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水滸綺伝  作者: 一條茈
第十三回 急先鋒、東郭門に功を競い 青面獣、北京に武もて闘う
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(五)

 山東の春は、美しい。

 まあ、この鄆城(うんじょう)県から離れたところにはほとんど行ったことがないので、他所の春がどのような様子なのかは正直わからないのだが。

 それでも、空気は澄み、草花の薫りが漂い、日差しは暖かく、人々もどこか長閑になるこの春という季節が、雷横(らいおう)は好きだった。

 「雷横」

 だから、任務の合間に草の上で寝ころび、空を見上げながらのんびりしてしまうのは、仕方のないことであった。

 「なんだい、兄貴」

 「まったく……なんだい、じゃないだろう。もうすぐ、時知県(じちけん)のお呼びの時間だぞ」

 頭上にぬっと現れた、大きな(なつめ)のような赤銅色の顔は、すっかり呆れたような表情を浮かべている。

 「だって兄貴、こんなにいい天気なんだから、少しのんびりしたって罰はあたらないだろう?」

 「……横児(おうじ)、お前は今や、四十余名の兵を率いる歩兵都頭。頭がそんなことでは、部下に示しがつかんだろう」

 まるで子供をいなすかのようにそう言われては、これ以上逆らうわけにもいかない。浅く日に焼けた顔に笑顔を浮かべ、雷横はばねのように立ち上がる。

 一つ年上のこの幼馴染は、知り合ったときからずっとこうして己の世話を焼いてきた。

 「はいはい、都頭の朱仝(しゅどう)さま、今行きますよ」

 雷横と同じく四十余名の兵を率いる騎兵都頭の朱仝は、見上げるような上背に長く立派な髭を生やし、流星のように鋭く聡明な目を持ったその容姿だけでなく、金持ちの家に生まれたのに義理堅く金に淡泊、民を想い江湖の好漢と広く交わりを結んでいるのを関羽になぞらえ、美髯公(びぜんこう)と呼ばれている。

 優しく豪胆で武芸に通じ、堂々とした男ぶりのこの人を兄貴分に持つことは、雷横の自慢であった。

 かくいう雷横も、鍛冶屋に生まれ、小遣い稼ぎに牛追いや米つき、使い走りに喧嘩、博打、あげればきりがないほどなんでもやっているうちに鍛えられた脚力で羽ばたくように飛び回るので、挿翅虎(そうしこ)などともあだ名されるようになったのだが。

 義侠心ばかり疼かせて暴れまわっていた己を仕官の道に導いたのもまた朱仝であったので、雷横は彼には頭があがらない。

 「そういえば、知県殿には、新任の挨拶以来、特にお会いしたことがなかったな。どんな人なんだろう」

 「恩義ある以前の知県殿が推薦なさったお方と聞いたから、いい人には違いあるまい」

 今日、雷横たちを呼び出したのは、つい先日赴任したばかりの知県、時文彬(じぶんひん)だった。

 どのような用向きかはわからないが、いずれにせよ、仕事の話である。緩み切った顔を引き締め、雷横は朱仝とともに衙門へと登庁した。

 「時知県、朱仝と雷横、参上いたしました」

 さっそく、広間の椅子に座り書簡の山に囲まれている時文彬の前で跪けば、「よい、立ちなさい」と深い声で促され、裾を払って立ち上がる。

 時文彬は小柄ではあったが、賢そうな顔にたっぷりとした髭を蓄え、才覚を感じさせる佇まいである。

 「突然呼び立てたのは、ほかでもない。私が当地に赴任して聞くところによれば、ここ済州の水郷、梁山泊というところに、山賊どもが寄り集まって略奪を働き民を脅かし、官軍さえも寄せ付けぬらしいではないか」

