第100話 米俵の夜
【豊臣家滅亡まで 残り5,394日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り55日】
その夜、大坂の町に、兵が出た。
西軍の兵だった。東へ向かった大名たちの、大坂屋敷を囲んでいた。妻子を、城の中へ移させるためだった。人質として。
三成が、決めたことだった。いや、三成の名で、誰かが決めたことだった。どちらでも、同じだった。
【豊臣家の御触れ】
戦に加わった大名の妻子を、戦の咎によって罰してはならぬ
御触れは、出してあった。
人質は、罰ではない。預かるだけだ。そういう理屈で、御触れは、すり抜けられた。
「……かつもと」
且元が、青い顔で、俺の部屋に入ってきた。
「拾様。黒田殿の屋敷も、囲まれておりまする」
「……ながまさの、ははうえと、つまは」
「まだ、屋敷の中に」
且元の手には、この前頼んだ紙があった。黒田屋敷の周りの道。米俵を積んだ車が通れる道。
「……かつもと。この、みちの、どこかに、こめぐらは、ある?」
「豊臣家の蔵が、一つ。天満の川沿いに」
「こんや、そのくらから、こめを、はこびだす、くるまが、でるとしたら」
且元が、俺を見た。
「……豊臣家の米の車を、止める兵は、おりませぬ」
「うん」
「その車が、たまたま、黒田屋敷の裏を通るとしても」
「うん」
「……拙者は、何も、存じませぬ」
且元は、そう言って、紙を懐にしまった。心労耐性、十八の男が、自分から、厄介ごとを引き受けた。
「かつもと。ひとりで、たたないで」
且元は、一瞬、きょとんとした顔をした。それから、少しだけ笑った。
「……覚えておりまするよ。前にも、そう仰せになった」
その夜、黒田屋敷の裏の塀の外に、豊臣家の米蔵の車が一台、止まった。
あとで聞いた話だった。
黒田家の家老、栗山善助と母里太兵衛が、長政の母と妻を、空の米俵の中に隠した。俵は、豊臣家の米の車に積まれた。車は、西軍の兵の前を、ゆっくりと通り過ぎた。兵は、豊臣家の紋を見て、道を開けた。
車は、川沿いの蔵に着いた。そこから、船に移った。船は、夜のうちに、大坂を離れた。
母里太兵衛が、船に乗る前に、車を引いてきた豊臣家の小者に、何度も何度も、頭を下げたという。
小者は、弥七だった。
「……やしち」
翌朝、弥七は、泥だらけの草履で、俺の前に座っていた。目の下に、隈ができていた。
「車を引くのは、得意ではございませぬが。庭掃きより、ましでございました」
「……ありがとう」
「お礼には、およびませぬ」
弥七は、にっこり笑った。
「雨が降っておりませなんだので、車輪が、よう回り申した」
同じ夜に、もう一つ、知らせが届いた。
治長が、襖を開けるなり、言った。
「細川殿の屋敷も、囲まれておりまする。奥方様が、城へ移ることを、拒んでおられると」
細川忠興の妻。玉。
その名を聞いた途端、指の先が、冷たくなった。
前の世の本で、読んだことがある。慶長五年、七月十七日。細川忠興の妻は、人質になることを拒み、家来に自分を討たせた。洗礼の名を、ガラシャという。恵み、という意味だと、書いてあった。
今夜だった。
だが、俺が知っている玉は、本の中の人だけではなかった。
光秀だった頃。坂本の城で、湖の見える縁側を、小さな足で走り回っていた娘がいた。煕子が髪を梳こうとすると、逃げた。三度逃げて、四度目に、俺の膝に逃げ込んできた。俺の膝なら、髪を梳かれずに済むと思ったらしい。
天正六年、細川の家へ嫁いだ。輿に乗る前、振り返って、一度だけ、手を振った。
あの世の玉は、謀反人の娘には、ならなかった。本能寺が、燃えなかったからだ。
この世の玉は、謀反人の娘として、二十年近くを生きてきた。山深い里に押し込められ、やがて、異国の神に祈るようになった。その父は、俺ではない。山崎で討たれた、もう一人の明智光秀だった。
それでも。
「……はるなが」
「は」
「たまどのは、なぜ、しなないと、いけないの」
答えたのは、いつの間にか部屋の入口に立っていた、淀殿だった。
「人質に出れば、夫の名に、傷がつきます。逃げれば、人質を出さずに逃げた家と、言われます。……細川殿は、出陣の前に、奥を敵の手に渡すなと、家来に言い置いていかれたとか」
