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水滸綺伝  作者: 一條茈
第十四回 赤髪鬼、泥酔して廟に伏し 晁天王、東渓村にて義を結ぶ
103/110

(一)

 霊官廟の供え物の傍らで素っ裸のまま寝ていた、信仰心の欠片もなさそうな大胆な男は、雷横の号令で部下たちが己に飛び掛かる気配を察してようやく、隆々とした体をむくりと起こした。

 「あ? 何の騒ぎ……うわ!」

 まだ頭がぼんやりしている隙をついて、部下たちが手際よく彼に縄をかけるのを、雷横は満足げに眺める。

 「おい、てめえ、どこのどいつだ、いきなり縄をかけやがって!」

 「黙れ、下賤な賊め!」

 「神聖な廟をねぐらにする薄汚い野郎め」

 次々と浴びせられる罵声も拳も、どうやら男には効き目が弱いらしいのは気がかりだが、さすがの大男でも、寝起きを二十人近い兵に襲われれば成すすべはなかったらしい。

 ようやく抵抗を諦めた男は、鋭い瞳を昏く閃かせ、唇を歪めながら、雷横の足元に唾を吐いた。

 「けっ、衙門の犬が。人の話を聞きもせず、いきなり捕らえるたぁ、頭がおかしいぜ」

 「ふん、お前のような野良犬に、何を言われようが痛くもかゆくもないね。このあたりには宿もあるのに、部屋も取らず、こんな小汚い姿で廟の中に隠れているなんて、やましいことがあるに決まっている」

 「ふざけるな! 俺はただ、路銀が尽きてっ……」

 「言い訳はいい。それより誰か、この男に着物を着せてくれ。連れていくにも、この姿じゃ見苦しすぎる」

 部下の一人が、男が枕にしていた着物を縄の上から着せかける。

 今にもこちらを射殺しそうな目で睨み付ける男の、ぼさぼさと伸び切った長い髪は、どうやら人より赤みが強いらしく、松明の光を浴びて地獄の炎のような色を帯びている。

 浅黒い肌にはいくつも古傷があり、その堂々たる体躯も相まって、どう見ても堅気ではない凄みが全身からほとばしっていた。

 「まったく、地獄から這い上がってきた赤鬼のような男だな。さて、この男を引っ立てるにも、まだ夜明け前か……」

 そのときふと、雷横の脳裏に、一人の人物の顔が思い浮かんだ。

 「雷都頭、どうされました」

 「いや、なに、お前たちも昨夜から歩き続けてのこの大捕り物、疲れて腹も減ったろうと思ってさ。ちょうどここから衙門に戻る途中に、東渓村があるだろう。せっかくだから、晁保正のところへ顔を出して、少し休ませてもらわないか? それから衙門に戻って、こいつを取り調べよう」

 「それはいいですね。しばらく保正殿にもご挨拶しておりませんし」

 そのとき、縛り上げられた赤髪の男が何かを言いかけたが、またやいやい騒がれてはかなわないと、部下の一人が口を布で覆ってしまった。

 「そうと決まれば、さっそく出立しよう。ほら、赤鬼、さっさと歩けよ」

 雷横は、いつの間にか緊張に固まっていた体をぐいと伸ばすと、部下と囚われの賊を引き連れて、一路東渓村を目指した。

 

 東渓村の晁蓋(ちょうがい)——江湖の人間で、その名を知らぬ者はいないだろう。

 晁家は先祖代々、東渓村の物持ちであったのだが、先祖同様、晁蓋もまた金には淡泊であった。

 常に義を重んじ、好漢たちと好んで交わっては、自分を頼る者を善悪問わず受け入れ、食客として屋敷においてやり、出ていくときには路銀を惜しまず渡すと言った具合である。

 また晁蓋自身も何より武芸を好み、堂々たる体躯で腕っぷしも強く、妻子も持たずに体を鍛える毎日を送っている。

 今から十五年ほど前のこと、広い川を挟んで東渓村の真反対にある西渓村に、ひっきりなしに幽霊が出て、昼日中でも人を驚かしては川の中へ引きずり込むという噂があった。

 ある日、困り果てた西渓村の民からたまたまこの話を聞いた旅の僧侶が、あたりを調べ、川辺のとある場所に青石の宝塔を立てて霊を鎮めるよう告げた。

 村人たちが言われた通りに巨大な塔を建て、幽霊が西渓村から姿を消したまではよかったのだが、今度はその幽霊どもが、東渓村に大挙して民を怖がらせ始めたのだという。

 それを聞いた晁蓋は激怒した。そして、なんと自ら川を歩いて渡り、件の宝塔をたった一人で引っこ抜いて抱えると、東渓村の川辺のほうへと移してしまったのだ。

 それ以来、彼は托塔天王(たくとうてんのう)の二つ名で呼ばれるようになり、その名はますます広く江湖に知れ渡ることになった。

 雷横も、朱仝ともども何度も彼の世話になったことがある。幽霊など信じていない己だが、彼の豪快で闊達な様を前にすれば、なるほど悪霊も近寄りがたく思うほどのすさまじい力がこの豪傑には宿っているに違いないと思うのだった。

