第88話 再来と呼ばないで
【豊臣家滅亡まで 残り5,545日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り206日】
評議の翌日、贈り物が届いた。
刀。茶器。絹。菓子。書。そして、山のような祝いの書状。
《若君、初の御政務》
《太閤殿下の再来》
《豊臣の御威光、再び》
再来。どの書状にも、その二文字があった。
俺は、菓子だけを手元に残して、あとを並べさせた。
「太閤殿下の再来」
三成が、一通を読み上げた。
「めでたきことにございます」
「なにが」
「拾様の御才が、広く知られたことが」
「とうさまと、おなじなら。拾じゃ、なくて、いい」
三成が、黙った。
言い方が、悪かった。
秀吉が嫌いなのではなかった。父としての記憶は、短い。病の床の熱い手。俺を見る目。秀頼を頼む、と繰り返す声。天下人としては、敬っている。百姓の子から天下を取った。人を見つけ、大名を従え、戦を終わらせた。
だが、父の影は、あまりにも大きかった。
評議で誰かが迷うと、「太閤殿下なら」と言う。決まりを変えようとすると、「太閤殿下の御意に背く」と言う。家康を責めるときも、三成を責めるときも、「太閤殿下も晩年には」と言う。清正を説き伏せるときは、「太閤殿下は現場を重んじられた」と言う。商人から金を借りるときは、「太閤殿下は商いを栄えさせた」と言う。
全部、秀吉だった。しかも、それぞれが、自分に都合のいい秀吉を持っていた。
一人の死んだ人が、何人にも増えていた。
昨日の評議の書き留めを、読み返した。家康も、三成も、清正も、正則も、昨日の決まりを、「太閤殿下の御遺志に沿う」と説明していた。
同じ決まりだから、まだいい。だが、違う決まりを選んだときも、全員、秀吉を理由にするだろう。
死んだ人は、言い返さない。一番強い威光で、一番弱い話し相手だった。
その日の昼、北政所が、また京から来てくれた。
北政所は、部屋に積まれた贈り物の山を見て、笑った。
「また、殿下の再来で、ございますか」
「また」
「昔から、皆、あの人を、好きなように使いまする」
意外な言葉だった。
「とうさまを、つかう?」
「死ぬ前から」
北政所は、菓子の皿の前に座った。
「殿下なら、こう仰せになる。殿下は、これを望んでおられる。……御本人の目の前でも、皆、申しておりました」
「とうさまは、なんて」
「都合が良ければ、そのとおりじゃ、と。都合が悪ければ、誰が申した、と怒鳴っておられました」
決まりとしては、最悪だった。だが、人としては、少し、ほっとした。秀吉も、自分の名前が勝手に使われるのを、止められなかったのだ。
北政所は、菓子を一つ取った。
「茶々殿は、拾を、殿下のようにしたいのでしょう」
「うん」
「治部殿も。清正も。家康殿も。……皆、それぞれに違う殿下を、拾に求めておりまする」
「拾は、なにに、なれば、いいの」
北政所は、菓子を食べながら、少し考えた。
「拾に、なればよろしい」
簡単に言う。一番、難しい答えだった。
「それが、わからない」
「六つで分かる方が、気味が悪うございます」
確かに、そうだった。前の世の俺は、四十近くなっても、自分が何者か、よく分かっていなかった。
「……とうさまは、あとつぎを、どう、そだてる、つもりだったの」
北政所の手が、止まった。
部屋が、静かになった。
秀次。鶴松。秀頼。豊臣家の跡継ぎの話は、いつも、人の死と、粛清と、恐れとともにあった。
「……分かりませぬ」
北政所は、答えた。
「殿下御自身も、分かっておられなかったのでしょう」
責める声ではなかった。悲しむ声でもなかった。長い年月を経た、静かな、本当のことだった。
「天下を取る術は、御存じでした。天下を渡す術は、誰にも、教わっておられませなんだ」
胸に、残った。
天下を取る。家を興すこと。天下を渡す。家を継がせること。秀吉は、前の方の天才だった。後の方は、一度も、やったことがなかった。家康も、今、同じところに向かっている。
