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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第七章 関ヶ原

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第100話 米俵の夜


【豊臣家滅亡まで 残り5,394日】

【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り55日】


 その夜、大坂の町に、兵が出た。


 西軍の兵だった。東へ向かった大名たちの、大坂屋敷を囲んでいた。妻子を、城の中へ移させるためだった。人質として。


 三成が、決めたことだった。いや、三成の名で、誰かが決めたことだった。どちらでも、同じだった。


【豊臣家の御触れ】

戦に加わった大名の妻子を、戦の咎によって罰してはならぬ


 御触れは、出してあった。


 人質は、罰ではない。預かるだけだ。そういう理屈で、御触れは、すり抜けられた。


「……かつもと」


 且元が、青い顔で、俺の部屋に入ってきた。


「拾様。黒田殿の屋敷も、囲まれておりまする」


「……ながまさの、ははうえと、つまは」


「まだ、屋敷の中に」


 且元の手には、この前頼んだ紙があった。黒田屋敷の周りの道。米俵を積んだ車が通れる道。


「……かつもと。この、みちの、どこかに、こめぐらは、ある?」


「豊臣家の蔵が、一つ。天満の川沿いに」


「こんや、そのくらから、こめを、はこびだす、くるまが、でるとしたら」


 且元が、俺を見た。


「……豊臣家の米の車を、止める兵は、おりませぬ」


「うん」


「その車が、たまたま、黒田屋敷の裏を通るとしても」


「うん」


「……拙者は、何も、存じませぬ」


 且元は、そう言って、紙を懐にしまった。心労耐性、十八の男が、自分から、厄介ごとを引き受けた。


「かつもと。ひとりで、たたないで」


 且元は、一瞬、きょとんとした顔をした。それから、少しだけ笑った。


「……覚えておりまするよ。前にも、そう仰せになった」


 その夜、黒田屋敷の裏の塀の外に、豊臣家の米蔵の車が一台、止まった。


 あとで聞いた話だった。


 黒田家の家老、栗山善助と母里太兵衛が、長政の母と妻を、空の米俵の中に隠した。俵は、豊臣家の米の車に積まれた。車は、西軍の兵の前を、ゆっくりと通り過ぎた。兵は、豊臣家の紋を見て、道を開けた。


 車は、川沿いの蔵に着いた。そこから、船に移った。船は、夜のうちに、大坂を離れた。


 母里太兵衛が、船に乗る前に、車を引いてきた豊臣家の小者に、何度も何度も、頭を下げたという。


 小者は、弥七だった。


「……やしち」


 翌朝、弥七は、泥だらけの草履で、俺の前に座っていた。目の下に、隈ができていた。


「車を引くのは、得意ではございませぬが。庭掃きより、ましでございました」


「……ありがとう」


「お礼には、およびませぬ」


 弥七は、にっこり笑った。


「雨が降っておりませなんだので、車輪が、よう回り申した」


 同じ夜に、もう一つ、知らせが届いた。


 治長が、襖を開けるなり、言った。


「細川殿の屋敷も、囲まれておりまする。奥方様が、城へ移ることを、拒んでおられると」


 細川忠興の妻。玉。


 その名を聞いた途端、指の先が、冷たくなった。


 前の世の本で、読んだことがある。慶長五年、七月十七日。細川忠興の妻は、人質になることを拒み、家来に自分を討たせた。洗礼の名を、ガラシャという。恵み、という意味だと、書いてあった。


 今夜だった。


 だが、俺が知っている玉は、本の中の人だけではなかった。


 光秀だった頃。坂本の城で、湖の見える縁側を、小さな足で走り回っていた娘がいた。煕子が髪を梳こうとすると、逃げた。三度逃げて、四度目に、俺の膝に逃げ込んできた。俺の膝なら、髪を梳かれずに済むと思ったらしい。


 天正六年、細川の家へ嫁いだ。輿に乗る前、振り返って、一度だけ、手を振った。


 あの世の玉は、謀反人の娘には、ならなかった。本能寺が、燃えなかったからだ。


 この世の玉は、謀反人の娘として、二十年近くを生きてきた。山深い里に押し込められ、やがて、異国の神に祈るようになった。その父は、俺ではない。山崎で討たれた、もう一人の明智光秀だった。


 それでも。


「……はるなが」


「は」


「たまどのは、なぜ、しなないと、いけないの」


 答えたのは、いつの間にか部屋の入口に立っていた、淀殿だった。


「人質に出れば、夫の名に、傷がつきます。逃げれば、人質を出さずに逃げた家と、言われます。……細川殿は、出陣の前に、奥を敵の手に渡すなと、家来に言い置いていかれたとか」


