(三)
「索超、お前はほかの者と違う、真の豪傑。もしお前まで不覚をとるようなことがあっては、あの男に我が軍すべてが侮られるぞ。私の戦慣れした馬と、幾度も死地をともに越えた装束を貸してやる。ぬかりなく、十分気を付けて向かうのだ」
喜ばしげに顔を輝かせる索超に、李成がそう言い含めているのを聞きながら、楊志も再び試合の支度にとりかかる。
「楊志、お前にも新たに馬を与えよう。私の馬たちの中でも一番の駿馬だ。索超は周謹とは比べ物にならぬ手ごわい相手、ぬかるなよ。さて、私はもっとお前たちの試合がよく見える場所に移るとしよう」
楊志の肩を叩いた梁中書は、奥まった椅子から立ち上がり、階段の上へと移動する。
従者たちがあわてて主の後を追い、銀の椅子を据え、頂に銀の瓢箪を飾った豪奢な褐色の絹の日傘をさしかける。
「それではこれより、正牌軍索超と楊志の試合を執り行う!」
聞達の号令とともに、指揮台の上に紅の旗が翻る。
練兵場の左右から、高揚した金鼓の音が鳴り響く。
そしていつの間に用意されたのか、両陣から号砲が放たれる。
その音を合図に、砂嵐を巻き起こしながら馬を走らせ、索超と楊志が陣内へと馬を駆る。
指揮台の上で、今度は黄色の旗が打ち振られ、太鼓の響きをかき消さんばかりの鬨の声がしばらく続き、そして唐突に、練兵場は静けさに包まれた。
将兵たちが固唾をのんでこの試合の行方を見守る、その緊張を、痛いほど肌に感じる。
黄色の旗はいつの間にか白旗へと変わり、銅鑼が打ち鳴らされる。
身じろぎ一つせず居並ぶ将兵たちの目の前で、最後に青い旗が振られ、三度目の陣太鼓が鳴り響く。
楊志の正面、演武庁の左陣の旗の間から、馬の鈴を高らかに鳴らしながら、索超が姿を現す。
太い緋色の房を下げた鋼の獅子兜を目深にかぶり、鉄の鎧の腰元には咆哮する獣を象った腰帯を締め、巌のような体躯の前後に護心鏡を提げたその堂々たる姿は、さすが留守司屈指の豪傑と謳われるだけはある。
見事な刺繍の施された鮮やかな紅の団花袍を重ね、緑の帯をたらし、踵の太い革の靴を履いた索超は、左肩に弓を、右肩に矢壺を懸けていたが、目を引くのは、その手中にした黄金色の斧である。
分厚く鋭い刃を光らせる斧を手に、白玉のごとき名馬を操り、兜の奥で大きな瞳をきらめかせ、今かと試合を待ち望むその姿は、急先鋒とあだ名される好漢にふさわしいものだった。
(急先鋒は、斧の使い手だったか。俺の槍とどちらが強いか、楽しみだ)
口元が勝手に緩むのが、己自身にもわかる。
梁中書に貸し与えられたすばらしい臙脂の毛並みの軍馬の横腹を蹴り、楊志もまた陣前へと進み出る。
鉄兜から下がる青い房が揺れ、梅花と楡葉の装飾が施された甲を緋の紐で連ねて前後に獣面の留め具を配した武具は、こちらもこの大勝負のために改めて梁中書が用意させたものだ。
その上から白い上着を羽織り、紫の帯を締め、黄色い革の靴を履いた楊志もまた、両肩に弓と矢壺を懸け、両手には点鋼槍を構える。
「なるほど、青面獣とあだ名されるだけはある」
「あの堂々たる様子、まさに五侯楊令公の末裔……」
小さな喝采の声が、風に吹き散らされ、楊志の耳に届く。
「閣下よりのお言葉である……!」
南のほうから、金箔で「令」の字を書いた旗を掲げた馬が駆けてくる。
「閣下よりのお言葉である! 両者とも、誠心誠意、堂々と戦うように。不覚をとって負けた者には必ず重い罰を与え、勝った者には厚く褒美をとらせる……以上! それでは、試合、始め!」
伝令の旗が高々と振り上げられたその刹那、楊志は激しく馬に鞭打ち、練兵場のど真ん中へと馬を駆る。
「覚悟――!」
向かい合う索超もまた、大斧をびゅうびゅうと振り回しながら楊志の方へと一直線に馬を駆け、そして指揮台の真正面にて対峙した槍と斧は、燃えるような音を立ててかち合った。