城へ行っても、逃げても、だめだった。残るのは、一つだけだった。
「……みっつめを、つくる」
淀殿が、俺を見た。
「ひとじちでも、ない。にげるのでも、ない。……ははうえの、おきゃく」
淀殿は、しばらく、動かなかった。
「わたくしの、客」
「とよとみの、おくの、おきゃく。だれにも、わたさない。みつなりにも、ないふにも。たいこうの、ごけの、おきゃくを、ひとじちと、よぶひとは、いない」
御触れは、すり抜けられた。母の名は、すり抜けられない。
「……どうやって、屋敷から、出すのです。表も裏も、兵が囲んでおりましょう」
治長が言った。
「となりは」
治長が、目を見開いた。
「……宇喜多様の、お屋敷」
細川屋敷の隣は、宇喜多秀家の屋敷だった。秀家は、伏見へ出陣して、留守だった。屋敷を預かっているのは、妻の豪姫。前田利家とまつの娘で、太閤の養女だった。
そして、細川家の嫡男の妻、千世は、豪姫の妹だった。
「ごうひめさまに、ふみを。かべに、あなを、あけて、もらう」
淀殿は、もう、文机の前に座っていた。
祐筆は、呼ばなかった。母が、自分の手で、書いた。
書き終えると、淀殿は、文を、俺の前に置いた。
「拾も、一行、書きなさい」
「……ぼくが」
「わたくしの文だけでは、あの方は、死ぬのを止めませぬ」
筆を、持った。手が、震えた。七つの手だった。
光秀だった頃、嫁ぐ前の晩、玉が、聞いたことがあった。もし、細川の家で、取り返しのつかない間違いをしたら、どうすればよいのか、と。
俺は、答えた。
書いた。
《いきて、もどれ。まちがえたら、もどってくれば、よい》
字は、大きく、曲がっていた。墨が、一か所、滲んだ。
治長が、二通の文を懐に入れて、走っていった。
あとで聞いた話だった。
文が細川屋敷に届いたとき、玉は、奥の間で、白い小袖に着替え終えていた。家老の小笠原少斎が、長刀を手に、次の間で控えていた。豪姫の女房が、塀の破れ目から、文を差し入れた。
玉は、淀殿の文を、黙って読んだ。
《わたくしも、父を討たれた娘でございます。母を焼かれた娘でございます。生き残ったことを、恥と思うた夜も、ございました》
《されど、生き残った娘にしか、守れぬものが、ございました》
《人質としてではなく、淀の客として、お越しくださいませ。淀の客を、人質と呼ぶ者が、もしおりましたら、わたくしが、その者と話しまする》
玉は、文を畳んだ。
それから、二枚目を開いた。
曲がった、幼い字の一行を、長いこと、見ていたという。
「……父も」
少斎が、顔を上げた。
「父も、同じことを、申しました。嫁ぐ前の晩に」
玉は、胸の十字架を、握った。
「自ら命を断つことは、許されませぬ。家来に討たせるのも、本当は、同じことでございましょう。……わたくしは、それを、知っておりました」
玉は、立ち上がった。
「少斎。あなたは、わたくしを討てと、命じられたのでしょう」
「は」
「討つ相手が、もう、おりませぬ。……あなたも、来なさい」
少斎は、長刀を置いた。主の命に背いたのは、生まれて初めてだったという。
屋敷には、火が放たれた。空の屋敷だった。敵の手に渡すなという忠興の言いつけだけは、少斎が、守った。
夜空が、南の方だけ、赤かった。
俺は、それを、本丸の窓から見ていた。治長は、まだ戻らなかった。間に合ったのか、間に合わなかったのか。赤い空は、何も教えてくれなかった。
淀殿が、隣に立っていた。何も言わずに、同じ赤い空を見ていた。
半刻が、過ぎた。
廊下を、走る足音がした。治長だった。泣き虫の顔が、もう、崩れていた。
「……宇喜多様の、お屋敷に。奥方様も、少斎殿も。……生きて、おられまする」
膝から、力が抜けた。
淀殿が、俺の肩に、手を置いた。
「わたくしは、子供でございましたから、生かされました。父が負けたときも、母が負けたときも」
淀殿の声は、震えていなかった。
「あの方は、大人なのに、生きることを、選ばれた。……そちらの方が、ずっと、難しゅうございます」
それから、少しだけ、手に力を込めた。
「秀頼。あなたが子供でいてくれて、ようございました」
意味が、分からなかった。分かりたくなかった。
