第87話 誰が得をするのか
【豊臣家滅亡まで 残り5,548日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り209日】
春の評議に、俺は、初めて正式に座ることになった。
これまでは、隣の部屋にいたり、屏風の陰にいたり、上座に座っても、形だけだった。今度は違う。議題ごとに、問いを出す役として、上座に座る。
新しい小袖が、仕立てられた。
「少し、丈が長うございませぬか」
清正が言った。
「育つ分を、見越しておりまする」
侍女が答えた。
見越しすぎだった。袖が、手を全部隠していた。裾は、畳を二寸ほど引きずっていた。政に加わる前に、転ぶ危うさの方が高かった。
「めでたい」
正則が言った。
「六つで天下の評議に座るなど、太閤殿下でも、なかったことじゃ」
それは、比べる相手として、正しいのだろうか。
淀殿が、俺の襟を直した。
「背を、伸ばしなさい」
「のばしてる」
「もっと」
今すぐは、体の造りとして、無理だった。
評議の間。徳川家康。毛利輝元。宇喜多秀家。上杉の名代。前田の名代。奉行衆。それに、主だった大名たち。
俺は、上座に進んだ。裾を踏まないように、一歩ずつ。
全員が、頭を下げた。六つの子供に、天下の大名が平伏する。何度見ても、奇妙な光景だった。そして、この光景が、豊臣家に残された、最後の財でもあった。
威光。俺には、まだ、それしかない。
「かおを、あげて」
声が、高かった。威厳が足りなかった。声変わりは、十年ほど先だ。
議題は、縁組みだった。先の評議で決めた、縁組みの条件。それに沿って、家康がこれまでに進めた縁組みを、改めて確かめる。伊達。蜂須賀。そして、福島。
正則が、目に見えて固くなった。正則の養子、正之に、家康の養女が嫁いでいる。自分の家の話だった。
三成が、太閤の定めに背いた縁組みであると、読み上げた。家康が、諸家の安んずるためであると答えた。武断派は、縁組みそのものより、家康と三成が揉めることを嫌がっていた。
評議は、始まる前から、形が見えていた。
「先の太閤殿下の定めは、守られねばなりませぬ」
「事情が変われば、定めの使い方も変わる」
「それを、お一人で決められることが、咎なのでございます」
「決める者がおらねば、何も進まぬ」
何度も、聞いた言い合いだった。
俺は、手元の紙を見た。問いを、一つだけ書いてあった。
「いえやすどの。このえんぐみで、だれが、とくを、する?」
広間の空気が、少し変わった。
家康は、すぐに答えた。
「両家にございます」
「ぐたいてきに」
「争いを避け、互いの国を安んじまする」
「とよとみけは?」
家康が、一瞬、止まった。
「……天下が安んずれば、豊臣家にも、益がございまする」
遠回しだった。
次に、三成に聞いた。
「えんぐみを、とめたら、だれが、とくを、する?」
三成も、止まった。
「太閤殿下の定めが、守られまする」
「だれが、とくを、する?」
「豊臣家が」
「ぐたいてきに」
三成は、言葉を探した。決まりを守る得は、大事だ。だが、目に見えにくい。
俺は、清正を見た。
「きよまさは?」
清正は、驚いた顔をした。正式な評議で、意見を聞かれると思っていなかったらしい。
「……縁組みは、家と家のことにございます。されど、一つ許せば、皆が許されたと思いまする」
「うん」
「ならば、初めから、許す条件を、決めておくべきかと」
三成が、清正を見た。家康も、清正を見た。清正は、居心地が悪そうだった。
良い考えだった。止めるか、許すか。二つに一つではない。条件付きで、許す。
俺は、正則を見た。
「まさのりは?」
「わ、わしか」
「うん。まさのりの、いえの、はなし」
正則は、長いこと黙っていた。顔が赤くなったり、青くなったりしていた。
「……縁組みのことは」
正則は、ぼそりと言った。
「女たちの方が、よう知っておる」
広間が、凍りついた。
男たちだけの、天下の評議の席だった。そこで、女の考えを聞け、と言ったのだ。