 「ごめんください」

 村の中ほど、立派ではあるが決して華美ではない、むしろ素朴な趣のある晁家の屋敷の門を叩くと、見知った下男が眠そうな顔を突き出した。

 「おや、雷都頭、おはようございます」

 「朝早くに申し訳ないが、晁蓋殿はいらっしゃるかい?」

 「旦那様はまだ眠っておいでですが、少しお待ちくださいね」

 愛想よく笑った下男が姿を消してほどなくすると、どしどしと大きな足音が近づいてきて、勢いよく門扉が開いた。

 「おお、雷横、雷都頭じゃないか! 朝早くから仕事か? ご苦労なことだ」

 大河の如く豊かな声の主は、寝ぐせだらけの蓬髪をなびかせ、寝間着に上着をひっかけただけというなんとも豪放な姿を雷横たちの前に晒しながらも、まったく意に介さぬ顔で大きな口を開け愉快げに笑った。

 眉や髭の濃い、いかにも男らしい顔立ちの中で、くりくりとした杏眼だけは、いつでも子供のように輝いている。だからであろう、この一見厳つい人物には、どんな突拍子もないことをしても、どんな無作法をしたとしても、誰もが許してしまう愛嬌があった。

 「保正殿、朝早くに起こしてしまって申し訳ありません。実は知県殿のご命令で、俺と朱仝と二人、部下を連れてこのあたりの村を賊が困らせていないかどうか、見廻りをしていたところなんです。昨夜から歩き通しのうえに、ほら、このとおり、小悪党を捕まえるのに、ちょっとばかり小競り合いをしたもので……できたら保正殿のところで少し休ませていただいてから帰ろうと思い、立ち寄ったんです」

 「はは、そういうことなら、かまわんよ。さあ、さっそく朝餉の用意をさせるから、入ってくれ」

 「ありがとうございます」

 雷横は、後ろでおとなしくしている賊をちらりと見た。不機嫌そうな表情は相変わらずだが、観念したのか、あるいは逃げ出す算段を考えているのか、やけに神妙に黙り込んでいる。

 「この小悪党をどこかに押し込んでおきたいのですが、場所をお借りできますか?」

 「それなら、そこの門長屋に押し込めておくとよいでしょう」

 下男の案内で、さっそく男を門の脇の薄暗い長屋に押し込み、逃げ出せないよう梁につるして扉の鍵をかけると、腕に覚えのある者が見張りを申し出てくれたので、雷横は部下たちを引き連れ屋敷へと押し掛けた。

 「さあ、皆さん、まずは吸い物でも飲んで、ゆっくりくつろいでください」

 ようやく飯にありつけると頬を緩める兵たちに、手ずから吸い物を出して回った晁蓋は、どこかそわそわと雷横に尋ねた。

 「なあ、さっき連れていた小悪党、やつはこそ泥でも働いたのか?」

 「実はあの大男、近くの霊官廟で、素っ裸で眠っていたんです。大方酔ってそのままというところでしょう。宿も取らず、いかにも怪しい風体だったので、縛って連れてきました。このまま衙門に引きずって行って知県殿に引き渡すつもりだったんですが、まだ時間も早かったもので。それに、このことを晁蓋殿にお知らせできてよかったかもしれません。ほら、もし後から知県殿のお尋ねがあったとしても、すぐにお答えできるでしょう。男はさっき屋敷の方に案内していただいて、門長屋をお借りして吊るしています」

 「なるほどなぁ」

 面白そうに目を細め、指先で髭を弄っていた晁蓋だったが、しばらくして下男が料理をこちらへと運んできたのを見ると、目尻を吊り上げた。

 「おい、馬鹿者、誰がここに料理を運べと言ったんだ。こんな表のほうでは落ち着いて話もできん。奥の間に準備をしなおせ」

 慌てて下男たちが奥の間を片付け、明りが灯ると、雷横たちは晁蓋に促され、奥の座敷に招かれた。

 女のいないこの家は相変わらずどこか雑然としているが、隅から隅まで神経質な母の掃除が行き届いている自宅より、晁蓋の人柄を体現したようなこの屋敷のほうが、雷横は好きだった。

 「さ、それではみなさん、ここにあるものは遠慮なく飲んで、食って、食いつくしてくれてかまいませんよ」

 肩を揺らして笑う晁蓋が主人の席についたので、雷横はその隣に座り、朝から上等な酒にありつける幸運に感謝した。

 体にたまった疲れがじんわりと、酒の香りとともに溶けだしていった。


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