 城へ行っても、逃げても、だめだった。残るのは、一つだけだった。


「……みっつめを、つくる」


 淀殿が、俺を見た。


「ひとじちでも、ない。にげるのでも、ない。……ははうえの、おきゃく」


 淀殿は、しばらく、動かなかった。


「わたくしの、客」


「とよとみの、おくの、おきゃく。だれにも、わたさない。みつなりにも、ないふにも。たいこうの、ごけの、おきゃくを、ひとじちと、よぶひとは、いない」


 御触れは、すり抜けられた。母の名は、すり抜けられない。


「……どうやって、屋敷から、出すのです。表も裏も、兵が囲んでおりましょう」


 治長が言った。


「となりは」


 治長が、目を見開いた。


「……宇喜多様の、お屋敷」


 細川屋敷の隣は、宇喜多秀家の屋敷だった。秀家は、伏見へ出陣して、留守だった。屋敷を預かっているのは、妻の豪姫。前田利家とまつの娘で、太閤の養女だった。


 そして、細川家の嫡男の妻、千世は、豪姫の妹だった。


「ごうひめさまに、ふみを。かべに、あなを、あけて、もらう」


 淀殿は、もう、文机の前に座っていた。


 祐筆は、呼ばなかった。母が、自分の手で、書いた。


 書き終えると、淀殿は、文を、俺の前に置いた。


「拾も、一行、書きなさい」


「……ぼくが」


「わたくしの文だけでは、あの方は、死ぬのを止めませぬ」


 筆を、持った。手が、震えた。七つの手だった。


 光秀だった頃、嫁ぐ前の晩、玉が、聞いたことがあった。もし、細川の家で、取り返しのつかない間違いをしたら、どうすればよいのか、と。


 俺は、答えた。


 書いた。


 《いきて、もどれ。まちがえたら、もどってくれば、よい》


 字は、大きく、曲がっていた。墨が、一か所、滲んだ。


 治長が、二通の文を懐に入れて、走っていった。


 あとで聞いた話だった。


 文が細川屋敷に届いたとき、玉は、奥の間で、白い小袖に着替え終えていた。家老の小笠原少斎が、長刀を手に、次の間で控えていた。豪姫の女房が、塀の破れ目から、文を差し入れた。