【細川玉 生存】
次の朝、豪姫の輿に紛れて、玉は、城の奥に入った。
廊下ですれ違った。玉は、膝をついて、俺に頭を下げた。豪姫に借りたという、地味な色の小袖を着ていた。
坂本の縁側を走り回っていた娘とは、違う人だった。違う父に育てられ、違う夜を越えてきた人だった。
それでも、頭を下げたときの、うなじの線だけが、同じだった。
「……若君の、御字を、拝見いたしました」
玉は、顔を上げずに、言った。
「止めが、父に、よう似ておられました」
何も、答えられなかった。
答えたら、泣くと思った。七つの子が、知らない女の前で泣く理由を、俺は、一つも持っていなかった。
玉は、淀殿の部屋の方へ、歩いていった。
煕子が梳きそこねた髪は、きれいに結い上げられていた。
弥七は、あとで、その夜のことを、少しずつ話してくれた。
「俵は、思うたより、重うございました。お二人とも、小柄な方でしたのに」
途中の辻で、西軍の兵に、止められたという。
「何を運んでおる、と聞かれまして」
「……なんて、こたえたの」
「米でございます、豊臣の、と」
弥七は、少しだけ得意そうだった。
「兵が、俵を槍の石突で、一つ、突きました。中から、小さな声が、いたしました」
俺は、息を止めた。
「わたくしが、大きな声で、くしゃみをいたしました。二度。三度。兵は、汚い、と申して、向こうへ行け、と」
「……くしゃみ」
「雨の日には、わたくし、よう、くしゃみが出まするので。稽古は、要りませなんだ」
雨は、降っていなかったはずだった。
弥七は、にこにこと笑っていた。膝が、まだ、少しだけ震えていた。俺は、その膝に、そっと手を置いた。
数日後、長政から、書状が届いた。東へ向かう陣中からだった。
《母と妻、無事に国元へ着到。豊臣の米俵にて》
一行だけだった。それから、別の紙が、もう一枚、添えてあった。
名簿だった。
妻。子。弟。重臣。その家族。足軽組頭。船頭。荷を運ぶ者。城下の商人。そして、戦が終わったあとに、帰る場所を失う者たち。
《西が敗れた場合》《東が敗れた場合》《戦が長引いた場合》
三つの欄があった。どの欄にも、救うべき者の名が、並んでいた。東の者も、西の者も。
長政は、どちらが正しいかを、考えていない。誰が残るかを、考えている。
最後に、長政の字で、一行。
《罪は、一族へ、ひとりでに移るものではござらぬ》
この時代では、ありえない考えだった。謀反人の一族は、共に罰される。家来も裁かれる。土地も失う。
だが、それを続ければ、負けた者は、最後まで戦う。降参すれば家族まで死ぬなら、誰も降参しない。
俺は、新しい紙を出させた。
《負けて逃れる者を受け入れる定め》
一、武器を捨てた者は、寺社へ入れる。
一、傷ついた者は、東西を問わず、手当てする。
一、妻子に、咎を及ぼさない。
一、降った者の名を、さらし者にしない。
一、家来が、主から離れるための期限を設ける。
且元が、読んだ。
「……甘すぎると、申されましょう」
「だれに」
「皆に」
「うん」
「それでも、お出しになりますか」
「うん。かつひとを、つくる、きまりじゃ、ない。まけたひとが、ひとに、もどれる、きまり」
且元は、長いこと黙ってから、深く頭を下げた。
【新しい数字を見つけました】
名もなき者が生き残る見込み
28%
豊臣家が残る見込みではない。関ヶ原が起きる見込みでもない。もっと大きな数字が、初めて、現れた。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.4% → 97.3%
夜更け、長政の名簿を、三成の七つの箱の横に置いた。三成の字と、長政の字が、同じ納戸に並んだ。
二人は、明日、たぶん、敵と味方に分かれる。だが、二人の書き残したものは、同じ部屋で、同じことを言っていた。誰が死に、誰が生き、誰が帰れなかったか。
その夜、弥七の草履を、新しいものに替えさせた。古い草履は、捨てずに、三成の箱の横に置いた。
歴史の書物には、決して載らない草履だった。
弥七は、新しい草履を履いて、嬉しそうに廊下を歩いていった。三歩目で、つまずいた。慣れない草履は、鼻緒がきつかったのだ。俺は、久しぶりに、声を出して笑った。




