第102話 関ヶ原前夜
【豊臣家滅亡まで 残り5,340日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り1日】
雨は、降ったり、止んだりしていた。
西軍。石田三成。宇喜多秀家。小西行長。大谷吉継。島左近。小早川秀秋は、松尾山に陣を張ったまま、どちらに付くとも言っていない。毛利の兵は、南宮山の上にいる。
東軍。徳川家康。福島正則。黒田長政。細川忠興。井伊直政。本多忠勝。秀忠の兵は、信濃で足止めされて、まだ着いていない。
俺が知っていた配置と、少しずつ違った。違うのに、皆、関ヶ原に集まっていく。川の流れを少し変えても、最後は同じ海に出るように。
大坂城では、戦場とは別の戦が、始まっていた。
傷ついた者を受け入れる場所。逃げてきた兵の武器を預かる蔵。家族の逃げ先。米の配り方。井戸の見張り。夜の火の用心。噂の打ち消し。死んだ者の名を書く帳面の形。
長政と作った紙が、机の上に、全部、広げてあった。表には書かなかった四つ目も。
「拾様!」
且元が、走ってきた。
「西から、逃げてくる者が、城下に入り始めました!」
「なんにん」
「まだ、百に満ちませぬ」
「てらを、あけて」
「もう、開けておりまする」
「こどもと、びょうにんを、さきに」
「承知!」
且元は、また走っていった。走りながら、懐の紙を確かめていた。米俵の夜から、且元は、紙を肌身離さず持つようになった。
次の知らせは、町奉行からだった。
「東方の商人が、城下で、捕らえられましてございます」
「なにを、したの」
「何も」
「じゃあ、はなして」
「敵方の者にございます」
「しょうにん」
「知らせを運ぶやもしれませぬ」
「みはりを、つけて、やどに、かえして」
戦の前の夜は、敵の範囲が広がる。兵だけだった敵が、商人になる。家族になる。旅の者になる。言葉の訛りが違う者になる。
それを止めなければ、戦場の外から、国が壊れる。
昼過ぎ、城の中庭で、玄朔が、女房たちと小者たちを集めていた。
桶に水を張り、布を裂き、灰汁を煮ていた。傷の洗い方を、一人ずつに教えていた。台所の女も、掃除の小者も、侍女も、皆、真剣な顔で玄朔の手元を見ていた。
「若様。……人手が、足りませぬ」
玄朔が、俺に気づいて言った。
「医者は、城に十人。傷を負うた者が、百来れば、一人で十人を診ることになりまする。千来れば」
玄朔は、言葉を切った。
「それゆえ、洗うことだけは、皆にできるように、しておきまする。洗うだけで、死ぬ者が、半分になりまする」
「……拾にも、おしえて」
玄朔は、驚いた顔をした。それから、俺の手を取って、桶の水に浸けた。冷たかった。
「指の間を。爪の中を。手首まで」
七つの子供の手は、小さかった。それでも、一人分だった。
その横で、弥七が、黙って布を裂いていた。雨の日には庭掃きがないから好きだと言った少年が、明日、誰かの傷を縛る布を、一枚ずつ、揃えていた。
夕方、三成から、書状が届いた。
大垣から、雨の中を、馬で運ばれてきたのだろう。紙の端が、濡れて波打っていた。
《明日、決する》
それだけだった。
俺は、返事を書いた。自分の手で。七つの子供の字は、六つの時より、少しだけ、まっすぐになっていた。
《きまった あとの ことを わすれないで》
書きながら、情けなくなった。戦を止められなかった子供が、大人に、戦のあとを考えろと言っている。
だが、俺にできるのは、それだけだった。
使いが出ていったあと、西の丸から、客が来た。
毛利輝元だった。供は、一人も連れていなかった。
「……拾様。夜分に、相すみませぬ」
輝元は、俺の前に、座った。大きな体が、少し、縮んで見えた。
「てるもとどの。……ここに、いて、いいの」
「わしは、西の総大将でござる」
輝元は、苦く笑った。
「総大将は、大坂の城に座っておるのが、役目じゃと、皆が申す」