 玉は、淀殿の文を、黙って読んだ。


 《わたくしも、父を討たれた娘でございます。母を焼かれた娘でございます。生き残ったことを、恥と思うた夜も、ございました》

 《されど、生き残った娘にしか、守れぬものが、ございました》

 《人質としてではなく、淀の客として、お越しくださいませ。淀の客を、人質と呼ぶ者が、もしおりましたら、わたくしが、その者と話しまする》


 玉は、文を畳んだ。


 それから、二枚目を開いた。


 曲がった、幼い字の一行を、長いこと、見ていたという。


「……父も」


 少斎が、顔を上げた。


「父も、同じことを、申しました。嫁ぐ前の晩に」


 玉は、胸の十字架を、握った。


「自ら命を断つことは、許されませぬ。家来に討たせるのも、本当は、同じことでございましょう。……わたくしは、それを、知っておりました」


 玉は、立ち上がった。


「少斎。あなたは、わたくしを討てと、命じられたのでしょう」


「は」


「討つ相手が、もう、おりませぬ。……あなたも、来なさい」


 少斎は、長刀を置いた。主の命に背いたのは、生まれて初めてだったという。


 屋敷には、火が放たれた。空の屋敷だった。敵の手に渡すなという忠興の言いつけだけは、少斎が、守った。


 夜空が、南の方だけ、赤かった。


 俺は、それを、本丸の窓から見ていた。治長は、まだ戻らなかった。間に合ったのか、間に合わなかったのか。赤い空は、何も教えてくれなかった。


 淀殿が、隣に立っていた。何も言わずに、同じ赤い空を見ていた。


 半刻が、過ぎた。


 廊下を、走る足音がした。治長だった。泣き虫の顔が、もう、崩れていた。


「……宇喜多様の、お屋敷に。奥方様も、少斎殿も。……生きて、おられまする」


 膝から、力が抜けた。


 淀殿が、俺の肩に、手を置いた。


「わたくしは、子供でございましたから、生かされました。父が負けたときも、母が負けたときも」


 淀殿の声は、震えていなかった。


「あの方は、大人なのに、生きることを、選ばれた。……そちらの方が、ずっと、難しゅうございます」


 それから、少しだけ、手に力を込めた。


「秀頼。あなたが子供でいてくれて、ようございました」


 意味が、分からなかった。分かりたくなかった。


【細川玉 生存】


 次の朝、豪姫の輿に紛れて、玉は、城の奥に入った。


 廊下ですれ違った。玉は、膝をついて、俺に頭を下げた。豪姫に借りたという、地味な色の小袖を着ていた。


 坂本の縁側を走り回っていた娘とは、違う人だった。違う父に育てられ、違う夜を越えてきた人だった。


 それでも、頭を下げたときの、うなじの線だけが、同じだった。


「……若君の、御字を、拝見いたしました」


 玉は、顔を上げずに、言った。


「止めが、父に、よう似ておられました」


 何も、答えられなかった。


 答えたら、泣くと思った。七つの子が、知らない女の前で泣く理由を、俺は、一つも持っていなかった。


 玉は、淀殿の部屋の方へ、歩いていった。


 煕子が梳きそこねた髪は、きれいに結い上げられていた。


 弥七は、あとで、その夜のことを、少しずつ話してくれた。


「俵は、思うたより、重うございました。お二人とも、小柄な方でしたのに」


 途中の辻で、西軍の兵に、止められたという。


「何を運んでおる、と聞かれまして」


「……なんて、こたえたの」


「米でございます、豊臣の、と」


 弥七は、少しだけ得意そうだった。


「兵が、俵を槍の石突で、一つ、突きました。中から、小さな声が、いたしました」


 俺は、息を止めた。


「わたくしが、大きな声で、くしゃみをいたしました。二度。三度。兵は、汚い、と申して、向こうへ行け、と」


「……くしゃみ」


「雨の日には、わたくし、よう、くしゃみが出まするので。稽古は、要りませなんだ」


 雨は、降っていなかったはずだった。


 弥七は、にこにこと笑っていた。膝が、まだ、少しだけ震えていた。俺は、その膝に、そっと手を置いた。


 数日後、長政から、書状が届いた。東へ向かう陣中からだった。


 《母と妻、無事に国元へ着到。豊臣の米俵にて》


 一行だけだった。それから、別の紙が、もう一枚、添えてあった。


 名簿だった。


 妻。子。弟。重臣。その家族。足軽組頭。船頭。荷を運ぶ者。城下の商人。そして、戦が終わったあとに、帰る場所を失う者たち。


 《西が敗れた場合》《東が敗れた場合》《戦が長引いた場合》


 三つの欄があった。どの欄にも、救うべき者の名が、並んでいた。東の者も、西の者も。


 長政は、どちらが正しいかを、考えていない。誰が残るかを、考えている。


 最後に、長政の字で、一行。


 《罪は、一族へ、ひとりでに移るものではござらぬ》


 この時代では、ありえない考えだった。謀反人の一族は、共に罰される。家来も裁かれる。土地も失う。


 だが、それを続ければ、負けた者は、最後まで戦う。降参すれば家族まで死ぬなら、誰も降参しない。


 俺は、新しい紙を出させた。


 《負けて逃れる者を受け入れる定め》


 一、武器を捨てた者は、寺社へ入れる。

 一、傷ついた者は、東西を問わず、手当てする。

 一、妻子に、咎を及ぼさない。

 一、降った者の名を、さらし者にしない。

 一、家来が、主から離れるための期限を設ける。


 且元が、読んだ。


「……甘すぎると、申されましょう」


「だれに」


「皆に」


「うん」


「それでも、お出しになりますか」


「うん。かつひとを、つくる、きまりじゃ、ない。まけたひとが、ひとに、もどれる、きまり」


 且元は、長いこと黙ってから、深く頭を下げた。


【新しい数字を見つけました】

名もなき者が生き残る見込み

28%


 豊臣家が残る見込みではない。関ヶ原が起きる見込みでもない。もっと大きな数字が、初めて、現れた。


【本日の豊臣家滅亡確率】

97.4% → 97.3%


 夜更け、長政の名簿を、三成の七つの箱の横に置いた。三成の字と、長政の字が、同じ納戸に並んだ。


 二人は、明日、たぶん、敵と味方に分かれる。だが、二人の書き残したものは、同じ部屋で、同じことを言っていた。誰が死に、誰が生き、誰が帰れなかったか。


 その夜、弥七の草履を、新しいものに替えさせた。古い草履は、捨てずに、三成の箱の横に置いた。


 歴史の書物には、決して載らない草履だった。


 弥七は、新しい草履を履いて、嬉しそうに廊下を歩いていった。三歩目で、つまずいた。慣れない草履は、鼻緒がきつかったのだ。俺は、久しぶりに、声を出して笑った。


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