「ッ……力では、負けん……!」
獅子兜の下で見開かれた瞳に熱が宿っているのを見た途端、楊志の周囲から、雑音が消えた。
(この男、強い)
ぎりぎりとにじりあう斧と槍の柄の間に赤い火花が散り、指先が痺れる。
微かな呼吸の間隙を縫って互いに力を抜き、そして再び四本の腕が交わり、乱れ打ち、振り払われる。
臙脂と白の馬の鬣が風を切り、ふたつの嵐となって縦横に練兵場を駆け巡る。
寒空を切り裂く光の如き斧の一閃を、風雪さえ消す烈火の槍術が捌きいなす。
兜の下の互いの顔はすでに真夏の如く汗が滴り、踊るように身を翻しながら十合、二十合と渡り合ううち、どちらからともなく笑い声が漏れる。
「俺の槍についてくる奴が、まだいたとはな……!」
楊志は勝たねばならぬはずだった。だが――
「貴殿こそ、この俺の力に負けぬとは、大したものだ!」
もはや勝利も敗北も、そこにはなかった。
ぐるりと円を描くように斧が振るわれれば楊志が背を反らして躱し、稲光の如く槍の先が突っ込んでくれば索超は左右に体を振ってその切っ先を躱す。
刃先がかち合うたびに硬質な音が幾度も響きわたり、春の如き陽気に誘われて姿を現した鳥たちが、驚いたように空へと羽ばたいていく。
ちらちらと目に映る将兵たちも、梁中書も、あんぐりと口をあけて己たちの真剣勝負に見入っている。
「俺は長いことこの部隊にいて、戦にも何度も出ているが、こんな見事な打ち合いは見たことがない……!」
誰かがそう呟いたときにはすでに、青面獣と急先鋒の打ち合いは五十合にも及んでいた。
「見事! なんと見事だ!」
「ですが、このままではどちらかが傷を負ってしまいますぞ」
もはや腕比べなどという大義名分を忘れ、果し合いを心行くまで楽しんでいた二人の豪傑の耳にしかし、唐突に銅鑼の音が飛び込んでくる。
「そこまで! そこまで!」
それでもなお槍と斧を交わそうとする両者の間に、慌てて「令」の旗を掲げた馬が舞い戻ってくる。
「両者とも、手を引かれよ! 閣下よりの命ですぞ」
最後に大きく武器を弾きあい、梁中書の名を出された二人はようやく、試合を止めた。
「……索超……あんた、見事だ」
息を切らせた索超が何か言う前に、すでに楊志の口からは賞賛の言葉が零れ落ちていた。
これほど素直に、誰かを誉めることは滅多にない。
「楊志殿、貴殿こそ、あっぱれな戦いぶり」
重い獅子兜をがばりと脱いだ索超が、幼子のように邪気のない笑みを浮かべる。
「閣下、ご覧のとおり、楊志と索超はいずれも劣らぬ優れた武人。どうか両者ともに、重く用いられますよう」
「はは、それは当然のことだ。楊志、索超、これへ!」
伝令に率いられ、楊志と索超は演武庁の前へと戻り、梁中書のもとに馳せ参じた。
「楊志、そして索超。お前たちは両名とも見事な腕前を披露し、我が軍の士気を存分に鼓舞してくれた。ここに白銀と衣服を与えよう。さらに、両名をともに、管軍提轄使に任命する。いっそう北京のため、国のために力を尽くすように」
「……は!」
ついに、道は開けた。失ったと思った機会が、ようやく巡ってきた。
索超とともに梁中書に三拝すると、楊志は戦装束を脱ぎ、着物に着替え、勝鬨をあげ金鼓を打ち鳴らす将兵たちにも何度も礼をした。
(ここからだ……)
これでようやく、己の名誉を挽回し、故郷に錦を飾ることができる。ようやく、先祖たちに顔向けができる。
「さあ、それでは新しい提轄使たちの就任の宴を開こうではないか。お前たち、さっそく準備にとりかかるように」
今日一番の上機嫌で、後ろに控える役人たちに指示を飛ばす梁中書の後ろ姿を見ながら、楊志は、今はここにない宝刀のことを思い出していた。