正則は、自分が何を言ったのか、分かっていない顔だった。だが、正しかった。縁組みで家を移るのは、娘たちだ。人質になり、子を産み、家と家をつなぐ。その当の本人が、この席にいない。
「……まさのりの、いえに、きた、ひとは、なんて、いってる?」
正則は、また、しばらく黙った。
「……わしの家の飯が、薄いと、申しておる」
誰かが、小さく噴き出した。
「江戸の味噌は、もっと濃いと。……されど、正之とは、仲良うやっておる。わしが酒を飲みすぎると、正之より先に、叱りに来る」
広間の空気が、少しゆるんだ。
「ははうえの、いけんも、かきもので、きく。えんぐみに、いく、ほんにんの、いけんも」
家康の眉が、わずかに動いた。淀殿が、簡単に首を縦に振らないことを、家康は知っている。
「拾様」
家康が言った。柔らかな声だった。
「これは、大人の政に、ござる」
だが、線を引いていた。子供は、聞いているだけにしろ、と。
俺は、家康を見た。
「だから、おしえて」
家康が、少し目を見開いた。
「拾は、だれにも、おなじことを、きく。なにを、まもるのか。だれが、とくを、するのか。だれが、そんを、するのか。しっぱいしたら、だれが、せきにんを、とるのか」
広間が、静かになった。
六つの子供には、得なところがある。分からないふりができる。当たり前のことを、当たり前として流さず、聞ける。大人が聞けば喧嘩を売ることになる問いも、子供が聞けば、教えを乞うことになる。少なくとも、表向きは。
「……しっぱいしたら」
「わしが、責めを負いましょう」
家康が答えた。重い言葉だった。簡単には言えない言葉だった。
「どうやって?」
家康の目が、細くなった。
責めを負う。この世の武将は、命を差し出す、と言う。だが、死ねば、後始末をするのは、他の者だ。
「……縁組みによって争いが起きたならば、徳川が仲立ちをし、要る費えを負いまする」
具体的になった。
三成を見た。
「とめつづけて、あらそいが、おきたら?」
「奉行衆が、仲立ちをいたしまする」
「ひようは」
「……豊臣の蔵より」
初めて、二つの案が、同じ形で並んだ。止めるか、許すか。費え。責め。見張り。
評議は、腹立ちの言い合いから、決まりの話に移った。
決まったのは、こうだった。縁組みを、頭から禁じるのはやめる。ただし、前もって届ける。両家が承知している。嫁ぐ娘の身の安全を約束する。領地と兵の約束を含むかを確かめる。豊臣家に知らせる。破ったときは、仲立ちをする。家康のこれまでの縁組みも、この形で、改めて確かめる。
家康は、全部は満足していなかった。三成も、全部は満足していなかった。
だから、悪くなかった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.4% → 96.2%
評議が終わって、廊下に出ると、正則が笑っていた。
「拾様。六つにしては、ようおやりになった」
「むっつ、だから、できた」
「どういう意味じゃ」
「おとなは、しらない、って、いえない」
正則は、少し考えた。
「わしは、よう言うぞ」
正則は、別の意味で強かった。
清正が、俺の隣に並んで歩いた。長い裾を、踏まないように、少し後ろから見ていてくれた。
「拾様。……今日、初めて、太閤殿下とは違うと、思い申した」
胸が、少し痛んだ。褒め言葉なのか。そうでないのか。分からなかった。
「とうさまなら、じぶんで、けつろんを、きめた?」
「はい」
「拾は、きいただけ」
「それで、決まり申した」
清正は、しばらく黙って歩いた。
「……ならば、それも、天下人の仕事でございましょう」
天下人。その言葉を、俺は、まだ受け取れなかった。
だが、分かったことがあった。全部を決めることではない。全員に、同じ問いを投げること。答えを、同じ紙の上に並べること。
それなら、子供でもできる。いや、子供だからこそ、できることだった。
その夜、正則の家から、短い文が届いた。正之の妻、家康の養女からだった。
《福島の家の味噌を、少し濃くするよう、台所に申しつけました。義父上には、内密に》
淀殿は、その文を読んで、声を立てずに笑った。




