第101話 豊臣家とは何か
【豊臣家滅亡まで 残り5,362日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り23日】
伏見城が、落ちた。
十三日、持ちこたえたという。攻めたのは、宇喜多、小早川、島津、そして三成の兵。守っていたのは、わずか千数百の徳川の兵だった。
鳥居元忠は、最後まで、城を出なかった。
知らせを持ってきた使いは、元忠の最期の様子を、詳しく話そうとした。俺は、途中で止めさせた。聞かなくても、分かっていた。聞いてしまえば、忘れられなくなる気がした。
いや。忘れてはいけないのだ。
「……やっぱり、きかせて」
使いは、話した。元忠は、天守の下で、槍を持ったまま、座っていたという。最後に、敵方の侍に名を問われて、「鳥居彦右衛門」とだけ名乗ったという。
俺は、祐筆に、それを書き留めさせた。三成の箱の、一番上に。
《鳥居彦右衛門元忠 伏見城にて 最期まで城を出ず》
二日後が、俺の誕生日だった。
誰も、祝いの話をしなかった。淀殿が、台所に、膳だけは整えさせた。鯛と、赤飯と、干し柿。
干し柿は、元忠がくれた、去年のものだった。硬かった。一つだけ、食べた。
【人物評価:豊臣秀頼(拾) 更新】
年齢 6 → 7
長文発話 やや可 → 可
主人公依存度 60 → 57
長い言葉が、話せるようになった。舌が、少しだけ、思う通りに動くようになった。
それが、元忠の死んだ二日後だった。
それから、ひと月近くが過ぎた。西軍は美濃に入り、東軍は尾張に集まった。
関ヶ原まで、あと二十三日。
その間に、清正から、九州の書状が届いた。四行。
《伏見のこと、聞き申した》
《鳥居殿、見事なり》
《拾様の誕生の祝い、申し上げ候》
《石を握っておられるか》
四行目を読んで、俺は、文箱から、石を取り出した。冷たかった。まだ、兵は、帰っていなかった。
北政所からも、京から、短い文が届いた。
《拾。七つおめでとう。京では、毎日、殿下の御霊に、拾の無事を祈っております。茶々殿にも、よろしく》
茶々殿にも、よろしく。
その一行を、淀殿に見せた。淀殿は、長いこと、それを見ていた。何も言わずに、文を畳んで、自分の袖にしまった。
その日、評議を開いた。議題は、一つだけだった。
《豊臣家とは、何か》
三成はいない。美濃の大垣の城にいる。清正は肥後。正則と長政は、家康と共に、東から西へ引き返してくるところだった。
集まったのは、淀殿。片桐且元。奉行の増田長盛と前田玄以。西の丸の毛利輝元の名代。堺と大坂の商人の代表。
そして、机の上に、三通の書状。清正と、正則と、三成から、それぞれ届いたものだった。同じ問いを、書状で送っておいたのだ。
「とよとみけとは、なにか。ひとりずつ、こたえてください」
長盛が、最初に答えた。
「政の、仕組みにございます」
三成の書状と、同じ答えだった。三成は、《公儀の政》と書いてきていた。
且元が答えた。
「太閤殿下から受けた、御恩にございます」
清正の書状は、《拾様と、大坂の城》。
正則の書状は、一行。《拾様》。
輝元の名代が答えた。
「天下の公儀にございます」
商人の代表が答えた。
「城と、町と、商いにございます」
最後に、淀殿が答えた。
「血でございます」
全員、違った。
そして、全員、間違っていなかった。
「拾様」
長盛が、困った顔で言った。
「今、このような議論が、要りましょうか。敵が、動いておりまする」
「いま、だから、いる」
戦になると、曖昧な言葉が、人を殺す。豊臣のため。公儀のため。天下のため。主のため。同じ言葉で、別々のものを守ろうとする。
「とよとみけを、まもれ。そう、めいじたら、ながもりは、なにを、まもる」
「……政の、仕組みを」
「きよまさは、拾と、おしろを、まもる。まさのりは、拾を、まもる。しょうにんは、まちを、まもる。ははうえは」
淀殿が、俺を見た。