 梁山泊――その名は、ここ最近、頻繁に江湖の話題に上るところとなっていた。

 白衣秀士の王倫というのが頭領で、以下数百名の賊を率いて暴れまわっており、雷横も朱仝も何度もその手合いの事件の処理に駆り出されたことがある。

 「また梁山泊だけでなく、四方の村々でも賊が横行し、治安は悪くなる一方と聞く。そこでお前たち二人には苦労をかけるが、今宵、配下の兵を引き連れて、西門と東門から二手に分かれて見廻りに出てほしい。怪しい者がいたら、見つけ次第取り押さえて連行するように。だが、民には決して迷惑をかけるでないぞ。聞いた話によると、東渓村(とうけいそん)の山の上には、他所とは比べ物にならないほど立派な紅葉の大木があるとか。見廻りを終えた証として、その葉を数枚持ち帰り、衙門に提出せよ。提出がなければ、怠慢と見て厳罰を仰せつけるので、気を付けるように」

 「かしこまりました」

 再び拝礼すると、雷横は朱仝とともに急いで部下の点呼へ向かう。

 「急に呼び出すから何かと思えば、治安が悪くなってきたので見廻りをしろということか。もっともなことだ、なあ、兄貴」

 「ああ、それに民に迷惑をかけるなとは、前の知県殿もよく言っていた言葉。やはり時知県もまた、しっかりした人だな」

 見廻りならば、いつもの仕事である。だが、確かに知県の言うとおり、最近は前にもまして賊が姿を現すことが多くなったので、気は抜けない。

 「雷横、お前は東門から出発してくれ。俺は西門から出る」

 「わかった。じゃあ、お互い日暮れ時にそれぞれ出発しよう」

 拳を突き合わせるその仕草は、何ら変わることない、いつも通りの挨拶だった。

 

 「雷都頭、こちら、異常ありません」

 「こちらの道にも、不審な者は見当たりません」

 「そうか、報告ご苦労」

 その夜、部下を引き連れて予定通り東門から見廻りに出発した雷横は、道中、村々に立ち寄っては悪党がいないか見て回り、民に何か困っていることはないかと話を聞いて回った。

 どこの村でも今日は何事も起こらず平和で、そして最後に訪れた東渓村でもなんら変わった様子は見られず、ついに知県の話していた山上の紅葉の大木へとたどり着いたところである。

 「せっかく意気込んできたのに、何の収穫もなしですか」

 「賊を見かけたら、すぐにふん縛ってやろうと思っていたのに」

 己に似て血気盛んな部下たちの言葉に肩をすくめ、雷横は約束通り、鮮やかな緑色の紅葉の葉を数枚、ちぎりとった。  

 「気持ちはわかるが、こうして何もないことが一番だ。どうやら朱仝の兄貴もすでにここにやって来たようだし、俺たちもさっさと帰って眠るとしよう」

 木の幹に小刀か何かで刻まれた「朱」の文字を横目に、雷横は部下たちを促して山を下る。

 「先ほど通った道だが、念のため周りに気を配れよ」

 ここまでの道中ずっと穏やかだった空に、丑三つ時の暗さの中でもわかるほど厚い雲がかかり、星が隠れる。やにわに風まで吹いてきたようで、松明の数を増やすよう命じる。

 そうしてしばらく歩くと、ふと、先ほど通ったときは何の変化もなかったはずの霊官廟の、その社殿の門が開いていることに気が付いた。

 「……待て、この廟は守衛がいないはず。それなのに、門が開いているぞ。さっき通ったときは何も異常はなかったのに、俺たちが見廻っている間に誰かが入ったに違いない。お前たち、怪しい奴がいないか、中を調べるんだ」

 「は!」

 雷横の声に応じ、松明を掲げた部下たちが、そろりそろりと廟の中に入り、

 「う、うわあ! 誰かいるぞ!」

 「なにっ?」

 部下の叫び声に慌てて駆け付けた雷横の目の前、供え物を置くための机の上に、裸形の大男が一人、着物を枕に高いびきをかいている。

 「……へへ、知県さまの言う通りだ、こうして本当に賊がいるとはな……!」

 いかにもふてぶてしい男の寝顔を松明で照らしながら、雷横は部下たちに命じた。

 「この男を捕らえろ。縛りあげて、連行するぞ!」

 男の額の赤い痣が、揺らめく炎に照らされて、不気味な影をその寝顔に刻んでいた。


<第十三回 了>

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