第95話 正則の答え
【豊臣家滅亡まで 残り5,428日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り89日】
正則は、広間に入るなり、大声で言った。
「拾様! わしは、裏切っておりませぬ!」
「……まだ、なにも、きいてない」
「ならば、先に申しまする!」
それは、白状という。
正則は、埃だらけだった。脚絆は泥で固まり、髷は崩れかけ、顔は日に焼けて赤かった。家康の行列について東へ向かっていたのを、途中で抜けて、馬を飛ばしてきたのだという。
「……ぬけて、きて、いいの」
「一日だけじゃ。明日の朝には、追いつく」
「いえやすどのは、しってるの」
「知らぬ」
正則は、胸を張った。張るところではなかった。
弥七が、慌てて水を持ってきた。正則は、一息に飲み干して、もう一杯と言った。三杯目で、ようやく、どかりと座った。
【人物評価:福島正則】
統率 87
武勇 91
忠義 96
人の心を動かす力 92
感情制御 27
前もって相談する力 11
前もって相談する力、十一。前もって相談していたら、行列を抜けては来ない。
「まさのり。いえやすどのの、ぐんに、くわわるんだね」
正則の顔が、歪んだ。
「……加わりまする」
「どうして」
「治部では、戦を、終わらせられぬからでございます」
即答だった。
正則は、三成が嫌いだ。だが、嫌いだから家康の側に行くのではなかった。
「治部は、正しい」
正則が、ぽつりと言った。
「だから、止まらぬ」
俺は、黙った。
「自分が正しいと思うておる者は、退けませぬ。……内府殿は、違う。勝てるときでも、待てる」
正則は、膝の上で、拳を握った。
「わしには、できませぬ」
その言葉は、どの数字よりも、重かった。
正則は、自分の欠けを知っている。だから、自分より戦を終わらせられる者に付く。それが、この男なりの、戦の終わらせ方だった。
「……でも、みつなりが、にげたら」
「追いませぬ」
「めいれい、されても?」
「聞こえぬふりを、いたしまする」
忠義九十六の男が、命を聞こえぬふりをすると言った。
「声が大きいのは、わしの取り柄でございますが。耳が遠いのも、たまには取り柄になりまする」
正則は、そう言って、少しだけ笑った。笑ったあと、急に、真面目な顔になった。
「拾様」
正則は、膝の上に、拳を置き直した。
「わしは、誰かを、斬りたいのでは、ございませぬ」
声が、低くなった。
「もう、帰らぬ者を、増やしとうないだけでございます」
朝鮮から、戻らなかった者たち。病で死んだ者。海に消えた者。名簿に載らなかった者。正則は、その全員を、覚えている。酒を注いで回った小屋の、眠れない兵たちの顔を。
この男の怒りは、忘れられない者たちの形をしていた。
「……わかった」
俺は言った。
「ひとつ、たのみが、ある」
「何なりと」
「いくさばで、みつなりを、みつけても。まず、はなして」
正則は、目を見開いた。
「……戦場で、でございますか」
「まさのりたちは、ひょうぎの、へやでは、はなせなかった」
「……はい」
「じゃあ、いくさばで、はなすしか、ない」
我ながら、最悪の仲直りの案だった。前の世の会社なら、人事部に呼び出される。
だが、正則は、笑わなかった。
深く、頭を下げた。額が、畳に付くほど。
「……承知、いたし申した」
顔を上げた正則の目が、赤かった。泥と日焼けのせいだけでは、なかった。
「それと、もう一つ」
「まだ、ございまするか」
「めいれいじゃ、ない。おねがい」
「……何でございましょう」
「のみすぎないで」
正則は、しばらく黙ってから、大きく頷いた。
「戦の前の晩だけは、飲みませぬ」
「まえのばん、だけ?」
「……前の前の晩も」
「のこりは?」
「……努めまする」
いつか三成が言った、努力目標という言葉を思い出した。
