第93話 白紙の制度
【豊臣家滅亡まで 残り5,430日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り91日】
夜明け前、駕籠は、城を出た。
供は、ほんの数人だった。目立てば噂になる。噂になれば、三成が秀頼を担いでいる、と見られる。
三成の大坂屋敷は、城から遠くない。それでも、駕籠の中で、六つの体は悲鳴を上げた。腰が痛い。足が痺れる。眠い。国の大事と、子供の体は、両立しない。
「拾様。少し、お休みになられませ」
駕籠の外から、弥七が言った。付いてくると言って聞かなかったのだ。
「やすまない」
「お顔の色が」
「まつりごとは、かおいろで、とまらない」
言ってから、利家の顔を思い出した。体を無視するな。休め。
「……すこしだけ、とめて」
駕籠を、辻の脇に止めさせて、ほんの少しだけ、目を閉じた。国の大事でも、休みは要る。
三成の屋敷に着いたとき、東の空が、うっすらと白み始めていた。
三成は、起きていた。起きていたというより、寝ていなかった。
「……来られると、思うておりました」
三成は、驚かなかった。
「なら、おしろで、まってて」
「時が、ございませぬ」
「拾にも、ない」
部屋には、書状が積み上がっていた。毛利。宇喜多。上杉。小西行長。島津。長宗我部。まだ返事の来ない封。もう出た使い。途中で止められる使い。止められない使い。
部屋の隅に、もう一人、座っていた。白い頭巾。大谷吉継だった。
「……よしつぐ」
「拾様。夜分に、ようこそ」
吉継は、見えない目で、こちらを向いて、頭を下げた。
「わしも、止めに参った口にございます。……止まりませなんだが」
吉継は、静かに笑った。
俺は、三成の前に座った。
「みつなり。拾の、なまえで、へいを、あつめないで」
「豊臣家を、守る兵にございます」
「拾が、のぞんでない」
三成は、俺を見た。
「……拾様は、六つにございます」
「しってる」
「天下の行方を、お一人でお決めになるには、幼うございます。申し上げにくいことにはございますが」
「いま、いった」
三成が、一瞬だけ、困った顔をした。
「じゃあ、だれが、きめるの」
「奉行衆」
「ぜんいん、おなじ、いけん?」
沈黙。
「大老衆」
さらに沈黙。
「御方様」
「……正式な政の役は、ございませぬ」
「いえやすどの」
「止める相手に、ございます」
「みつなり」
「奉行として」
「ぶぎょうは、てんかの、へいを、うごかせる?」
三成は、答えなかった。
誰にも、全部の権がない。だから、皆が、自分の権を、広く読む。
「みつなり。みつなりの、はんだんが、まちがってるとは、いわない」
三成の眉が、わずかに動いた。
「いえやすどのに、けんが、あつまりすぎてるのは、あぶない」
「ならば」
「でも。みつなりが、とよとみけの、なまえで、だいみょうを、あつめたら。いえやすどのと、おなじことを、する」
三成の顔が、固まった。
「……同じでは、ございませぬ」
「もくてきは、ちがう」
「はい」
「やりかたは?」
長い沈黙だった。
「……違いませぬ」
三成は、唇を噛んだ。
「では、何もせず、内府殿に政を渡せ、と」
「ちがう」
俺は、懐から、夜のうちに書かせた書状を出した。
《豊臣家の合同評議を、もう一度、置く》
《大老・奉行・主な大名の代表で、期限を切って評議する》
《会津討伐を、いったん止めるよう、求める》
《諸大名の、勝手な兵の動きを、禁ずる》
《決まるまで、戦の動きを、凍らせる》
三成が、読んだ。
「内府殿が、従うと、お思いでございますか」
「おもわない」
「では」
「みつなりも、したがわないかも、しれない」
「ならば」
「ふたりとも、ことわった、って、かきものが、のこる」
「書き物で、兵は、止まりませぬ」
「こんやは、とまらないかも、しれない」
「では」
「いくさの、あとに、とよとみけが、のこるために、いる」
三成が、顔を上げた。
「……戦の、あと」
「うん」
「負けると、お考えにございますか」
「みつなりが、かっても、とよとみけが、まけることが、ある」
「何を、仰せに」
「いえやすどのを、たおした、あと。だれが、てんかを、おさめるの」