「……あなたを」
同じ一つの命で、全員が、別々の方へ走る。
これが、豊臣家の、一番大きな欠けだった。
「さだめる」
俺は、紙を広げさせた。
《豊臣家が残る条件》
一、秀頼が、生きていること。
二、淀殿と、近しい者たちが、守られること。
三、大坂の城下の民が、守られること。
四、豊臣の家来たちの、暮らしの基が、保たれること。
五、豊臣の名と、祖先の祀りが、継がれること。
六、天下人であることは、残る条件としない。
広間が、静まり返った。
長盛が、顔を上げた。
「……最後の、条は」
「かいたとおり」
「天下を、お捨てになるおつもりで」
「すてるとも、とるとも、いまは、きめない」
「では、なぜ」
「てんかを、うしなったら、とよとみけが、おわる。その、さだめかたを、はずす」
且元が、膝の上で、拳を握った。
「……太閤殿下の、天下を」
「とうさまの、てんかは、とうさまの、ものだった」
言ってしまった。
淀殿の目が、細くなった。
「……秀頼」
「うん」
「もう一度、申してみなさい」
怖かった。五つのときより、七つの今の方が、ずっと怖かった。
「とうさまが、きずいた、てんかを、まもることと。とよとみけを、のこすことは。おなじじゃ、ない」
淀殿の手が、震えた。怒りなのか、悲しみなのか、分からなかった。
「……殿下が、どれほどの血を流して、天下を得られたか」
「しってる」
「知るはずが、ございませぬ」
「……うん」
俺は、認めた。
「拾は、とうさまじゃ、ない」
その言葉は、広間の全員に、刺さった。
誰もが、俺に、秀吉を求めていた。そして俺も、秀吉の跡継ぎを、演じようとしていた。
「でも」
俺は、続けた。
「とうさまじゃ、ないから。とうさまが、えらばなかった、みちを、えらべる」
長盛が、問うた。
「……それは、負けでは、ございませぬか」
「いきのこれば、つぎを、えらべる」
長政の言葉を、借りた。
「しんだら、えらべない」
且元が、うつむいた。玄以は、黙っていた。輝元の名代は、どう主に伝えればいいのか分からない顔をしていた。
淀殿は、最後まで、うなずかなかった。
だが、紙を、破りもしなかった。
【豊臣家の目的の書き直し】
進み具合 36%
【注意】
仲間の同意が、足りていません
分かっていた。母の同意は、特に、足りていなかった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.3% → 97.1%
評議のあと、長盛が、一人、残った。
「拾様。……内府ちかひの条々のこと」
長盛の声は、かすれていた。
「拾様の御名を、使うてはならぬと、伺うておりました。されど、奉行の名で出せば、豊臣の名で出したも同じ。……分かっておりながら、出し申した」
「……どうして」
「治部に、頼まれましたゆえ」
長盛は、目を伏せた。
「治部が、頭を下げたのでございます。拙者に。……あの治部が。断れませなんだ」
俺は、何も言えなかった。頭を下げることを覚えた三成が、それを、戦のために使った。
「……ながもり。かきのこして」
「は」
「ことわれなかった、って。みつなりが、あたまを、さげた、って。ぜんぶ」
長盛は、深く頭を下げた。肩が、震えていた。屏風の陰で、笑いをこらえていたときと、同じ震え方だった。
その夜、俺は、一人で、定めの紙を見ていた。
豊臣家とは、何か。答えは、まだ、なかった。
ただ、豊臣家は、天下そのものではない。その一行だけは、残した。
寝る前に、淀殿の部屋の前を通った。灯りが、まだ、ついていた。
障子の向こうで、何かを書く音がしていた。
翌朝、淀殿の侍女が、紙を一枚、届けに来た。定めの紙の写しだった。淀殿の字で、余白に、一行だけ、書き足してあった。
《七、秀頼が、自ら選ぶこと》
淀殿の字は、いつもより、ずっと小さかった。
同意では、なかった。だが、母の字だった。少しだけ、震えていた。