「……うん」
「恵瓊は、拾様を戦場に連れて行けと、申しておりまする。秀頼様の御旗があれば、迷っておる者も、西に付く、と」
背中が、冷たくなった。
「……てるもとどのは、どうおもう」
輝元は、長いこと、黙っていた。
「御方様に、ひどく叱られ申した」
「ははうえに」
「秀頼を、一歩でも城から出したら、毛利の家を、末代まで呪う、と」
輝元は、少しだけ、笑った。
「……わしは、臆病でござる」
「うん」
「臆病ゆえ、拾様を、戦場には、お連れいたしませぬ。わしも、ここを、動きませぬ」
輝元は、畳に手をついた。
「これで、よいのでござろうか」
「……それで、いい」
輝元は、顔を上げた。
「おくびょうな、ひとが、うごかなかったから。たくさんの、ひとが、いきのこる。……かも、しれない」
「かも、でござるか」
「かも」
輝元は、また笑った。今度は、少しだけ、楽そうだった。
輝元が帰ったあと、しばらく、一人で、三成の七つの箱の前に座っていた。
箱の一つに、評議の書き留めが入っていた。一冊ずつ、日付順に並べてあった。一番新しい一冊を、開いた。
利家が死んだ年の、春の評議だった。
《拾様 御発言 なかよく、とは いわない》
三成の字だった。俺の拙い言葉が、そのまま、仮名で書き留めてあった。その横に、小さく、三成の朱が入っていた。
《至言》
いつ、書き入れたのだろう。あの頃の三成は、俺の言うことに、いちいち眉を寄せていた。
箱の中の帳面を、一冊ずつ、確かめていった。どの帳面にも、三成の朱があった。褒める朱は、ほとんどなかった。直す朱ばかりだった。その中に、ほんの時々、《至言》とか、《要検討》とか、《拙者の誤り》とか、書いてあった。
《拙者の誤り》は、十一箇所あった。数えた。
十一回、自分の誤りを、自分で書き残した奉行。そんな奉行を、俺は、前の世でも、見たことがなかった。
輝元が帰ったあと、淀殿が来た。
「眠れませぬか」
「ははうえこそ」
「わたくしは、眠れまする」
嘘だった。目が、赤かった。
「……治部は、勝ちまするか」
淀殿が、聞いた。
答えられなかった。書物の上では、負ける。だが、この世の歴史は、少しずつ変わっている。陣の構えも。書状も。人の迷いも。
「……わからない」
本当のことを言った。
淀殿は、怒らなかった。
「そうですか」
それだけ言った。
「ははうえ」
「何です」
「もし、みつなりが、まけても。とよとみは、おわらない」
俺は、言った。
「おわらせない」
淀殿は、俺の髪に、手を置いた。
「秀頼」
「うん」
「それを、勝つ前に言える者は、少のうございます」
「……ほめてる?」
「いいえ」
違うのか。
「弱気だと、申しておりまする」
やはり、母だった。
だが、手は、離れなかった。
遠くで、鐘が鳴った。夜半の鐘だった。
今頃、関ヶ原では、兵が、濡れた草の上で眠っている。眠れない者もいる。
正則は、三成の顔を、思い浮かべているだろう。何を話せばいいか、まだ考えているかもしれない。長政は、名簿を懐に入れているだろう。三成は、最後まで、陣の構えを直しているだろう。吉継は、見えない目で、友の背中を見ているだろう。
家康は、待っているだろう。
全員が、自分の正しさを、持っていた。
俺は、目を閉じた。
眠れなかった。眠らなかった。母の手の重さを、髪の上に感じながら、朝を待った。障子の向こうが、少しずつ、白くなっていった。
【関ヶ原級全国内戦 発生見込み】
98%
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.1% → 97.4%
淀殿は、そのまま、俺の部屋で夜を明かした。
座ったまま、少しだけ眠っていた。寝顔は、ひどく若かった。小谷の城の、子供の頃の顔は、たぶん、こんな顔だったのだろう。俺の髪に置いた手は、朝まで、そのままだった。




