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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第七章 関ヶ原

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第99話 守りたいもの


【豊臣家滅亡まで 残り5,395日】

【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り56日】


 淀殿は、届いた返事を、全部読んだ。


 清正。正則。長政。元忠。そして、三成。


 誰も、豊臣家を滅ぼしたいとは、言っていなかった。それなのに、戦は、近づいていた。


「皆、正しいことを、申しておりまする」


 淀殿が、言った。


「うん」


「正しい者ばかりで、なぜ、戦になるのでしょう」


 俺が、知りたかった。


 淀殿は、清正の書状を、膝の前に置いた。


「清正は、兵を守りたい」


「うん」


 正則の書状を、その隣に置いた。


「正則は、仲間を守りたい」


「うん」


 長政の書状。


「長政は、家を守りたい」


「うん」


 三成の書状。


「治部は、豊臣の秩序を守りたい」


 最後に、家康の返書。


「家康は、天下を守りたい」


 淀殿は、五通の書状を、畳の上に、一列に並べた。そして、俺を見た。


「……あなたは」


 答えは、決まっていると思っていた。豊臣家を守る。大坂を守る。母を守る。家臣を守る。


 だが、守りたいものが、多すぎた。全部を守ろうとすれば、何も選べない。


「拾は――」


 言葉が、止まった。


 淀殿は、急かさなかった。


「……拾は。とよとみけに、いる、ひとを、まもりたい」


「家の名ではなく?」


「なまえも」


「天下ではなく?」


「てんかより、さきに」


 淀殿は、目を伏せた。


「……殿下なら」


 その言葉が出た瞬間、俺は、息を詰めた。また、父の影だった。


 だが、淀殿は、続けなかった。


「……いえ」


 初めてだった。淀殿が、その言葉を、自分で飲み込んだのは。


「あなたは、殿下では、ございませぬ」


「うん」


「だから」


 淀殿は、苦しそうに、笑った。


「あなたの守り方を、お選びなさい」


 俺は、淀殿の手を見た。


 白い、細い手だった。小谷の城。北ノ庄の城。聚楽第。伏見の城。何度も、家が崩れるのを、見てきた手だった。


 母が守りたいものは、豊臣の威光ではなかった。俺だった。それを、威光という言葉で、包んでいたのだ。


「……ははうえ」


「何です」


「拾が、てんかびとで、なくなっても。とよとみけが、のこるなら。それで、いい?」


 長い、沈黙だった。


「……分かりませぬ」


 淀殿は、言った。


「今は、分かりませぬ」


 本当の答えだった。


「されど」


 淀殿は、俺の頬に、手を当てた。


「あなたが死ぬよりは、ようございます」


 胸が、痛くなった。


 前の世で、会社を守ると言い続けた。家族から見れば、俺も、守られる側だったのかもしれない。


「ははうえ。拾は、しなない」


「約束、できまするか」


 できない。


 俺は、この先を知っている。十五年後。燃える大坂城。二十二で、自ら命を絶つ秀頼。約束できる未来ではなかった。


「……やくそく、する」


 俺は言った。


 淀殿は、嘘だと、分かっていた。


 それでも、頷いた。


 淀殿は、それ以上、何も言わなかった。俺の頬から手を離して、並べた五通の書状を、一通ずつ、丁寧に畳んでいった。清正。正則。長政。三成。そして、家康。


 家康の書状だけ、畳むのに、少し時間がかかった。


「……家康の字は、昔から、変わりませぬ」


 淀殿が、ぽつりと言った。


「わたくしが、まだ小谷におった頃。父のもとに、家康の書状が届いたことがございます。同じ字でございました。……あの頃は、まだ、若い字でございましたが」


 淀殿は、家康の書状を、他の四通の下に、しまった。


【人物評価:淀殿】

危うさを察する力 98

徳川への不信 96

豊臣家の誉れを守る 99

秀頼の命を先にする 100

天下を保つことを先にする 71


 初めて、天下より、俺の命が、上に出た。