俺は、祝いの書状を、一枚ずつ、裏返していった。太閤殿下の再来、という文字が、見えなくなった。
「拾。何をなさるおつもりで」
「ひょうぎで、とうさまなら、どうしたか、って、いうのを、やめてもらう」
北政所が、目を丸くした。三成も、固まった。
「……禁ずるのでございますか」
「うん。いうなら、あかしを、だしてもらう」
太閤殿下ならこうした、ではなく。いつ。どこで。誰に。どんな事情で。何をしたか。
同じ秀吉でも、事情が違えば、答えも違う。言い伝えではなく、書き残し。神話ではなく、前例。
「とうさまを、ひていするんじゃ、ない。とうさまを、べんりな、いいわけに、させない、だけ」
三成が、長いこと考えていた。三成は、秀吉への忠誠が深い。だからこそ、その名を軽々しく使われるのを、一番嫌がる男のはずだった。
「……承知いたしました」
三成が言った。
「太閤殿下の御判断を引く場合、日時、案件、関わった者、事情、結果を、併せて記すことといたしまする」
そこまでやるのか。さすがだった。
北政所が、声を立てて笑った。
「殿下も、墓の中で、面倒なことになった、と申されましょう」
「とうさまなら――」
言いかけて、止まった。
三成が、もう、筆を構えていた。
「……いまのは、かかないで」
「なぜにございます」
「あかしが、ない」
自分で作った決まりに、自分が捕まった。北政所は、今度は、腹を抱えて笑った。こんなに笑う北政所を、初めて見た。
北政所の笑い声は、廊下まで響いた。通りかかった淀殿が、何事かと戸口から顔を出した。
「……北政所様が、お笑いに」
「拾が、自分の決まりに、捕まりましてな」
淀殿は、俺と、筆を構えた三成と、笑い転げる北政所を順に見て、何も言わずに戸を閉めた。閉める直前、扇の陰で、口元が動いたのが見えた。
三成は、構えた筆を、しぶしぶ下ろした。
その日の午後の評議。最初に口を開いたのは、清正だった。
「太閤殿下ならば――」
三成が、すかさず紙を出した。
「日時を」
「何の話じゃ」
「太閤殿下が、その御判断をなされた日時にございます」
「知らぬ」
「場所は」
「覚えておらぬ」
「関わった者は」
「わしじゃ」
「他には」
「……忘れた」
「では、根拠としては、足りませぬ」
清正が、俺を見た。
「拾様。これは、拾様のお考えで」
「うん」
「……面倒になり申した」
「とうさまも、そういうと、おもう」
三成が、筆を上げた。
「日時は」
「いまのは、拾の、おしはかり」
評議が、少し笑いに包まれた。
だが、効き目はあった。秀吉の名が、少しだけ減った。代わりに、自分の考えとして話す者が、増えた。私は。私の国では。この事情なら。この危うさがある。
話が、生きている者の言葉に、戻ってきた。
【評議での「太閤殿下なら」の数】
昨日 23回
今日 4回
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.2% → 96.1%
北政所は、帰る前に、俺の部屋に寄った。
「拾。一つだけ、殿下のことを、お教えしましょう。根拠も付けて」
「……うん」
「天正十八年、小田原の陣。殿下は、陣中で、わたくしに文を寄越されました。茶々殿を呼んでほしい、と」
北政所は、少し笑った。
「本妻に、側室を呼べと頼む文でございます。関わった者、殿下と、わたくし。事情、殿下が寂しかった。結果、茶々殿が小田原に参られた」
「……それ、なんの、あかし?」
「殿下は、一人では、何もできぬお人だった、という証にございます」
北政所は、そう言って、輿に乗った。
俺は、しばらく、その背中を見送っていた。一人では何もできなかった父。その父を、四十年、隣で支えた人。
天下人の影は、消えない。消す必要もない。だが、影の中で、自分の形を失ってはいけなかった。




