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水滸綺伝  作者: 一條茈
第十三回 急先鋒、東郭門に功を競い 青面獣、北京に武もて闘う
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(二)

 「両者とも、楯を構えよ」

 李成の命で与えられた楯を受け取り、臂にかけながら、楊志は周謹に向かって叫んだ。

 「先に周謹殿から、三本矢を射られよ。俺はそのあとで同じく、三本射返そう」

 「いいだろう!」

 苛立たしげに周謹が馬の腹を蹴ると同時に、指揮台で青い旗が打ち振られる。

 それを合図に楊志もまた馬に鞭打って、南の方へと走りながら背後の気配に集中する。

 (一撃で俺を仕留めようと焦っているな)

 血気盛んなのはいいことだが、戦場では時に短気が命取りとなる。焦れば焦るほど策にも粗が目立ち、すぐに敵に読まれてしまうというものだ。

 「はッ……!」

 周謹が気合の声とともに弓弦を引き絞る微かな音を、研ぎ澄ませた耳が拾った。

 (殺気を出しすぎだ)

 背後を、振り返る必要もなかった。

 「な、何……」

 がばりと鐙に身を臥せった楊志の頭上、その背を狙った渾身の一矢がむなしく飛び去って行くのを、周謹の動揺した声が追っていく。

 がさがさと矢壺を漁る音を聞き流しながら、楊志は今度は馬首を西の方角へと巡らせる。

 視界の端で、憎らし気に顔を歪めた周謹が、第二の矢を放つ。

 だが、焦燥にかられ手元が狂ったのだろう、身をかがめて避けるまでもなく、楊志は目の前にまっすぐ飛んできた矢を、掲げた弓で弾き飛ばした。

 こうなっては周謹の苛立ちは頂点に達し、もはやなりふり構わず楊志を猛追してくるので、楊志は今度は馬首を北に向け、演武庁の正面へと駆け抜ける。

 陽気と熱気に雪が溶けだし、その下から姿を現した青い草を八個の蹄が轟轟と踏みつけ、土ぼこりが竜巻の如く舞い上がる。

 もはや後のない周謹が、全身の筋肉を撓めて弓弦を引き絞る気配を感じる。

 だが、並みの者ならそれだけで気を失ってしまうほどの怒気は、この勝負の場においてはむしろ相手を利するだけ。

 びゅうと鋭い音と共に放たれた最後の矢は、身をよじった楊志の掲げる手の中に収まり、そして楊志は演武庁の真ん前まで馬を駆ると、手中の矢を正面の柱に向けて放り投げた。

 「おお……!」

 その矢が柱に深々と突き立ったのを見て、梁中書をはじめ将兵たちがどよめく。

 「見事! 見事だ楊志! さあ、次はお前が矢を射る番だぞ」

 梁中書の声に、再び指揮台の上で青旗が振られる。

 「ふん、できるものなら射殺してみろ!」

 悔しまぎれに叫びながら、周謹が馬に鞭当てて南へと馬を駆る。

 「……過激なやつだな」

 楊志も再び馬の横腹を蹴り、彼の後を追う。楊志に狙いを定めさせないためか、右へ左へと蛇行しながら駆ける周謹の、その背に向けて、矢をつがえないまま弓を構える。

 (弓が得意というなら、これはどうだ?)

 そのまま、まるで本当に矢を射るがごとき気合で弓を空引きすると、周謹はまるで本当に矢が飛んできたかのように身をかがめ、楯を構えた。

 (……なるほど、これを判じられないか)

 空引きと矢をつがえたときでは音が違うはずだが、それを周謹は判じることができぬらしい。

 だが、得意げにこちらを振り返った顔を見れば、矢が飛んでこなかったので、楊志がそもそも矢を射損じたと思っているのだろう。

 (弓は不得意と思い込んだな)

 その油断は戦場では命取りとなることを身をもって教えてやってもいいが、こんなところであの男を射殺したとて、何の得にもなりはしない。

 再び馬首を巡らせ演武庁めがけて駆けだした周謹の背を追いながら、楊志は今度こそ矢壺から矢を取り出して弓につがえた。

 (背中を狙えば、間違いなくあの男は避けきれん。恨みがあるわけでもない、急所は外してやるか)