正則が発つ前に、台所に握り飯を作らせた。縁側で、二人で食べた。正則は、三つ目を頬張りながら、急に、手を止めた。
「……拾様。一つ、誰にも申しておらぬことが、ござる」
「うん」
「朝鮮の、釜山の港で。わしの隊の兵糧が、三日、届かなんだことがあった」
正則は、握り飯を見ていた。
「四日目の朝、船が一艘、着いた。米が、五十俵。わしの隊だけに。……送り状には、治部の印があった。されど、帳面のどこにも、その五十俵は、載っておらなんだ」
「……のってない?」
「あとで、蔵の者に聞いた。治部が、自分の禄米から、出したのじゃと。帳面に載せれば、他の隊が、なぜ福島だけと騒ぐ。だから、載せなんだ、と」
正則は、握り飯を、一口かじった。
「あやつは、それを、わしに一度も言わなんだ。わしも、礼を言わなんだ。……言えば、あやつを、嫌えなくなるゆえ」
正則は、残りを口に押し込んで、立ち上がった。
「今のは、酒の席の話じゃ。忘れてくだされ」
「……のんでない」
「では、水の席の話じゃ」
廊下の端に、淀殿が立っていた。いつから、そこにいたのか分からなかった。
正則は、慌てて膝をついた。
「お、御方様」
「正則」
淀殿は、それだけ言って、少し黙った。
「……生きて、戻りなさい」
正則は、額を床にこすりつけた。しばらく、顔を上げなかった。
日が暮れる前に、正則は発った。馬に乗る前に、一度だけ振り返った。
正則は、鞍に手をかけてから、もう一度、振り返った。
「拾様。……わしは、少しは堪えられるようになりましたかな」
驚いた。正則が自分から、怒りを抑えられているかを尋ねたのは初めてだった。
「……まえより、すこし」
「まだ、たりないか」
「うん。まだ、すぐ、おこる」
「上がる見込みは」
「まさのりしだい」
正則は、少し考えた。
「では、戦場で、治部の顔を見て、斬りかからなんだら。いくつ上がる」
「……いっぱい」
「いっぱいか」
正則は、満足そうに頷いた。
「数は、治部に数えさせよ。あやつは、数を間違えぬ」
「拾様。治部に、何か、伝えることは」
俺は、少し考えた。懐に、干し飯の袋が二つあった。三成が置いていったものだった。
「……ない。まさのりが、じぶんで、いって」
「わしが?」
「いくさばで。まず、はなして、って、いった」
正則は、ぐっと詰まった。それから、馬の腹を蹴った。
「……何を話せばよいのか、道々、考えまする!」
大声が、夕暮れの城下に響いた。道を歩いていた者たちが、何事かと振り返った。
正則の馬の蹄の音が聞こえなくなるまで、門の前に立っていた。
弥七が、横で言った。
「福島様は、馬の上でも、大きな声で、独り言をおっしゃっておられました」
「なんて」
「飯は食うたか、と。……それから、いや、違う、と。何度も」
正則は、本当に、道々、三成に何を言うか、考えているのだった。
その夜、数字が開いた。
【人物評価:福島正則】
豊臣家に刃を向ける見込み 8%
石田三成を殺そうとする心 3%
怒りが暴れる見込み 71%
最後だけ、高かった。
正則の答えは、味方でも、敵でもなかった。戦を終わらせる側へ行く。ただし、仲間を殺す側には、ならない。
この時代で、それは、十分に、勇気の要る答えだった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.4% → 97.3%
寝る前に、清正の石を握った。冷たかった。
正則は、今夜、どこで眠るのだろう。東へ向かう街道のどこかで、馬を休ませて。酒を飲まずに。眠れずに。
弥七が、布団を敷きながら、ぼそりと言った。
「福島様は、お城の井戸の水を、三杯も召し上がりました」
「うん」
「井戸番が、酒より水の減りが早い殿様は初めてだと、申しておりました」
俺は、布団の中で、少しだけ笑った。井戸番は、明日から、正則の水の杯数を数えるのだろうか。三成が聞いたら、きっと帳面に書き留める。笑ったら、少しだけ、泣きそうになった。