「拾様が」
「むっつ」
自分で言った。
「みつなりが、かわりに、きめる?」
「……要るならば」
「きよまさは、したがう?」
沈黙。
「まさのりは」
沈黙。
「もうりは」
沈黙。
「しまづは」
沈黙。
吉継が、部屋の隅で、小さく咳をした。
家康を倒す。それは、問題を片付けることではない。巨大な仲立ち役を、一人、消すことだった。
「みつなり。かったあとの、くみが、ない」
「作りまする」
「いつ」
「戦の、あとに」
「おそい」
三成が、拳を握った。
「では、今、作ってくださいませ」
俺は、白い紙を一枚、三成の前に置いた。
「……何を」
「いえやすどのが、いなくなった、あとの。きめる、しくみ」
「今」
「うん」
「兵を、動かす前に」
「うん」
三成は、白い紙を見た。筆を取った。
奉行衆。大老衆。秀頼。淀殿。諸大名。誰に、拒む権を与えるか。誰が、兵を動かすか。誰が、領地を裁くか。誰が、年貢を決めるか。誰が、責めを負うか。
筆が、動かなかった。
三成ほどの男でも、書けなかった。秀吉がいたから、要らなかったものだった。
長い時が過ぎた。外で、鶏が鳴いた。
「……わかった?」
三成は、長いこと、黙っていた。
「……分かり申した」
「じゃあ」
「それでも」
三成が、言った。
「動きまする」
胸が、落ちた。
「どうして」
「今、動かねば。その仕組みを作る余地すら、なくなるからにございます」
理屈は、崩れなかった。
三成は、自分の案の欠けを分かった。分かったうえで、もっと大きな危うさを避けるために、欠けのある案を選ぶ。
吉継が、静かに言った。
「……拾様。こやつは、昔から、こうでございます。分かった上で、崖へ行く」
「……よしつぐは、それでも、いくの」
吉継は、少し黙った。
「友が、崖へ行くのでございます。わしが先に落ちて、下で受け止めてやらねば」
【人物評価:大谷吉継】
石田三成への友情 100
自分が生き残る見込みへの関心 4
四。低すぎた。
「……みつなり。さいごに、ひとつだけ、やくそく、して」
「何を」
「とよとみけに、したがわない、ひとを、すぐに、ぎゃくしんって、よばないで」
「されど」
「まよってる、ひとに、にげみちを、のこして」
三成は、長いこと、考えた。
「……期限を、設けまする」
「なんにち」
「三日」
「なのか」
「長すぎまする」
「いつか」
「よっか」
「むいか」
三成が、俺を見た。
「……拾様。交渉の仕方が、雑にございます」
「ときが、ないから」
結局、五日になった。
三成を、止められなかった。だが、すぐに敵と決めつけるのを、五日、遅らせた。
たった五日。この先の歴史では、五日あれば、一つの国が敵になる。五日あれば、一人が踏みとどまる。
帰り際、三成が、門の前まで出てきた。
「拾様」
「うん」
「もし、拙者が、敗れましたら」
「まける、まえていで、うごかないで」
「それでも」
三成は、自分の書き物の束を、振り返った。
「書き物を、残してくださいませ」
「のこす」
「拙者の、正しさではなく」
三成は、少しだけ、笑った。
「拙者の、間違いも」
その言葉は、六つの俺には、重すぎた。
【石田三成 挙兵】
止める 失敗
敵とみなすまでの猶予 0日 → 5日
【豊臣家が残る見込み】
17% → 20%
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.8% → 97.5%
「……いくさの、みこみじゃ、なくて。のこる、みこみが、あがるの」
答えは、出なかった。
帰りの駕籠の中で、弥七が、小さな包みを差し出した。
「拾様。門を出るとき、治部様の御家来が、これを拾様に、と」
包みの中には、干し飯の袋が、二つ入っていた。一つは、空だった。もう一つは、口の紐が、一度も解かれていなかった。
添え書きは、なかった。
「……おとどけ、いたしましょうか。治部様に、お返しに」
「……ううん」
置いていったのだ。自分が戻らなかったときのために。いつか、江戸のまつに、返してくれ、と。
俺は、二つの袋を、懐にしまった。三成がいつも入れていた、一番奥の場所に。
重かった。