【本日の豊臣家滅亡確率】

97.3% → 97.4%


 その夜、淀殿が、俺の部屋に来た。櫛を、一本、持っていた。


「秀頼。こちらへ」


 淀殿は、俺を膝の前に座らせて、髪を梳き始めた。いつもは、侍女がすることだった。


 櫛は、古いものだった。黒い漆が、ところどころ剥げていた。


「……この櫛は、母のものでございます」


 お市の方の、櫛。北ノ庄の城が落ちる前の晩、三人の娘の髪を梳いた櫛。


「母は、あの晩、何も申しませなんだ。わたくしは、あの晩の母の手を、今も覚えておりまする。温かかった。……何も申さなかったのに、手だけは、温かかった」


 淀殿の手が、ゆっくりと、俺の髪を梳いていった。


「わたくしは、申しまする。秀頼。あなたは、生きなさい。天下人でなくとも。豊臣の名が小さくなっても。生きて、選びなさい」


 櫛が、止まった。


「……母とは、違う道を、選ぶと申しましたでしょう」


 俺は、振り返らなかった。振り返ったら、泣いているのが、見えてしまう気がした。俺の顔か、母の顔か、どちらかが。


 翌朝、櫛は、俺の文箱の中に入っていた。いつ入れたのか、分からなかった。添え書きも、なかった。


 俺は、それを、三成の干し飯の袋と、清正の石の横に並べた。


 懐に入らないものが、少しずつ、増えていく。人から託されたものは、だいたい、どれも重かった。


 弥七が、文箱をのぞき込んで、言った。


「拾様の文箱は、そのうち、蔵が要りまするな」


「……いらない」


「では、わたくしが、見張りまする」


 弥七は、真面目な顔で言った。本当に、その晩から、文箱の横で寝るようになった。


 その知らせが来たのは、それから、ひと月も経たない日の朝だった。


 廊下を、何人もの足音が走ってきた。一人ではなかった。


「拾様! 毛利中納言殿、大坂へ御着到!」


「……てるもとどのが」


「西の丸に、お入りに! 大将として!」


 毛利輝元。臆病を褒められたのは初めてだと言って、干し柿を懐に入れた人。その人が、西軍の総大将として、大坂城に入った。


 輝元の行列の先頭に、安国寺恵瓊の僧衣が見えたと、使いは言った。


 続けて、次の使いが来た。


「奉行衆、増田殿、長束殿、前田殿の連署にて、諸大名へ、書状が出されました!」


 使いが差し出した写しには、家康の罪が、十三箇条、並んでいた。


 《内府ちかひの条々》


 家康が、太閤の定めに背いた箇条。その書状は、豊臣家の奉行の名で、豊臣家の政として、国じゅうの大名に送られていた。


 俺の名は、書かれていなかった。


 だが、書かれていなくても、豊臣家の奉行が出した書状は、豊臣家の書状だった。読んだ大名は、誰も、秀頼の知らぬところで出されたとは思わない。


「……ながもりは。まさいえは。げんいは」


 使いは、答えられなかった。


 長盛。屏風の陰で、肩を震わせて笑いをこらえていた人。正家。蔵の上限を先に決めたいと言った人。玄以。雑談の問いを一緒に考えてくれた人。


 三人とも、豊臣のためだと思って、書いたのだ。


【石田三成 挙兵】

開始


【関ヶ原級全国内戦 発生見込み】

97% → 98%


【豊臣家の名 兵集めに使われた】

はい


【敵とみなすまでの猶予】

残り5日


 三成は、約束を守っていた。五日。その間は、迷っている者を、逆臣とは呼ばない。


 だが、豊臣家の名は、使われた。三成自身は使わなかったのかもしれない。奉行衆が使った。止められなかった。


「……ははうえ」


 淀殿は、もう、立ち上がっていた。顔が、白かった。


「秀頼。西の丸へ、参ります」


「てるもとどのに、あうの」


「会うて、申します」


 淀殿は、扇を、固く握っていた。


「秀頼は、この城から、一歩も出さぬ、と」


 西軍の総大将が、秀頼を担いで戦場に出れば、豊臣家は、西軍そのものになる。負ければ、豊臣家も負ける。


 母は、それを、誰よりも先に、分かっていた。


 淀殿が出ていったあと、俺は、懐の干し飯の袋を握った。


 三成。今、どこにいる。五日のうちに、何人が、迷ったまま、踏みとどまれるだろう。


 窓の外で、蝉が、一匹だけ、まだ鳴いていた。夏の終わりの蝉だった。


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