら、おもしろおかしくてたまらないといった顔で飄々としている。
「いったい何をしているんだお前は! こんなところまで雷都頭を追いかけて、刀を振り回すとは」
「晁蓋兄貴、そちらの甥御殿が朴刀を振り回して、俺に、あなたからいただいた金を返せと迫ってきたんですよ」
息せき切って問いただす晁蓋に、雷横が唇を尖らせて事の成り行きを話し出す。
「いったいどういうわけか知りませんが、俺は、兄貴がご自分で取り立てに来られたというなら返すが、お前には返さないと言ったんです。当然でしょ? 甥御殿には関係のない銀子なんですから。それなのになんだかんだといちゃもんをつけて、斬り合いになったところ、呉用先生が止めに入ってくださったんです」
「お、叔父貴、こいつの言うことなんか……」
思わず口をはさんだ劉唐だったが、ぎろりとこちらを睨んだ晁蓋の迫力に気圧され、口ごもる。
いくら察しの悪い己でも、晁蓋の言いたいことは分かった――これから大事をしでかすというのに、衙門の人間を敵に回すな。
「まったく困った甥っ子だ。雷都頭、どうか今日は俺の顔に免じて、こやつのことを許してほしい。後日改めてこちらからお詫びにいこう」
「そ、そんな、いいですよ。晁兄貴には関係ない、こいつが勝手にやったことだって、わかっていますから。かえって御足労をかけて申し訳ない」
平謝りに頭を下げる晁蓋の様子にさすがに恐縮した雷横は、朴刀をしまい、劉唐を偉そうに一瞥すると、晁蓋と呉用に挨拶をして、部下を従え帰って行く。
劉唐はどうにも納得のゆかぬまま、その後姿が道の向こうに消えるまで眺めていた。