 疾風の如く駆ける馬の背で、全身に気を張り巡らせ背筋を伸ばす。

 『小志、よいか、左手は泰山を乗せるが如く――』

 武芸十八般を修める道は、決して楽なものではなかった。祖父に、父に、師に、果てしなく思えるほど厳しくしごかれた。

 『右手は赤子を抱くが如く構えるのだ。そうすれば、弓は満月のように引き絞られ、矢は――』

 流れる血に、脈々と受け継がれた家の名に、恥じぬ男になることだけを願ってきた。こんなところで終わる己ではない。

 「流星よりも、速く飛ぶ……!」

 「がっ……!」

 左肩を射られて痛みにのたうつ周謹の体が、馬の背から落ちる。

 おそらく弓弦の音を聞き分けたときにはすでに、あの矢は彼の体に達していたことだろう。

 主を失った馬が演武庁の裏へと駆け込んでいき、兵たちが慌てて周謹の救護に向かう中、梁中書はなんとも満足そうに大笑いしながら軍正司を呼び寄せた。

 「さあ、此度こそ、周謹の代わりに楊志を副牌に据えるよう文書を認めよう。楊志、こちらへ参れ!」

 気が付けば太陽はすでに中天に差し掛かり、憧憬の眼差しで楊志を見やる将兵たちの顔は熱気に汗ばんでいる。

 「はっ!」

 揚々と馬を降りた楊志は、胸を張り、大股に演武庁の前へと進み出る。

 刺青を入れられたこの身に、再び栄誉が舞い戻ってきた。ここ北京の地で身を立て、いつかまた都へ――

 「その儀、暫く待たれよ! ぜひ、俺との勝負を!」

 再び楊志の栄光に水を差したのは、今まで聞いた中でも一際大きな、竜巻の如き声だった。

 演武庁の左手の隊列から進み出て、苛立ちに眇めた己の視線をものともせず、こちらを真正面から見つめるその声の主の姿は、楊志の武人としての心を疼かせるには、十分であった。

 「閣下、楊志殿、どうか口を挟むことをお許し願いたい」

 七尺を超える楊志の背丈に迫る堂々とした体躯の男は、耳の大きな幅広い顔に仄かな愛嬌を与える大きな瞳を爛々と燃え上がらせ、厚い唇を震わせて、髭を生やした顎をぐいとあげていた。

 大股に、しかし誠実さを滲ませた所作で梁中書の前へと進んだ男は、片膝をつき、丁寧に拝礼をした。

 「誰かと思えば、索超(さくちょう)ではないか。礼はよい、思うところを述べよ」

 意外げに眉をあげた梁中書の発したその名に、楊志は聞き覚えがあった。

 (索超……急先鋒(きゅうせんぽう)の二つ名の、あの索超か!)

 東京にいた頃、その名を聞いたことがある。

 北京大名府留守司正牌軍を務める索超は、短気でせっかち、すぐにかっとなる性質で、国や民の危機とあらば真っ先に飛び出していく熱血漢だという話だったが、なるほど確かに、部下の窮地を目にして、いてもたってもいられなくなったに違いない。

 「はっ……では、申し上げる。周謹はつい先日まで病を患い、その後まだ十分に回復しておらず、気力が足らないところがあったために、楊志殿に不覚を取ったのです。不才ながらこの索超、周謹に代わって楊志殿と一戦交えたく、どうかお許しいただきたい」

 周謹はとても病み上がりには見えなかったが、部下の名誉を想っての方便であろう。かといって、まっすぐに澄んだ瞳を向けてくる索超の実直な姿には、いっさい楊志を貶めようとするような様子はない。

 「今は罪人の身とは言え、楊志殿は殿司制使まで務めた手練れ。彼の手並みに私も深く感じ入り、それゆえ手合わせしてみたいという気もあるのです。もしも私が少しでも後れを取りましたなら、周謹の職を解いて代わりに楊志殿を用いることになんの異議もないだけでなく、この私の職さえも明け渡す所存。そして仮にこの手合わせで私が命を落とそうと、一切、誰も恨みませぬ」

 索超の言葉は潔く、裏表のないその響きに、楊志は好感を持った。

 このまっすぐな男と、腕比べをしてみたい。

 「閣下、私からも申し上げます!」

 索超の言葉を聞いた李成が、慌てて指揮台から降り、梁中書のもとへと駆け寄ってくる。

 「索超の申した通り、楊志が武芸に秀でているのは当然、周謹などそもそも相手になるような実力ではなかったのです。ですが、正牌軍の索超であれば格好の相手、よき試合となるでしょう」

 「む……」

 大の男二人がかりで懇願され、梁中書はしばらく考え込んだ後、楊志を手招き囁いた。

 「なんとかお前を取り立てたいとこの試合を計画したが、こやつら、まだ不服と見える。だが、この索超を打ち負かせば、もう誰も異議は唱えまい。どうだ、索超と試合をしてみるか?」

 「ご命令とあらば……いや、俺のほうから、喜んでこの試合、受けましょう」

 「そうか、そうか、お前が良いというならば、試合をするがよい」

 梁中書は索超と李成に向き直ると、「そういうことならば、存分に戦ってみよ」と命を下した。


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